16話 人の話はきちんと聞きましょう
しばらく忙しくしていたヴィレムと、久しぶりに会った。
なんでも、今日はハーンストラ公爵にとある用があるらしい。
久しぶりと言っても一週間なのだが、随分と長い間会っていなかったように感じる。
(王子とお茶会をしたときも死にそうなほど長く感じましたし……最近感覚がおかしいのかしら?)
首をかしげるフローチェに朝食のスコーンを用意しながら、いつも如くミリアが淡々と問いかけた。
「どうか致しましたか?」
「いえ、何でもないわ……それよりミリア、ヴィレムの用ってなんだか知ってますの?」
さりげなく聞いてみる。
しかし、ミリアはすぐに首を横に振った。
「いいえ、私も存じ上げません。旦那様にお聞きしておきましょうか?」
「あ、そ、そこまでしなくていいわ。少し気になっただけですの」
何故だろう、ヴィレムの訪問理由を知りたがったことを父に知られるのが嫌な気がした。嫌というより、避けるべきだという思いか。
(べ、別に後ろめたいことなんてありませんのに……!)
ぶんぶんと頭を振っていると、ミリアが思い出したように手を合わせた。
フローチェは首かもげそうな勢いで頭を振っているせいで、長い髪がぶわっさぶわっさとエライことになっているが、この程度の奇行は最早気にしないのである。
「旦那様といえば、お嬢様。本日の晩餐のあとに旦那様がお呼びですわ。お話があるとか」
「お父様が、私を? 一体何の……」
言いかけて、気がつく。
(王子との婚約のことですわね……きっと「婚約ほぼ確定」から「確定」に変わったのだわ)
先日のお茶会で大きな問題がなければそうなるだろうな、とは思っていた。あれは結婚前に顔を合わせる機会をできる限り設けるために企画されたのだろう。
ずしり、と重いものが胸にのしかかる。
楽しかった時間ももうすぐ終わりだ。これからは王妃として教養を叩き込まれ、あの王子の隣で微笑み続けなければならないのだ。
(……覚悟を、決めましょうか)
自身がハーンストラ公爵家に貢献できることに感謝して、王子の隣でその務めを全うできることを喜びに感じられるように。
「お嬢様……」
ミリアもまたハーンストラ公爵の話というのがどういうものか分かっている。そして、フローチェが固めている決意も。
故に青みがかった瞳を痛ましげに細める。
「ミリアとも、お別れしなくてはならないのかしら」
「いえ、それは! 侍女を一人二人連れていくことくらい許されるはずです。私は絶対についていきますわ」
「ミリア……」
その言葉だけでずいぶん救われる。
しっかりと主の手を握り、ミリアは真剣な眼差しで誓った。
「私は決してお嬢様のお傍を離れません。決してお嬢様をお一人にはさせません。私は、そのために居るのです」
触れている手が温かい。
フローチェは作り笑いではなく、心から微笑んだ。
「ありがとう。貴女が侍女でいてくれたことを、本当に嬉しく思うわ」
「勿体のうお言葉でございます、お嬢様……」
信頼に応えるように深く礼をしながら、しかしミリアは下唇を噛んだ。
ミリアが望むのはフローチェの幸せな婚姻。
そして、それを叶えられるのは一人しかいないと考えていた。
◇◆◇◆
「お呼びとお聞きし参りましたわ、お父様」
「おお、フローチェか」
父の執務室を訪れたフローチェは、やや強ばった面持ちで尋ねる。
「……王子との、婚約が決まりましたか」
いつもならば、フローチェは相手の話を聞く前にあれこれ尋ねたりはしない。
けれども今回は、ハーンストラ公爵に改めて告げられる前に、自分から言ってしまいたかった。
「……ああ。実は、そうなんだ」
そんなフローチェの心中を察してか、ハーンストラ公爵は目立たいはずのことを、硬い声音で告げる。
気を遣わせてしまったことが申し訳なくて俯くと、公爵はそれを勘違いしたようだった。
「やはり、受け入れ難いか?」
「いえ!決して、そのようなことはありませんわ!」
「ブレフトのことは……」
「叔父様はっ、違います!」
思ったよりも大きな声が出て、慌ててフローチェは己の口元を両手で覆った。
「申し訳ありません。ですがお父様、叔父様のことは……もういいのです。仰らないでください」
本当に未練はないのだ。
だが、ささくれだった気持ちに一度鎮まったはずの怒りや悲しみが染みていく。
(もう、最悪ですわ! なんであんな男のために、こんなっ……)
情けなく、泣きそうに顔が歪んだ。
整理しきれていない感情が多すぎて、わけも分からぬまま溢れ出そうになる。
「フローチェ……聞いてくれ」
「お父様?」
「……私は、できる限りお前の意思を尊重したいと思っている」
思いがけない言葉に、フローチェは瞬きを繰り返した。
ハーンストラ公爵が浮かべているのは、父親の表情だった。
「どうしても嫌だというのなら、断れる。無理はするんじゃない」
「お父様……」
じん、と胸のうちが熱くなる。
(ああ、本当に、もう)
ミリアといい、父といい。どうして自分はここまで、人に恵まれているのだろう。
手駒のように扱われてもおかしくはないのに。なのに、皆はフローチェを一人の人間として見て、幸せを考えてくれている。
「実は、もう一つお前と縁談が上がっていたところがあってな……王子の婚約者候補だという噂のせいで、ほとんどの家からは来ていなかったんだが、二大公爵家同士なら……」
(素晴らしい父に素晴らしい侍女……私は幸せ者ですわ)
他にも、素晴らしいと言えば。
(やっぱり彼にも、随分迷惑をかけてきましたわね……こんなことを言ったら、また「迷惑なんて言うな」と怒られてしまうけれど)
幼馴染みだからといえばそうだが、それにしても、一緒にいることが多かった。
くだらないことを相談して、ブレフトが如何にかっこいいかを語って。不機嫌そうにどうでもいいと言って、それでも、いつも話を聞いてくれて。
(ヴィレムは……まだ結婚はしませんのね)
自身の心中の呟きに、ハッとする。
(また、私は……! こんなことを考えても仕方ありませんわ!)
「それで、実は今日ヴィレムが来ていただろう? それは、お前との婚約を……」
(駄目駄目駄目駄目。何も考えない何も考えない。こんなこといつまでも思っていても辛いだけですわ!)
「フィーレンス公爵とも話し合って、陛下にお許しを頂けないか、次の登城のときにでも……」
(ヴィレムは婚約話は山ほど来ているはずですもの。身分も釣り合ってしがらみもなくて、可愛らしい令嬢からたくさん!)
「陛下はお前と王子との婚姻を申し訳なく思っている節もあるし、詳しくは言わないでおくが、負い目もある。だからきっと……」
(そう、例えばあのアッペル伯爵令嬢なんて完璧でしたわ。きっとあと二年もしないうちにヴィレムも……)
「────と、私は思っている。お前は、どうだ?」
「へっ」
全く、聞いていなかった。
(いやだって、それどころじゃなかっ……でも、言える雰囲気じゃありませんわこれ)
だらだらと不自然な汗が背中や首を伝う。ハーンストラ公爵は不思議そうに首をかしげた。
「そんなに暑いか?」
「あ、あら嫌ですわー、最近お野菜をたくさん食べるようにしたら代謝が良くなりすぎてしまってー」
棒読みで適当なことを言いつつ、こほんと咳払いをする。
「ひ、ひとまず……か、考えさせてくださいますか?」
「ああ。大事な問題だ。ゆっくりと考えなさい」
大事なことだったらしい。
深々と頷いたハーンストラ公爵に、フローチェは引き攣った笑を返した。
(ど、どうしよう……!)
その後部屋に飛び込んだフローチェが髪が乱れるのも構わず頭を抱えたことは、言うまでもない。




