初めての街歩き 1
「お前の社交界デビューが決まった」
父親の命令で女装令嬢として社交界デビューをはたし、魔法学園に通いはじめたシスル。
偽りの自分を演じながら、彼は何を思うのかーー
今日は週末。学園は休みで、多くの学生はそれぞれの実家が構えるタウンハウスへと帰っていく。
シスルは当然のように寮に残った。帰る場所がないわけではない。ただ――帰る理由がない。
一方で、リュシエラも同じく寮に残る側の人間だ。
「というわけで、今日は付き合ってもらうわよ」
朝からやけに機嫌のいい声で、そう宣言された。
街へ買い物に行く約束をしていたのだ。
「……荷物持ちですか」
「違うわよ。友達との楽しいお出かけ」
即座に否定される。
その“楽しい”の中に、自分が含まれている。
――ただそれだけのことが、なぜか少しだけ、落ち着かない。
「この間の野外学習じゃ、満足に街を見られなかったでしょ」
胸を張るようにして、リュシエラが言う。
「今日は――私が街を案内してあげるわ!」
自信満々の宣言。
シスルはわずかに目を瞬かせ、それから静かに息をついた。
「……案内、ですか」
「なによ、その反応」
「いえ。少し意外だっただけです」
「失礼ね。こう見えて、詳しいのよ?」
ふん、と鼻を鳴らす。
その仕草に、シスルはほんのわずかに視線を緩めた。
「……では、期待しておきます」
「あら、言ったわね?」
リュシエラは楽しそうに笑う。
「後悔させないから――覚悟しなさい」
二人は早速街へ繰り出そうと、街歩きに適した質素な服へと着替えた。
シスルは灰色のワンピースに、青いフリル付きのエプロン。
リュシエラは黄色いブラウスに茶色のスカート、腰には鮮やかなスカーフを巻いている。
鏡越しにシスルの姿を見たリュシエラが、呆れたようにため息をついた。
「シスル……それ、どう見ても“お忍びのお嬢様”じゃない」
「そうでしょうか」
「そうなのよ。質素にしたつもりで上品さが隠しきれてないの」
ずい、と距離を詰めて、エプロンの裾をつまむ。
「ほら、この辺りとか。いかにも“いいところのお嬢様が庶民のふりしてます”って感じ」
「……そんなつもりはありませんが」
「あるのよ、無自覚で」
きっぱりと言い切ると、リュシエラは腕を組んで一歩下がった。
「まあいいわ。でも目立ちすぎないように気をつけなさいよ?」
「努力します」
素直に頷くシスルに、リュシエラはくすりと笑う。
「その素直さも含めて、いかにもって感じなんだけどね」
寮を出て、石畳の通りへ足を踏み入れる。
週末の街は賑わっていた。
露店の呼び込みの声や、行き交う人々のざわめきが重なり合う。
「ほら、やっぱり多いでしょ? この時間帯」
「……そうですね」
シスルは周囲を見回しながら、静かに頷く。
そのとき――
「……ねえ、見て。あの子」
「可愛い……どこの子かしら」
すれ違いざま、小さな声が耳に入った。
シスルはわずかに視線を伏せる。
「ほらね」
隣で、リュシエラが肩をすくめる。
「だから言ったじゃない。“お忍びのお嬢様”だって」
「……気のせいでは」
「気のせいじゃないって。完全に見られてたわよ」
くすくすと笑いながら、リュシエラはシスルの手首を軽く引いた。
「ほら、さっさと行きましょ。立ち止まってると余計目立つわ」
「……はい」
引かれるまま歩き出す。
そのまま人混みの中へ紛れていく――はずだった。
「……あ」
不意に、誰かと肩がぶつかった。
「あっ、ごめんなさい――」
反射的に謝ると、相手は軽く手を上げてそのまま人混みの中へ消えていく。
シスルは一瞬だけその背を目で追い――
「……?」
わずかに眉をひそめた。
「どうしたの?」
「いえ……今の方、少し様子が――」
言いかけて、はっとする。
手元に視線を落とすと、そこにあるはずのものがなかった。
「……ない」
「え?」
「財布が……ありません」
「はあ!? ちょっと、今の絶対スリじゃない!」
リュシエラは即座に踵を返す。
「追うわよ!」
「待ってください」
シスルはその腕を軽く掴んだ。
「人混みの中です。無闇に追っても――」
「でも!」
「……方向は分かっています」
静かに言い切る。
視線は、先ほどの人物が消えた路地の奥へと向けられていた。
「足音と、人の流れ。あの方だけ、不自然でした」
「……なにそれ、気づいてたの?」
「途中からです」
わずかに目を細める。
「取り返します」
短く告げると、シスルは迷いなく歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って! 一人で行く気!?」
「問題ありません」
「あるに決まってるでしょ!」
慌てて後を追いながら、リュシエラは声を上げた。
「そういうのは二人でやるの!」
「……」
シスルは一瞬だけ足を止める。
振り返り、ほんのわずかに目を細めた。
「……では、お願いします」
「最初からそう言いなさいよ!」
リュシエラはにやりと笑う。
「案内役は、こういう時も含めてでしょ?」
人通りの多い通りを抜け、二人は細い路地へと足を踏み入れた。
途端に、喧騒が遠のく。
「……こっちで合ってるの?」
「はい。足音が反響しにくい場所を選んでいます」
「なにそれ……」
半ば呆れながらも、リュシエラは周囲を警戒するように視線を巡らせた。
やがて――
「いた」
シスルが小さく呟く。
路地の先。壁にもたれかかるようにして、先ほどの人物が立っていた。
こちらに気づくと、舌打ちをひとつ。
「……気づくのが早いな」
「お返しいただけますか」
シスルは淡々と告げる。
「それは困るな」
男は肩をすくめると、くるりと背を向けた。
「じゃあな――」
「逃がすと思って?」
その瞬間、リュシエラが一歩踏み出す。
ひらりとスカーフが翻る。
男の進路を塞ぐように回り込み、そのまま短く呪文を紡いだ。
「――風よ、捕らえよ」
次の瞬間、足元から風が巻き上がる。
渦を描くそれは一気に勢いを増し、男の身体を絡め取った。
「なっ――!?」
浮き上がる。
抵抗する間もなく、男の身体は宙へと持ち上げられた。
見えない手に吊り上げられるように、もがくことすらままならない。
「……これで、逃げられないわね」
リュシエラは涼しい顔で言い放つ。
宙に浮かされたまま、男は必死にもがく。
「お、おろせ! くそっ……!」
「暴れないで。落ちるわよ?」
リュシエラはあくまで軽い調子で言い放つ。
その横を、シスルが静かに通り過ぎた。
「……失礼します」
抵抗もままならない男の懐へ、迷いなく手を差し入れる。指先が探るのは一瞬。
「ありました」
取り出したのは、見慣れた革の財布。
中身を確かめ、問題がないことを確認すると、シスルは小さく息をついた。
「お返しいただき、ありがとうございます」
「返してねえだろ!」
男が叫ぶ。
リュシエラはくすりと笑った。
「結果的には同じでしょ?」
軽く指を振る。
それだけで、風の束縛がふっと緩んだ。
男は地面に落とされるようにして着地し、よろめきながら距離を取る。
「ちっ……覚えてろよ!」
吐き捨てるように言い残し、そのまま路地の奥へと駆け去っていった。
静寂が戻る。
しばらくして、リュシエラが振り返った。
「……ねえ」
「なんでしょう」
「今の、やけに慣れてなかった?」
「そうでしょうか」
シスルは視線を逸らす。
「ただ、必要なことをしただけです」
「ふーん……」
じっと見つめる。
けれど、追及はしなかった。
代わりに、ぱん、と手を打つ。
「よし! 解決!」
ぱっと表情を明るくした。
「せっかくだし、このまま予定通り行きましょ」
「……ええ」
頷きながら、シスルは手元の財布をそっと仕舞う。
「ほら、行くわよ」
リュシエラに手を引かれる。
その温もりが、今は――少しだけ、心地よかった。
風の拘束に手を突っ込めば、普通は手が風に切りさかれてズタズタになります。シスルは、緻密な魔力操作でリュシエラの魔法に干渉していました。普通の人はやっちゃダメなやつです。




