2話 我が国の王子殿下
一通りフローチェがはしゃぎ終わったのを見計らい、ブレフトは話し始めた。
「今日は、明後日に開かれる王子の誕生日パーティーの話で来たんだ」
「王子の……誕生日パーティー……」
途端、フローチェの顔が曇る。
ヘーレネン王国の王子殿下のアダムとは、幼い頃からことある事に顔を合わせていた。
そして、その理由も知っている。
「ほら、そんな顔をするなフローチェ。お前は王子殿下の妃候補筆頭なんだ」
「だ・か・ら・嫌なのですわ!」
猛禽類か肉食獣のように瞳をぎらつかせ、フローチェはそっぽを向く。
それから一転して、駄々をこね続ける子供の如く消え入りそうな声で呟いた。
「私は叔父様と結婚するのです……」
「フローチェ……」
ハーンストラ公爵は情けない声を出す。
なんだかんだ言っても娘には甘く、例えそれが娘が王子と結婚するという、父親としてこの上ないような名誉なことでも、強く言えないでいた。
「…………」
一方、ブレフトは煮えきらない様子でフローチェの頭を撫でる。この男に妻子でもいればフローチェも諦めがつくのだろうが、ブレフトは現在三十七歳独身。
上流貴族では近新婚も珍しくはないので、結婚出来なくはない、というのが微妙なところだ。
「……この話は後だ。ともかく今は、王子の誕生パーティーの準備をしなさい、フローチェ」
「……はい」
フローチェとて、我儘を言っていることはわかっている。
これ以上困らせるのは止めにして、父親の言葉に大人しく頷いた。
「……ああ、そうだ、フローチェ」
言いにくそうに、ブレフトは口を開く。
フローチェの頭を撫でていた手は、決まり悪く頬を掻いていた。
「何ですの? 叔父様」
「パーティー会場までのエスコートなんだが……」
それはブレフトがしてくれることになっている。
全く気分が乗らない誕生日パーティーの、唯一のオアシスのようなものだ。
「実は、私は用事ができて、他の人に頼むことになったんだ」
「えええ!!」
悲痛な叫びがフローチェの口から漏れる。
ふらり、と悲劇のヒロインよろしくよろめいた。何を大袈裟なと周りの者は感じそうなオーバーリアクションだが、彼女の中では悲劇以外のなにものでもないのだ。
(そんな……どうでもいい誕生日パーティーのただ一つの楽しみが……もう本当に救いのないパーティーじゃありませんの……)
仮にも自国の王子の誕生日パーティーなのだが、フローチェは大変失礼なことを考えながら真っ白な灰になる。
失礼ついでに付け足すと、彼女はこれまでに自国の王子に対して尊敬の念を抱けたことはない。
そしてそれは、単にフローチェの根性が曲がっているからでは無かった。
ヘーレネン王国の王子殿下は「ヘタレ」だ。
いつもおどおどしていて自信も余裕も威厳もなく、ないない尽くしでどうしようもない。
容姿は整ってはいるが地味。圧倒的な影の薄さ。
アダムのヘタレっぷりは家臣たちによって上手く隠されていたのだが、露呈したのは昨年だったか。
お隣の大国・フェロニア王国から王子殿下が来た時である。
現在西大陸で最も栄えている大国から来た王子だ。身分は同じ王族とはいえ、粗相は許されないというプレッシャーが彼を襲った。
そしてその王子殿下は稀代の天才と名高く、また類希な美貌も兼ね揃えているというお前少し盛りすぎだろう、自重しろよと言いたくなる男だった。
哀れなことにアダム王子の緊張は最高潮に達して天井を突き破り、歓迎の挨拶でコケるわ噛むわ次の動作を忘れるわと散々だったのだ。
挙句の果てには完全に沈黙した、と思ったら立ったまま気絶していた。器用か。
隣のフェロニアの王子殿がどうにか誤魔化してくれたお陰でその場はなんとかなったが、本当に酷かった。
思い出したくもないとフローチェは軽く頭を振る。
「……それで? エスコートは、誰が……」
「ああ、それはフィーレンス公爵の御子息にお願いしてある」
「あ、ヴィレムですか……そうですか」
ハーンストラ家と肩を並べるもう一つの二大公爵家、フィーレンス公爵家には、フローチェより二つ年上の息子がいる。
名はヴィレム・フィーレンス。
漆黒の髪に青の瞳、いつも澄まし顔の美男子である。
フローチェとは幼馴染みで、冷静な突っ込みをくれるいい友人と言えよう。
去年までは同じ貴族の学校に通っており、仲は良好。別段嫌な相手ではないが、ブレストと一緒に行きたい気持ちは変わらない。
(でも……叔父様も多忙ですもの。仕方ないですわ……)
フローチェはなんとか笑顔を作り、努めて明るく言った。
「分かりましたわ! いつもお疲れさまです叔父様。今回のご用事も、頑張ってくださいませ!」
「ああ。ありがとう、フローチェ」
この頃には、フローチェがずらした絵画を平行に直し、フローチェが倒した花瓶を立てて水を取り替え、床を拭き終えたミリアが合流し、さっそく明日着ていくドレス決めに取り掛かることとなった。
◇◆◇◆
取り出されたドレスたちが、鮮やかに部屋を彩る。
「お嬢様、こちらはいかがでしょう?」
「そうねえ……少し色がイマイチかしら。パーティーの参列者を見る限り、普段暖色系の色を好まれるご令嬢が多かったから、私は寒色系がいいと思うの」
「それでしたら、こちらの青みの強い紫のドレスは?」
「あら、紫なら私の瞳の色とも合うわね。それにしましょうか」
早口に話しながら次々ドレスを体に当て、ようやく一着を決める。
ドレスが終わればそれに合わせた小物だ。
パーティーは明後日だが、貴族の娘の準備というのは時間がかかる。
「ヴィレム様のご衣装もお聞きしておきましょうか?」
「ヴィレムの? いえ、いいわ。エスコート役とはいえ婚約者でも何でもないもの。衣装まで二人でセットみたいになっていたら邪推されるわ」
「それもそうですね。失礼致しました」
必要ないと言いつつも、ふとヴィレムはどんな格好で来るのだろうと思った。
普段、彼の服は黒が多い。確かに、落ち着いた雰囲気のヴィレムには赤などの派手なものよりそちらが似合っているだろう。
(物語に出てくる悪の騎士様みたいで素敵、だったかしら?)
よく友人のご令嬢たちが騒いでいる内容を思い出す。
しかしそういったことに興味の無いフローチェは、すぐに呑気なことを考える。
(「悪の騎士」なんて噛ませ犬代表みたいなものに喩えられて、嬉しいのかしら? 今度本人に聞いてみよう)
ヴィレムとは幼い頃から一緒にいたが、なにせフローチェは七歳からブレフトにベタ惚れなのだ。
ほかの男性は眼中に無く、ヴィレムもまた恋愛対象として見たことは無い。顔は確かに格好良いし、性格も良いと思うが、ブレフトは別格なのだ。
(それにしても、叔父様の礼服姿を一番に拝みたかったですわぁあぁあ残念……)
フローチェはしつこく悔しがりながらため息をついた。
因みに、ブレフトはそこまで美形ではない。甘めに見て中の上程度だ。
麗しい十九歳のヴィレムとまあまあな三十七歳のブレフト。
二択にして一択である。
普通迷う余地はない。
今のフローチェの思考を同年代の令嬢たちが知ろうものなら、ならばそこを代われと胸ぐらを掴んでくるだろう。
「お嬢様、ネックレスはこちらでいかがでしょう」
尋ねてくるミリアの声に我に返った。
(はっ、いけないいけない。今は自分の準備に専念しなくては。ハーンストラ公爵家令嬢の私がパーティーで無様を晒すわけにはいかないもの)
差し出されたネックレスは、大ぶりのアメジストがついたものだ。砕かれたダイヤが周りに散っている。
「パーティーは夜だものね。このくらい大人っぽくていいかしら」
「ええ。お嬢様にも、よくお似合いになるかと」
「では、ネックレスはそれにしましょう」
あとはブローチと、指輪と……。
決めることはまだまだある。フローチェはよしと気合を入れた。