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運命の前に3

 涼しげな風がユセルの頬をさすって流れていく。程よく湿り気のある、気持ちの良い、夏の風だ。

(ここは……?)

 ユセルは意識を取り戻すと、ゆっくりと目を開けた。目の前には夏の夜の、少し濁った星空が広がっている。どうやら自分はまた、フォルトゥナの前に行ったときと同じように、気絶して、どこかで寝ているらしい。

 ユセルは体を起こすと、あたりを見回した。

 下は拳くらいの大きさの石が転がる河原で、背中の方には黒く森が広がっている。そして目の前には、風が立たなければ、流れているのかも分からない程、穏やかな川が流れ、対岸には城壁のような石積みが見えていた。

(レヴォンリールの城壁か?)

 ユセルはそれをぼうっと見つめながら思った。

 ならば自分は、現実に戻ってきたのだろうか。するとここは、セーナウ川の河原と言ったところだろうか。

 だが、そう考えた時に、ユセルは、待てよ、という言葉を自分にかける。

 自分は本当に現実に戻って来たのだろうか。

 と言っても、ここが現実ではないということを疑っているわけではなかった。あれは夢ではなかったのか、そう疑ったのだ。

 ユセルはさっきの体験を考え直してみた。

 そうするうちに、だんだんと夢だったような気もしてくる。

 そして、現在の状況を考えると、例えば、アルテアが、ユセルが城壁から落ちて気を失っている間に、川の対岸まで運んでくれた、と考えても、辻褄が合う気もした。

 天使もフォルトゥナもアルテアの死も、単なる自分の妄想だったのだろうか。もしかしたら、命を懸けの逃亡のために、悪い夢を見たのかもしれない。いや、きっとそうだ。あの記憶は、多分夢だ。夢に違いない。

 そう思い、ユセルはアルテアを探すために、立ち上がろうとした。そのときだった。

「君って、気を失うとなかなか起きないんだね。三十分くらい待ってたよ」

 ふと、ユセルの横から声が聞こえた。見ると、そこにはアルテアの姿がある。

「アルテア、そこにいたのか。待たせてごめん」

 ユセルは立ち上がり、アルテアに対面する。すると、アルテアは不思議そうにユセルを見つめて言った。

「僕のこと、覚えてないの?」

「えっ、いや、おまえ……アルテアだろ?」

「この言葉遣いで気づかないんだ……」

 そう言われたとき、ユセルの頭にフィスキュルという名前が浮かんだ。だが、あれは夢だ。そう納得したはずだ。

「なら、仕方ないね。こっちから名乗ってあげるよ。フィスキュルさ。さすがに覚えてるよね」

その口調は、確かにあのフォルトゥナの“夢”の中で見たものと同じだった。

「ってことは、あれは夢じゃないのか!?」

「君、僕のことを夢だと思ってたの。ひどい」

 フィスキュルはわざとらしくしょんぼりとした様子を見せ、ユセルから視線を外し、下へ向ける。だがユセルは、その明らかな嘘を見破れなかった。

「ご、ごめん。あの、つい。いや、そうじゃないな。ええっと、」

 あたふたするユセルに、フィスキュルは、ぷっと吹き出すと、笑いを堪えながら言う。

「冗談だよ。もともと、君が、僕のことを現実だと思っているなんて、考えてなかったから。それに、ここに現れたのは君に、僕が現実だってわからせるためなんだし」

「そ、そうなのか?」

 ユセルは肩透かしを食らったような、しかし安心したような気になる。悪い気はしなかった。

 そんなユセルを見つつ、フィスキュルは話を続ける。

「そう。まあ、それと一つ、君のことで確認したいこともあるんだけどね」

「確認?」

「うん。君、この子の体に鎖が付いているのが見えるかい?」

 そう言ってフィスキュルは後ろを向き、アルテアの背中を見せる。そのとき、彼の指は背中の、肩甲骨の間の辺りを指さしていた。

 ユセルは怪訝な顔をしつつ、彼の指さした辺りに目をやった。すると、そこからは、さっきフォルトゥナのところで見た鎖が、天に向かって伸びているのがうっすらと見える気がした。だがそれは、フォルトゥナの前で見たときよりもさらに透明で、目をこらしても、ほとんどよく分からない。

「まあ、なんか鎖みたいなものが見える気がする。よく見ないとあるのか分からないけど」

「ふうーん」

 フィスキュルは何か含みを持った返事をする。

「じゃあ、そこまではっきりと、って訳じゃないんだね」

 フィスキュルはユセルの方を向き直ってそう言った。

「まあ、そうだな」

「なら、特に言わなくていいね。はっきりと見えるんだったら、君に忠告しておこうかと思ったんだけど……」

 フィスキュルは独り言のようにそう呟いた。

「大丈夫そうだね。なら僕は、そろそろあの子に体を返すよ。僕が体を返したあと、この子は一時的に気を失うから、しっかりと受け止めてあげてね。ああ、それと君たちは無事に川を渡って対岸に着いたっていう運命に書き換えておいたから。この子が意識を取り戻したときには、しっかりとその設定に合わせて話をしてね。あと、これから君に話しかけるときには、ペルミットを経由して話すから、そのときはよろしく。じゃあね」

 そう言ってフィスキュルは軽く手を振り、目を閉じようとする。すると、ユセルは慌てて言った。

「ちょ、ちょっと待て。勝手に話を終わらせるな。その、忠告って何なんだ!? 本当に言わなくて良いのか!?」

「聞こえてたんだ……本当に聞きたい? 君の心配をなおさら増やすことになりそうだけど」

 フィスキュルはなぜか勿体ぶるように言った。

「大丈夫だ。それよりも、隠されている方が心配だ」

「じゃあ、言うよ」

 ユセルはその言葉に不機嫌そうに頷く。

「君が見えるようになった鎖ってのは、たぶんわかってると思うけど、あのフォルトゥナから出たやつなんだ」

「まあ、なんとなくそれっぽくは見えた」

「それで、なんだけどね、君がそれを見れるようになったってことは、実は君が他人ひとの運命に干渉できるってことなんだ」

「干渉——」

 ユセルは口の中でその単語を噛み砕く。

「そう、干渉。君は僕みたいに人の運命を変えられるようになってるんだ。例えば、僕がこの子にしたみたいに」

「そう、なのか……」

 ユセルは、また科学方程式だけを、突きつけられたような気がした。フィスキュルが言っていることは、なんとなく理解は出来る。だが、やはりあのときみたいに実感が湧かない。

「それで、それは何か問題があるのか?」

「まずいもなにも、もし運命の改変を君が行なったら、君、フォルトゥナから世界の異物とみなされて確実に消されるよ」

「は? って待て、なんでそんな大切なことを黙ってようとしたのか!?」

「だって、たぶん君は運命の改変が出来ないだろうから」

「い、言ってることが矛盾してるぞ」

「まあ落ち着いて。つまるところは、君は運命を変えられるけど、実際は変えられないってこと」

「まったく良く分からないんだけど」

「じゃあ、簡単に説明するよ。まず、鎖というのは、フォルトゥナからに繋がれた、いわば操り人形の糸みたいなものだ。でも、君はそれが外れてしまった。すると、君はフォルトゥナの支配を受けていない。だから、君は運命を改変する能力を持っている。

 でも君は、鎖をしっかりと見ることができない。実は鎖にはその人の運命が書かれていて、運命の改変ってのは、それを書き換えるってことなんだけど、君は鎖をしっかり見ることができないから、結局君は、その鎖に触れて運命を書き換ようとしても、運命を変えられない。そういうことだよ」

「さっきの話、絶対に重要なところ抜けてたぞ……」

 ユセルはフィスキュルに聞こえるくらいの声で呟いたが、フィスキュルはまったく気づく気配もなかった。

「じゃあ、僕は体をこの子に返すから、さっき言った通り、しっかり受け止めてあげてね。それと、絶対に生き返らせたことをこの子に話さないように」

「えっ……あっ! ちょっと! そんな急に言われても!」

 フィスキュルがそう言った後、アルテアの体は、全ての筋肉から力が抜けたように崩れていった。ユセルは慌てて彼のところへ行くと、その体を受け止め、ゆっくりと河原にしゃがみ込み、彼をそこに寝かせた。

 ふと、ユセルは辺りを見回した。どこにも反乱軍の姿は無いようだ。まだ自分達の居場所は誰にもばれていないらしい。

 ユセルは安心して、視線を再びアルテアに戻した。

 アルテアは静かな息遣いとともに、寝ているのか気絶しているのか良く分からないような、しかし安らかな姿で体を横たえている。

 ユセルは、なんだか不思議な心地がした。自分は死を一度確信したのに、まだ、なんともなく生きている。そのうえ、自分の前のアルテアも、一度死んだはずなのに、まだ生きていることになっている。すべては運命を弄った所産なのだろうが、弄ったことをわかっているだけに、なおさら信じがたいのだろう。

 そう考えたとき、頬を冷たい風がぬけた。ユセルは一瞬身を震わすと、着ていた上着を彼に掛けようとしたが、また気にしそうなので止めた。

 何はともあれ、結果的には、アルテアが生きていたということはユセルはにとっては嬉しかった。そして命を賭して戦ってくれたアルテアに、感謝を伝えなければならない気がした。それは許されぬことだとわかっていたが、今ならば構わないだろう。

「アルテア、ありがとう」

 ユセルはそう、そっと呟くと、彼の隣に座った。川は相変わらずゆっくりと流れる。対岸からは絶え間なく大砲の音や兵士達の怒号が聞こえていたが、ここだけは日常の時が流れているように思えた。


 そして、そのまま五分ほど経ったくらいだろうか。

 アルテアの目元がピクッと動き、ゆっくりとその目が開かれる。

「あれ……ここは……」

 アルテアは自分がいる場所を突き止めようとしているのだろうか、彼の目は少しの間、瞼の間を巡り、やがてユセルを認めた。そうするやいなや、アルテアはハッとしたように目を大きく開き、ガバッと飛び起きて、ユセルの横で、深々と頭を下げた。

「すみません! 気絶してしまっていたようで……王子の手を煩わせてしまい、弁明のしようもありません!」

 ユセルは、横からいきなり声がしたので、体を少しビクッとさせたが、横を向いて、彼の必死そうに頭を下げている姿を見ると、いかにもそれがアルテアらしく、日常が、仮初めだとしても、戻った気がして、心が安らいだ。

 ユセルは立ち上がると、アルテアの方を向いて、暖かい口調で話しかける。

「ほら、顔上げろ。気絶したくらい、謝らなくていい。それに、ここから逃げるんだろ。なら、そんなことするより、早くここから離れよう」

「そう、ですね……すみません……」

 アルテアは顔を上げると、恐縮したようにそう言った。

「それも謝らなくて良いから。まあ、何はともあれ、これから亡命だな。それで、どこの国に行くんだ?」

「えっ、ああ、一応、リデーラ共和国の予定です。あそこは永世中立国ですし、国境も近いですから」

「そうだな。じゃあ、行くか」

 そしてユセルはアルテアの手を取り、夏の夜の暗い森の中へと彼を引っ張って行った。アルテアは少し戸惑っているようにも思えたが、そんなことは構わなかった。この先には望みの一端が繋がっている。その、淡く、消えそうな光を、消えないうちに、必ずや掴まなければならない。

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