Code.12 Evolvement
(……まさか……嘘でしょ?)
目の前にいるエマヌエルの身体からは、血が一滴も流れていない。
そんなバカな、と思うが、目を凝らさなくても、エマヌエルの肉体に裂傷が一筋もないことにも気付く。
(前は……そうじゃなかった)
呼吸を弾ませながらも必死に思い返す。
初めて出会った時も、二度目の時も、彼は体中から派手に出血していた。今回だって、以前に負った裂傷が塞がり掛けていたところだった気がするが、それもすっかり塞がって見える。
だが、混乱している暇は、ヴァルカには与えられなかった。
腰を落としたエマヌエルが、休む間もなく突っ込んで来たからだ。
舌打ちする。正直、もう限界だ。ヴァルカにとっては果てしない時間が流れたように思えているが、実際はどれほども経っていないに違いない。
(さすがに一、二分……いや、五分は経ったと思いたい、けど!)
急いで呼吸を整え、バックステップでその場を飛び退く。着地と同時にまたきびすを返して駆け出す。
エマヌエルは、つい一瞬前までヴァルカが立っていた場所に、バカの一つ覚えのようにフォトン・エネルギーを纏った拳を突き立てていた。だが、すでに全力で駆け出していたヴァルカは間一髪、彼のスパークを纏った攻撃の爆発衝撃範囲から外れている。
しかし、次の瞬間、彼が、自身の攻撃に弾き飛ばされた。
「――――!?」
覚えず、ヴァルカは足を止めてエマヌエルを凝視する。
自爆的に撥ね飛ばされた彼の身体は、先刻のヴァルカと同様、ピンボールのように天井と床の間をバウンドした。
「ッ、痛ッぅ……」
床に叩き付けられた彼は、緩慢な動きで身体を動かそうとするが、これまでのスピードとは程遠い動作だ。
「……エマヌエル?」
恐る恐る呼び掛けながら、用心深く足音を忍ばせるようにして彼に近寄る。
いつの間にか、彼を覆っていた嵐のようなエネルギー波が、掻き消えていることに気付いた。痛い、なんて無意識に言ったことからしても、彼自身の意識が戻ったと思っていいのだろうか。
通路に響く、弾む呼吸音がどちらのものか分からなくなる。
「エマヌエル? 聞こえる?」
「ッ、ん……」
何とか返事をしようとしたらしい彼が、身体を丸めて吐血したのはその時だった。
***
ヴィンツェンツに向かって地を蹴ったエマヌエルは、相手の頭上を飛び越え背後を取った。そのまま着地を待たずに組んだ手に、フォトン・エネルギーを纏い付け、ヴィンツェンツの後頭部へ振り下ろす。
ここがICチップの中――いわゆるインナースペースのような場所だとしたら、もしかしたらフォトン・エネルギーは使えないかも知れないと思っていたので、少しだけホッとしながら。
だが、組んだ両の拳が相手の後頭部へ打ち付けられる前に、目標は通り道から消えた。次の瞬間には相手の足が目の前にある。
とっさに相手の足裏目掛けて足を蹴り出し、ヴィンツェンツの足裏を踏み切り台代わりに宙返りした。着地すると、ヴィンツェンツもこちらへ背を向け着地したところだった。
互いに一瞬だけ目を見交わして、直後には互いに突進している。
ヴィンツェンツはそもそも兵器様AIなので、電脳空間に等しい場所ではフォトン・エネルギーを装備していないようだが、フォトン・エネルギーで強化したエマヌエルの腕とぶつかり合ってもダメージを負う様子がない。
無意識に舌打ちしながら、飛び離れたエマヌエルは、着地した反動を利用し、ヴィンツェンツの顔を狙って殴り掛かった。
ヴィンツェンツはエマヌエルの拳を、顔を反らして往なすと、腕に軽く手を触れて膝を蹴り出す。体勢的に避けることが出来なかったエマヌエルは、鳩尾へまともに膝蹴りを喰らって、咳き込みながら足を折った。
「随分大振りな攻撃だな。これで不意打ちのつもりだったか?」
「……る、せぇよ!」
遠退きそうになる意識をどうにか掴み戻すと、無理矢理身体を動かす。床へ突いた手を軸に、ヴィンツェンツの足を払いに掛かる。
ヴィンツェンツは、軽くジャンプすることでエマヌエルの蹴りを逃れると、空中でそのまま足を蹴り出した。けれども、今度はエマヌエルも姿勢を低くすることで躱す。そのまま蹴り出された足を掴んで、ヴィンツェンツを思い切り振り回し、地面へ叩き付けた。
さすがに受け身を取る以外に対処法がなかったらしいヴィンツェンツは、背中から床へ叩き付けられ息を詰める。だが、透かさず自由の残った足がエマヌエルに向かって突き出される。覚えず緩めた拘束から、強引に足が逃れるのが分かった。
後転の要領で一回転し、立ち上がったヴィンツェンツは息も切らしていない。
エマヌエルも舌打ちを漏らしながら、おもむろに立ち上がる。身動きすると、忘れていた鳩尾の痛みがギクリと身体を強張らせた。
「結構やるな。顔の割には」
ヴィンツェンツの顔は、どこまでも無表情だ。
「顔は関係ねぇだろ」
無意識の内に鳩尾を押さえて、一つ息を吐きながら身構え直し、もう一度突進した。まさか、一息吐く間もなく掛かって来ると思わなかったのか、ヴィンツェンツの反応は一拍遅れた。
スィンセティック同士の戦いでは、その一拍が命取りだ。
エマヌエルはフォトン・エネルギーを纏った右掌で、ガラ空きだったヴィンツェンツの喉元を掴み、体重に任せて押し倒す。
そのままフォトン・エネルギーを解放した。
爆発が起き、ヴィンツェンツの身体は跡形もなく消え去る。
嫌に簡単だったような気がした。だが、取り敢えず、相手を消去できたことにホッと息を吐く。
「……悪いな」
聞こえていないと知りつつ呟くと、「何がだ」と背後から声が聞こえた。弾かれたように振り向き、瞠目する。
その先には、まるで何事もなかったかのように立つヴィンツェンツの姿があった。
「……何で」
「今、確かに消滅させたのに、か?」
ヴィンツェンツは、うっすらと笑う。
「お前が今消滅させたのは、単に視覚化された映像に過ぎん。おれを事実上の死に至らしめたいなら、プログラムそのものを破壊しないと話にならん」
エマヌエルは鋭く舌打ちしながら立ち上がった。
なら、あんたのプログラムはどこだ、などと訊いたところで答えるわけがない。
「……狡くねぇ?」
「何がだ」
「こっちはダメージ負ってんのに、あんたは戦り合ってても映像で、ノーダメージなんだろ。実体のある映像なんて、汚ぇっつってんだ」
ヴィンツェンツは、クスリと苦笑を漏らした。
「こちらは生まれた時からこの姿で身体だ。それを狡いと言われてしまっては、返す言葉もないが」
エマヌエルは、フンと鼻を鳴らしてそれに答える。
「それで、どうする。おれを消したいのだろう」
「そうしたいのは山々だけどさ。あんた、俺に素直に弱点教えてくれる気ないだろ」
「おれに限らず、自分を殺そうという相手に弱点を教えてやる輩がいたら、重度のお人好し以外に表現しようがないと思うが」
「反論しないよ、ったく……」
「では、今度はおれから行くぞ」
え、とコバルト・ブルーの目を見開いた時には、ヴィンツェンツは地を蹴っている。とっさにバック・ステップでその場を飛び退くのと、相手の手が胸倉を掴むのとは同時だった。
歯を食い縛ると同時に、地面へ叩き付けられる。
ヴィンツェンツの空いた手が、容赦なく首筋に掛かった。
「ッ!」
「おれは実体のある映像に過ぎん。だが、お前は違う。ICチップの中とは言え、お前のこの身体はICチップの中の実体だ。お前を消せば、この身体はおれのものだな」
「ッ、……こ、のッ……!」
ミシ、と嫌な音がして首が仰け反る。ここで死ねば、恐らくエマヌエルの自我も意思も消滅するのだろう。
そうして、身体は空になる。空になった身体を、ヴィンツェンツがどうしようが自由だ。
「ぐぅッ……!」
(こ、んなところで、……死んで、堪るか!)
ヴィンツェンツの腕を掴んで、フォトン・エネルギーを発動させたのは、ほとんど無意識だった。小規模な爆発が起きて、ヴィンツェンツの腕が消失する。
自然、首に巻き付いていた指先も外れた。
馬乗りになっているヴィンツェンツの胸元へ、掌をぶつけるように押し当て、続け様にエネルギーを炸裂させる。ヴィンツェンツの姿が、爆発の衝撃で吹っ飛びながら消滅するのと、何かが喉元からせり上がるのとは、ほぼ同時だった。
瞬きの間に、身体がどこかで撥ね飛ぶようにぶつかる。
歯を食い縛ってその衝撃に身構えた直後、床へ叩き付けられて唐突に撥ね飛ぶ動きが終わる。
「ッ、痛ッぅ……」
ゲホッと、一つ咳が出る。
「……エマヌエル?」
そろりと、探るように名を呼ぶ声音が、誰のものかよく分からない。
「エマヌエル? 聞こえる?」
「ッ、ん……」
何とか返事をしようとするが、それより早く喉元から何か熱いものがせり上がる。反射的に寝返りを打って、口元へ手を当てた。
「エマヌエル!」
「ゲホッ……はぁ、あっ……!」
口の中に鉄錆びた味と臭いが広がる。無意識に見つめた掌には、赤い液体がベットリと張り付いていた。
「な、ん……」
『ヴァルカ』
「え、エマヌエル? それともヴィンツ?」
『早く……何か、ネットに通じる端末なら何でもいい、出せ』
エマヌエルの身体を使って、ヴィンツェンツが勝手に喋る。が、身体が好きに暴走していた間に、どんなダメージがあったものか、エマヌエルのほうもヴィンツェンツを阻止する元気がない。
「は?」
『早く! コイツに、身体を返してやる!』
ズルリと身体を引きずるようにしながら、ヴィンツェンツは通路の壁へ背を預けた。
呼吸が浅くなっているのが、エマヌエルにも分かる。
ヴァルカは、慌てたように自身の衣服をまさぐった。彼女のボトムのポケットから出て来た携帯端末は、画面が無惨な蜘蛛の巣状になってしまっている。
彼女の身体もボロボロなところを見ると、暴走状態のエマヌエル(の身体)と戦り合ったに違いない。
その戦いの最中、彼女のボトムにあった端末が、無事で済むはずもなかった。形を保っていられているのが、むしろ奇跡に近いだろう。
「……ごめん、これがだめとなると……」
だが、ヴィンツェンツは、落胆する様子もなく、チラリとそれに目線をくれる。
『念の為、電源を入れてみてくれ』
ヴァルカが言われた通りに操作すると、辛うじて電源がオンになる。
ヴィンツェンツが震える手を差し出し、ヴァルカから端末を受け取った。その間に、またスリープ状態になった画面に映ったエマヌエルの目を、じっと見つめる。
途端、エマヌエルの手から、端末が滑り落ちた。急に身体の主導権が戻った所為だ。
(……ヴィンツ?)
脳内で話し掛けても、もうヴィンツェンツが答えることはない。どんなに脳内を探っても、気配が感じられなかった。
代わりに、スリープ状態になっていたはずの端末の画面がオンになり、蜘蛛の巣状になった画面にヴィンツェンツの顔が映し出された。
〈……これで身体は返したぞ〉
「……何の、つもりだよ」
〈何がだ〉
「あれだけ、……俺の、身体、欲しがってた、クセに……」
呼吸が整わない所為で、おかしな箇所で言葉が切れる。
ヴィンツェンツは、ボコボコになった画面に映った顔の中で、目を瞬かせた。次いで、微苦笑する。
〈……お前の身体は、色々と妙な爆弾が多すぎる。安心して使えたものではない〉
ではな、とだけ言い残して、ヴィンツェンツの顔は画面の中から消えた。直後、電源もオフ状態になる。
シンと静まり返ったその場に、二人分の弾む呼吸音だけがしばし残響した。
***
その体躯からすると、狭すぎるような廊下を、窮屈そうに歩くディルクが、薬――それも役に立つかどうかも怪しい――を届けに来たのは、ヴィンツェンツが逃げるように去ったすぐあとだった。
ボロボロになった通路に、同じくらいボロボロになったヴァルカ、彼女に食らった銃創以外は無傷に見えるが口元に明らかに血を吐いた痕跡の残るエマヌエルを見て、ディルクが察したのは、『自身が持って来た薬が、この場では用なしになっている』ということだけらしかった。
「――で、取り敢えずどっから説教したモンか、モンのすごく悩むんだが」
眉間に寄せたしわに指先を当てたウィルヘルムは、火の着いていない煙草を銜えて、分かり易く渋面になっている。
シリルの運転するキャンピングカー(購入したのが誰かは、エマヌエルは知らない)の中、ひとまずエマヌエルとヴァルカが二つのベッドを占領していた。
ヴァルカは体中のあちこちに裂傷ができていたし、エマヌエルは今のところは原因不明の吐血を経たあとだった(プラス、ヴァルカに射たれた銃創は塞がっていなかった)ので、エマヌエルにはやはり内容物の分からない点滴を受けながら、おとなしく横になっている。
エマヌエルとヴァルカの二人がひとまず安堵しているのは、シリルの運営する病院が、さして大きくなかった点だ。
彼が院長を務めている、なんてウィルヘルムが言っていたので、てっきり高層の建物で開業している大病院だと思っていたら、ほとんど個人病院規模だった。
ただ、個人病院には多すぎる機材や、あまり使わない最新設備を抱えていたので、必然、リベルの間も可能な限り動かずにいただけで、入院施設も小規模な病院だ。
転居先に地下階の入院施設や研究室があったのは、ひとえにリベルを経たのちに、シリルに思うところがあったかららしい。
しかし今回、転居途中だったとは言え、結局従業員には無期限の暇を出す羽目になるのは避けられなかった。
触りだろうと関わった以上、EXSYに狙われる危険があった為、すぐにもまた移動する必要に迫られた所為だ。
「……えーっ……とー、……取り敢えず、色々ごめん」
ボソリと謝罪すると、ウィルヘルムが今まで見せたことのない、鬼の形相で睨み付けて来た。
何を言うべきか、一通り迷ったと思しき間が空いたあと、煙草を指先で挟んだウィルヘルムは、それはそれは長い溜息を吐いた。
「……まあ聞いた限りじゃ、お前らはその場で最善の選択したんだから、俺が腹立てんのは筋違いなのは分かってるよ」
「謝るのはあたしね。元相棒が何か色々やらかしたんだから」
エマヌエルの向かいのベッドで、上半身だけを起こしたヴァルカが、目を伏せてやはり吐息を漏らす。タンクトップから露出している肌は、あちこち包帯だらけで、エマヌエルは個人的に目のやり場に困った。
記憶がないだけで、彼女の怪我の原因は自分だからだ。
「……その元相棒のことだけど……こっちが色々損害被っただけで、根本的なトコ、ほとんど解決してねぇよな」
天井に目を向けながら、エマヌエルは独り言のように呟いた。そして、迷った末に口を開く。
「……あのさぁ、ウィル」
「何だ」
「つかぬこと訊くけど」
「何」
「これ、どんくらいで動けるようになるかな」
「……今の今でそれ訊くか?」
落とされた声音には、明らかな苛立ちに近い怒りが混ざっている。
「いやだって、受け身でいたらこれ、追い詰められる一方だからよ」
「だから?」
「もうこっちから殴り込む」
上目遣いにウィルヘルムを見ると、彼は瞬時唖然とした。
「……反対はしねぇが、問題点がいくつもあるぞ。そこ分かって言ってるか?」
「第一はヴァルカの体内の爆弾だろ。第二は逃げちまったヴィンツのこと。またいつ奇襲掛けて来るか、皆目検討も付かねぇからな」
ヴィンツェンツの、ICチップを介した乗っ取り能力については、ディルクにも伝えておいた。ひとまず、ヴィンツェンツの顔が映るような端末がある場合、目を合わせなければいい。
もっとも、それも、彼がエマヌエルの脳内チップから出て行った時のことを鑑みての推測に過ぎないが。
「ヴァルカの爆弾についてはまだ十日ある。その間に、そのものを停止させる方法を考えるとして……問題はヴィンツだな」
ウィルヘルムは、指に挟んだ煙草を銜えながら、焦げ茶の瞳を虚空に据えた。
「アイツ、何で俺らの居場所がピンポイントで分かるんだ?」
ウィルヘルムが口にしたことに、エマヌエルも眉根を寄せた。
「……言われてみれば、そうだよな……」
いくら彼がネット上を自由に動き回れるとは言え、当てもないのに捜していては、あれほど正確にこちらの居場所を特定するのは難しい。
〈――気になるか?〉
直後、車内放送のように、オーディオからその声が聞こえた。
©️神蔵 眞吹2022.




