商人たちと1
リーデア共和国とイスト王国の国境近くの街、サルヴォアへと向かう森の中の街道を、一つの商隊が進んでいた。
サルヴォアは、山岳国家リーデア共和国へと入るセミニア峠の入口の街で、これから峠越えをする商人達の拠点だった。そのため、そこへ続く道は良く整備されており、石畳敷きのそれには、二本の平行な溝が二列、くっきりと付いていた。
道を行く商隊は二台の幌馬車を連ね、ゴロゴロと車輪の音を轟かせながら、一路、サルヴォアを目指して走っていた。
前を行く馬の上には、髭を湛えた初老の馭者が、夏の暑い風を顔に浴びながら、目の前の馬を操っている。彼は手綱を手に持ち、馬が速度を緩めようとする度に、背を打ち、歩みを速めさせていた。
一方、馬車の中では、木箱に詰められたいくつもの荷物の間に、三人の男が座っていた。一人は、中年の男で、あと二人は、彼と比べると明らかに若い、と言うよりかは幼い少年だった。
「おい、ブリュート、ちょっと飛ばし過ぎじゃないか。それに、馬の方も大丈夫かよ」
馬車の中にいた中年の男が、立ち上がり、馭者の横に顔を出して、彼に話しかけた。その間ずっと、馬車は激しく車輪の音を立て、体に響くような上下動を繰り返していた。
「何言ってんだ、リゼーズ。首都で革命が起きたって言うんだ。これから、何が起こるかわかりゃしないじゃないか。そんな国に留まっていられるかよ。俺は早く出ちまいたいね。たぶんこいつも、その気持ちをわかってくれてるだろうよ」
「まあ、そうだけどよ……こっちのことも考えろよな。こっちには馬車に慣れてない奴だっているんだ。なあ、兄ちゃん達」
リゼーズと呼ばれた中年の男は、二人の少年へ振り返って、そう言った。彼の視線の先では、二人は、横に並んで、壁に沿って小さく丸まって座っていた。
「ええ、まあ、慣れてないのはそうですけど、早く進む分には構いませんよ。王じっ……ユセルも良いよね」
「う、うん」
ユセルは、苦笑いしながら頷く。
リゼーズは、それを見ると、納得しないような顔を見せつつ、顔を馭者の方へと戻した。
「なら良いけどよ。でもブリュート、事故にだけは気をつけろよ」
「はいよ」
リゼーズは、そう言うとやれやれとでも言うように馬車の奥へと戻り、今度は、ユセル達の前へと座り、二人を見回した。
「それで、兄ちゃん達、アルテアにユセルだっけ、リーデアに着いたらどうするんだ?」
「えっと、それはその……」
アルテアが答えようとするが、言葉が詰まる。
「なんだ、決めてないのか——まあ、そうだよな。お前ら、首都で奉公してたんだっけ? それで、革命で、その家の主人が……っと、悪いね。ちょっと口走っちまった。でもまあ、着の身着のまま逃げてきたんだから、決められるはずもないよな」
そして、リゼーズは内密な話でもするように、体を突き出して言った。
「じゃあ、なんだ、ここで一つ提案なんだが、兄ちゃん達、これから俺らと一緒にこの隊商で働かないか? まあ、さすがにお偉いところの給料ほどは貰えないが、行く当てが無いよりは良いだろ。たぶん、みんなも承知してくれるだろうから」
「えっ」
アルテアはそう言うと、ぎょっとしたように、固まる。ユセルの方も、驚いた様子で、アルテアに視線を送り、何か伝えようとしているようだった。
「なんだ、商人は嫌いか?」
「えっ、いや、それは違うんですけど、いや、その、突然のことで驚いてしまって——」
「そうか。それで、どうなんだ?」
だが、アルテアは吃るだけで一向に答えない。
「いや、実は俺たち、リーデアのアリタイズという街の方に、元使用人で、同じ家に仕えていた方がいるので、そこを頼ろうかと思っているんです。アルテアが話さなかったのは、助けてもらった上に、行くあてまで作って頂いて、断るのが申し訳なかったからでしょう。ですから、残念ですが、それをお受けするのは、難しいです」
フォローするように、恭しくユセルが言った。アルテアはそれを聞くと、その言葉に乗っかり、さもそうだったかのように頷く。
「なんだ、もう予定は決まってたのか。なら仕方ないな。若いから良い戦力になると思ったんだが。でも、まあ、そっちにはそっちの事情があるんだ。これ以上無理強いはしないさ」
そう言うとリゼーズは、出ていた体を元に戻して、違った話題を二人に話しかけていた。
そしてそれを見るとアルテアとユセルは、こっそりと視線を交わし、そっと胸を撫で下ろしていた。
彼らは今、商人達の馬車に便乗している。
レヴォンリールから脱出したあと、彼らはそこからほど近い街へと向かった。そこでは、革命の知らせを聞き、商人達が何組か脱出を図ろうとしていた。二人は、そのうちのリーデア共和国に向かう一組に頼みこんで、一緒に連れて行って貰った。頼み込むときは当然、王子とその従者などとは名乗れず、良い服を着ていても違和感を感じられないような、貴族の使用人と名乗っておいたのだった。
だから、今言っていることは、当然、すべて嘘だった。アリタイズに知り合いもいるはずもなく、リーデア共和国に入ってからどうするのかを全く決めてもいない。
とは言っても、彼の誘いに乗るのもまずかった。商人になると、どうしたって、人に会わなければならない上に、必ず人の集まる場所に足を踏み入れなければならない。他の国ならまだ良いが、イストでは、革命政府の憲兵に見つかりかねない。
もしかしたら、上着の紋章を見せて嘘を明かすという手段もあるかもしれない。ただし、それが成功するのは、彼らが熱心な国王の崇拝者だった場合だけだ。そうでなければ信じて貰えないか、信じてくれたとしても、道端に置いていかれる。場合によっては憲兵に突き出されかねない。
結局は、商人達に王子であることをひた隠しにして、運んでもらうしかないのだ。
*
それから一時間程が経った頃だろうか。馬車はところどころで速度は落としながらも、相変わらず、早い速度で進んでいた。いつの間にか森の中を抜け、草原の中を走っている。
馬車の中では、退屈に任せて、車輪の揺れに任せながら、リゼーズとアルテアは船を漕いでいた。馭者はそれに気づいているのかいないのかわからないが、何も言うことなく、ただ手綱を手繰っているようだった。
ユセルは、ぼんやりとしながら、馬車の後ろから、流れていく草の葉を眺めていた。
石畳の道は、草の間に乾いた灰色を残して、奥へと延びている。少し先には、この馬車の後を追うもう一台の馬車も見えていた。草葉はただ風に靡くようにサラサラと音を立てながら、夏の昼下がりに鮮やかな黄緑を晒していた。
(これから、どうなるんだろう……)
ふと、そんなことを思った。
今は、できるだけのことはしているが、それはすべて対処に過ぎなかった。起こったことに対して、ただ目的を達成するために、思いついたことをしただけ。その上、もう少しで、今までの目標が達成されようとしている。あと国境までは、殆ど距離はない。
不安だった。ただ、自分がまっさらにされて、草むらの中に埋もれていくような、そんな気がした。
だからユセルは、アルテアの肩を突ついた。
「アルテア、起きろ。これからどうするか話さないか」
ユセルがそう小声で言うと、アルテアは目目を擦りユセルの方へちらっと視線を向けた。そして、大きく伸びをすると、「いつの間にか寝てしまいました」と言って、さっとユセルの方を向いた。
「それで、王子、どうするか話すって仰いましたけど、具体的には、何を話すんですか?」
「リーデア共和国に入ってからどうするかだ」
「それは、現地の政府に行って亡命を申請するのではりませんでしたっけ? あそこは、永世中立国ですから、よほどのことがない限り、亡命が受け入れられないことはないかと思いますけど」
「そう言うことじゃなくて、逃げたところで、どうするんだって言うことだ。金もないし、仕事も無いし、生活に困るだろ。それに、リーデアで、死ぬまで隠れて暮らすのか?」
「それもそうですね。僕も確かに、ずっと隠れて暮らすのは嫌ですけど——なら、国を取り返しちゃいますか」
アルテアは少し冗談めかして言った。
「俺は、それをやりたいと思うけど。必ず。父上と母上のためにも」
ユセルがそう答えると、アルテアは、ハッとした顔でユセルを見つめる。そして、少し考えるように上を向き、頭の上で手を組んで、馬車の壁に寄りかかった。
「王子はやっぱり、王族なんですね」
「ん? どう言う意味だ?」
ユセルはそう尋ねるが、アルテアは聞いているのだろうか、独り言のように言葉を続けた。
「王子が王族であるように、やっぱり僕も従者みたいです。僕も、国を取り返したい」
アルテアはそう呟いた。そして、正面をユセルの方へ戻す。
「王子、取り戻せるなら取り戻しましょう。そして、今度は官僚達に振り回されない理想的な政治を作り上げましょう」
彼はそう静かに言いながらも、瞳は、鋭く未来を見ているようだった。そしてユセルは、小さく、だが確かに頷いて、彼の意思を受け止めた。
次回は明日の0:00頃に投稿予定です。