表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

小さな嵐

「お前の社交界デビューが決まった」

父親の命令で女装令嬢として社交界デビューをはたし、魔法学園に通いはじめたシスル。

偽りの自分を演じながら、彼は何を思うのかーー

 この日の午後の静寂を破ったのは、銀の髪を高く結い上げた少女の一声だった。


「お兄様と踊ろうだなんて――身の程を知らない女は、どこのどなたですの」


 鋭く高い声が、空気を裂く。


「どこのご令嬢かしら?」

「あれは確か……」


 ひそやかなざわめきが広がる中、少女は一歩、踏み出した。


 制服姿――初等部の学生らしい。

 だが、その立ち姿には年齢にそぐわぬ気迫があった。


「シスル・シルヴェスター。出ていらっしゃい」


 ぴたり、と扇子が閉じられる。


「お兄様の隣に立つということが、どういう意味か――ご存じないのなら、私が教えて差し上げますわ」


「……なんの騒ぎでしょう?」


 教室の隅で、シスルはようやく顔を上げた。

 リュシエラはくすりと笑い、そっと視線を向ける。


「シスル、呼ばれてるわよ」

「……そのようですね」


 他人事のように答えながらも、シスルはゆっくりと立ち上がった。

 視線の先では、銀髪の少女がまっすぐこちらを見据えている。


 ざわめきの中を、ためらいもなく進む。

 一歩、また一歩。

 やがて真正面で足を止めた。


「……お呼びでしょうか」

「貴女がシスルね」

「シルヴェスター家が次女、シスルでございます。

 失礼ながら――どなた様でいらっしゃいますか」


 少女は顎を上げ、誇らしげに名乗った。


「私はセラフィナ・フォン・ローゼンヴァルド。

 ギルフェルドお兄様の妹ですわ!」


 周囲が、わずかにどよめく。

 その名の重みは、この場にいる誰もが知っていた。

 だがシスルは、ほんのわずかに目を伏せただけだった。


「そうでいらっしゃいましたか」

「……っ。私は、貴女を見定めに参りましたの」

「恐れ入ります」


 間を置かず、シスルは答える。


「ですが――その必要はございません」


 空気が、凍りついた。


「なに、ですって?」


 セラフィナの声が、鋭く跳ねる。

 シスルは顔色一つ変えず、続けた。


「私はただ、お声がけいただいたからお受けしたまで。

 それ以上の意図はございませんので」


 淡々とした声音。

 熱はなく、ただ事実だけを述べている。


「……っ」


 言葉を失うセラフィナを前に、シスルは静かに一礼する。


「ご懸念には及びません。

 どうぞ、ご安心くださいませ」

「ちょっと待ちなさい!」

 踵を返したシスルを、セラフィナが咄嗟に呼び止めた。

 

 シスルは足を止めた。

 一拍。静かな間が落ちる。

 やがて、ゆるやかに振り返った。


「……まだ、何か?」


 変わらぬ声音。

 促すようでいて、そこに焦りはない。

 


「お兄様に選ばれたのよ!?それなのに――どうして、そんな顔をしていられるの!」


 声が、わずかに揺れる。


「もう少し浮かれるとか、喜ぶとか……あるでしょう!?」


 取り繕うように続けた言葉は、しかし整いきらない。

 信じられないものを見るように、セラフィナはシスルを見つめている。


 その視線を、シスルは静かに受け止めた。


「……そういうもの、なのですね」


 わずかに目を伏せる。


「光栄なことだとは、存じております」


 だが、その声音に熱はない。


「けれど――それだけのこと、ですので」


 あまりにも淡々とした言葉だった。

 喜びも、誇りも、そこにはない。

 ただ事実だけを述べるような、静かな声音。


「……っ」


 セラフィナの息が詰まる。


 ――理解できない。

 選ばれるということが、どれほどの意味を持つか。

 その重みを、知らないはずがないのに。


 それでもなお、目の前の少女は揺らがない。


「まぁまぁ、お二人とも」


 軽やかな声が、張り詰めた空気に割って入る。

 いつの間にか、リュシエラが二人の間に歩み出ていた。


「せっかくですもの。ここで立ち話もなんですし――」


 にこやかに微笑み、続ける。


「街に出て、お茶でもいかが?」


 場の温度を測るような、柔らかな声音。

 だがその実、逃げ道を提示しているのは明らかだった。


「……っ」


 セラフィナがわずかに息を呑む。

 このままでは、引くにも引けない。

 けれど、ここで収める理由としては――悪くない。


 リュシエラは、さりげなく視線を巡らせる。


「ちょうど、良いお店を知っておりますの」


 その言葉は、誰にともなく向けられているようでいて、確かに二人へと差し出されていた。

 

「……仕方ありませんわね」

「承知しました」


 石畳の通りに面した、小さなカフェ。

 昼下がりの陽光が、白いレース越しにやわらかく差し込んでいる。


 運ばれてきた紅茶の香りが、ほのかに広がった。

 テーブルを挟んで向かい合う三人。

 先ほどまでの騒ぎが嘘のように、空気は静かだった。


「落ち着きますわね」


 リュシエラが、こともなげに微笑む。


「こうしてゆっくりお話しする機会も、なかなかございませんもの」


「……」


 セラフィナはカップに手を伸ばしかけて、わずかに動きを止めた。


 ――納得したわけではない。


 ただ、ここで騒ぎを続けるのは“らしくない”と分かっているだけだ。


 視線だけが、向かいに座るシスルへと向けられる。

 当の本人はというと、変わらぬ様子でカップを手に取っていた。

 まるで先ほどのやり取りなど、最初から存在しなかったかのように。


「……ずいぶんと、落ち着いていらっしゃるのね」


 ぽつりと、セラフィナが言う。


「そのように見えますか」


 静かな返答。

 カップを置く仕草に、無駄はない。


「ええ。少なくとも――」


 一瞬、言葉を選ぶように間を置く。


「お兄様に選ばれた方には、見えませんわ」


 棘を含んだ言葉。

 だが教室でのそれとは違い、抑え込まれている。


「そうかもしれません」


 あっさりと、シスルは肯定した。


「……は?」


 思わず、セラフィナの声が漏れる。

 予想していた反応とは、あまりにも違う。

 否定も、弁明も、誇りも――何もない。

 ただ受け入れただけの、淡白な肯定。


「……どういう意味ですの」


 問い返す声音には、わずかに苛立ちが滲む。


「そのままの意味でございます」


 シスルは穏やかに答えた。


「私がどのように見えるかは、セラフィナ様のご判断にお任せいたします」


 逃げているわけではない。

 だが、踏み込ませる気もない。


「……っ」


 セラフィナは言葉を失う。


 “否定させる”つもりだった。

 あるいは、言い返してくると。

 だが目の前の少女は、どちらも選ばない。


 ――掴めない。


 紅茶の表面に映る自分の顔が、わずかに揺れた。


「……では」


 声を整え、改めて口を開く。


「どうして、お兄様は貴女をお選びになったの」


 先ほどよりも低い声。

 それは責める響きではなく、確かめるような問いだった。

 

 シスルは、ほんの一瞬だけ視線を落とす。

 そして――


「さぁ……私にも分かりかねます」


 静かな返答。


 取り繕う様子も、はぐらかす色もない。

 ただ事実を述べただけのような、淡々とした声音だった。


「……」


 セラフィナは言葉を失う。


 そんなはずはない、と。


 選ばれた理由が分からないなど、あり得るはずがない。

 それを誇らないなど、なおさら理解できない。


 けれど――


 目の前の少女は、嘘を言っているようには見えなかった。


「……本気で、仰っているの?」


 思わず零れた声は、先ほどまでよりもずっと小さい。


「ええ」


 短い肯定。


 それだけで、十分だった。


「……っ」


 カップを持つ手に、わずかに力がこもる。


 紅茶の水面が、かすかに揺れた。

 

 ――分からない。

 この少女が、分からない。


「お菓子、お気に召しませんか」


 シスルは、セラフィナの前に置かれた手付かずのケーキへと視線を落として言った。


「……そんなことありませんわ!」


 セラフィナは、やや強引にフォークを取り上げると、大きめにひとくちを頬張ってみせた。


 少し、はしたない。


 ――けれど、そんなことを気にしている余裕はなかった。


 甘さが、じわりと口の中に広がる。


 苛立ちとも、戸惑いともつかない感情が、わずかに和らいだ気がした。


「……美味しいですわ」


 ぽつりと零れた言葉は、先ほどまでよりもずっと素直だった。


 その様子を、シスルは何も言わずに見ている。


「気に入っていただけたみたいで何よりですわ!」


 リュシエラが嬉しそうに笑う。

 シスルも、ほんのわずかに口元を緩めた。


「こちらも半分、いかがですか」


 シスルが、自分の前のまだ手をつけていないケーキへと視線を落とす。


「なっ!? はしたない!」


 思わず声が上ずる。


「同じ皿を分け合うなど――」


 言いかけて、セラフィナは言葉を詰まらせた。


「半分こ、と言って、庶民のお嬢さん達の間で流行っているんですよ」


「え?」


 リュシエラも固まって聞き返してきたが、シスルは気にした様子もない。


「……はんぶんこ?」


 セラフィナが、聞き慣れない言葉をなぞるように繰り返す。


「はい。お互いのものを少しずつ分け合って――」


 そこまで言って、シスルはわずかに首をかしげた。


「……仲を深めるのだとか」


「なっ――!」


 セラフィナの頬が、かっと熱を帯びる。


「な、なにを仰っているの!?」


 思わず椅子を引きそうになって、かろうじて踏みとどまる。


「そ、そのような軽々しい真似……!」


 言葉は強い。けれど、先ほどまでのような鋭さはない。


 ちらりと、視線がケーキへと落ちる。


 ――ほんの少しだけ。


「……それに」


 小さく付け足す。


「仲を深める必要など、ありませんわ」


 どこか、言い聞かせるように。


「そうですか」


 シスルはあっさりと引いた。

 押すでもなく、勧めるでもなく、ただ受け止めるだけ。


「……っ」


 その態度に、なぜか落ち着かない。

 拒んだはずなのに、何かを取りこぼしたような感覚が残る。


 視線が、無意識にケーキへと落ちる。


 ――ほんの少しだけなら。


「……別に」


 ぽつりと、呟く。


「貴女のためではありませんけれど」


 顔を逸らしたまま、そっとフォークを伸ばした。

 シスルの皿へ。

 ほんの一口分だけを切り分ける。


「……味見、というだけですわ」


 言い訳のように付け足す。

 けれど、その声は先ほどよりもずっと小さい。


「はい」


 シスルは何も問わず、ただ頷いた。

 切り分けたケーキを口に運ぶ。

 先ほどとは違う甘さが、ゆっくりと口の中で広がった。


「……」


 何も言わない。


 けれど――

 フォークが、もう一度だけ動いた。

 

「まぁ、仲のよろしいこと」


 リュシエラがくすりと笑う。


「おっ、お兄様には内緒ですからね!」


 慌てて言い募るセラフィナの頬は、ほんのりと赤い。


「承知しました」


 シスルはあっさりと頷いた。

 その様子に、セラフィナは一瞬だけ言葉を失う。


 ――否定も、からかいも、何もない。

 ただ、そのまま受け止められる。


「……変な人」


 ぽつりと零れた言葉は、先ほどまでとは違う響きを帯びていた。


 嫌悪ではなく、どこか戸惑いに近いそれ。

 カップに口をつける。

 やわらかな紅茶の香りが、静かに広がる。


 向かいに座る少女は、やはり変わらない表情のままだった。


 けれど――

 先ほどまでのように、遠くは感じなかった。

ちょっと長くなりました。

セラフィナ、可愛いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ