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19話 妄想癖令嬢


 突然訪ねてきてすまないね、とその男は言った。

 フローチェは思う。


(ならば帰れ)


 と。

 しかし本当にそう言うわけにもいかず、顔も見たくないこの男────ブレフトを笑顔で迎えいれるという大層な苦行を強いられる。


(ああもう何しに来ましたの!? 大した用事がないなら屋敷の周りで呼吸をしないで欲しいですわっ)


 遠まわしに用無く近づくなら死ねと心中で訴えながら、しかしフローチェは花の咲いたような笑顔を作る。

 以前の自分を思い出して、ブレフトの周りを阿呆のようにくるくると回った。


「ぁあらぁ叔父様! 来てくれて嬉しいですわぁ!」


 その言葉にふふんと胸を張るブレフト。癇に障る。そして、今までの自分がどれほど異様で狂った真似をしていたのかよく分かり、かなり凹んだ。

 それはさておき、フローチェには気がかりなことがあった。

 つい先ほどヴィレムが帰ったとミリアから聞いたのだ。二人は接触したのだろうか。


(まあ、ヴィレムのことですもの。ヘマはしませんわよね)


 まだこちらがブレフトの本性や目的を知っているとは感づかれたくない。

 時が来るまでは、踊らせられている愚かな駒と思わせておきたいのだ。


(ヴィレムがよっぽど仕掛けなければバレませんけれど、一応探りを入れておきましょうか)


 そう判断し、フローチェはわざとらしく笑いかけた。


「先程までヴィレムも来ていたのよ。叔父様とヴィレムはあまりお話する機会がないものね。もしお屋敷に二人ともいたら一緒にお茶を楽しめたのに」


 何も知らない無垢な顔で提案する。

 すると、何故だろうか。


(叔父様の顔が……分かりやすくひきつった!?)


 何かあったらしい。


「もしかして、叔父様? ヴィレムと何かありまして?」

「んなっ!? なななな何も無いが……」


 何かあったらしい。


(えっ、まさか、ヴィレム? 貴方、妙なことはしていないでしょうね?)


 威嚇行為とか。

 敵意を向けたりだとか。

 態度を今までと豹変させたりだとか。


(ま、まさかね……)


 見事にコンプリートしているが、フローチェには知る由もない。対するブレフトは、ヴィレムの氷のような視線を思い出して滝汗をかいていた。


「叔父様? 暑いですか?」

「あっ、ああ! そうだな! 少し……」


 ばたばたと手で顔を煽ぐ三十七歳。

 今日は曇り空で、風もひんやりとしている。


(全く暑くないけれど。それにあの汗の量……ああ……歳か)


 フローチェは冷静に判断を下し、臭いが移る前にと距離をとった。


「二人は何かお話されましたの?」

「あ、ああ。フローチェは最近すごく綺麗になったね、と男ふたりで話したよ」

「ま、まぁ……お、叔父様ったら」


(寒気がしますわ)


 しかし、男ふたりでということはヴィレムもその話題について話したということだ。


(……なんて言っていたのか、気に、なったりはしない、ですけれど)


 フローチェはむむと考え込む。

 あの万年仏頂面がそんな浮ついたことを話すだろうか。

 どうせ一言、そうですねとか適当に言って流したに違いない。


(変な期待をしてはダメですわ……いや!! 期待してない!! なにも期待していませんけれど!?)


 誰にも聞かれていないのに必死に言い訳するフローチェ。

 幸い、ブレフトはヴィレムに慄くのに忙しく気がついていない。


「……も、もう。叔父様ったら、からかわないでくださいませ」

「おや、そんなことはないよ。フローチェは本当に綺麗になった。ヴィレム君も……」


 そこで、ブレフトは言葉を切る。


「お、叔父? ヴィレムが、なんですの?」

「い、いや……やめておこう……」


 ギクシャクとした動きで首を横に振った。


(何故そこで止める! なんでそこで止めますの!?)


 気になる言い方をされ、フローチェは奥歯を噛み締める。

 それはアレか。よほど酷い言い草だったのか。


『お戯れを。さなぎが蝶になることはあっても、喧しいセミが美しく変化することはありませんよ』


 フローチェの脳内に現れた意地の悪い顔のヴィレムが、はっとせせら笑った。

 そのような酷いことを彼が口にしているのを聞いたことはないが、なにせフローチェの妄想力はやたら逞しいのである。


「そ、そんなことを言って嘲笑われませんでしたの?」

「な、なぜ分かっ……」

「…………えっ」


 冗談交じりに言えば、ブレフトは驚愕の瞳を向ける。

 本当に、嘲笑ったのか、ヴィレムは。

 ブレフトをというか、フローチェが綺麗云々に対して。


(…………そう)


 すっ、と心が冷えていくのを感じた。

 浮ついていた感情が縮こまっていく。


「フローチェ?」

「なんでもありませんわ、叔父様。どうぞ、こちらに。お茶をお出ししますわ」

「ああ、ありがとう」


 卒のない態度でブレフトを案内し、自然でたわいのない会話をする。


(ああ、嫌だわ……こんなんじゃ、駄目なのに)


 ヴィレムのことになると、なぜだかこんなにも容易く心が揺らぐ。別れが迫っていて感傷的になっていると考えていたが、果たして本当にそれだけだろうか。


(ううん、それだけよ。本当に。今だけのことですわ)


 これ以上考えてはいけないと、フローチェは積極的に会話を広げて気を紛らわせた。

 こういう言い方は不本意だが、王子と違って一応打てば響く。貿易関係の仕事をしていることもあってか、ブレフトは話題には事欠かない。


「……ということがあってね。あれにはみんなアッペル伯爵令嬢に賞賛を送ったそうだよ」

「へぇー、そうなんですの」


 聞き覚えのある名前だ。

 アッペル伯爵令嬢といえば、ヴィレムの取り巻きに参加している可愛らしいご令嬢か。


「アッペル伯爵令嬢は、ご結婚はなさらないのかしら……」


 思わず呟く。

 ブレフトはなにか心当たりがあるようだった。


「ああ、婚約の申し込みは多いのだが、断っているそうだよ。誰か心に決めた人がいるとか」


 それは。


(ヴィレムのこと……ですわよね)


 チクリと胸が痛んだ。


(たくさんの申し込みを断るって……そんな自分の恋愛感情で……)


 思うところはあったが、すぐに引っ込める。

 これが公正な判断で出てきた感想かどうかが、分からないからだ。相手がヴィレムでなかったら同じことを思っていたかは分からない。

 しかも自分は、諦めてはいたもののブレフトと結婚すると言っていた人間だ。そして今も王子との婚姻の中で揺らいでいる。人を責められる人間ではない。


「だが、最近ついに念願が叶ったとか言っていたような」

「え……っ」


 口に含んでいたのは甘い紅茶。フローチェが好きな柑橘系の風味の効いた、香り高いもの。

 けれど今は何の味もしなかった。

 ドクドクと心臓が早い。

 何かに焦っているようだった。


(念願が叶ったって……それは……婚約したと……いうこと?)


 それとも、見合いをすることになったということか。

 知らずドレスの裾を強く握った。


(そういえば、ヴィレムは今日なんの用でお父様に会ったのかしら?)


 いつもだったら教えてくれていたけれど、今回だけは上手くはぐらかされた気がする。

 言いにくいことなのか。


(たとえば、好きでもない男に嫁がなくてはならない幼馴染みに恋愛結婚の報告とか……)


 またしてもフローチェの脳内では悪い方へ想像が広がる。


 真っ白い花嫁衣裳のアッペル伯爵令嬢に、同じく花婿衣装のヴィレム。

 顔を見合わせ微笑みあった後、二人はフローチェに手を振り『私たち、幸せになります!』と声を揃えた。

 呆然とするフローチェを尻目に、リンゴーンと高らかに教会の鐘が鳴り響く……。


「え、えええええええ」

「どっ、どうしたんだい?」


 ガタンと立ち上がったフローチェにブレフトが驚くが、既に耳に入っていなかった。


(御祝儀はいくら包んだら……っじゃなくて! ほ、本当に結婚するんですの?)


 誰もそんなことは言っていない。

 が、フローチェの暴走は止まらない。


(結婚……ヴィレムが結婚する……?)


 取り残されたブレフトは、「こうなると多分長いので」と淡々と告げたミリアにより帰宅を促された。

 フローチェの思考は以前として、迷宮入りの最中である。


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