20話 痛み。そして一方その頃
ブレフトが屋敷を訪れた数日後。
「お嬢様、ご友人からお手紙が届いていますわ」
「まあ! ありがとう、ミリア」
差し出された薄紅の封筒を、フローチェは笑顔で受け取る。
以前お茶会をしたクラウディアとエルマの二人とは、月に何度か文のやりとりをしている。今回の手紙はエルマからだった。
ミリアが退室した後、フローチェはぺパーナイフで丁寧に開封し、逸る気持ちを抑え便箋を取り出す。
手紙の内容は、いつも他愛もないもの。
目を通すと、今回の手紙も城下で人気のお菓子や流行りのドレスなど、世間話が主だったのだが。
とある一文で、フローチェの文字を追う視線が止まった。
『ねえフローチェ。アッペル伯爵令嬢って知ってる?』
あからさまに心臓が跳ねた。
(な、何を動揺しているの、私。アッペル伯爵令嬢は割と話題に登るお方ではありませんの)
アッペル伯爵家は、美形の血筋だと言われている。
そのため側室などの形で王族に嫁がせる場合が多く、繋がりがある分伯爵家の中ではかなり幅を利かせている。
今話しているアッペル伯爵令嬢も、実はそれを狙って教育されたのだ、と聞いたことがある。
その美しさは幼い頃からはっきりと現れていたので「使える」と判断され、王子に見初められるようにと教養を叩き込まれた。そして「理想の令嬢」に育て上げられたのだと。
しかし、今の王子は言っては悪いが「あんなの」なので、その計画は同じく大変可愛らしい十歳以上下の妹へと移行したらしいが。次なる標的は七歳の第二王子だ。
アッペル伯爵令嬢はヴィレムのことが好きだったので、お役目がなくなったことを喜んでいたと書いてあった。
「よ、よかったわ。あの王子を巡って三角関係なんてごめん被りますわ」
そんなことを呟いて先の文を読む。
ちなみに、アッペル伯爵令嬢の名はリーン・ロッテ・アッペルという。
エルマとはそこそこ家同士の付き合いがあるようだ。
『実は、リーンとこの前久しぶりに二人で会ったんだけど、なんかすごい嬉しそうだったの。だから、何かいいことあった?って私が聞いたら』
「……っ!」
文を持つ指先が、微かに震える。
紫の瞳は、一点を見つめて動けずにいた。
「『やっと、あの憧れのヴィレム様と婚約が結べるかもしれないのと笑っていたわ』────?」
整理ができないままに、言葉と事実が心にねじ込まれる。
その痛みに耐えかねるかのように、フローチェは胸を押さえた。どういうこと、と乾いた呟きが落ちる。
先日の妄想(あの後ミリアに滅茶苦茶怒られた)の内容が再び頭に蘇った。やはりヴィレムは、アッペル伯爵令嬢と婚約するのだろうか。
「で、でも、そんな……」
急すぎる、という言葉は喉から出てこなかった。
(急? そんなの分からないわ。だって私はヴィレムがいつもその日何をしているかなんて知らないもの……)
アッペル伯爵令嬢は随分前からヴィレムのことが好きだった。もし、フローチェが知らぬ間にその恋が実っていたとしたら?
(……それに、このタイミングなのは、私と王子の婚約とかぶらせるためかも知れないわ)
ヴィレムは人気があるため、その婚約者のアッペル伯爵令嬢は嫉妬に晒されるだろう。
けれどフローチェとアダム王子が同時期に婚約を発表してくれれば、多少の視線誘導になる。
(……いた、い)
ぎゅっと胸元の布地を強く握った。
この話が事実かどうかはまだ分からない。けれどもしこれが本当なら。
(本当なら、祝福しますわ。祝福するに決まっていますわよ……)
自分が王子に嫁ぐ隣で、ヴィレムとアッペル伯爵令嬢が笑っていても、共におめでとうと言うだろう。
あのヴィレムが本当に愛しい人を見つけ幸せになるというのなら、幼馴染みとしてこんなにめでたいことはない。
「お祝いを用意しなくては。ハーンストラ公爵令嬢が、十七年付き合った幼馴染みに贈るものですもの。厳選しなくてはいけませんわ」
感情を置き去りにしたまま、フローチェは明るい声で独りごちる。すぐにペンを取り、業者の名前をサラサラと書いていった。
「今からでも始めなくては。私だって婚約となれば忙しい身になってしまうもの」
わざとらしく、笑顔をつくる。
こんな風に白々しく演じていれば、いつか自分の心も騙されてくれればいいのにと思った。
◇◆◇◆
フィーレンス邸。
各地へ出かけていたフィーレンス公爵が、ようやく戻ってきた。疲れ果て休もうとする父親を容赦なく呼び止め、話があるとヴィレムは伝えた。
「な、なんだ息子よ……父上は今満身創痍の身なんだ」
「時間はとらせません」
いやいやをするフィーレンス公爵を有無を言わさない声音で留める。
そしてヴィレムは、先日ハーンストラ公爵にも伝えた自身の考えをはっきりと述べた。
「……俺は本気です。お許し頂けますか」
「ほーぅ? ほーうほうほうほう」
フィーレンス公爵は途端、にやにやと笑いながら顎に手を当てる。嫌な予感がすると、十七年息子をやっているヴィレムの本能が告げた。
「なるほどな。なぁるほどな息子よ。そうかそうか」
「……で、お許し頂けますか」
面倒くさい父親のノリには一切ついて行かず、淡々と聞く。
こういうのは構ってやると調子に乗って悪化するのだ。どんなに絡んできても無視に限る。
「やるじゃあないか!! クールな面して中身は熱い! 冷ましきれてないグラタンのような男だな!!」
「あの、父上」
新しいケースだ。
構っていないのに悪化していく。
「ふっふー。誰に似たんだお前は~。よっ! 青臭色男! 一途な初恋ボーイめ! この~!」
「……父上!」
「分かったわーかったって怒るなよぅ!」
声を荒らげたヴィレムに、両手を口の前で握って上目遣いで目をぱちぱちさせるフィーレンス公爵。
その可愛くもなければこの上なく怒りを煽る動作に、ヴィレムは無言で片手を握って顔の横まで振り上げた。
「ちょっと待って!? 拳ダメ、絶対! お許しいただけますか!?」
「許しを乞うているのは俺です」
「じゃあ、その武力行使を私に語りかける右手を下ろそうか息子よ!」
しぶしぶ元の体勢に戻ったヴィレムに、フィーレンス公爵は大きく息をつく。
「反抗期か? 全く~、ああ、で、その話か。いいぞ」
「……えっ?」
反対されてもおかしくない、というか反対されるだろうという内容を話したヴィレムは拍子抜けする。
そんな息子に父は指を振った。
「なんだ? この私が断るとでも思っていたのか? 父親だぞ~? お前の好きな人くらい知ってるさ」
「しかし……」
「いいからお前は突っ走れ! それが若さってやつなのだ! 公爵家出身だからとそれをしないのは勿体ないだろう!」
ぐっ、と親指を立てるフィーレンス公爵。
未だ呆気に取られるヴィレムは「まあもともと出てた話だしな……」と呟く父に気が付かなかった。
ところで、フィーレンス公爵は問いかける。
「その話、彼女にはしてないんだよな? 大丈夫なのか?」
「……それは本当に分かりません」
「お、おいおい……」
「ですが」
ヴィレムは真っ直ぐにフィーレンス公爵の目を見て言った。
「例え彼女の気持ちが俺に向いていなかったとしても、全てを懸けてこちらを向かせるだけです」
────一瞬の沈黙。
「ヒュ~~! なんだ今の? なんだよ今のは~!? ヴィレム坊ちゃんかぁっくい~!!」
「…………」
言わなきゃ良かったと、このときほど強く思ったことはない。




