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大事なもの入れ

作者: 岩瀬華

クリスマスに買ってもらった腕時計をなくしてしまった。

贈り物をなくすのはこれでもう三回目だった。


どうしてそうやってすぐに物をなくしてしまうの、大事なものはまとめて「大事なもの入れ」にしまっておけばいいじゃない、と彼女は言った。

そこで僕は、大事なものは彼女に持ってもらうことに決めた。生きた「大事なもの入れ」ならばなくすこともないと考えたからだ。


まず僕は、新しく買ってもらった腕時計をしまった。時間を知りたくなった場合には、何時か問いかけた。

すぐどこかへ行ってしまうウォークマンも、しまっておくことにした。音楽が聴きたくなったときには一言言うと、耳に自動でイヤフォンがついた。

さらに僕は、スペアキーだったり、お気に入りのキーホルダーだったり、手近にあった大事なものを「大事なもの入れ」にしまっておいた。

するとどうだろう。いつもだったら部屋のなかで迷子になってしまうような細かいものも、すぐに見つけだすことができるではないか。「大事なもの入れ」という発想はだてではないな、と僕は心底感動した。


これに味をしめた僕は、なくしたくないものも「大事なもの入れ」にしまいはじめた。大事なもの、よりは程度は落ちるけれども、なくしたくないもの。スーツの埃取りや、ハンドクリーム、ハンカチといったものだ。これもまた、僕がないないと探しているとすぐに僕の前に提示された。「大事なもの入れ」制度を導入してからというもの、僕は物をなくすことはなくなっていた。


しかし、僕が講義のレポート用紙をしまいたいと申し出たときであった。

最近ちょっと体の調子がよくなくて、と彼女は言った。なるほど確かに顔色が悪い。大丈夫かい、と問いかけながらも僕はレポート用紙をしまった。

するとどうだろう。彼女の体がずぶずぶと地面にのめり込んでいくではないか。

この間からこうなの、と彼女は言う。私はどうやら、大事なものを持ちすぎてしまったみたい。私の大事なものを減らしてバランスを取ってきたけれど、もう限界みたい。そう言葉を紡ぐ彼女の足首は、すでに見えなくなっていた。


どうしよう。どうしたらいい。

僕はただただ狼狽えるしかなかった。

とにかくどうにかしなければ、沈んでいってしまう。

深呼吸をして多少の平静を取り戻した僕は、「大事なもの入れ」にしまってきた大事なものたちを取り出しはじめた。「大事なもの入れ」がどこかへ行ってしまったら元も子もないではないか。腕時計、ウォークマン、スペアキー、キーホルダー、次々と取り出していく。


するとどうだろう。腰のあたりまで地面に沈んでいた彼女の体は沈むのをやめ、徐々にこちら側へと戻ってきている。そして先程しまったレポート用紙を取り出す頃には、すっかり元の場所まで戻ってくることができていた。

ああ、よかった。僕は大きく息をついた。大事なものを失わずにすんで、本当によかった。


しかし僕はいつの間にこんなにも多くの「大事なもの」を抱え込んでしまっていたのだろうか。本来人が生きていくのに必要なものなんてほんの僅かで済むはずで、「大事なもの」だって多くを抱えればその本質を見失ってしまうのだ。そもそもなくしていい持ち物なんて存在するのだろうか。講義で配られたレポート用紙は本当に僕にとって「大事なもの」だったのだろうか。


助けてくれてありがとう、と彼女は瞳いっぱいに涙を溜めて僕に礼を言う。礼を言いたいのは僕のほうだ。彼女は僕の目を覚ましてくれた。本当に「大事なもの」はなんなのかを、僕に教えてくれた。

僕は彼女の手を取ると、こう告げた。


きみはもう、お役御免だよ。さようなら。


彼女はなにが起こったのかわからないと言った表情で僕を見つめていた。

生きていくのにたくさんのものは必要ないし、「大事なもの」は本当に本当に必要で大事だと思うものだけでいい。つまりは、「大事なもの入れ」にしまわなかった財布であり、携帯電話であり、ノートパソコンであり、家の鍵であり、可愛い可愛い恋人だった。最低限それらさえあれば僕は生けていけるとわかったのだ。

だから僕はあの時、「大事なもの入れ」から「大事なもの」から順番に取りだした。仮にも僕が「大事なもの」として選び取った品だ。彼女と一緒に地面に沈まれては困る。


そもそも物を納めきることのできない箱なんて、なんの役にも立たない。クビになったって文句をつけるのは筋違いというものだ。もしもまた「大事なもの入れ」を使いたくなった時には、僕は彼女ではない別の女を選ぶだろう。


僕は取りだした腕時計をはめ、キーホルダーを鍵につけた。どちらも恋人が僕のためにと選んでくれた品だ。

なくしたくなくて「大事なもの入れ」にしまっておいたが、やはりこの腕時計は僕の腕にいるのが一番しっくりきているし、キーホルダーもまた然りだ。どんなに大事なものでも、なくしてしまうかもしれなくても、使わなくては意味がないのだと実感する。こんなことを言ったら恋人にまた、まずはなくさないように気をつけなさいと叱られてしまいそうだけれど。


じゃあなんで、スペアキーを渡したりしたのよ、と彼女は震えた声で尋ねた。僕はほとほと呆れかえってしまった。きみは「大事なもの入れ」だろう。僕の「大事なもの」をしまっておく箱なのだろう。「スペアキーを渡してもらった」だなんて勘違いも甚だしい。仕事に私情を挟まないでもらいたいものだ。第一それは、自転車のワイヤーチェーンのスペアキーで、僕の家のものではない。スペアキーなんて、恋人にも渡していない。


僕は彼女に、今日までありがとうの気持ちを込めてハンドクリームを手渡した。なくしたくないものとしてしまっておいていたハンドクリームは、ほとんど減っておらず新品同様だったのだ。彼女は物言いたげではあったが、素直にハンドクリームを受け取って立ち去っていった。


そう。「大事なもの」というのは本当は限られている。だからこそなくさないように大事に大事にしなければならないのだ。僕の大事な恋人に、僕の「大事なもの」を背負わせすぎないようにしなくては。恋人に沈んでいかれてしまっては、かなわない。僕も一緒に沈もうかな。なんて。


ウォークマンの電源を入れ、イヤフォンをつける。恋人のお気に入りの曲を流し、僕は世界で一番大事なひとが待つ場所へと向かった。







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