学園祭 2
「お前の社交界デビューが決まった」
父親の命令で女装令嬢として社交界デビューをはたし、魔法学園に通うシスル。
偽りの自分を演じながら、彼は何を思うのかーー
「またお前はこんな所にいたのか」
シスルとエラルドが控室を後にするのを見届けたあと、王子の背後に姿を現したのはギルフェルドだった。
「やぁ、ギル。早いね」
「目当てのものは見られたのか」
「君は見逃しただろう」
「うるさい」
軽口を叩き合いながらも、ギルフェルドの視線は廊下の奥を探るように揺れている。
「またお前はそんなだらしのない!」
鋭い叱責が廊下に響いた。アナスタシアだ。
振り向いた先で、シスルが捕まっている。
「髪型がなっていないわ。うちのフットマンの格も下がるでしょう」
そう言いながら、アナスタシアはどこからともなく櫛を取り出し、手慣れた様子でシスルの髪を結い直していく。
「お姉様……あの」
シスルはされるがままだ。抵抗する気配はない。
ほどなくしてリュシエラがやって来た頃には、乱れていた髪は見事に整えられていた。
「あら、アナスタシア様?」
足を止めたリュシエラが、驚いたように目を瞬かせる。
「貴女は確か、この子の……」
アナスタシアは櫛を収めながら、ゆっくりと視線を向けた。
「友人の、リュシエラ・アッシュフォードです!」
背筋を伸ばし、きっぱりと名乗る。
「……ふん。友人の紹介も満足にできないなんて。仕方のない子ね」
軽く息をつきながら、アナスタシアはシスルの襟元を最後に整えた。乱れはもうどこにもない。
「これでいいわ」
「ありがとうございます、お姉様」
「ふん」
素っ気ない返事。
「こらこらアーニャ。心配して様子を見に来たんじゃないのかい」
軽やかな声が横から割って入る。
「殿下は黙っていてくださいまし」
アナスタシアは一瞥もくれずに言い放つ。
「余計な横槍はよせ」
低く制したのはギルフェルドだ。
エルドリックは両手を上げ、肩をすぼめた。
「おやおや、二人とも手厳しい」
「姉君?」
それまで隣で静観していたエラルドが、わずかに首を傾げる。
「姉のアナスタシアです。お姉様、彼は留学生の……」
一瞬だけ、エラルドの視線が鋭くなる。
「エラルド・エルヴェインです。以後お見知り置きを」
丁寧に一礼する。その所作は洗練されていた。
「貴方が留学生の。世間知らずの妹がご迷惑をおかけしていませんか」
穏やかな声だが、探るような響きがある。
「とんでもない」
エラルドは微笑んだ。
「とても優秀なレディですよ」
淀みのない声音だった。
一瞬、空気が静まる。
アナスタシアの目が、わずかに細められた。
「……そうですか」
それだけ告げると、彼女はゆっくりと視線を外す。
張りつめていた空気が、わずかに緩んだ。
「気は済んだみたいだね」
楽しげに言ったのはエルドリックだ。
「相変わらずなのか、お前も」
低く返したのはギルフェルド。
その声音には、わずかな呆れと、長い付き合いから来る諦観が滲んでいる。
「アナスタシアはお前を心配していたんだ」
ギルフェルドが、シスルに向き直って言う。
「まぁ……杞憂だったようだが」
視線を逸らしながら、低く付け足した。
「ありがとうございます」
言葉がするりと口をついて出たことに、シスル自身が一瞬驚く。
「私は大丈夫ですよ」
そう言って、わずかに笑みを浮かべた。
「……そうか」
短く頷くと、ギルフェルドは背を向ける。
「邪魔してすまなかった。ほら、行くぞ」
王子の腕を軽く引き、ギルフェルドはアナスタシアと共にその場を後にした。
「相変わらず嵐のような方々ね……」
リュシエラが小さくつぶやいた。
「えっと……ごめんなさい」
「シスルのせいじゃないわ!ほら!仕事するわよ!」
リュシエラに背を押され、シスルはエラルドと共に仮装カフェへと向かった。
店内は盛況で、忙しなく動くスタッフたちの間、シスルとエラルドはひときわ絵になっていた。その姿に、来店客の視線が集まる。
「執事さん、お名前は?」
「完璧なレディとお茶が出来るなんて、素敵だわ!」
客たちの言葉に、シスルは少し照れ、エラルドは静かに微笑んだ。
「リュシーはいる!?」
控室の扉が勢いよく開き、シャーリーズが飛び込んできた。
「どうしたのよ、そんなに慌てて」
ちょうど休憩に戻っていたらしいリュシエラが振り返る。勇者風の衣装のまま、剣の小道具を脇に抱えている。
「役者が足りなくなっちゃったの! 手伝ってくれない?」
「見ての通り、接客で手一杯よ」
リュシエラは自分の胸当てを軽く叩き、肩をすくめた。マントの留め具も外す暇がない。
「何の役が足りないの?」
シャーリーズは一瞬だけ言い淀み、それから声を落とした。
「……妖精王よ」
控室の空気が、わずかに張りつめる。
「うーん」
リュシエラは顎に指を当て、困ったように唸った。
そのやり取りを、少し離れた場所でシスルとエラルドが聞いていた。
エラルドは静かにシスルへ視線を向ける。
「彼女はⅡ組の?」
「はい。リュシエラのルームメイトで……」
「君の友達?」
ほんの一拍の間。
「……はい」
「そうか」
短く答えたあと、エラルドは一歩踏み出した。
控室の中央へと歩み寄り、リュシエラとシャーリーズに向き直る。その所作には、無駄がない。
「その役、僕がしようか」
ざわめきが止まった。
舞台は進んでいく。
やがて、妖精王と人間の王が盟約を交わす場面へと差し掛かった。
「君がそう望むなら、私は君に、私達の血肉を分け与えよう」
緑の森の妖精王は、金色の酒を湛えた盃を静かに掲げる。
「君と私との盟約を、君の子らが忘れ去る、その時まで」
「私は望む。森と人が寄り添う世界を。貴方が私のそばにいる未来を」
人間の王は盃を受け取り、ためらいなく飲み干した。
わずかな沈黙。
妖精王は、やわらかく微笑む。
「盟約を忘れるな。しかし語り継ぐことはできぬ」
その声が消えると同時に、幕が静かに降りた。
遅れて、拍手が波のように広がる。
「二人とも素敵だったわ!」
「最後のセリフはアドリブか?」
「何にせよ、良い演出だったわね!」
妖精王のローブの裾を引き、エラルドが静かに舞台袖へとはけてきた。まだ王の気配をまとったまま、恭しくドレス姿でカーテシーをとる。
「ご満足いただけたかな?」
その声音には、舞台上と同じ静かな微笑みが滲んでいる。
「貴方に代役を頼んで、やっぱり正解だったわ!」
シャーリーズは興奮気味に言い、隣にいたシスルの手を取った。
「シスルも衣装直しを手伝ってくれてありがとう!
おかげで素晴らしい幕引きになったわ」
「ぼ、僕はもう限界です……」
緊張とエラルドの気品にあてられたのか、コンラッドがその場にへたり込む。先ほどまで人間の王を堂々と演じていたとは思えないほど、すっかり役が抜け落ちていた。
エラルドはそんな彼に、ごく自然に手を差し出す。
「君の演技も中々のものだったよ」
差し出されたその手を、シスルはなぜか目で追ってしまう。コンラッドは一瞬ためらったあと、その手を取った。
「エラルド君にそう言ってもらえると恐縮です」
舞台は大盛況のうちに幕を閉じた。
シャーリーズは何度もエラルドに礼を述べる。
「本当に助かったわ。ありがとう」
「困ったときはお互い様だからね」
エラルドはそう言って、柔らかく微笑み返した。その微笑みは、舞台の上で見せたものとよく似ている。
シスルは、胸の奥に残る小さな引っかかりを持て余していた。
どうしてあのとき、
“君の友達?”と聞いたのか。
それをエラルドに尋ねることが、なぜかできなかった。




