15話 譲れないもの
最後の書類を、積み上がった山の上に重ねる。
危なっかしく聳える紙の楼閣は、ここ数日の苦労を物語っていた。
(俺にまでこんなに仕事が回ってきたのは初めてだな……)
ヴィレムは次期当主として経験を積んでいる最中である。
といっても、現当主は今年で三十八と歳若く、正式な継承はまだ先のことなのだが。
何はともあれ、まずは顔を覚えてもらうことが先決だ。そのためヴィレムの仕事は外回りが多い。
けれど、今回は逆に書類などの確認作業が主だった。
当主が別の事案で忙しくしており、単純な書類は全てヴィレムに寄越されたからである。
(いつもは平和だというのに、何故突然こうも事件が重なるのか……)
各地で起こった事件は四つだ。
一つ目は、フィーレンス領でも田舎の町に、盗賊団が出現したこと。
これは犯罪の少なさに定評のあるヘーレネン王国では珍しいが、盗賊団は大規模ではないし、他国でもよく見られる事件だ。要するに、そこまで大したことは無い。
なのに騒ぎになったのは、その盗賊団に対応した騎士団がうっかり山火事を起こしたせいである。
今すぐ平和ボケした騎士団連中の首を絞めたい。今度友人に会ったら、彼がこの事件に関わっていようといなかろうと一発殴ることにした。
二つ目は、ラフィオーレ王国という国から観光で訪れていた、隠居した元公爵の乗った馬車が事故を起こしたことだ。
馬車側に非はない。フィーレンス領民の子供が馬車の進行方向に飛び出したようだ。
幸い、近くの「宿屋に滞在していた子供」が直前でその「飛び出した子供」の腕を引き(この辺りがややこしく情報が錯綜した)惨事は逃れたが、急停止の際に元公爵の従者が軽傷を負ってしまった。
ヴィレムの父はその件に詫びを入れるため、元公爵と従者の元を訪れている。
三つ目は内輪の話だが、長くこの屋敷の執事を務めている男が風邪で寝込んだのだ。
この執事は非常に優秀だっただけに抜けた穴が大きく、屋敷全体の仕事の回りが悪くなってしまったのである。
そこで起きた事件というのが、ベタな発注ミス。
次女頭が、孤児院訪問のための花を、桁を二桁も間違えて発注してしまったのだ。
そのため、現在屋敷は花束で溢れかえっている。
そこまで高価な花ではないので、損失は大したことは無かったが、いかんせん匂いが凄まじい。
捨てるのも勿体ないととってあるが、生花は日持ちもしないし途方に暮れているところだ。
(執事が一人抜けただけでこんなことになろうとは……早くよくなってくれるといいんだが……)
しかし、あの様子では。
などとヴィレムが思っていると。
ごすごすという擦るような鈍いノックと共に、ヴィレムの部屋のドアが弱々しく開く。
「んごホッ、ゲホッ、ぼっ、坊っちゃま……何か、私に、手伝えることは……」
倒れ込むように入ってきたのは、よれよれの執事服を着た老人だった。床を這いながらなんとかヴィレムに近づこうと、枯れ枝のような四肢を懸命に、そして気味悪く動かしている。
「なんっ……!?」
ヴィレムは白目を剥きそうになった。
このホラーな老人こそが、フィーレンス家の執事である。
「何をやっているんだ!? そんな体で働けるわけがないだろう!」
椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、執事を助け起こす。
まだ五十代のはずで、数日前まで相応の見た目だったのに、今は二十歳は余計に老け込んでいる。
それにあわせるように、上質な素材の執事服が何故か着まわし続けた古着のようになっているのが謎である。
執事服はもはや体の一部なのか。栄養供給でもしていたのだろうか。
「でっ、ですが……私はこのお屋敷に勤めさせていただいて数十年……一日たりとも休んだことはございません……」
「もう若くないんだから、風邪の治りだって悪くなる。ただの風邪でもこじらせれば人間は簡単に死ぬんだ。大人しく寝ていろ……」
呆れたようにヴィレムが諭すと、執事は無念そうに黙り込む。
こんな調子で、一向に体調がよくならないのだ。
メイドを三人呼び、執事を連れて行かせる。
気を取り直して再び執務机に戻ったヴィレムは、四つの事件の中でも最悪なものについて書かれた書類を拾い上げた。
(これは……本当に、凶悪な事件だ……)
青の瞳を眇める。
この四つ目こそ、現在フィーレンス公爵が一番手を焼いている事件。
その名も「フィーレンス領内穀物庫連続鼠放逐事件」である。
つまり小麦粉をしまっている倉庫に鼠を放った輩がいる。これほど凶悪な事件があろうか、いや、ない。
ヘーレネン王国の観光名所、伝統的な小麦粉製造に使われる風車がずらりと並ぶ「風の丘陵」。
それは国内に四箇所あるのだが、その中でも最大規模なのがフィーレンス領にあるものだ。
風車を使って小麦粉を挽いていて、当然それをしまっておく倉庫も近くにある。
これがまたすごい数で、赤い屋根の倉庫が一様に並んでいる様はなかなか壮観。
しかし、残念ながら今回の主な事件現場でもある。
小麦粉は麻袋に詰めて積まれている。
虫や鼠避け対策は万全。なにしろ、国民であるヴィレムの目から見てもヘーレネン王国は昔からこればかり極めているのだ。伝統工芸の織物もマイナー人気があるが、やはり一番は風車を使って挽いた小麦粉。そしてそれを焼いたパンなのである。
先人達の知恵は偉大だった。
倉庫の鼠返しや虫除けの香草の配合は鉄壁の防御を誇っている。
だがしかし。
虫が沸かないように、鼠が入り込まないように。
それは虫や鼠の性質を利用して生み出された対策である。
そこに人の手が加われば?
ヘーレネン王国ほど防御がゆるい国はない。なにしろ犯罪の類が恐ろしいほど起こらないのだ。
(なのに……誰だ、こんなことをしたやつは……)
被害にあった穀物庫は「風の丘陵」だけで一五〇。
さらに犯人の魔の手はほうぼうに伸びており、フィーレンス領すべて合わせて四〇〇を超えた。
穀物庫に鼠を放つ……。
それがどんな惨事になるのかを犯人は分かっているのだろうか? 少なくとも小麦農家の出身ではない。
(だが、犯人の絞込みはかなり厳しいだろうな)
普通ならばこの倉庫に自由に出入りできる者は、というところから絞り込みが始まるが。
ヘーレネン王国の場合、それはできない。
(どうせ、誰でも入れただろうからな……)
鍵などかかっていないのだ。
入って悪さをする人がいるという前提が頭の中にないのである。そして実際こういった事件発生率は、鍵を厳重にかけている他国よりも少ない。
(まずは被害総額の確認……そしてその額に応じて手当の支給とその手続き……終わるのはいつになるだろうな)
まあ、忙しくするのはヴィレムではなくフィーレンス公爵なのだが。例に漏れず事件慣れしていない公爵の行動はかなり無駄が多く、余計な時間を食っている模様だ。
(俺の方はあと数日で一区切りつきそうか……時間ができたら、ハーンストラ邸に行くか)
暫くフローチェに会っていない。
忙殺されていたが、ふとした瞬間に脳裏をよぎるのはいつも彼女の顔だった。
フローチェといえば。
(王子と婚約、か……)
心の中で呟いた途端、ちくりと痛みが襲ってくる。
それが何を意味しているのかなど、とうの昔に分かっていた。
昔と違うのは、
(俺はもう、決めた)
幼馴染みとして、祝福とともに見送るか。
一人の男として、その腕を引いて己のものにするのか。
これに正しいか正しくないかがあるとすれば、正しいのは間違いなく前者である。
けれど。
『寂しい、わ……』
あの日フローチェがぽつりと漏らした声が蘇る。
あれは反則だった。あんな言葉を聞いたのは、まだ年齢が一桁のとき以来だったというのに。
(怒涛の一日だったな)
見知らぬ男に攫われかけていて、しかも何故だか可愛らしい隙のある格好で、自身の知らないところでそんな姿をフローチェが晒していたことに酷く焦った。
久しぶりにゆっくりと話せて、くだらない話で笑っている自分に驚いた。
友人と話しても小さく笑う程度だったし、ご令嬢たちと話す時は作り笑い。本当に自然に声を上げて笑っているなど、信じられなかった。
やはりヴィレムにとってフローチェが特別だと思い知らされた後に例のあれだ。
自分と話せなくなることを寂しがってくれるフローチェを、愛しい、と思ってしまった。
自身に決して許さなかった感情が、一瞬で湧き上がって、どうしようもなくて。
名を呼べば返事が来る。
そんな距離に、いつまでもいたいと思った。
そしてその関係は、もうすぐ終わる。
フローチェと王子が婚姻を結べば、次期王妃と貴族の嫡男という関係になる。ヴィレムが立っていた場所にいるのは、アダム王子になるのだ。
(……王子とフローチェが相愛……でなくとも、せめて王子が尊敬できる人間なら諦めもしたが)
王子よりもフローチェに好かれているだろうという絶対的な自信がある。
ヴィレムはもはや、身を引くつもりは無い。
(相手が王子だろうと、俺は絶対にフローチェだけは譲らない)
でもそのためには、今の「正しくない」行動を「正しい」ものにする必要がある。
ヴィレムはまずは己の父、そしてハーンストラ公爵と話をつけるためにペンをとった。




