嵐の後には
「お前の社交界デビューが決まった」
父親の命令で女装令嬢として社交界デビューをはたし、魔法学園に通いはじめたシスル。
偽りの自分を演じながら、彼は何を思うのかーー
陽が傾き始めた頃、店の扉が、静かに開く。
軽やかなベルの音が、店内に鳴り響いた。
「……ここにいたのか」
聞き慣れた低い声に、セラフィナの肩が、びくりと揺れる。
「お、お兄様!?」
勢いよく振り返ると、そこに立っていたのは、ギルフェルドだった。
「お前が街に出たと聞いてな。
……まさか本当に来ているとは思わなかったが」
ギルフェルドの視線が、ゆっくりと三人をなぞる。
セラフィナで止まり――わずかに、目を細めた。
「……妹が世話になったようだ」
「ち、違いますわ!」
セラフィナは顔を赤らめながら、反射的に否定した。
「お兄様の選んだ娘が、どれほどか確かめて――」
「そう、私が選んだ」
ギルフェルドの声が、一段と低く落ちた。
「口出しは不要だ」
「……っ」
セラフィナの言葉が、そこで途切れる。
少女は反論しかけたまま、唇を引き結んだ。
二人の立場の差は明確だった。
――これ以上は、踏み込めない。
「……申し訳、ございません」
セラフィナが小さく、しかしはっきりと頭を下げる。
先ほどまでの勢いは、完全に消えていた。
ギルフェルドはそれ以上何も言わず、シスルへと視線を移す。
「……驚かせたな」
声音は、先ほどよりもわずかに和らいでいる。
鋭かった目元も、いくらか柔らかい。
「いえ」
シスルは静かに首を横に振る。
「お気になさらず」
変わらない声音。
その反応に、ギルフェルドの目がわずかに細まる。
「……そうか」
ギルフェルドが短く返す。
だがその視線には、先ほどとは違う色が宿っていた。
「寮までおくろう」
「……っ」
セラフィナの肩が、またぴくりと揺れる。
「お兄様、それは――」
思わず口を挟みかけて、言葉を飲み込む。
反対する理由が、見つからない。
けれど――面白くはない。
「……ありがとうございます」
シスルが静かに頭を下げた。
ためらいも、遠慮もない。
「では、お言葉に甘えて」
あまりにもあっさりと受け入れる。
「……!」
セラフィナが目を見開く。
もっと戸惑うとか、遠慮するとか――
そう思っていたのに!
リュシエラが、くすりと笑った。
「まぁ……よろしいですわね」
どこか楽しげに、視線を巡らせる。
ギルフェルドとシスル。
そして、わずかに不機嫌そうなセラフィナへ。
「では、わたくしはここで失礼いたしますわ」
「ちょっと……!」
セラフィナが思わず声を上げる。
「いや、リュシエラ嬢も共に送ろう。馬車に乗りたまえ」
「……まあ」
リュシエラは一瞬だけ目を瞬かせ、それから優雅に微笑んだ。
「ギルフェルド様のお心遣い、ありがたく頂戴いたしますわ」
すっと立ち上がり、裾を整える。
「あなたね……」
セラフィナが小さく呟く。
反対する明確な理由は、まだ見つからない。
だが、何かが引っかかる。
――二人きりにはならない。
それは、ほっとするはずなのに。
胸の奥に残るのは、別の感情だった。
「では、行こうか」
ギルフェルドが促す。
その声音に、逆らう余地はない。
「はい」
シスルは変わらぬ調子で頷いた。
自然な所作で静かに立ち上がる。
店を出ると、外気がわずかに冷えていた。
傾きかけた陽が、街をやわらかく染めている。
店先に止められた馬車へと、視線を向けると、御者がすでに待機していた。
ギルフェルドは扉を開け、一歩下がる。
「さぁ」
「……っ」
セラフィナが一瞬だけ逡巡する。
誰が先に乗るべきだろうか――ほんの些細なことのはずなのに、妙に意識してしまう。
やがて、意を決したように足を踏み出した。
迷いなく乗り込み、奥の席へと腰を下ろす。
その隣へ、するりとリュシエラが続いた。
「ご一緒してもよろしいですか?」
「……どうぞ」
セラフィナは小さく頷く。
断る理由などない。
けれど、どこか落ち着かない。
――その間に。
シスルも迷うことなく、セラフィナの向かいの席へと腰を下ろした。わずかな間を置いて、ギルフェルドがその隣に乗り込む。
扉が静かに閉じられた。
ほどなくして、馬車がゆっくりと動き出す。
規則的な揺れが、車内を満たした。
「……」
向かい合う形。
セラフィナの視線が、否応なくシスルへと向く。
だが――
シスルは窓の外へと目を向けていた。
まるで、先ほどまでの出来事などなかったかのように、
流れていく街並みを、静かに眺めている。
「……っ」
唇を引き結ぶ。
見てほしいわけではない。
けれど、視界に入らないのも面白くない。
わずかな苛立ちが、胸の奥に残る。
「今日は、どうだった?
妹が何か迷惑をかけていないと良いのだが」
ギルフェルドの低い声が、静かに差し込まれた。
それは妹への問いではなく、隣のシスルに向けられたものだった。
「とても有意義な時間でした」
シスルは窓から視線を戻し、ギルフェルドの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。そこに嘘の色はなかった。
「そうか」
ギルフェルドはそれだけ返すと沈黙した。
セラフィナも静かなので、その後、寮までの道中はリュシエラのたわいない話にシスルが相槌を打っていた。
女子寮に着くと、リュシエラは目を輝かせながら、また明日話しましょう、と耳打ちして、先に自分の部屋へ戻っていった。
セラフィナはというと、おやすみなさい兄様、とそれだけ言ってその場を後にした。
「送っていただきありがとうございました」
シスルは、この場に残された自分の役割かと思い、ギルフェルドに改めて礼を述べた。
「付き人もなく街へ降りるのは感心しないな」
咎めるギルフェルドの声色は穏やかだ。
「セラフィナ様をお誘いしたのは軽率でした。申し訳ありません」
「いや、お前ひとりでも同じ事だぞ」
危なっかしいな、とギルフェルドは呆れた様子だ。
「私にも友人にも、専属の侍女がおりませんので」
「それでもだ」
「そうですか」
「仮にも貴族の子女なのだぞ。自覚はないのか」
「自覚とその価値は別物なのではありませんか」
「私は、お前のその、卑下する癖は好きではない」
きっぱりと言い切られて、シスルはわずかに視線を落とした。
「……卑下、でしょうか」
「そうだ。自分を軽く扱いすぎている」
間を置かず返される。逃がす気がない声音だった。
「事実を申し上げているだけです」
「事実、か」
ギルフェルドは小さく息を吐いた。
「では聞くが。お前が軽んじているその“価値”とやらを、他の誰が決めた」
シスルは答えない。
答えられない、の方が正しい。
「……少なくとも、俺ではない」
低く、静かな声だった。
「ギルフェルド様にとって、私は価値があるのですか」
間髪入れず、言葉が喉まで出かかった。
だが、声にはならなかった。ほんの一瞬の沈黙。
ギルフェルドはわずかに視線を逸らし、息を吐く。
「……そういう問いは、軽々しく口にするものではない」
低く、抑えた声音だった。
「……いや」
小さく首を振る。
「今のは少し違うな」
言い直すように、改めてシスルを見る。
「価値があるかどうかを、他人に委ねるなと言っている」
整えられた言葉。
だが、その分だけ温度が落ちている。
先ほどまでの“個人としての視線”は、もうそこにはない。
「……日も暮れている。部屋に戻りなさい」
それ以上は踏み込まないと決めたように、ギルフェルドは視線を外した。
シスルは一礼し、その場を後にする。
呼び止められることは、なかった。
——当然だ。
そう思うのに、なぜかほんのわずかに、足取りが鈍る。
結局、振り返ることはしなかった。
ギルフェルドのおかげか、部屋に戻ったのは門限ぎりぎりだったが、特に咎められることはなかった。
「お兄様はあれで本当に良いのかしら!?」
部屋に戻ったセラフィナは荒れた。一人部屋なので、何かあったのか、と聞いてくる相手はいない。
ただ、部屋付きのメイドが困った様子で給仕をしている。
「ぜんぜん見向きもしてないじゃない!私のお兄様なのに!」
セラフィナはベッドにクッションを投げつける。
「お兄様より優れた殿方なんていないのに!どうして分からないのかしらっ」
あまりにも荒れていたため、論点が最初からズレている事に、セラフィナが気がつくことはなかった。
やっぱりセラフィナが可愛いです。




