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猫背の後姿の男の話はそれで終わりらしく、後は笑うばかりだった。
シキ先生は、男がしゃべり始めた当初から不愉快そうな顔をしていた。
だが、男が一息つくのを待って、寒そうにしていた紫色の唇から吐く息も白く、語調を崩してしゃべり始めた。
「……っとに、バカな話ですよ。
『目が飛び出る』。
『目から火』。
俺が正真正銘の医学生だった頃に聞いた話では、『壁に耳あり』ってのもあったかな。そちらのほうが有名だし、インパクトも勝ってるような気がするんだが……」
「ははは」
「その前の部分も気に食わない。
死体洗いのバイト?
そいつもよく聞く話だが、どうして余計なリアリティをつけようとして失敗させてるんです? ホルマリンのプール? ホルマリンって言ったら瓶詰めだって、むしろ門外漢のほうがそういうイメージを持ってそうなんだが。ホルマリンは常温で気化して毒性のガスになる。ホルマリンのプールだなんて、死体の保存には非実用極まりない」
「ははは」
「だが、まあ、そんなことはどうでもいい。今夜、重要なのは……」
「ははは」
「友達の友達って誰です?」
「ははは」
「友達の友達なんて、非実在だ。
一般的な話は知らない。本当に『友達』『の』『友達』の話を語ることもあるだろう。だが、今夜に限っては、違う。友達の友達は、言葉どおりの意味じゃない。
あんたは、『友達の友達』って言葉を使って自分の語りたいことを他人の話に転嫁してるだけだ。
ああ、もちろん幾つかの状況が考えられる。あんたが本当にそんなことをした元医学生の可能性だってあるし、もう一方の考えられる可能性は、すべてがあんたのクソッタレな作り話だという可能性だ。
だが、とにかく確実なのは、『友達の友達』は『他人』じゃないってことだ。『友達の友達』の話は、低俗な『あんた自身の想像』だ。あんたが本当にそれをしたかどうかは知らん。だが、話の内容が、あんたの願望そのものだ。あんた自身が望むから、そんな話をするんだろう?」
「ははは」
「『友達の友達』は、あんた『自身』だ」
「はははははは」
はははははは。
そこで、わたしは一度、覗き穴から目を離した。男の笑い声が耳障りだったというのもある。単純に、同じ姿勢でいて疲れたというのもある。
それから、考えていた。
友達の友達。
友達の友達、は、
いない?
……なんだか、頭がうまく回らない。重い泥水が溜まっているかのよう。うまく回すにはとてつもなく大きな労力が必要そうだし、それに見合った結果が返ってくるようにも思えない。
だから。
今は、いいや。
理解せずに。
何も考えずに。
続きを覗き込もう。
そう思って、わたしは、外縁が黒く変色した覗き穴から、再び向こう側を覗いた。
?
黒い、
黒い縁の、その覗き穴の向こうに。
一方的に覗き込んでいたはずの向こうに。
濁った、黒い世界。
濁った、黒。
しばらく、なんだか分からなかった。別に見慣れないものではないはずなのに、突然にアップにされていて、分からなかっただけ。
鏡を間近で覗き込んだように。
グロテスクに。
覗き込むわたしの目の前に、別の目。
黒い瞳が、こちらを覗き込んでいた。
覗き込まれていた。
視線。
悪寒。
壁一枚を隔てた本当に近い向こうから、こちらへ向けて放たれる嘲笑。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」




