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運命の前に2

「は? な、なに言ってるんだ? さっき、すべてのものがフォルトゥナの鎖につながれているって言わなかったか?」

 ユセルは尋問をするような警吏のように尋ねた。

「そう言われも……これは真実なんだし。それにフォルトゥナにつながれた者なら、フォルトゥナなんて見えないから……君がそれを認識しているってことは鎖が外れた証拠なんだし……」

 ユセルは愕然とした。しかし、この、うろたえている少年が嘘を言っているとは思えない。

「それで、俺はどうなるんだ……?」

ユセルはおそるおそる聞く。

「普通の人間からは外れる……神と人間の境目のような存在。——そういったところ、かな……でも、実は僕も詳しいところはあまり知らないんだ……鎖が外れた人間なんて初めてだからね。でもこれだけは言える。君にとってこのことは凶報だよ」

「きょ、凶報? ……どういうことだ?」

「君たち人間は普通は必ず鎖につながれている。鎖は言ってしまえば君たちの基本ひとつ。でも君はその基本が失われてしまったんだ」

 少年は、それはね、と細い声で言葉を続ける。

 ユセルはその言葉の続きを、息を飲んで待った。

「背徳への本能的な抵抗感」

「は?」

 ユセルは思わず声を出す。

 予想していたものとはまったく違っていた。例えばそう、記憶とか、感情みたいなそのようなものを想像していた。抵抗感なんて思ってもみていなかった。

 そもそも抵抗感を失うということがどう悪いことなのだろうか。全くわからない。科学法則の式だけを目の前に突きつけられて、これが真実だと言われているような感覚だった。

 ユセルはきょとんとした表情で少年の方を見る。

「やっぱり、実感は湧かないみたいだね。まあ、些細な変化だから、湧かないのが普通なんだけど。僕もそんなにやりたくないんだけどね……君に実感させてあげる」

 少年はそう言うと、おもむろに右腕を上へ伸ばし、てのひらを空へ向けた。すると、そこに光の粒がどこからか集まり出し、だんだんと細長い形に変わっていく。やがてそれは、光が弱まっていくにつれて白銀の一本のナイフに変わった。

 少年はそれをユセルに差し出し、受け取るように目配せをした。

「このナイフで僕を思いっきり刺してみて」

「えっ、だ、大丈夫なのか!?」

「大丈夫。僕はこのくらいじゃ死なない」

「な、なら」

 ユセルはそう言うと、躊躇いつつも、少年からナイフを右手に受け取った。そして、その刃先を彼に向け、刺すときの支えにするために少年の肩をもう片方の手で掴んだ。

「行くぞ」

 その声と共にユセルは思いきり右手を突き出した。同時に、左手でその少年を引き寄せ、彼の脇腹へと白銀の刃をめり込ませる。刃はザクッという音とともにその大半を少年の滑らかな肌へ埋め、それが開けた傷口からは鮮やかな赤い液体が滲み出した。そしてそれは刃の柄の方へと伝っていくと、ユセルの手に生ぬるさを与え、床へ滴るのだった。

 ユセルはナイフを抜こうとしたが、少年はその腕を掴み、止めた。ユセルが驚いて少年の方を見ると、少年は真剣な顔でユセルを見つめている。

「これが君の、今の現実だよ」

 諭すような慰めるような声で、その少年は言った。

「ど、どういうことだ?」

 彼の言葉に心拍数が勝手に上がる。

「大抵の人ならナイフを渡されて人を刺せと言われてもやらないものだよ。でも君は断ることなく僕を刺した。つまりは、君はそれを本能的にそれを押さえる感情を失ったってことなんだ。人間や他の生き物は皆、本能的に、種の生存を求めるようフォルトゥナによって作られている。そしてその種を破滅させる方向へ導くものが背徳として感じられるんだけど……ここまで言ったら分かるよね。君はフォルトゥナの支配が外れたことで、その背徳の感覚自体が無くなってしまったんだ。それにこのことは、さっき僕が君を神と人間の境目の存在と言ったことにも関係している。神には善悪は存在しないんだ。だから考えたことは躊躇いもなくなんでもできる。君はその点で神へ他の人間よりも近づいているんだ。ただしそれは人間の要素も持っている君には危険なことさ……それが今の君の現実……」

 気づくとユセルの手は勝手に震えていた。背中に何か冷たい物が取り憑いている気がする。そして、それとともに、虫が這いずり回るような不快感を体に覚えた。

 少年はユセルに優しく語りかけた。

「でも安心して。たとえ鎖が外れても、君がいきなり残酷非道になるわけじゃないから」

 ユセルは縋るような目で少年を見る。

「さっきの言い方は良くなかったね……君が背徳をなんの躊躇いもなく行なうようになるのは、君がそれに関して何も考えなくなったときだけだ。それにさっき君は、一瞬だけどナイフを受け取るのを躊躇った。君はそれを理性的に、やってはいけないことだと知っているんだ。神だってそうさ。世界が嫌がることはしない。だから大丈夫。それに僕達天使にもそんなものはないしね。だから理性的に判断していれば、君は人の道を外れることはない。それにもし、君が道を外れそうになったら、僕があの子の体を借りて警告をしてあげるから」

 その時ユセルの手元から、ナイフが再び光の粒となって消えていく。気づくと少年の傷口もいつの間にか塞がっていて、流れた血もどこかへ無くなっていた。

 そして少年は口調を今までの無邪気なものに戻して言った。

「じゃあ、君も実感してくれたようだし、君をそろそろ返さないとね。それに君との契約を守るために、ちょっと作業が必要だから」

 そう言うと、少年は、ユセルから距離をとり、右手を前に出し、掌を下に向ける。すると、ユセルの足下に魔方陣のような光輝く文様が現れ、彼を包み始めた。

「ちょっ、ちょっと待て、一つ聞いておきたいんだが、鎖はもう一回繋げたりはできないのか」

 そうユセルが言うと、少年は、矢で射抜かれたような顔をする。そして、ユセルから視線を外し、目を伏せると、言った。

「……ごめん、僕にもそれは出来ない」

 ユセルは、少年は、さっきまでの天使の威厳のようなものはなくなり、彼はただ普通の少年としてユセルの前に現れたのに気づいた。

 きっと、彼は考えていたのだろう。ユセルの鎖が外れたと気づいた時から、他に、自分を助ける方法はなかったのかと。

「わかった。お前も気にするなよ」

 ユセルがそう言うと、少年は、嬉しそうに微笑んで、頷いた。

「じゃあ、僕はこれから君を元の世界へ返す。僕は、君が元の世界へ着くまでの間に、あの子の運命を変える作業をするよ。ああ、それと、僕が運命を変えると、君にも多少の変化はあるだろうから、見知らぬ場所に着いたとしても気にしないでね」

「わかった。じゃあ、これからアルテアのことを頼むだろうが、よろしくな。ええっと」

「そういえば、僕のほうはまだ名乗っていなかったね。僕はフィスキュル。赤色の宝石に宿った天使だよ」

「よろしくな、フィスキュル」

「よろしく」

 ユセルがそう言って頷くと、足下の魔方陣はさらに光を増し、ユセルの視界はだんだんと白く、綿布に包まれたように変わって行く。

 そして、やがて視界は、はっきりとした白から、ぼんやりとした色に変わり、黒色へと移って、ユセルは意識を失った。


 フィスキュルは、ユセルの消えた空間の中に立っていた。

 相変わらず、フォルトゥナはあの素晴らしい響きを辺りに撒き散らし、ゆっくりと回りながら、世界を操作している。

 フィスキュルはそれを見上げた。

「ルクスには悪いと思うけど、ユセルのために、そして僕のためにも弄らせてもらうよ」

 彼は微笑みながらそう言ってフォルトゥナに向かって手をかざす。するとフォトゥルーナは、自転車の悲鳴のような音をたて始め、動きを止めた。それとともに一本の鎖のが、ガラスが割れるよう砕けると、その破片は下へと崩れていく。だがすぐに、フォルトゥナからは新しい鎖が伸び始め、フォルトゥナは再びゆっくりと回転を始めた。

「これで大丈夫。あとは、僕があの子の中に入るだけ」

 フィスキュルはそう言うと、大きく翼を広げ、羽ばたかせる。そして雪のように羽が舞い、それが視界を遮ったかと思うと、その姿は消えていた。

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