24話 すれ違い、ぶつかる。
ヴィレムの想い人は、王家と婚約しているアッペル伯爵家の者。
かなり限定的である。
フローチェは王子の誕生会でそうしたように、アッペル伯爵令嬢の情報を頭から引き出す。
歳は十六。顔立ちは大変可愛らしく教養もあり、趣味は刺繍。アッペル伯爵家の長女で、ちなみにアッペル伯爵家はヘーレネン王国の伯爵家の中では由緒正しく力がある。
弟妹がおり、五歳の妹と、今年生まれた弟の三人姉弟。
(……ん?)
ここで、フローチェは気がつく。
現在王家には二人の王子がいる。十七歳でフローチェの事実上の婚約者であるアダムと、七歳の第二王子だ。
「五歳の妹さんと七歳の第二王子……!」
フローチェは、口に手を当てる。
「……っ、全て、分かりましたわ」
「……流石にお前でも、ここまで言えば、伝わったか?」
ヴィレムは心底ほっとした顔で息をつく。
一方、フローチェはこの上なく複雑な顔で頷いた。
気がつかなかった。
ずっと、ずっと傍にいたのに。
「ヴィレム、貴方は────」
フローチェは切なげに目を細めた。
「幼女趣味、でしたのね……」
「ああ……って、はぁあぁああ!?」
うっかり重々しく肯定した後、ヴィレムは思わず叫んだ。
「な、なっ、なん……っ、と、とにかく、違う!!」
何故だ。フローチェの脳内で何があった。
不可解すぎる解釈にヴィレムは慄く。
フローチェはふるふると首を振った。まるですべて許しますと言う聖女のような顔だ。
「いいの。何も仰らないで。それなら筋が通りますもの」
一応、この考えに至るまでの思考はきちんと存在したのだ。
アダムの婚約者はフローチェなのだから、他に「王族との婚約している令嬢」がいるのなら、その相手は必然的に第二王子だ。
そして、御年七歳の第二王子と縁談があるアッペル伯爵家の者なら、そのアッペル伯爵令嬢の妹しかいない。
相手が五歳ならいくらフィーレンス公爵家といえども、すぐに婚約とはいかない。幼女趣味だと噂が広まれば職務にも支障が出る。
ヴィレムの立場を考えれば、おいそれと公表できる趣味ではない。
五歳の幼女。
その子が好きだった人とは父親だろうか? それなら確かにこの上なく「真っ直ぐに人を好きになって」いただろう。とても純粋な気持ちだ。そして応援するしかない。
今まで綺麗なご令嬢たちをスルーしていたのは、その子が好きだというのもあろうが、そもそも守備範囲外だったというわけか。
(全ての謎が解けましたわ……)
フローチェの様子に、ヴィレムはひどく疲れた顔で額に手を当てている。
「そうだな、こいつはそういう奴だった……察しろという方が悪いな……」
なんだかぶつぶつ言いだしたので、フローチェは心配そうに覗き込む。
「大丈夫ですの? お水飲まれます?」
「いや……平気だ。何でもない……」
そう答えるヴィレムの顔からは、生気というものが抜け落ちている。フローチェは慌てて立ち上がった。
「無理なさらないでくださいませ! す、すぐにミリアを呼んできますわ!」
お嬢様らしい鈍足ながらぱたぱたと走っていく後ろ姿を、ヴィレムはソファーに深く座ったまま見送る。
扉が閉まると同時に、天井を仰いだ。
「……鈍すぎる、あの馬鹿」
全くもって不毛なぼやきを、ため息と共に零す。
暫く脱力していたが、このまま幼女趣味扱いされるわけにはいかないと気を取り直す。
どうにかして、フローチェに分からせなければ。
「というか……使用人ならその辺りにいるだろう。一体どこまで行ったんだ?」
まさか、水の為にわざわざミリアを探しに行ったのか。フローチェは、困ったことがあればあの侍女を頼る癖がある。
この前も、ミリアの言葉を信じて人通りの少ない道を安全だと勘違いして一人で過ごしていた。
(……あの侍女)
かなりの曲者である。
思い出してヴィレムは頬を引き攣らせた。
ミリアが、フローチェを屋敷まで送るように頼んだときのことだ。ヴィレムがそれを承諾すると、
『ありがとうございます! それから……』
ミリアは不意にヴィレムの耳元に口を寄せた。
そして、フローチェには見えない角度でにやりと口角を上げて囁いたのだ。
『どうですか? 今日のお嬢様は。惚れ直しましたか?』
あの様子では、フローチェを一人にしたことも全てあの侍女の計画だったらしい。影からこっそり様子を窺って、ヴィレムがフローチェを助けるようにお膳立てしたらしい。
(まあ、俺もあの一件で覚悟を決めたから、感謝しなければならないが)
ちなみにフローチェはブレフトのことをミリアに話していないようだが、彼女はどこまで知っているのか。話していなくとも全て把握していそうで怖い。
(今日俺とフローチェを部屋に二人きりにしたのも、狙っているな……絶対)
それらしい理由を並べてフローチェを丸め込んだに違いない。清楚そうな顔立ちをしているが本性はとんでもない女だ。
フローチェはなかなか戻ってこず、手持ち無沙汰になったヴィレムは何となく部屋を見渡す。
すると、ある物が目に入った。
(あれは……)
歩み寄り、持ち上げる。
ヴィレムは呆れてため息をついた。
「そもそもあるんじゃないか、水」
机に置いてあったのは、水の入ったゴブレットだ。傍らには未使用のグラス。
(あれでいて普段はしっかりしているんだが……)
記憶力もいいはずだ。あまり見ないミスである。
珍しい、と思いつつすぐに理由は見つかった。
(……気が動転してるのか)
ヴィレムのことを幼女趣味だと勘違いしているのなら、それはそうだろう。
幼馴染みの特殊な性癖を知れば形容し難い気分になる筈だ。
(幼馴染みに幼女趣味だと勘違いされるほうが堪えると思うがな)
ヴィレムは半眼でゴブレットを元の場所に置いた。
すると、その際に机に裏返して乗っていた紙がふわりと浮いてしまう。
「ん?」
その紙は表面を晒す形で、再び机に落ちた。
「これ、は……」
勝手に見るのは不味いと何かが警鐘を鳴らしたが、そんなことは最早気にならなかった。
目に入った文字の羅列に、ヴィレムは食い入るように文面を読む。
「王宮への移住の日程が変更……? それが、来月だと……!?」
そのとき、突然扉が開いた。
◇◆◇◆
衝撃的な事実が判明してしまった。
水を持ってくると言って飛び出してきたフローチェは、赤くなった頬をぱたぱたと手で扇ぐ。
(ヴィレムが……まさか……そんな……今まで生きていた中で一番の衝撃ですわ……)
何歳までいけるのだろう。
十代はアウトなのか、十二歳くらいまではいけるのか。
いつか聞いてみよう。
(と、いけないいけない。ミリアを探さなくては……)
しかし見つからない。
散々探し回ったところで、あることに気がつく。
(別にミリアに拘る必要はありませんでしたわ)
一杯の水である。その気になればフローチェ一人でも用意できるものだ。
それを、なんと間抜けな。
(無駄に時間がかかってしまいましたわ……)
厨房に赴いて事情を話し、水を貰う。
代わりに運びますと何度も申し出があったが、断った。
自分で出来ることまで人に任せたくないのだ。
一人で動いてさっさとやってしまうので、昔は貴族の令嬢としてその気質を咎められたが、今では諦められている。
お淑やかに、自分を出さず、あまり動かず。
人にやらせるのが美しいという感覚がフローチェにはあまり掴めない。
(でも、自らが少数派だということは承知しておりますわ。王宮へ行ったら矯正されるでしょうね)
いつか、王を支える立派な妃となる為に。
向こうの教育係は「フローチェ」という個を消し去り、一から賢妃を作り上げるだろうから。
(……あと、何年後かしら)
あの王子の隣に座って、フィーレンス家当主となったヴィレムに、傅かれる日が来るのは。
親しい幼馴染みだった距離が過去のものになるのは。
(でも、それはずっと前から決まっていたことですもの。変わってしまったのは婚約ではなくて、私の……)
そんなことを考えているうちに、部屋についてしまった。
ため息を一つ落としてから、フローチェは扉を開ける。
「お待たせしましたわ、ヴィレム────」
言いかけた言葉は、不自然に途切れた。
フローチェは凍りつく。
ゆっくりと、ヴィレムが振り返る。その瞳に宿るものは、怒りとも悲しみともつかない。
「フローチェ……これは、どういうことなんだ?」
ヴィレムの手には、来月に王宮へ移る詳しい旨が書かれた書類があった。




