初めての街歩き 2
「お前の社交界デビューが決まった」
父親の命令で女装令嬢として社交界デビューをはたし、魔法学園に通いはじめたシスル。
偽りの自分を演じながら、彼は何を思うのかーー
再び人通りの多い通りへ戻ると、先ほどまでの出来事が嘘のように、街は賑やかだった。
焼き菓子の甘い香りが、ふわりと風に乗って流れてくる。
「……ねえ」
リュシエラが、ちらりと横目でシスルを見る。
「さっきの、ご褒美」
「ご褒美、ですか」
「そう。ちゃんと働いたでしょ?」
にやりと笑う。
「甘いもの、食べに行きましょ」
シスルは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく息をつく。
「……分かりました」
「よし、決まり!」
ぱっと手を離し、今度は前を歩き出す。
人混みの中を迷いなく進んでいく背中を、シスルは静かに追った。通りの角を曲がった先、小さな菓子店の前でリュシエラが足を止める。
「ここ、おすすめなのよ」
扉の向こうから、甘くやさしい香りが溢れてくる。
焼きたてのタルト、色とりどりの砂糖菓子、並べられた華やかなケーキ――
その光景を見て、シスルはわずかに目を細めた。
「……綺麗ですね」
「でしょ?」
リュシエラは満足そうに笑う。
「こういうの、好き?」
「……嫌いではありません」
「なによ、それ」
くすっと笑って、扉に手をかける。
「じゃあ、今日は好きになる日よ」
扉を開けると、小さな鈴がちりんと鳴った。
店内は賑わっているものの、外の喧騒が嘘のように静かで、甘い香りがやわらかく満ちている。
「ほら、好きなの選びなさいよ」
ショーケースを覗き込みながら、リュシエラが言う。
並んでいるのは、色艶やかな果実のタルトに、繊細に飾り付けられたケーキの数々。
どれもあまりに整いすぎていて、まるで芸術品のようだ。
「……迷いますね」
「珍しいじゃない。即決タイプかと思ってた」
「そういうわけでは」
視線を巡らせながら、シスルは小さく首を振る。
やがて、ひとつのケーキの前で足を止めた。
「……これを」
「へえ、意外」
リュシエラが覗き込む。
「結構ちゃんと甘そうなの選ぶのね」
「……嫌いではありませんから」
「さっきもそれ言ってたわね」
くすくすと笑いながら、自分の分も選ぶ。
「じゃあ、私はこっちにしよっと」
会計を済ませ、二人は窓際の席へと腰を下ろした。
差し込む光の中、運ばれてきたケーキが小さくきらめく。
「……綺麗」
思わず漏れた言葉に、リュシエラが目を細める。
「こういう時間も悪くないでしょ」
「……ええ」
フォークを手に取り、静かに口に運ぶ。
果物の酸味とカスタードクリームの程よい甘さが舌の上でほどけていった。
「……美味しいですね」
「でしょでしょ」
満足そうに頷いてから、ふとリュシエラはにやりと笑った。
「ところでさ」
「……なんでしょう」
「ダンスの相手は決まったの?」
「……」
ぴたりとフォークを伸ばす手が止まる。
「ほら、どうなったのよ?」
リュシエラの逃がさない、という顔。
シスルは視線を逸らし、わずかに間を置いた。
「……ギルフェルド様にお誘いをいただきました」
「ええっ! ギルフェルド様からダンスに誘われたの!?」
「……声が大きいです」
「あっ、ごめん……」
慌てて口元を押さえながらも、リュシエラの瞳はきらきらと輝いたままだ。
そのまま、ぐいっと身を乗り出す。
「それで!? なんて言われたの? ちゃんと詳しく聞かせなさい!」
「……“私と踊るか”と」
「きゃーっ!!」
再び上がりかけた声を、自分で慌てて押し殺す。
「もう、それほぼ告白じゃない!」
「違います」
「違わないって! あの方が自分から誘う時点で特別なのよ?」
畳みかけるように言いながら、リュシエラはじっとシスルの顔を覗き込む。
「で? シスルはなんて答えたの?」
「……お受けしました」
「当然よね!」
ぱん、と手を叩く。
「はあ~……いいなあ。ギルフェルド様とダンスなんて、夢みたいじゃない」
「……そういうものですか」
「そういうものなの!」
きっぱり言い切ってから、少しだけ声を落として、にやりと笑った。
「ねえ、どう思った?」
逃がさない、とでも言うような視線。
シスルは一瞬だけ言葉に詰まり、わずかに目を伏せる。
「……別に、何も」
「うわ、嘘くさい」
「嘘ではありません」
「はいはい」
くすくすと笑いながら、リュシエラは頬杖をついた。
「でもさ――当日、絶対ちゃんと見てるからね」
「何をですか」
「決まってるでしょ?」
リュシエラが、悪戯っぽく片目を細める。
「シスルが、どんな顔して踊るのか、よ」
お茶を終えた二人は、再び街へと繰り出した。
リュシエラは、雑貨を扱う店をいくつか案内する。
小さな装飾品や香り袋、色とりどりのリボンが並ぶ店先を、楽しげに見て回った。
やがて、聖夜祭のための品を探しに、服飾店へと足を運ぶ。
「ドレスに合う手袋が欲しいのよね」
店内には、繊細なレースやリボンで飾られた手袋がずらりと並んでいた。
色も形も様々で、ひとつに絞るにはなかなか決め手がない。
「うーん……これもいいけど、こっちも……」
悩むリュシエラの隣で、シスルは静かにドレスのカタログを眺めていた。
「ドレスはもう決まった?」
「……父が、適当に贈ってくださるでしょう」
「えっ、自分で選んでないの?」
リュシエラが手を止めて思わず振り向く。
「ギルフェルド様と踊るのに? もったいないわ!」
「……そうでしょうか」
「そうよ!」
即答だった。
リュシエラはカタログをひょいと取り上げ、そのままシスルの前に広げる。
「こういうの、自分で選ぶのが楽しいのに。似合う色とか、雰囲気とか――ちゃんと考えて、ね」
「……」
シスルは視線を落とし、ページをめくる。
並ぶ煌びやかなドレスの数々。華やかな色彩と装飾。
「……必要、でしょうか」
「必要に決まってるでしょ」
ふっと笑って、軽く肩をすくめる。
「せっかくなら、ギルフェルド様を驚かせたいでしょ」
「驚かせる、ですか」
「そうよ。“あれ、こんな子だった?”って思わせるくらいしなきゃ」
にやりと笑う。
「絶対、その方が楽しいわ」
「……楽しい、ですか」
「そうよ。ギルフェルド様の瞳は青色だから、ブルーをメインにするか、差し色にするのがいいわね。形は……そうねぇ……」
ぶつぶつと呟きながら、リュシエラはカタログをめくり始める。
「このラインも綺麗だけど、シスルならもう少し――そう、こっちの方が似合いそう」
「……リュシエラ」
「なに?」
「なぜ、選ぶ前提で話が進んでいるのですか」
「だって選ぶんでしょ?」
きょとん、と首を傾げる。
「……まだ決めていません」
「じゃあ今決めるの」
即答だった。
ぐい、とカタログを押し出される。
「ほら。どれがいい?」
「……」
並ぶドレスに視線を落とす。
鮮やかな色彩に、繊細な装飾。
どれも、自分には縁遠いもののように思えた。
けれど――
「……青、ですか」
ぽつりと呟く。
「あら、いいところに目つけたじゃない」
リュシエラがにやりと笑う。
「素敵よ。絶対似合うわ」
思いがけず始まったシスルのドレス選びは、日が傾き始める頃まで続いた。
リュシエラに勧められるがまま、次々と袖を通す。
軽やかなもの、華やかなもの、可憐なもの――
そのたびに、鏡の中に映る彼女は、どこか他人のように見えた。
けれど。
最後の一着を着付け終え、ゆっくりと顔を上げたとき。
隣で鏡を覗き込んでいたリュシエラが、ぱっと表情を明るくした。
「うん、やっぱりこれが一番素敵だわ」
弾んだ声。
その視線の先で、シスルは静かに鏡の中の自分を見つめる。――そこに映る彼女は、かすかに微笑んでいた。




