踊らされるもの
学園生活が始まって1週間。
少しずつ馴染んで来たシスルのもとに事件が舞い込む。
シスルの自室で起きた事件と中庭の騒ぎ。その詳細はーー
中庭へ向かうと、そこにもすでに人だかりができていた。ざわめきと、ひそひそとした囁きが、重苦しく空気に滲んでいる。
エルドリックの姿に気づいた生徒たちが、慌てて道を開いた。そのおかげで、シスルも人波をかき分け、現場を目にすることができた。
――中庭の中央に立つ一本の木。
その枝から、鶏の死骸が縄で吊るされていた。
羽は無残にむしられ、首はなく、血に濡れた胴だけが力無く垂れ下がっている。
地面には血が滲んでいた。
――なるほど。
シスルは、無意識のうちに視線を落とす。
首は、ここで切り落とされたのだろう。
そして、その首だけが――自室に投げ込まれた。
だから自室には血痕が少なかった。
血でぬかるんだ土には、いくつかの足跡が残っている。
その中で、ひときわ目立つものがあった。
女物の靴跡。
ざわめきが、一段と低くなる。
「……犯人のか?」
「まぁ、誰のかしら?」
視線が、ゆっくりと集束していく。
一人部屋を与えられた編入生。
先ほど、血のついた麻袋が見つかった部屋の生徒。
そして――今、ここに立っている彼女。
当然のように。
あまりにも自然な流れで。
疑いの矛先は、シスルへと向けられた。
「待ちたまえ」
張り詰めた空気を裂くように、凛とした声が響く。
エルドリックだった。
「シスル嬢は、この昼休み中、ずっと私や――そこにいる友人と行動を共にしていた」
視線だけで、エルドリックが傍らのリュシエラを示す。
「彼女に、あれを仕掛ける時間はない。状況を見れば明らかだろう」
ざわめきが、一瞬だけ止まる。
「彼女は被害者だ」
断言だった。
王子という立場に裏打ちされた、揺るぎのない言葉。
周囲の生徒たちは顔を見合わせ、ひそひそと声を落とす。反論したそうな視線もあったが、誰も正面から王子を否定しようとはしなかった。
だが――
疑いが、完全に消えたわけではない。
「殿下を味方につけるために、自作自演したのかもしれませんわよ」
どこからともなく、甘く尖った声が飛ぶ。
「そうよ。さっきの鳥の頭だって、自分で部屋に投げ込んだのかも」
「……どうして、この鳥の頭だと思うのです?」
シスルの誰へともない問いかけに、即座に返事が重なる。
「だって、同じ雄鶏の死骸じゃありませんか」
「偶然にしては、出来すぎですわね」
「鶏なんて、どうとでも手に入ると思いますけれど」
シスルの静かな反論を、嘲るような笑いが遮った。
「馬鹿じゃないの?」
「これは、学園で飼われている鶏でしょう」
言い切る声。
根拠など、誰も示さない。
「つまり――あなたが盗んで、殺したんじゃない?」
「それで、殿下の同情を引こうとした。違います?」
言葉は、いつの間にか“疑い”ではなく、“断定”に変わっていた。
その空気を裂くように、シスルが口を開く。
「では――部屋に、それが投げ込まれたのは、いつですか?」
一瞬、ざわめきが止まる。
「音を聞いた方は、いらっしゃいますか」
「……昼休みに入って、すぐですわ」
少し遅れて返ってきた答えに、シスルは小さく頷いた。
「でしたら、その時刻、私は友人と食事中でした」
淡々とした声が、事実だけを積み上げていく。
「次に、足跡についてですが」
シスルの視線が、血溜まりへと落ちる。
「そこに残っている足跡は――私のものよりも小さい」
シスルは上背のわりに足のサイズが大きい。
そのことを密かに気にしており、普段は足が小さく見える意匠の靴を選ぶほどだ。
「少なくとも、私の履いている靴とは一致しません」
断言ではない。けれど、否定としては十分だった。
再び、沈黙が落ちる。
誰も次の言葉を見つけられずにいる中で、シスルは静かに口を開いた。
「学園で飼われている鶏だとおっしゃいましたね」
視線が集まるのを意に介さず、続ける。
「それでしたら――飼育小屋が、あるのでは?」
「あ、あぁ」
間の抜けた声で答えたのは、近くにいた上級生だった。
「共通区と学術区の境にあるよ」
「普段は、サークルの子たちが当番で世話をしているはずだわ」
別の生徒が補足する。
シスルは小さく頷き、迷いなく言った。
「行ってみましょう」
それは提案というより、結論だった。
誰かが反論する前に、空気が動き始める。
視線が自然と、彼女と――そして、エルドリックへと集まった。
「もちろん、僕も一緒に行こう」
そう言って、エルドリックはあっさりと場を仕切った。
***
飼育小屋は、柵も扉も、壊された形跡は見当たらなかった。中に残されていたのは、作業靴の真新しい足跡がいくつか。乾ききっていない血と泥が、床にまだらに残っている。
餌箱は横倒しになり、踏みつけられたように歪んでいた。
「一羽……足りませんね。
それに、鍵も……開いたままだなんて…」
小屋の中を確認していたサークルのリーダーが、声を落として言った。王子の指示で同行してきた人物だ。
「昨日の放課後は、確かに五羽いました」
「最後に世話をしたのは、いつだい?」
エルドリックが、間髪入れずに問い返す。
「昨日の放課後です。当番の日以外は、小屋に入らない決まりで……」
――決まりを破った者がいる、ということか。
それとも、部外者か。
シスルは静かに足元へ視線を落とした。
残されている作業靴の跡は二種類。
おそらく男物と女物で、サイズが異なるのだろう。
だが、血と泥を踏んでいるのは――大きい方だけだった。
「鶏を殺したのは、男でしょう」
淡々とした声音で告げる。
「作業靴に血が飛んでいる以上、脛のあたりにも返り血が付着しているはずです。制服は簡単には処分できません。イニシャル入りのオーダーメイドですから、買い替えも容易ではない。作業着も事情は大差ないでしょう」
一度、ゆっくりと視線を上げる。
「探すのは――容易、なのではありませんか?」
そこまで言って、ふっと興味を失ったように視線を逸らした。
鶏を盗み、殺したのはおそらく男。
だが、その特定は現状では困難だ。
ならば――これは、もはや彼女の関与する話ではない。
「待て待て。急に興味をなくすとは、どういうわけだい」
半ば呆れたエルドリックの声が飛ぶ。
「私の部屋の騒ぎとは、別件のようでしたので」
振り返ることもなく、シスルは事実だけを口にした。
「別件? 同じ鶏の死骸なのにかい」
「鶏を殺した人物と、私の部屋に首を投げ込んだ人物は別です。衝動的な行動だったとすれば、両者の関係性も薄いでしょう」
冷静すぎるほどの断定。
「……じゃあ、君の方の犯人探しも、もういいのかい?」
「犯人は、すでに分かりましたので」
一拍置いて、淡々と続ける。
「もう、結構です」
***
騒動のあった放課後。
授業を終え、寮へと戻る支度をしていた生徒の一人に、シスルは声をかけた。
「少し、お時間をよろしいかしら。メルシー嬢」
名を呼ばれた少女が、わずかに肩を強張らせて振り返る。
「シルヴァスター様。私に、何か御用ですか?」
「ええ。ひとつ、貴女に尋ねたいことがあるのです。よろしい?」
一瞬のためらいのあと、メルシー嬢は小さく頷いた。
「……もちろんですわ」
その返答を待ってから、シスルは穏やかな声で続ける。
「どうして、あの鶏が"雄鶏"だと、ご存知でしたの?」
「え?」
続く言葉を失い、メルシー嬢の目がわずかに見開かれる。
「中庭の死骸は、羽をむしられて無惨な姿でした。
世話をしていたサークルの人間ならまだしも――貴族令嬢に、すぐ見分けがつくでしょうか?」
「それはもちろん、見たからですわ!シスル様の部屋で――」
言い切った、その瞬間。
メルシー嬢は、はっと息を呑んだ。
重たい沈黙が、二人のあいだに落ちる。
シスルは何も言わない。
ただ、穏やかなまなざしで、彼女を見つめていた。
「……おかしな話ですね」
やがて、静かに口を開く。
「私の部屋にあったのは、“麻袋に入った頭部だけ”でした。それに――私は、あの場で中身を見せるのを控えましたの。集まっていた淑女方には、刺激が強すぎますから」
シスルは一歩も詰め寄らない。
それなのに、彼女の逃げ場はどこにもない。
「羽をむしられた胴体と、麻袋に入った頭部。
その両方を見ていなければ、“同じ雄鶏”だと断定することはできないはずですわ」
シスルは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……どうして、そこまでご存知でしたの?」
「……っ」
メルシー嬢の喉が、ひくりと鳴った。
「メルシー嬢と、ご実家である男爵家にいただいた此度のもてなしは、私も父も決して忘れることはないでしょう」
柔らかな口調だった。
言葉遣いも、微笑みさえも、先ほどまでと何一つ変わらない。
けれど――その声音には、逃げ道がなかった。
「今後、振る舞いには注意なさることです。それでは失礼」




