【閑話】少年の独白
誰にでもない、少年の独白ーー
これを聞くのは夢の中の彼女だけ。
物心がついた時分から、僕は鉄格子の内側で生きてきた。妾腹の子として、しかも男に生まれついた僕には、父にとって何の価値もなかったのだろう。もし女であったなら、違った扱いを受けていたに違いない。母に似ているらしいこの顔は、男では何の役にも立たぬ――そう、父と呼ぶべき男は、唾を吐くように言い放った。
自分が他の人間とはどこか異なるのだと、うすぼんやり自覚したのは、六、七才の頃だったはずだ。誕生日を知らず、祝われた記憶もないため、年齢はそのあたりだろうと曖昧に数えているにすぎない。
物心がついた頃から、繰り返し奇妙な夢を見るようになっていた。ここではない場所で、今の僕ではない姿をした自分の視点から進む夢である。はじめは、現実から逃れるために心が紡いだ幻想だと思っていた。しかしその夢は、あまりにも生々しく、見るたびに懐かしさが胸の奥を締めつけた。そればかりか、僕自身が知り得るはずのない事柄が、夢の中では淀みなく言葉となり、自然と口を衝いて出るのだ。
やがてそれは、前世――あるいはそれに類する何かの記憶なのではないか、と考えるようになった。それ以来、暗く狭い鉄格子の中で、夢の続きを渇望するあまり、眠りに身を委ねて一日を潰すことも珍しくなかった。
夢の中で、異なる世界を生きる僕は、どうやら女であるらしかった。今の僕とは比ぶべくもないほど恵まれた暮らしを送り、温かな家族に囲まれてもいた。それでもなお――彼女は、理由の知れぬ虚しさを、胸の奥深くに抱えていた。恵まれた暮らしの中の彼女もまた孤独だった。
ある朝、鉄格子の向こうに立った父は、唐突にこう告げた。――お前の利用価値が見つかった、と。
僕には歳の近い姉がいる。その姉に代わり、社交の場に立てというのだ。姉は見目こそ良いが、気性が激しい。父もまた、甘やかして育てた手前、もはや強く出られないのだろう。だが、世に地位ある男たちが好むのは、従順で、もの言わぬ淑女である。
そこで僕の出番というわけだ。病弱な妹として社交の場に姿を現し、男を釣るための餌となる。ひとたび家へ引き込みさえすれば、相手が姉へとすげ替わろうと、支障はない――父は、そう算段しているらしかった。
それらの話を聞き流しながら、僕は悟った。自分はもはや人ではなく――もっとも、これまで人として扱われた覚えなど一度もないのだが――役目を与えられた器物の類に成り下がったのだと。
それでも、父と呼ぶべきこの男に対して胸に去来した感情は、憎悪でも怒りでもなかった。ただ、自らの浅薄さにすら気づけぬ愚かさへの、かすかな哀れみだけであった。
それからの暮らしは、一変した。これまで身を置いていた、薄暗く鉄格子に閉ざされた石畳の部屋――薄々察してはいたが、あれは屋敷の地下牢であった――は、質素ながらも使用人にあてがわれる洋室へと置き換えられた。そして僕には、淑女として社交の場に立つための教育が施されはじめた。
目的がいかなるものであれ、衣食住が整えられ、学びの機会を与えられたこと自体は、幸いと呼ぶべきだろう。痩せこけ、成長の止まった身体は、病弱な妹を演じるにはかえって都合がよかった。母に似た容姿も相まって、見てくれとして不足はない。
また、女としての振る舞いも、夢の中の彼女を想起すれば、さほど困難ではなかった。強いて挙げるなら、媚びるような女々しい仕草だけが、どうにも自然にならず苦戦した。彼女自身、それを好まぬ性質であったせいかもしれない。
文字を読むこと自体は、地下牢にいた頃からできた。数冊の古びた辞書が、あの場所で唯一、僕に与えられていたものだったからだ。そういえば、ときおり文字を教えてくれた、耳の長い、ひどく整った顔立ちの男は、一体誰だったのだろう。
あの人物のおかげで読む力は身についたものの、書くことにはなかなか慣れず、相応の時間を要することになった。
そうした下地があったためか、勉学の進み具合は、可もなく不可もなくといったところだった。彼女の生きていた世界に比べれば、こちらの文明は総じて未熟で、科学技術もいまだ発展途上にあるように思われた。その停滞の一因が、魔法という存在にあるのだろう。
彼女の世界にも、魔法という概念は確かに存在していた。彼女が読んだ本や、観ていた映画の中には、たびたび魔法が登場していたからだ。だがそれらは、あくまで空想の産物――フィクションに過ぎなかった。
淑女としての作法や教養と並行して、魔法に関する教育も施されることになった。もっとも、それは才能を伸ばすためのものではなく、あくまで「最低限」の体裁を整えるためのものにすぎない。社交の場に出る以上、魔法をまったく扱えぬというのは、地位ある家の娘として、却って不自然なのだという。
それだけこの世界では、魔法は特別なものではなかった。生まれつき誰しもが、程度の差こそあれ、その力を宿している。火を灯し、水を浄め、傷を癒す――そうした些細な奇跡は、日常の一部として受け入れられていた。科学技術が発展しきらぬままに留まっているのも、魔法が生活を補ってきた結果なのだろう。
家庭教師から教わったのは、社交に差し障りのない範囲の魔法だけだった。小さな光を生む魔法、軽い怪我を癒やす魔法、それから、声色を変える魔法。どれも、妹役を演じるには都合のよいものばかりである。
それでも、魔法に触れた瞬間、胸の奥がこれまでにない歓喜で疼いた。長く憧れ続けたものに、ようやく触れられたような。乾き切った喉に水を与えられたような感覚。これが僕自身の感情なのか、それとも夢の中の彼女の記憶に由来するものなのか、その時の僕には、まだ判断がつかなかった。
それからというもの、僕は空いた時間のすべてを魔法の独学に注ぎ込んだ。どうやら僕は、魔力量の多い質だったらしい。こればかりは、両親に感謝すべきだろう。上流階級の血筋には魔力の多い者が生まれやすく、優れた魔法士を輩出することは、その家の体面にも関わる――と家庭教師は語っていた。
魔法には相性というものがあるらしく、僕は風と土の属性と、特に相性が良いという。加えて、治癒の分野についても素質はそこそこだと評された。もっとも、日頃から風と土の魔法ばかりを練習しているせいで、治癒に関してはいまだ軽い怪我を癒すのが精一杯なのだが。
それでも、二つ以上の属性に適性を示す者は珍しい。僕は思いがけず、才能に恵まれているらしかった。
「お嬢様。旦那様が、執務室へお呼びです」
魔法の独学がそれなりに実を結んだ頃、僕の社交界デビューが決まった。十八歳の春のことである。




