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Code.11 Versus,again

「早くッ……俺を射て! マグネタイン弾で(・・・・・・・・)な」

『何……』

 ヴィンツェンツ個人に身体があれば、眉根を寄せていただろう。エマヌエルの意思が本気で読めない、そう言いたげな声だ。

 だが、エマヌエルはこれ以上、ヴィンツェンツに勝手に喋らせる気はなかった。半ば意地で、唇を噛み締める。

〈――貴様、何を考えてる〉

 やむなく、といった様子で、ヴィンツェンツが脳内で話し掛けてくるのに、同様に脳内で答える。

(もう二度と、俺の身体使ってあんたに喋らせるかよ)

〈だから、何をする気だと訊いているんだ〉

(俺の脳内にいるんだ、何する気かくらい分かるだろ)

 脳内で言い捨てるなり、口を開く。

「早、く……ッ、射てよ。いつコイツがフォトン・シェル発射するか……分かんねぇ、ぞ」

「で、でも……あんた、確かもう二度とマグネタイン弾食らうなって、ドクターに言われてなかった?」

「……ん、なの……平常、運転の、場合、だ。今……ッ、非常時、なんだ、からな」

「だけど」

「持ってるなら、早くしろ!」

「だめよ、そんなことしたら、あんたまた」

「それが狙いだよ!」

 叩き付けるように言いながら、まだ制御の利かない左手を無理矢理動かし、右手首に近付ける。

「……二回目の、暴走状態の、時……、意識は、あったからな。あんなモン……ッ、意識、あったって、コントロールなんか、できなかった。俺自身が……そう(・・)だったんだ。にわかで……侵入はいり込んで来たコイツ(・・・)に……制御、可能なモンか……お手並み、拝見と、いこうぜ」

 今はオフになったテレビ画面に、鏡に映るように自分が映っているのが、うっすらと見える。エマヌエルは、自分の中にいるヴィンツェンツに、ニヤリと唇を吊り上げて見せた。

〈まさか……できるものか。今度こそ、木っ端微塵になるかも知れないのに〉

(覚悟の上だ。お前にいいように操られた果てに死ぬより、のいい賭だと思ってるよ)

 チラリとヴァルカに視線を移す。早くしろ、と目で訴えると、ようやく彼女も肚を括ったのか、脇下に吊っていたであろうホルスターから、銃を抜く。

「……った、あと……ウィルたちに、連絡も、忘れるなよ」

「分かってる」

 もう、彼女の深紅の瞳も、静かだった。

 彼女が抜いた銃口を、揺るぎなくエマヌエルに向ける。

『まさか……せ、やめろ!』

「やめない」

 言うなり、彼女は迷いなく引き金を引いた。

『ッ、チィ!』

 瞬間、ヴィンツェンツが、光弾状にしていたフォトン・シェルを、壁状に展開する。

 だが、無駄だった。それは、初めて彼女と出会った時と同じで、フォトン・ウォールを突き抜けた弾丸は、エマヌエルの右肩を貫く。

「ッ……!」

 歯を食い縛る。

 ヴィンツェンツも踏ん張り切れなかったのだろう。被弾の衝撃で、ベッドへひっくり返る。刹那、ヴァルカは間髪入れずに病室を飛び出していた。

 それを目の端で見送った直後、造りモノの心臓が大きく脈打つ。

「ッ、あ……っ」

〈ぐぅ……ッ〉

 胸部を握って身体を丸めたくなるが、まだその主導権はヴィンツェンツにあるらしく、上手くいかない。

 彼は、エマヌエルの肉体を無理矢理動かし、何かを探しているようだった。だが、それをエマヌエルも全力で阻止しようとする。

〈貴様、何を〉

(……俺の身体の外に、逃げようってんだろ。そうはいくか。せっかく、危険冒してマグネタイン弾食らったんだ。あんたも、しっかり味わえよ)

 脳内で言い合う間にも、心臓が容赦なく暴れ出す。

「ぅ、ぐぁ」

 体中が心臓になったかのような錯覚を、ヴィンツェンツも否応なく感じているのか、ついに彼はエマヌエルの身体の操作権を放棄した。

 クス、とこんな時なのに覚えず嗤いが漏れる。

 エマヌエルのほうは、初めてならともかく、これで三度目だ。慣れないまでも、ある程度の覚悟だけはできている。

 しかし、元々生身の身体を持たないヴィンツェンツは、そうはいかなかったらしい。

〈あぁああああ、出してくれ! ここから早く!〉

(うっっぜぇよ! 脈が早くなっただけで騒ぐな!)

 エマヌエルも、覚悟だけはできているとは言え、やはり何度経験してもこの感覚は慣れるものではないと痛感した。

 痛い、とも、苦しい、とも違う。

 浅くなる呼吸に感じるのは、焦燥と恐怖に近い。

 自分を抱き締めるように身を縮めて、やがて来るだろう事実上の『痛み』に身構える。

「ッ、……、あっ! あぁあああ!!」

 身体が破裂するような錯覚を覚えた瞬間、シーツを握り締める。覚えず絶叫した直後、意識が白くなった。


 ――だめだ――だめだ、だめだ、だめだ!


 今意識を手放したら、身体を完全に奪われ、もう二度と目覚められなくなる。その思いで、必死に身体を抱き締めながら、目を上げる。

「……!?」

 そこは、先刻の病室ではなかった。

 すでに病室が破壊された跡地に立っているのかと思ったが、それも違う。

 そこは、意識と同じように白かった。比喩でも何でもなく、真っ白い、何もない空間。

(……ここ……来たこと、ある……?)

 見覚えがあるのはどうしてだろう。

 記憶を手繰って、すぐに思い出した。最初に暴走した時、正気付く直前に見た、あの空間だ。

 だが、以前と違うことが起きた。

「――なぜ、お前がここにいる」

 不意に、背後から声を掛けられ、エマヌエルは振り向いた。

 視線の先には、初めて同じ空間で出会うヴィンツェンツがいた。

「……こっちの台詞だよ。何であんたが……俺と同じ空間にいる? ここはどこだ」

「ここは、お前のICチップの中のはずだ」

 二、三メートル離れた場所にいるヴィンツェンツは、ホログラムで見た時に思った通り、上背のある男だった。

 これだけ離れていても、小柄なエマヌエルのほうが視線を上げないと顔が見えない。

「ICチップの中?」

「そうだ」

「ったく……結局あんたはチップの中に避難して来たわけか」

「そういうお前もではないのか」

「俺の場合は暴走時、意識の制御もできねーんだよ」

 苛立ったように側頭部を掻き上げて、ハタと気付く。

「待てよ、じゃあ……今、俺の身体はどうなってんだ?」

「知るか。おかげでおれも外へ出られなくなってる」

「その点に付いちゃ、ザマーミロってトコだけど」

 ヴィンツェンツに向かって、ベッ、と舌を出してから、エマヌエルは改めて周囲を見回す。

 そこは、やはりどこまでも白い空間だ。

 自分たち以外に人はおらず、何もない。何らかの部屋なのだろうかと思うが、その終わりさえ見えない。

(……三回三様、ってトコか……初めはどうしてたのか、全然覚えてねぇし……)

 また側頭部を掻き毟る。

 前は、気付いたらここにいて、気付いたらディルクたちと対峙していた。

(どうしたらいい、結局このままじゃ)

 何もかも、外にいる人間に丸投げになってしまう。

(くそ、早く……早く、戻らねぇと(・・・・・)

 だが、その方法が分からない。

 これまでは、ぼんやりしていたら、なるようになってしまっていたのだ。

「……ところで、コトが全部片付いたら、あんたも外に出ろよな」

 ふと思い出した時に、言うべきことは言ってしまおうと、エマヌエルはヴィンツェンツに向き直る。

「やり方、分かってんだろ?」

「まあな。さっきそうしようとしたら、お前に止められたんだが」

「バカ言え。今うっかり解放したら、またぞろEXSYイグズィーに駆け戻るんだろが。そこのお偉いサンやらゴーレムやらにチクりに行かれちゃ堪んねーからな」

 本当なら、この場で消滅させておきたいところだが――

「……いや、やっちゃだめな理由、ねぇよな」

「何をだ」

「別に」

 あっさり肩を竦めて、エマヌエルは改めてヴィンツェンツに目を向ける。

「それより、二、三、訊きたいことあんだけど、答えてくれるか?」

「さあな。気が向けば答えてやる」

「あっそ。じゃ、訊くだけ訊かしてもらうわ。あんた、さっきサイバネティックが全員こういうこと(・・・・・・)できるとは限らない、って言ってたよな」

「こういうこと、とは……チップを介した身体の乗っ取り、のことか?」

「そ。ほかに、できる奴を知ってんのか?」

「いや、知らんな。だが、おれができるのだから、ほかにもできる奴がいると考えるのは妥当だと思うが」

「なるほど、怖いな」

 クス、と小さく苦笑を漏らす。

 何か、できる者とできない者を見分ける方法を探すか、サイバネティックは出会うはしからプログラムを破壊することを考えなくてはならない。でなくては、自分はもちろん、ディルクも安心して外を歩けなくなってしまう。

「訊きたいことはそれだけか」

「何だ、まだ答えてくれるのか。気前がいいな」

「どうせ近々お前は死ぬんだ。冥土の土産は多いほうがいいだろう?」

「小難しい言葉知ってんだな」

 また苦笑混じりに肩を竦める。

「じゃ、質問その二だ。乗っ取りは簡単にできるわけじゃないっつったよな。条件とかがあんのか?」

 すると、ヴィンツェンツは無表情にエマヌエルを見つめた。

「……何だよ」

「いや。殺すには惜しい人材だと思ってな。お前もEXSYに入らないか?」

「はい?」

「お前さえその気なら推薦する。さっきの質問にも、ちゃんと答えるぞ」

「……つまり、EXSYに入るっていう答えが、質問その二に答えてもらえる条件か?」

「そう思ってもらってもいい」

「なら断る。入ったが最後、除去できるかどうかも分からねぇ爆弾仕込まれるんじゃな。でなくても俺、フォトン能力付きだし。フツーに活動するだけで、常に自爆の危険抱える生活になるなんてもっと御免だ」

「……なるほど、失念していた」

「さて、じゃ、こっからが本番だな」

 右手で握った拳を、左掌に当てる。

「本番?」

「何だよ。あんたもその気だったんだろ?」

 エマヌエルは、右上腕部に左手を当てて、軽くストレッチしながら続ける。

「次に外に出る前に、あんたを消滅させておかないとな」

 それを聞いたヴィンツェンツが、キョトンと目を丸くした。

「……コトが終わったら、外に出ろとお前が言ったのでは?」

「ああ、そのつもりだったんだけどな。考えてみれば、あんたがおとなしく出てってくれる保証もねぇし、いつまた侵入り込まれるかって考えるだけでゾッとするし、だったらここで消滅させとくほうがいいかと思って」

 聞く内に唖然としていたヴィンツェンツの表情は、やがてユルユルと苦笑のそれに変わった。

「……お前も、科学者共のことは言えんな」

「どういう意味だ?」

「充分狂ってる。そういう意味だ」

 今度は、エマヌエルのほうが目をパチクリさせる。そしてすぐに、その美貌に、見ている者がそれこそ心底ゾッとするような微笑を浮かべた。

「……そうかもな」

 否定しねぇよ、と言い様、エマヌエルはヴィンツェンツに向けて地を蹴った。


***


「――ドクター! 今どこ!?」

 エマヌエルの病室を飛び出したヴァルカは、全力疾走しながらイヤーカフ型端末に向かって叫んだ。

『地下階の研究室だけど、どうした?』

「詳しいことはあとで話す! エマヌエルがまた暴走するわ!」

『は? 何だって!?』

「ごめんなさい、この病院、すぐ使い物にならなくなるかも! ドクター・ルントシュテットにも謝っといて!」

『まさかお前、また(・・)エマにマグネタイン弾ぶち込んだのか!?』

「ゆっくり話してる暇はないの! お説教ならあとでエマヌエルと一緒に聞くから! 彼の暴走を鎮める方法はまだ見つかってないの!?」

 ウィルヘルムのいると思しき研究室へ向かって駆けながら、ヴァルカはチラリと後方を見た。

 この地下階には、自分とエマヌエル以外の患者はいなかったはずだから、それだけは救いだ。

『……中和薬の開発がまだ途上だ。だけどそれでも、ないよりマシかも知れない』

 ひとまず、説教を後回しにしてくれたらしい。質問に対する回答が返ってくる。

『エマは今、傍にいるのか?』

「暴走が始まる前に避難してきたから、今のところ、襲ってくる気配はないわ。ただ、安心の材料にはならない。ドクターたちも早く避難して。ディルクはどこにいるか分かる?」

『ああ。ディルクも今研究室にいる。コイツに中和薬入りの注射器渡すから、隙を見てエマに投与してくれ』

「無茶言わないでよ。銃弾状になったモノか飲み薬か、でなければ何かぶつければいいだけのモノ、即興で作れないの?」

『そっちこそ、無茶言うな。って言いたいトコだが、……注射針ぶっ刺す余裕がねぇってことか?』

「そゆことよ。彼の暴走時のスピードやパワーって、とにかく常識を度外視しまくってるから。問答無用で殺していいならともかく、生け捕りにするだけでも難易度が高すぎる。痛みも感じてないから気絶もさせられない。初めて会った日、ディルクと二人掛かりでもあのザマ(・・・・)よ」

 あのザマ、と言っても、ヴァルカはほぼ無傷だった。ただ、ディルクが足に負った裂傷を思い出してくれたらしい。ウィルヘルムは、しばし沈黙した末に、『分かった』と言った。

『研究室の場所は分かってるな』

「ええ」

『一人で稼げる時間はどのくらい見積もれる?』

「一分でも長いわ」

『だが、ディルクはそっちに薬を届けてもらわなきゃなんねぇし……何とか一人で、可能なら十五分稼いでくれないか』

 ヴァルカは押し黙った。

 暴走状態のエマヌエルを相手に、一人で十五分――長い、はっきり言って長すぎる。下手をすると永遠にも等しい。考えるだけで目眩がした。

 しかし、ほかに手立てがないのも事実だ。

「……分かった。とにかく十五分、研究室そっちに近付けなければいいのね?」

『何とか頼む。万一、こっちまで攻め込まれそうなら、ディルクが出入り口に張り付いてくれるそうだから、そこで最悪でもプラス数秒は稼げそうだが……』

「……安心してよ。こっちで最低でも五分は稼いでみせるから。じゃあ、あとで」

『ああ。出来次第、ディルクが届ける』

「頼むわ」

 通信を終えると、壁にもたれて深呼吸する。今ある武器は、拳銃だけ。ディルクがいないだけで、あの時(・・・)と同じだ。

 こっちの戦力は半分以下、だのにエマヌエルはフルパワー以上だなんて――

(寿命、却って縮んだわね)

 クス、と小さく自嘲する。

 だが、気分は悪くない。前と違って、思うままに――自分の信じる正義のままに振る舞っているのだから。

 エマヌエルの病室を飛び出してから握ったままだった銃を見つめる。マガジンを取り出し、残弾を確認すると、元通り弾倉に納めてスライドを引いた。

 その時、超聴覚にかすかな雷鳴を捉える。

 病室のほうへ顔を向けるのと、そこに青白い閃光を纏ったエマヌエルが現れるのとは、ほぼ同時だった。

(……うっわ、最悪)

 思わず舌打ちする。彼の瞳は、完全なガラス玉の状態だ。つまり、そこに彼の意思も自我もない。

 まるきり、ディルクと一緒に対峙した時と同じである。その状態が、いつまで続くものか――しかし、あれこれ考えている暇はなかった。

 エマヌエルのスパークを纏った足が、床を蹴る。その足下が陥没するのを見届けるも惜しく、ヴァルカも地を蹴った。

(あ――やっぱ速い!)

 顔が思い切り歪むのが自分でも分かる。

 常識外の速度を以てヴァルカに肉薄したエマヌエルが、拳を振りかぶり、一瞬前までヴァルカの立っていた場所へ突き立てた。

 スパークを纏った攻撃でそこも陥没し、爆発のような衝撃が起きる。

「きゃああああ!!」

 爆風に煽られたヴァルカの身体は、吹き飛ばされて地下階の天井に叩き付けられ、バウンドして床を転がった。受け身を取る暇もない。まともに衝撃を吸収した身体は、一拍遅れて鈍い痛みを全身に伝えていく。

「ッ、く……!」

 投げ出された腕を引き寄せて、どうにか頭を上げる。霞んだ視界の向こうで、エマヌエルが顔を上げたのが見えた。

 ギシギシと軋むような身体を無理矢理動かして立ち上がる。

 分かっているつもりだったが、まともに一人で対峙してみれば、まさかこれほどとは思わなかった。前はほとんどディルクの陰に守られていたのだと、今になって思い知る。

 一撃で見事にボロボロだ。すでに息が上がっている。あと、どれくらい持つだろうか。残念ながら、さして長くはないことだけは確かだ。

 辛うじて握ったままでいられた銃の引き金に、無意識に指を添える。

 今はもう、彼を殺すつもりは更々ないが、どうしたら目の前の相手を止められるかが皆目分からない。

 どうしたらいい、と自問した直後、エマヌエルが再び床を蹴った。ヴァルカは素早くきびすを返して、全速力で走り出す。

 急所に銃弾を撃ち込めば、隙はできるかも知れない。

 一歩間違えれば彼が死ぬことになるが、彼は痛みを感じていないはずだ、というのは前回の対峙で嫌と言うほど理解できている。急所以外の場所に攻撃を加えても、意味はないかも知れない。

 チラリと背後に視線を投げると、ヴァルカを追って走っていたエマヌエルが一気に間合いを詰めに来た。彼が蹴った床が、また陥没する。

 エマヌエルが中空で右手を振りかぶった瞬間、ヴァルカは急停止し、彼のほうへ向かって突進した。滞空している彼の足下を走り抜けて、その背後へ回り込む。

 ほぼゼロ距離で足を狙って引き金を絞るが、被弾の衝撃で彼はわずかに足を床に着けただけだった。

 バックステップで距離を取ろうとするが、一拍遅かった。エマヌエルの左手が胸倉に伸び、そのまま容赦なくヴァルカの身体を床へ押し倒す。

「きゃあ!!」

 背中から床へ叩き付けられる。首を絞め上げられるような息苦しさと、委細構わず皮膚を裂かれる痛みの中で目を上げると、胸倉を掴んでいる彼の前腕部に青白い閃光がほとばしった。

 彼の撒き散らすフォトン・エネルギーに傷付けられるが構っていられない。歯を食い縛って彼の腕を掴み、鳩尾みぞおち目掛けて蹴り上げる。

 ノックダウンには至らなかったが、締め付けていた腕の力が僅かに緩んだ。その隙を逃さずエマヌエルの腕をもぎ離して、逆に彼の身体を床へ押し倒す。

 身体を思う様叩き付けられたというのに、彼は悲鳴の一つも上げない。身体にオーラのように纏い付いたフォトン・エネルギーがクッション代わりになったことも要因だろうが、やはり痛覚も麻痺しているようだ。

「まだなの!?」

 無意識に叫ぶ。このかん、どのくらい時間が経ったのか、見当も付かない。

 フォトン・エネルギーを放つエマヌエルに、密着しているヴァルカの身体に、裂傷は増える一方だ。どこが裂けて、どこから痛みが噴出しているかも分からない。

 この時、ヴァルカは違和感に気付いた。

 ただ、それを突き詰めて考える余裕はない。首元へ伸びようとする彼の手から逃れて、彼の身体から飛び退く。

 着地して、緩慢な動きで立ち上がるエマヌエルを見て、ハッとした。

(――血が)

 エマヌエルの身体からは、一滴の血も流れていなかった。


©️神蔵 眞吹2022.

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