Code.14 Discussion time
〈――何をする! ドクター、ここから出せ!!〉
車内に戻ると、何やらヴィンツェンツの叫びが聞こえてきて、エマヌエルたちは目を剥いた。
〈何をしたんだ! 何を考えている!!〉
ヴィンツェンツがこんな風に取り乱しているのは、彼がエマヌエルの中にいて暴走に巻き込まれた時以来だろうか。
ヴィンツェンツの叫びが聞こえるのは、ウィルヘルムがいつの間にか起動させていた、超小型パソコンからだ。
ヴィンツェンツはああ言っていたが、またぞろチップに侵入されては堪らない。エマヌエルは、ヴィンツェンツと目を合わせないよう、パソコン画面の後ろからウィルヘルムを見た。
「……何してるんだ?」
すると、ウィルヘルムよりも先にヴィンツェンツが喚いた。
〈何が『足が付かないようにするからこっちの機械に移ってくれ』だ!〉
どうやらウィルヘルムの口先三寸に、まんまと踊らされたらしい。あっさり騙されるところが、やはりどちらかと言えば人間寄りだ。
他方、抗議に近い叫びを軽く無視したウィルヘルムは、口に銜えていた火の着いていない煙草を指先に挟み、エマヌエルを上目遣いに見る。
「お前の中和剤と、同時進行で開発してたんだよ。サイバネティックの捕獲プログラム」
「てことは、今ソイツ、そこから動けなくなってんだ」
「そゆこと」
真顔で答えたウィルヘルムは、チラリとヴァルカを見た。その目線の意味するところは明らかだ。
彼女も、その意味を正しく受け取っているだろうに、眉根を寄せて唇を噛み締めるだけでリアクションを言葉にしない。
エマヌエルは、ポンと彼女の肩を叩いてこちらを向けさせると、唇だけで問うた。
『……あんた、読唇術できるよな』
ヴァルカは目を瞬いて、小さく頷く。
スィンセティックは大抵叩き込まれる技術の一つだ。これプラス、半径二キロ先まで見える超視覚を以てすれば、その範囲内なら通信機器が要らなくなる。盗聴の危険が減る、というわけだ(もっとも、スィンセティックが敵味方両陣営にいる場合は、その限りではないが)。
『分かるだろ、今からウィルがやること』
しかし、彼女はまた目を伏せて唇を引き結ぶ。
『ヴァルカ』
彼女の顎先を掴んで仰向かせる。
声を出さないのは、ヴィンツェンツに会話内容を気取られない為だ。だから、こちらの唇をちゃんと見ていてくれないと、意思疎通ができない。
『簡単に納得できないのは分かる。あんたにしてみりゃ、何だかんだ、一年近く連んで来た相棒なんだからな。でも、コイツに地獄の果てまで追跡されてたら何もできねぇ。ストーカーだけならまだしも、その結果を逐一、EXSYに報告されるんじゃな。あんたの爆弾の除去もそうだし、下手すりゃこの場にいる全員死ぬことになる』
『……分かってる』
『言っとくけど、あんたが“嫌だ”っつっても、今この場で強行するぞ。一応断っとくってだけだ』
ヴァルカは、また泣き出しそうに顔を歪めたが、意を決したようにまた小さく首肯して、画面のほうに回った。
「ヴィンツ」
〈ああ、ヴァルカ! いたのか、何とかしてくれ! ここまでお前が無事なのは、おれが博士に頼み込んだからだ! 大丈夫、獲物さえ持って行けば、博士は爆弾のリミットを更新してくれると約束してくれた、だから〉
「ごめんなさい」
彼女は、画面に愛おしむようにそっと手を触れる。
「今までありがとう……さよなら」
〈どういう意味だ〉
ヴァルカの細い指先が、画面から離れた。彼女がきびすを返すのを見届けると、ウィルヘルムがエンターキーを叩く。
断末魔はなかった。ウィルヘルムはいきなり電源ボタンを押して電源を落とすと、差し込んであったUSBメモリを引き抜く。
「……これで、アイツは死んだのか」
「AIに“死”があると仮定すりゃ、そうなるのかもな」
ウィルヘルムは、淡々とした表情で小型パソコンとUSBメモリを見つめた。
「つっても、別にウィルスを流したとか、そーゆーんじゃない。単にプログラムを初期化しただけさ。人間で言うなら、赤ん坊にまで戻して、寝かせてあるよーなモンかな」
「じゃ、その気になればまた活動できるってことか」
「今まで通りに動かそうと思えば、育て直す必要はあるけどな。相手はAIっつっても、俺もプログラムの破壊まではどーも忍びなくてさ。殺人するような気分になっちまって」
はあ、と溜息を吐いたウィルヘルムは目を伏せる。
「ヴァルカじゃないけど、一度『人間』として相手しちまったらだめだな、どーにも。まあ、赤ん坊にまで戻したんだ、記憶は消去されてる。これまでEXSYの手先として働いてる間のデータ諸共な。乗っ取り能力や追跡能力、爆弾の起動能力も全部使えなくなってるはずだ。この一件が片付いたあと、育て直したいなら止めないぜ」
言いながら、ウィルヘルムはUSBをヴァルカに差し出した。だがヴァルカは、目を瞬いたあと、目を伏せ小さく首を横に振る。
「……いいのか」
「……うん。ヴィンツは元々、サイバネティックにしては人間的すぎたの。だから、研究者たちは敬遠してたみたい。シュヴァルツもね。自分たちで作り出しといて何を、って思ってたけど、今になれば分かった気がする。勝手だけど、この何日かは本当にストーカーされてる気分だったし……」
USBにチラリと視線を落として、ヴァルカは目を上げてウィルヘルムを見た。
「赤ちゃんに戻ったって言っても、今さっきまでと同じように育たない保証はないでしょ。育てたかったらドクターが育てて。死んでないって分かってるだけで、あたしには充分だから」
ウィルヘルムは「そうか」とだけ言って、USBを白衣のポケットへ仕舞った。
「じゃ、ここからが本番だな」
***
少し話し合った結果、取り敢えずそこまで乗ってきたキャンピングカーは、放棄することになった。
そのキャンピングカーを特定する何かが、ヴィンツェンツによってEXSYに通報されている可能性があるからだ。
購入者はシリルだったらしく、「せっかく買ったのになー。それも、たった今さっき」とのんびりした声音でぼやいていた。口調とは裏腹に、顔がかなり厳しい表情をしていたので、エマヌエルとウィルヘルムは心底震え上がった。が、シリルも決定事項として納得していたようなので、二人もそれ以上の追及(や謝罪)は敢えてしなかった。
キャンピングカーの中には、ウィルヘルムがヴィンツェンツのデータを初期化する前に抽出しておいた、彼独特の信号を発信するよう細工をして、ディルクの背に乗りその場を離れた。
彼としては、背に乗せられる人数が若干オーバーしていたのか、やや不満そうだったが、文句を言わずに四人をどうにか乗せ(ついでに必要最低限の荷物を足に括り付けた状態で)、飛んでくれている。
「――で、こっからどこ行くんだよ」
前二回の暴走時よりも若干回復が早かったものの、まだディルクの背に自分で掴まれるほど力が戻っていないエマヌエルは、ディルクの身体に縄で括り付けられている状態だ。
「僕には今は本当に当てがないよ」
最初に答えたのは、シリルだ。声音が心なしか冷たいように思えるのは、気の所為だろうか。
「ウチの病院の転居先に戻るのも危険だと思うし」
「ただ、設備の全放棄はマジで惜しいよなー。五日くらいなら戻っても大丈夫なんじゃね?」
ウィルヘルムが珍しく、楽観的なことを言う。シリルの病院の設備は、確かに個人病院レベルと思えないほど整っていたから、楽観的に見たくなっても無理はないが。
「俺はやめといたほうがいいと思う。設備が惜しいのは分かるけどな」
「あたしも賛成。元ノイマン研究所系統に一度睨まれたら、用心に用心を重ねてもしすぎってことはないわ。ドクターだって本当は分かってるでしょ?」
「では、折衷案はどうだ」
作戦会議に加わったのは、ディルクだ。
「折衷案って?」
「さっきまでいた、ドクター・シリルの病院の上空まで飛ぶ。上から見てみて異常がないようなら、何か、必要な機器を持ち出す方法を考える。持ち出すだけなら問題ないかも知れないと思うのだが」
「飛ぶんだったら、先に持ち出す方法を考えといたほうがいいと思うけど、やっぱ二度と近付かないのが一番の安全策じゃねぇかな。それに……」
「それに?」
「もう、余計に誰かを巻き込むのもやめようぜ。ひとまず、ヴァルカとEXSYの件が片付くまでは」
言いながら、エマヌエルはチラリとウィルヘルムとシリルを交互に見やる。
「……だな」
頷いたウィルヘルムが、シリルに目を向けた。
「お前には本っ当申し訳ないことした。謝罪のしようもないってこのことだ」
「同じく。ウィルの友だちってだけで大迷惑掛けてるもんな、現在進行形で」
心底からの謝罪を口々に述べるエマヌエルとウィルヘルムに、目を瞠ったシリルは、一拍の間ののちに微苦笑する。
「……素直に『もういいよ』って言うには、本気でこっちの損害が大きいけど、謝罪は受け入れるよ。ウィルが元々悪い奴じゃないのは知ってるし」
ウィルヘルムに向けていた視線を、シリルはエマヌエルに転じた。
「君のことはまだよく知らないけど、ウィルが連れてるんだから、きっといい子なんだろうね」
ニコリと邪気のない笑顔を向けられて、エマヌエルは覚えず目線を逸らす。
「……いい子、とかやめてくれよ、背中が痒くなる」
それに対して、シリルは「ふふっ」と小さく笑っただけで、特に何も言わなかった。
「――それで? さっき、君たち言ってたよね。元研究所に行くんじゃないの?」
不意に話題を戻されて、エマヌエルとウィルヘルムは同時に目を瞬く。
「……元研究所?」
眉根を寄せたのは、ウィルヘルムだ。
そう言えば、先刻その話をしていた相手はヴァルカだった、と思い出したエマヌエルは、彼女とした話をそのまま伝えた。
だが、それを聞いたウィルヘルムは、
「――まあ、一理はあるかも知れねぇけど……」
としばし考え込んでしまう。
「……外れか?」
ソロリと探るようにエマヌエルが訊いても、ウィルヘルムは難しい表情を崩さない。
「手術のできる環境と、戦闘訓練施設が併設されてるって話から、考えられなくはねぇけど、……腑に落ちないな」
「何が」
「今のところ、ヒューマン・エリアは西の大陸以東だろ。西の大陸の宿場街を境に、ギールグッド、リヴァーモア、ユルストレーム三州と、プルメリア共和国は奪還済みで、セレペナ、ガーティン両州境はフィアスティックと小競り合いしながらマグネタイン製の壁を作ってる最中だ。つまり、人間サイドが取り戻した世界の支配権は、西の大陸の奪還地域と、リベル中にフィアスティックの進撃を受けなかった南島国、島全部がマグネタインでできてるリーフ・アイランド、鎮圧までに浸食が間に合わなかった東の大陸を併せても、世界の半分より少し多いくらいか」
「だから何だよ」
「お前も知ってるだろうけど、北の大陸は、リベル以前から、犯罪大陸の別名を持ってたんだ。リベル鎮圧の時にも、最初から鎮圧の範囲に入ってなかった。鎮圧する為に上陸しようにも、考えられる障害が多過ぎたし、それをせめて半減させる為に裏社会の人間全部と手を組むって言っても、話し合いに掛かる時間が天文学的だって判断されたからだ。鎮圧宣言が出されたあとも、未だに裏社会の住人同士でのスィンセティック全体の獲得合戦と、それに抵抗するスィンセティックとの間で泥沼状態だって聞いてる。ノイマン元研究所はそんな大陸の中の、最北端にあるんだぞ。いくらスィンセティック研究の粋が集まってた場所だからって、そんなトコに拠点構えるか? 研究所の復興を目論む輩が巣くってるって聞くほうが、まだ納得できる」
「じゃあ、ほかに研究と手術ができて戦闘訓練もできる施設が併設されてる場所ってどこだ? どっち道、ヒューマン・エリアじゃ却って目立つと思うけど」
「島……かな」
ふと、シリルが口を開く。
「島?」
「そう。海の上に点在してる小島群。リベル以前はどこの領地かって所属がはっきり決まってたけど、リベルから鎮圧以後、所属があやふやになってる。スィンセティックを含めて、マフィアが乗っ取ろうが個人が乗っ取ろうが、今ならいちいち文句言う人間もいない。皆、自分の生活で手一杯だし、万が一上陸してくる人がいても、武力で追い返すこともできるだろうから」
「だとしたら……北の大陸に近いほうか、それとも……」
「ルースト・パセヂの両脇にある小島群とか、……あと、ギルモアは? 独立した島国だったけど、今どうなってるか分からないよね」
その時、それまで黙っていたヴァルカが、
「……手掛かりとしては、ガーティン州支部に行ってみるのも手段かも」
とポツリと呟いた。
ディルクを除く全員が、彼女に注目する。
「……そう言や、ヴィンツがやたら『ガーティン支部』って口にしてたっけ」
これはエマヌエルだ。
「だけど、ガーティン州ってさっきも言ったけど、まだ混乱状態の場所だぜ」
ウィルヘルムがそれを拾う。
「そんなトコに、スィンセティックのレジスタンス組織の拠点構えてて大丈夫なのか?」
「正確には、リヴァーモア・ギールグッド両州との州境にある山脈の中なの。古代人が、穴掘って住居にしてた跡を、そのまま使ってるらしいわ」
「よく知ってるな」
「一度だけ、行ったことあるから。EXSYが大きくなって……つまり、シュヴァルツの手足になるリプログラム・ゴーレムとかヒューマノティック、フィアスティックが増えてきてから、徐々に部屋代わりになる穴を増やしてるみたい」
「だったら、そこが研究所の代わりになってたってことは考えられないか?」
エマヌエルが問うと、ヴァルカは口元に拳を当てて目を伏せた。
「……規模だけを見れば考えられないことはない、とは思うけど……あたしが改造手術受ける前後って言ったら多分、組織の発足からあまり間がない時だと思う。その当時から、組織の人数の規模が今と同じなら、可能だっただろうけど……」
それでなくても、恐らく当時は、フィアスティック・リベルの鎮圧前後でもある。
フィアスティックに悟られずに、ノイマン元研究所規模の施設を作るのは、正直厳しいだろう。
「とにかく、まずはお前たちの身体の回復が第一だな」
寝そべるようにしがみついたディルクの背の上で、ウィルヘルムがエマヌエルとヴァルカを応分に見た。
「……だーから、そーゆー意味でどこ行くんだって訊いたのに」
「僕もそういう意味で当てはないよって言ったのに」
話が地滑りを起こしたのがどの辺だったのか、もうすでに見当が付かない。
「ひとまず、早く方向を決めてくれないか」
積載制限オーバー状態のまま飛び続けるのも、そろそろ疲れてきたのか、ディルクも吐息混じりにまた話に加わる。
「……んー……四、五日安心して隠れてられる場所じゃないとマズいよなぁ……そんで、回復っていう一点だけに特化して言うけど、その点で今一番問題なのはお前なんだぞ、エマ」
「俺?」
「そ。とにかく、ヴァルカの爆弾のリミット考えたら短期決戦が好ましいけど、EXSYって組織を相手にするって考えると、多分長期戦になる。そこに突入する前にどうにか、お前の身体を改めて頭のテッペンから足の先まで調べときたいんだ」
「……それは分かる気がするけど……具体的にはどうして」
「お前、前の二回暴走した時より、段違いに回復が早いだろ。自分でも気付いてると思うけど」
指摘されて、エマヌエルは息を呑んだ。確かにそうだ。
二回目の時まで、暴走終息直後は、少なくとも丸一日は、自力で起き上がることさえ難しかった。立ち上がれても、支えなしには立っていられなかったし、歩くことは困難だった。
だが、今回は違う。癇癪を起こして飛び出したヴァルカを、自分の足で追うことができた。
「……だけど……これって『回復が早い』って定義していいのかな」
「どういう意味だ」
「いや、だって……前二回と違って、血ぃ吐いたりしてるし」
「推測だけど、見当は付いてる。お前、今回はICチップの中で意識があったって言っただろ」
「ああ」
「で、チップ内部でもフォトン系の能力が使えた」
「……そう」
「多分、吐血の原因はその辺だ。普通の人間がなるような、病的なモンが原因じゃないのは確かだと思うが、それ以上の詳しい説明となると、俺も無理だな。ちゃんと調べてみないと、何とも言えない」
エマヌエルとウィルヘルムの間に、沈黙が落ちる。ふっ、と頭上に影が差したのは、その時だった。
©️神蔵 眞吹2022.




