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第五十四話 報酬扱い不可

## 第五十四話 報酬扱い不可


旧南第三の広場に、夜が降りてきた。


配給箱は、建物の中へ運び込まれていた。


米。

缶詰。

粉ミルク。

包帯。

消毒液。

靴。

小さなノート。

燃料券。

生活手当の仮登録用紙。


子どもたちは、途中で飽きていった。


最初は箱の中身を覗いていた。

次にノートを取り合った。

その後、誰かが靴のサイズを比べ始めた。


最後には、段ボールを畳む音だけが残った。


白羽の支援物資が来た時とは違った。


演説はない。

写真もない。

「みんなで支え合いましょう」という声もない。

子どもたちを前に並ばせる大人もいない。


ただ、箱が来た。

中身を確認した。

数を数えた。

必要な場所に置いた。


それだけだった。


健二は、仮設の机の前に座っていた。


隣に倉持瑠衣がいる。


瑠衣は、外から届いた伝票と、旧南第三側の受領記録を一枚ずつ照合していた。


紙の上には、まだ外の言葉が残っている。


成果対応分。

任務遂行関連。

地域補償。

協力者報酬転換。


健二は、その文字を見るたびに顔をしかめた。


「これも消す」


瑠衣はペンを止めない。


「消しません」


健二が顔を上げる。


「何で」


「消したら、外の紙に戻されます」


瑠衣は静かに言った。


「上に重ねます」


健二は黙った。


瑠衣は、旧南第三側の紙に文字を書いた。


食料生活物資。

医療補助物資。

学校再開物資。

生活保証。

報酬扱い不可。

止まっていたものの返還。


「残すのか」


「残します」


「兄ちゃんの名前は」


「書きません」


健二は、そこでようやく少し息を吐いた。


瑠衣は続けた。


「でも、外の紙に“任務遂行関連”とあることは残します」


「何で」


「誰かがこれを、報酬として処理しようとした記録だからです」


健二は机の上を見た。


紙がある。


外の紙。

旧南第三の紙。

受領票。

配布表。

不足表。

明日の配給予定。


紙だらけだった。


白羽も紙を使った。


名前を変えるために。

居場所を変えるために。

人を消すために。


今、瑠衣も紙を使っている。


だが、やっていることは逆だった。


「紙って、嫌だな」


健二が言った。


瑠衣は、少しだけ手を止めた。


「嫌です」


「でも書くのか」


「書かなかったら、向こうの紙だけになります」


健二は答えなかった。


三枝弘美が、奥から出てきた。


手には小さな靴の箱を持っている。


「美月、履けました」


健二は顔を上げた。


「足は」


「まだ熱があります。森谷さんが、夜も確認すると」


「薬は」


「使いました」


弘美の声は、少しだけ硬かった。


健二はそれを聞いて頷いた。


「美月、何か言ったか」


弘美は一瞬だけ目を伏せた。


「減るから、って」


健二はペンを置いた。


弘美は続けた。


「でも、使いました」


「うん」


「この子が“減るから”と言わなくていいように、使います」


その言葉は、さっきも聞いた。


だが、二度目の方が重かった。


健二は受領票の下に、小さく書いた。


医療補助物資、使用済み。

対象、美月。

理由、足部外傷、発熱、予防接種歴不明。

使用判断、森谷千夏。

生活補助確認、三枝弘美。


そこまで書いて、少し止まった。


瑠衣が見た。


「どうしました」


健二は、最後に一行足した。


本人への負担説明不要。


瑠衣は、その文字を見て、何も言わなかった。


弘美も黙っていた。


川島誠一が、外から入ってきた。


肩に段ボールを担いでいる。


「周辺の家の分、分けました」


健二は頷く。


「晴斗の家は」


「うちも受けました」


川島は箱を下ろした。


「助けられたとは言いません」


健二は顔を上げた。


川島は静かに続けた。


「でも、箱は届きました」


その言い方に、怒りはなかった。


感謝でもなかった。


事実だけだった。


健二は頷いた。


「記録します」


瑠衣が書く。


周辺家庭配布。

川島家受領。

生活補助。

報酬扱い不可。


森谷千夏は、部屋の奥で医療箱を開けていた。


一つずつ中身を確認している。


針。

消毒液。

包帯。

抗菌薬。

栄養補助食品。

体温計。

手袋。


箱の外側には、外国語のラベルが貼ってあった。


森谷はそのラベルを見て、小さく息を吐いた。


「これ、かなり無理して通してますね」


健二が聞いた。


「足りない?」


「足ります。今夜は」


「明日は」


「明日また数えます」


健二はその言葉を聞いて、少しだけ笑いそうになった。


明日また数える。


それは、明日があるという意味だった。


旧南第三では、それだけで十分だった。


その頃。


ホテルの会議室では、別の紙が机に置かれていた。


ジンは椅子に座っている。


肩の包帯は新しい。

腕の傷も縫われている。

頬の白いテープは、少し血で滲んでいた。


ミーシャは隣にいた。


肩の処置を終えたばかりで、顔色は悪い。

それでも端末を開いている。


モスクワ側の老人は、向かいの席に座っていた。


灰色のスーツ。

古い杖。

白い髪。

静かな目。


調整官が、端末を見ながら言った。


「旧南第三側から受領記録が返ってきました」


ジンは水を飲んでいた。


「内容は」


調整官は、少しだけ笑った。


「書き換えられています」


ミーシャが顔を上げる。


「誰が」


「旧南第三の受領責任者と記録担当です」


「健二か」


ジンが言った。


調整官は頷いた。


「真柴健二。倉持瑠衣。三枝弘美。森谷千夏。川島誠一。複数名の確認印があります」


ジンは紙コップを置いた。


「何て書いた」


調整官は、画面を読み上げた。


「食料生活物資。医療補助物資。学校再開物資。生活保証。報酬扱い不可。止まっていたものの返還」


ジンは黙った。


ミーシャが端末を見た。


「外部記録では、成果対応分になっていました」


「はい」


調整官は頷いた。


「それを、現地記録で否定しています」


老人が、そこで初めて小さく笑った。


「良い紙だ」


通訳が訳す。


「良い紙?」


ジンが聞いた。


老人は頷いた。


「金を受け取った。だが売られていない。そう書いてある」


ジンは返事をしなかった。


老人は続けた。


「白羽は、名前を書き換えた。あの子たちは、代金の意味を書き換えた」


ミーシャは静かに端末へ入力していた。


「旧南第三側の分類を、証拠保全します」


ジンは言った。


「するな」


ミーシャは即答した。


「します」


「またか」


「またです」


調整官が言った。


「これは重要です。外部勢力が提供した物資を、現地側が“報酬ではない”と処理した。白羽系統の生活名登録とは逆方向の記録です」


ジンは疲れた顔をした。


「理屈はいい」


「理屈ではありません」


ミーシャが言った。


「健二が、あなたを食料に換えなかった記録です」


その言葉で、ジンは黙った。


部屋の外では、ホテルの廊下を医療スタッフが歩いている。


志乃は別の階で寝ている。

もう一人の雨合羽も、その隣のベッドにいる。

鷲尾は、たぶん椅子で寝落ちしている。


白い手袋の男は、まだ独房にいる。


陳維明は、もう表示されない。


旧南第三には物資が届いた。


それでも、ジンの身体は重かった。


調整官が封筒を出した。


「次の件です」


ジンは見た。


封筒は薄い。


中には、通行証の写しと、複数の経路図が入っていた。


「沖縄方面への移動経路です」


ジンは封筒を見た。


「方面」


「はい。最終引き渡し地点に向かう一時的な経路です」


調整官は、言葉を選ばずに続けた。


「目的地ではありません。仕事の終端です」


ジンは封筒を取らなかった。


「誰に渡す」


「今は言えません」


「何を」


「今は言えません」


「便利だな」


「はい」


調整官は否定しなかった。


「ただし、今回の件で、あなたは移動可能になりました。名簿上の保護、通行、短期滞在、港側の接続。必要なものは用意します」


ミーシャが聞いた。


「NATO側の関与は」


「公式にはありません」


EU側の調整官が顔をしかめた。


「その言い方は問題があります」


モスクワ側の調整官は薄く笑った。


「問題がない言い方をすると、動けなくなります」


老人は、杖を机に置いた。


「軍は動けない」


通訳が訳す。


「国家も、正面からは動けない。だが、地域には穴がある。港がある。老人がいる。古い倉庫がある。燃料を持つ者がいる。橋を握る者がいる」


ジンは老人を見た。


老人は続けた。


「次は、地域で強い者があなたを使う」


「誰だ」


「まだ知らなくていい」


「知る必要が出た時は」


老人は少しだけ目を細めた。


「もう、その人間の前にいる」


ミーシャが静かに言った。


「つまり、拒否する時間は少ない」


老人はミーシャを見た。


「拒否はできる」


「代わりに、誰かの道が消える」


老人は否定しなかった。


ジンは封筒を見た。


沖縄方面。


それは未来ではない。


夢でもない。

帰る場所でもない。

終着点でもない。


ただ、今の仕事の終わりに置かれた点。


そこまで行く道。


その先に、また別の道がある。


ジンは聞いた。


「旧南第三は」


調整官が答える。


「最低保証は始まります」


「いつまで」


「状況が変わるまで」


「それは、いつでも終わるという意味か」


「はい」


嘘をつかなかった。


ジンは、その正直さが嫌だった。


白羽は優しい言葉で奪った。


モスクワ側は、冷たい言葉で支給する。


どちらも紙を使う。


だが、今夜、旧南第三の子どもは飯を食える。


美月は薬を使える。


靴も履ける。


学校のノートも届いた。


それを拒否する理由はなかった。


ジンは封筒を取った。


「受ける」


ミーシャが記録する。


調整官が頷く。


老人は何も言わなかった。


ジンは封筒を開けないまま、机の上に置いた。


「ただし」


調整官が顔を上げる。


「旧南第三の記録を優先しろ」


「どういう意味ですか」


「報酬扱い不可」


ジンは短く言った。


「それを外の記録にも残せ」


調整官は少しだけ沈黙した。


「外部処理上、完全に同じ表現は難しい」


「なら近づけろ」


ミーシャが言った。


「現地受領分類を併記する形なら可能です」


EU側の法務担当が頷いた。


「それなら通せます」


調整官は端末へ入力した。


外部処理分類、成果対応分。

現地受領分類、報酬扱い不可。

止まっていたものの返還。

旧南第三側記録を併記。


ジンはそれを見た。


完全ではない。


だが、外の紙に少しだけ旧南第三の紙が食い込んだ。


それで今は十分だった。


旧南第三では、夜の配給確認が終わろうとしていた。


健二は最後の箱を閉じた。


瑠衣が記録をまとめる。


弘美が美月の熱を見に行く。


森谷が医療箱を鍵のかかる棚へ移す。


川島が外の戸締まりを確認する。


子どもたちは、配られたノートを枕元に置いていた。


まだ使っていない。


名前も書いていない。


それでも、誰かが言った。


「明日、学校?」


別の子が答えた。


「準備だって」


「勉強するの?」


「知らない」


「嫌だな」


「でも、ノートある」


小さな笑いが起きた。


健二は、それを廊下で聞いていた。


兄ちゃんがどこにいるのか、まだ知らない。


届いたのは物資だけ。


伝票だけ。


報酬扱い不可と書き換えた紙だけ。


健二はその紙を、棚の一番上に置いた。


白羽の紙とは別の場所に。


鍵をかける。


その音が、小さく響いた。


ただの平和は、鍵の音から始まった。


誰かが祝うわけでもない。


誰かが泣くわけでもない。


ただ、明日の分がある。


ただ、記録上ある。


ただ、名前が残る。


健二は灯りを消した。


廊下の奥で、美月が小さく咳をした。


弘美の声がする。


「大丈夫。薬、使えるから」


少し遅れて、美月の小さな声がした。


「減らない?」


弘美が答えた。


「減らないように、記録した」


健二は目を閉じた。


記録した。


それだけで、今夜は少しだけ眠れる気がした。


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