14話 好きな人
王子は多忙ではないのか、とフローチェは心の中で叫んでいた。
(まだ時間にならないの……!? いつまで続きますのよこれ……!)
王子とのお茶会は継続中である。
紅茶を空けたら帰れるかなとか思ったが、容赦なくお代わりが注ぎ足されて終わりだった。
常に神経をすり減らし、気を遣い、なおかつ早く終われと内心唱え続けているフローチェの体感時間は非常に緩やかである。
要するに、お茶会が長い。早く家に帰りたい。
「え、えーと……」
ネタもそろそろ尽きてきた。
できれば使わないようにしようと思っていた必殺技「今晩の夕食は何がいいですか?」も使ってしまった(一番盛り上がった)。
王子がフローチェから視線を外しているのをいいことに、思い切り眉間に深いシワを刻み考え込む。
すると、ここにきて奇跡が起こった。
「……ハーンストラ嬢は、ご趣味はありますか?」
なんと王子のほうから話を振ってきたのである。
まあ、本来は特筆すべきことでもないはずなのだが、その辺りの感覚はとうに狂っている。
授業参観で奥手な息子がおずおずと手を挙げたような感覚だ。なんだやれば出来るじゃないか、と歓喜が湧き上がってくる。
「しゅ、趣味、ですか……!?」
しかし悲しいかな、フローチェは無趣味なのである。
強いていうなら、ブレフトの周りを一人でキャッキャウフフしてるのが趣味のようなものだったが、まさか王子にそれを言うわけにもいかないし、正直思い出したくもない過去だ。
「そう、ですわね……刺繍や……絵画鑑賞ですわ」
とりあえず無難なことを言っておくと、王子は一つ頷いた。
「聞いたとおり、ご令嬢らしい、いいご趣味ですね」
「あ、ありがとうございま……」
お礼を言いつつ王子の言葉を反芻する。
フローチェは思わず言葉を止めてしまった。
(『聞いたとおり』?)
訝しげな顔をしたフローチェに気がついたのだろう。王子は目に見えて慌てだした。
「す、すみません! 勝手に聞いてしまって……!」
「い、いいえ。お気にすることはありませんわ、殿下」
なんだかため息をつきたくなる。どうしてこの王子はこうも簡単に謝るのか。
己を非を素直に認めることは美徳だろうが、いずれ一国を背負うものとしては直さなければならないことの一つだ。
極端な話、この王子の「すみません」一つで国の命運が大きく左右される状況も有り得るのだから。
(あぁもう、誰ですの! この王子の教育係は!)
どうしてこうなるまで放っておいたのだ。というか、どうしてこんな風になる教育の仕方をしたのだ。
フローチェの見立てでは、これは教育不足ではなく、逆に相当厳しく教育されたのだろう。
相当に厳しくだ。この王子の持つ自信というものが、粉々に砕け散るくらいに。
そう考えると王子に同情はするが、かといって彼が一国の王となるには難があることに変わりはない。
(骨の髄まで染み込んでいる自己否定を覆すのはかなり難しそうですわね……)
この人には、良き伴侶が必要なのだろう。
彼の性質を理解し、寄り添い、良いところを拾い上げて褒めてくれるような妃が。
(っでもそのポジション、私ですのよ!)
頭を掻きむしってテーブルに突っ伏したい気分だ。ついでに耳も塞ぎたい。
さっきから王子は「僕に勝手に調べられたら気持ち悪いですよね……」だの「いいご趣味とか感想言ってごめんなさい……刺繍と絵画鑑賞をされる全国の方ごめんなさい……」だのと凄まじいことになっているのだ。
(お、王子ってこんな方だったかしら……? まあ確かにヘタレだったけど病んではなかったような……)
ここ最近で何かあったのだろうか。急激なストレスを感じるような何かが。
王子の政務を把握など当然していないが、少なくとも大物の来賓などはなかったはず。他国の王子でも来国していれば確実にそれなのだが。
(他に何か重要なこと……人生に関わることとか……)
そう、例えをあげるとするならば、婚約など。
(────もしかして私との婚約のせいですのッ!?)
嫌で嫌でついに壊れたというのか。
フローチェ自身この婚約を喜んではいないというのに、相手が壊れるほどフローチェを拒絶しているなんて、何の嫌がらせか。
ちなみに王子のことを調査する際に、好きな異性のタイプは分からなかったが、苦手な異性のタイプなら判明した。
そもそもかなりの女性恐怖症という王子だが、その中でも特にやばいのがあるようだ。
一つ目は、吊り目などのきつい顔の美人。
これが一番怖いらしい。具体的に言うと、フローチェのような顔だとミリアに言われた。
二つ目は、卒のない立ち振る舞いの女性。
特にはきはきと話す人が苦手だとか。具体的に言うと、フローチェのような感じだとミリアに言われた。
三つ目は、家が大貴族の女性。
具体的に言うとフローチェらしい。
(もうただの私じゃありませんの!!)
苦手なタイプというか、これでは如何にフローチェが苦手かという情報だ。ことごとく当てはまるどころか、いい例になってしまった自分はどうしたらいい。
(いっそ、円満に破棄できないかしら……)
そんなことも考えたが、すぐに無理だと取り消す。
どうやっても、二大公爵家の座を狙う貴族たちからハーンストラ家に物言いがつくだろう。フローチェはそれは絶対に嫌だった。
(私、王子と世界で一番相性が悪いのではないかしら)
なのにどうしてこの二人でなければならなかったのだろう。アダム王子はフローチェをかなり怖がっているし、フローチェも王子に好意を寄せることは難しそうだ。
(って、こんなことを考えてはいけませんわ! こんなの、よくあることじゃありませんの)
意に沿わない相手と政略結婚。
そんなの貴族の結婚の基本ではないか。恋愛結婚の知り合いなど数えるほどだ。
(クラウディアだって、一度しか会ったことのない男のところ、それも国外に嫁がなくてはいけないというのに)
昨日会った友人の一人、クラウディアは外国の貴族の男に嫁ぐ。本人は気にしていないように笑っていたが、心細くないはずがない。
そして、フローチェは知っている。
(クラウディアは……ずっと、好きな人がいましたのに)
打ち明けられたのはいつの頃だったか。
その人のことを好きになったのは、十歳のとき、婚約者と会った日のことだという。
だから、フローチェは想い人がいないだけマシだ。
(そうですわよ……好きな人がいないだけ……)
────好きな、人。
突然、ぼんと音がしそうなほどにフローチェ顔が爆発的に赤く染まった。
(~~っ!? どうしてっ、ここで……っ)
彼が、出てくるのか。
ぶんぶんと頭を振り、涼しい顔をした黒髪の青年を脳内から追い出す。
「ハ、ハーンストラ嬢?」
「あ、あら、なんでもありませんわ」
突然の奇行に驚いた王子に愛想笑いを返すが、フローチェはそれどころではなかった。
(違う、違う違う違う違う、違いますわ)
今のは別に、そういうことではない。
きっと無駄にご令嬢の人気を集めているから、好きな人という単語についてきたのだろう。
だから、決してフローチェが好きな訳では無い。
(当たり前よ。彼は……ヴィレムは、ただの幼馴染みですわ)
それ以外には、何も無い。
フローチェも、そしてヴィレムにも。
ヴィレムに想いを寄せるご令嬢たちに尋ねれる度に、幾度となく繰り返してきた言葉だ。
昔は社交界の度にヴィレムに負けないくらいご令嬢に囲まれて、ヴィレムとの関係について迫られた。
だから、言いなれているのに。
笑顔で、滑らかに言えるはずなのに。
なのに何故、今は、心の中で繰り返すだけでもこんなに辛い。
フローチェは皺になるのも構わず、ドレスをぎゅっと握りしめた。
(違う、わ……そんなはずはないもの)
そんなこと、あってはならない。
フローチェは王子と結婚する。例え王子がフローチェのことが嫌いでも。フローチェが別の誰かを愛していても。
(大丈夫。私は違う。もうすぐヴィレムとの関係が変わってしまうから、感傷的になっているだけ)
それ以外には、何も無い。
あってはいけない。
フローチェは深く息を吸い、長く吐いた。
もう二度と、この感情が浮き上がってこないように。




