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革命2

 衛兵はユセル達の方へ突きかかろうとした。そのとき一本の槍が、彼の胸を音もなく貫く。胸元には血が滲み始めた。彼は驚いたようにそれを見る。しかし槍が引き抜かれると、彼は糸の切れたマリオネットのようにそのまま床に崩れた。扉には小さな穴が穿たれていた。

 ユセル達を殺そうとした衛兵は、あっけなく死んでしまった。

 彼らはその様子に呆然とした。

 そうしているうちに扉が——たぶん鍵が掛かっていてそれを壊したからだろう——骨の割れるような音とともに開き、一人の衛士が姿を現した。ユセルの部屋を外で守っていた衛士の一人だった。彼の姿は王家の忠実な旧臣を体現したようで、顎には白く、しかし滑らかな髭を生やし、顔には頼もしい皺を刻んでいた。

「まったく。王子に反旗を翻すとは、衛士の風上にも置けぬ奴だな」

 そう言って彼は衛士の死体を蹴飛ばす。死体は無残に転がった。そして彼はユセル達に近づき、その前で跪く。

「王子、反逆者は粛清致しました。ここは我々がお守りするゆえ、早くお逃げください」

 ユセルは目が泳いでいたが、彼の言葉に正気を取り戻す。

「わ、わかった。ここから先は君達に任せる。頼んだぞ」

「了解!」

 衛士がそう言うと、アルテアはおもむろにユセルの腕を掴む。

「では王子、行きましょう」

「うん。わかった」

 ユセルはしっかりと頷いた。

「じゃあ、君達もどうか無事で」

 ユセルはただ一言そう言い残した。


 *


 廊下は月明かりが差し込まず、不気味に薄暗い。窓と柱の交互する壁は、床にうっすらだが縞模様を作り出していた。走る足音が虚しく響く。ここには他に誰もいない。助けもない。

 部屋を出てから幾らかの時間が過ぎていた。反乱軍の兵士たちはまだ、追ってくる気配はない。衛士達が足止めしてくれているのだろうか。だがしかし、遠くの方では衛士や反乱軍の咆哮が聞こえている。

 ユセルは部屋を出てからずっと、頭の中であの衛士の言葉が回っていることに気づいていた。

「王子、少しよろしいですか?」

 横から突然、アルテアが口を開く。ユセルは肩をビクッとさせる。

「そういえばまだ脱出について説明していなかったので……」

 アルテアの言葉の後半は、消え入るようだった。

 ユセルはわざとらしく、ああそう言えば、と頷いて、ゆっくりと立ち止まった。アルテアも同じように速度を緩めた。

「王子、城の裏手に川が流れているのはご存知ですよね。まずはそこへ向かいます」

 アルテアは丁寧に言った。


 彼の言う川というのは、レヴォンリールの周りを流れるセーナウ川のことだ。

 レヴォンリールは城塞都市で、周囲を城壁によって囲まれていた。王の居城はその北端に位置し、城壁に面している。すなわち城壁を越えれば街の外を流れる川へ出ることができる。

 アルテアはそれを利用しようとしているらしかった。

 彼によると、今日の川の流れは緩やかで、浮きになるものでもあれば、十分に渡り切れる、ということだった。また、反乱軍は皆城壁の中へ入っていて、外へ出れば安全だということだ。

 アルテアは続けて説明した。

「王子の部屋へ行く前に、監視塔に登って見てきたんですが、城壁の高さは大体二十メートルくらいでした。二十メートルというと、何か掴まるものが欲しいので、監視塔にあったロープを使います。それと、川を渡るときの浮きは、同じ監視塔の木箱を使います。脱出するときに反乱軍に気づかれればアウトですが、ここにいるよりはリスクは低いですから」

 そう言うと、アルテアはふと何かに気づいたようにユセルの顔を覗き込んだ。

「王子、どうかしましたか? あまり顔色が良くないように思えますが」

「え、あ、うん、大丈夫。なんでもない」

 ユセルは笑顔で返す。

「なら良いんですが……」

 そう言いつつも、アルテアは納得できないように、心配そうにユセルを眺めていた。


 実際のところ、ユセルの心は鉛のように重かった。

 自分はここで死ぬべき存在だ。——逃げると決めたとき消したはずでいたその思いが、再び勢いを取り戻している。あの衛士の言葉の所為だ。

 だが一方、ここから逃げたいという思いも自分の心に癒着してしまったかのように離れない。剥がそうとすれば、叫びたくなるような痛みを伴う。

 完全に板挟みだ。息苦しくなるほどの胸の詰まり。

 早くここから逃げたかった。このままここにいても苦しくなるだけだ。ここから出て、雌雄を決してしまいたい。

「アルテア、行こう」

 この言葉が口を突いて出ていた。

 だがアルテアはこの言葉の意味をこれ以上ここでもたもたしていられないと取ったのだろう。すぐに頷いて「僕が先を行きます」という言葉を残して走り出していた。ユセルは、慌ててその後を追った。

 今は何も考えなくて良いのかもしれない。逃げることが最優先事項なのだろう。だが何よりも、今ここで忠実な従者の想いを自ら壊したくない。


 *


 二人は城の中からから抜け出して、城の北側にある城壁へと繋がる庭園に着いた。

 庭園には、正方形や円、三角形などの幾何学模様を描いて水路や噴水が並んでいる。その間には、まるでそれを鑑賞しているかのように木々が植えられていた。

 それらは今起きていることに何の関心も向けず、平穏な姿で月明かりのもとに浮かんでいる。特に、噴水は妖艶な水の柱を、まるで誰かを待っているかのように夏の空気に晒していた。

 それらの奥には城壁がその庭園を抱きかかえるように姿を現していた。城壁は長方形に切られた石が整然と並び、その間に円筒形の建物が埋め込まれるように等間隔で立っていた。その円筒形の建物こそが監視塔であり、これから目指す先である。

「あそこに登って川へ降りれば、脱出は成功です」

 アルテアは監視塔をゆびさして明るく言った。顔もこころなしか嬉しそうだ。

 だがユセルは、まだ安心できないと思った。ここを逃げ出せたとしても、国境を越えない限り反乱軍に追いかけ続けられる。国境までには、かなりの距離がある。そこまで反乱軍に見つからずに逃げ切れるという保証はない。第一、ここもまだ逃げ出せていない。衛士達が反乱軍に破られてしまえば、すぐにでも大量の、怒りに満ちた農民達がここになだれ込んで来る。

 そう思ったとき、突然アルテアが叫んだ。

「王子、伏せてください!」

 アルテアはユセルを土の上へ叩きつける。そしてその上へ覆い被さり、ユセルの顔を地面へ抑えつけた。ユセルは「いきなり何をするんだ」と抗議しようと口を開くける。その瞬間一本の矢が、頭上の空気を切り裂いた。

「もう追いつかれましたか」

 アルテアはそう言いつつ体を起こす。

「追いつかれたって? どういうことだアルテア」

 同時にユセルは上半身を起こす。

「反乱軍がもう衛士達を突破したようです。いや、違いますね。あの規模だと、哨戒していた兵士が、たまたま僕達を見つけたというところでしょうか」

 そう言うとアルテアは矢の飛んできた方角に体を向けた。そして上着を脱ぎ捨ててワイシャツ姿になり、脇に差してある短剣を抜いた。それを片手で持って、体の前に構える。

「お前、戦う気なのか!?」

「ええ。当然です。王子が逃げるまでここを守ります」

 まったく強がりを感じさせない冷静な口調で、アルテアはユセルに応える。

 アルテアの視線の先には数人の敵兵がいた。彼らは五十メートルくらい先でこちらの様子を窺っている。手には剣や弓を持っていた。

 ユセルはアルテアに窘めるように言った。

「そんな無茶言うな! お前が宮廷の衛士の中で一番強いのは知っているがさすがに無理だ。それに今は怪我してるんだろ。絶対に死ぬぞ。——もしかして、もともと自分を犠牲にして俺を助けるつもりだったのか!? ならもういい! 俺が投降する!」

 ユセルはそう言って立ち上がろうとする。しかしそのとき、アルテアは構えていた短剣を、ユセルの方へと突き出した。

 ユセルは驚いた目でそれを見て、視線は剣先とアルテアの間を往復していた。アルテアはお構いなしにユセルを横目で睨みつけ、冷えた口調で言う。

「王子、動かないで下さい。動いたら斬ります。答えてください。殺されるなら僕と反乱軍、どちらが良いですか」

「ア、アルテアいきなり何言ってるんだ!?」

「僕は、王子にここで僕に殺されるか反乱軍に捕まって処刑されるかどちらが良いんですか、と聞いているんです」

「何言ってるんだ。俺は、お前を逃すために反乱軍に投降しようとして……!」

「はぁ……これだから王子は見ていて苛つく」

 アルテアは深く息を吐くと、ユセルに哀れむ目を向ける。

「この際だから言いますけど、僕、王子のそういうところ大嫌いですから。何でもかんでも自分だけを悪く思って誰にも助けを求めない。それにこんなにも従者(ぼく)が必死になって守ろうとしているのに、何にも気付かずに、ただ自分のことしか考えていない。王子は馬鹿なんですか?」

 ユセルは顔を真っ赤にして言った。

「さっきから聞いていればつべこべと! お前は俺に恨みでもあんのか!」

「ふーん。そうお思いになるのでしたらご自由に」

 アルテアはそう言うと反乱軍の方へ向き直る。

「はぁ? 今なんて? それが従者のいうことか!?」

「罰したいなら罰してください。拷問でもなんでも。でもそうおっしゃるからには、王子、絶対に死なないでくださいね。僕は王子みたいに死にに行くわけではありませんから。ここを守って必ずあとを追いかけます」

 アルテアの口調は嫌味っぽかったが、ユセルはハッと固まる。まるで自分の心臓を殴りつけられた気がした。

 ユセルは自分の中で何かが吹っ切れたように頷く。

「わかった。ここはお前に任せる。だからお前も必ず来い! そのときは許してやる。来なかったら八つ裂きだ!」

「言われなくとも分かってます。——ああ、でもその前に、これを渡しておきます」

 アルテアはそう言うと振り返り、ズボンのポケットから何かを取り出してユセルの方へと投げた。

 ユセルの手にはピシャっという音と共にツルツルとした感触が感じられた。見ると、赤い宝石の付いたブローチだった。

「これは……?」

 ユセルはおもむろにアルテアを見上げる。

「陛下が僕に、王子に渡すようにと預けてくださったものです。何かはよくわかりませんが、王子を守ってくれる、とおっしゃっていました」

「そう…………わかった。受け取っておくよ」

 ユセルはそれを胸のポケットにしまう。

「じゃあ、河原で待ってるぞ!」

 ユセルがそう言うとアルテアは静かに頷き、反乱軍の兵士達のいる方向へと走って行った。

 アルテアの背中は段々と小さくなり、ともすると、庭園の中へ消えてしまいそうに思えた。

 ユセルは城壁へと向かった。視界はすぐにでも涙で滲みそうだった。わかっている。あんな無茶しても成功するはずがないことは。自分は彼を見捨てた。彼の想いに応えるために。

(絶対に生き残らないと)

 心の底にその言葉を刻んだ。


 そうしているうちに、ユセルは監視塔の下へと着いた。目の前には塔の中を登っていく螺旋状の階段。思っていた以上に高く、なかなか骨が折れそうだ。

 ユセルは中に入り上を見上げた。そこには今から行くであろう監視塔の、一番上の床が階段の間から少し見えている。

 ユセルは後ろを振り返った。少し先には剣と剣のぶつかり合う音。まだアルテアは戦っているようだった。ユセルは一つため息を吐くと、階段をゆっくりと登って行った。

 階段を上がるたびに靴の音が寂しく響く。途中途中に開けられている窓から差し込む月の光が白々しい。

 数分して、ユセルは監視塔のてっぺんへ着いた。そこは堅固な石造りの壁に囲まれていて、壁には、周囲が見渡せるように、ガラスのない窓が四方に開けられていた。それはちょうど風景画のように外の景色を窓枠に収めている。

 ユセルはその窓の一つに目を遣った。それは城壁の外側に向かって開いている窓で、逃げるとすればここからロープを垂らして降りることになる。

 すると、そこからはすでに一本のロープが外へと垂れていた。その上、ロープには降りやすくするためだろうか、ところどころ結び目がつけられている。

 ユセルは窓のところに駆け寄って下を覗いた。窓の下には地上までロープが続いていて、降りたところにはちゃんと木箱も置いてあった。

「ったく……あいつ、おせっかいが過ぎる……これくらい俺でもできるのに……」

 視界はだんだんと霞み、ぼんやりとしか景色が見えなくなった。

 あいつはしっかりと保険をかけてあったのだ。自分がもう付き従えなくなっても、主人がしっかりと逃げられるように。

 ——もう泣いている場合じゃない。しっかりと生き延びなくては……

 ユセルは涙を拭うと、ロープを掴んで窓枠の上に外に背を向けて立った。首を捻って下を見下ろすと、はるか下に河原が見える。

(じゃあ、行くか)

 そう思い、窓枠から足を一歩踏み出す。

 そのときだった。

 目の前で何かが爆発する。

 同時に、前から物凄い風圧とともに、石片がユセルを襲う。ユセルはその圧力で、風に吹かれた塵のように窓枠から飛ばされた。

 反乱軍の撃った大砲の弾が監視塔に当たり、ユセルの目の前で炸裂したのだ。

 体が宙を舞い、眼前には夏の夜空が見えている。

(……えっ、俺、今落下してる? このままだと……もしかして死ぬ?)

 意味も分からないまま、地面は急激に彼との距離を縮め、あと五メートルほどにまで近づいていた。

 ユセルは死を覚悟した。

 そのとき、胸ポケットにしまったブローチが、眩しいくらいの光を上げて輝き出す。光は次第に強くなり、周りの景色はすべて消しゴムで消されてしまったかのように白く変わった。

(こっ、これは?)

 ユセルは辺りを見回した。だが、何も見えない。そうしてるうちに、ユセルの意識はだんだんと朧げになり、やがてユセルは、白い空間の中で気を失っていた。

次回は4月12日0:00ごろ投稿予定です。

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