日常という名の 2
魔法の授業、続きます。
「ほれ、そこの……コナー!わしに向かって石を投げよ」
「ええっ、僕ですか!?」
コナーと呼ばれた少年が、慌てて足元の石を拾う。
おそるおそる構え――やがて意を決したように、老人へ向かって思いきり投げつけた。
「――“守護せよ”」
短い詠唱。
ばちん、と乾いた音が響く。
石は老人に届く寸前で、何かに弾かれた。
よく見れば、老人の周囲に淡く砂が舞っている。
それは風に乗る塵ではなく、円を描くように規則正しく巡っていた。
「これは見ての通り、“守護の魔法”じゃ。
属性は個人の相性次第。じゃが、扱えれば強力な切り札となる。無論、魔力の消費は大きい。魔力の乏しい者には、そもそも発動すら叶わぬ代物じゃ」
老人は長髭を撫でつけながら、ゆっくりと続けた。
「まずは――一瞬でよい。発動させてみせよ。
それが今日の訓練じゃ」
「ガーライル先生」
隣で、リュシエラがすっと手を挙げた。
「なんじゃ、アッシュフォード」
呼ばれた老人――ガーライルが、ゆっくりとこちらを振り返る。
「どんな攻撃も防げるのですか?」
「良い質問じゃ」
ガーライルは低く唸るように続けた。
「死角からの攻撃も防ぐ。じゃが――魔力量、術者の力量、そして魔力のぶつかり合いでは相性次第で耐久は大きく変わる」
どうやら使い勝手は良いが、万能とは言い難いらしい。
「術者の力量が、如実に現れるのが“魔法”じゃな」
そこまで言うと、ガーライルは生徒たちをゆっくりと見渡した。
「二人一組になれ。片方が攻め、片方が守る」
短くそう告げる。
ざわり、と訓練場の空気が揺れた。
シスルは当然、リュシエラとペアを組むことにする。
石を投げるのはさすがに憚られたため、リュシエラは足元に落ちていた枝を拾い上げた。
「これでいいわよね?」
軽く振って強度を確かめると、剣に見立てて構える。
「いくわよ」
地面を蹴り、踏み込む。
枝の切っ先が、シスルの目前へと突き出された。
「――“守護せよ”」
短い詠唱が、訓練場に響く。
ぱちん、と乾いた音が弾けた。
枝は見えない壁に弾かれたように折れ、破片が地面に転がった。
「おおっ……!」
周囲から、小さなどよめきが上がる。
「見事じゃ」
ガーライルは満足げに長い白髭を撫でた。
折れた枝ではなく、まっすぐ立つシスルの姿を見据えている。
「今のは風属性じゃな。
一度で成功させるとは大したものじゃ」
細められた視線には、試す色よりも確かな評価が宿っていた。
シスルは、ただ静かに一礼する。
「さすが、編入試験最高点は違うわね……」
感嘆の声を上げたリュシエラは、はっとしたように自分の頬をぱちんと叩いた。
「次は私の番よ!」
燃え上がるようなライバル意識を隠しもしないその姿に、シスルはくすぐったいような、居心地の悪いような心地を覚えるのだった。
この日、リュシエラは三度目の詠唱で成功させた。
ぱん、と弾けた風が枝を逸らし、周囲から再びどよめきが起こる。
「ほう。三度目で形にするとは上出来じゃ」
ガーライルは感心したように頷いた。
速い上達ぶりだ、と周囲も口々に囁く。
だが――
「……納得いかないわ」
肩で息をしながら、リュシエラは唇を尖らせた。額には汗がにじみ、魔力の消耗は明らかだ。対して、少し離れた場所に立つシスルは、呼吸ひとつ乱れていない。
その姿を見つけるや否や、リュシエラはずかずかと歩み寄った。
「あなた、もしかして魔力量も相当なの?」
「さぁ……きちんと測定したことがありませんので」
曖昧に首を傾げる。
「貴族の子女としてそんなことあるの? ……って、
そうよね。冷遇されてたんだもんね。ごめん」
言ってから、しまったという顔になる。
シスルは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに首を振った。
「お気になさらず。事実ですから」
そう答える声は穏やかだったが、どこか一線を引いた響きを帯びていた。
授業を終え、教室へ戻る。
扉をくぐった瞬間、空気がわずかに揺れた。
不躾な視線と、ひそひそと交わされる囁き。
向けられる好奇と値踏みを、シスルは静かに受け止める。不快感がないわけではないが、顔には出さない。
その横を、リュシエラが先に歩いた。
わざとらしいほど堂々と、自分の席へ向かう。
椅子を引き、どさりと腰を下ろすと、隣の空席を顎で示した。
「何ぼさっとしてるの。早く座りなさいよ」
ぶっきらぼうな声音。
だが、その一言で周囲の視線はわずかに散った。
シスルは小さく瞬きをし、静かに隣へ腰を下ろす。
「……ありがとうございます」
「別に? 隣が空いてるだけよ」
そっぽを向いた横顔は、どこか不機嫌そうで。
けれど、先ほどまでより教室の空気はずっと軽かった。
「あの! ちょっとお話いいですか!」
弾んだ声に、シスルは目を瞬いた。
振り向くと、先ほどの授業で“コナー”と呼ばれていた少年が、まっすぐこちらを見つめている。
土埃のついた制服の袖が、いかにも実技帰りらしい。
「先ほどは大変素晴らしい魔法でした!」
勢いよく距離を詰める。
「何方か、師事されている魔法士がおられるのですか?」
教室の視線が、再びシスルに集まった。
シスルは一拍置いてから、静かに首を横に振る。
「いいえ。特に、そのような方は」
「独学、ということですか?」
驚きを隠さない声音。
「……たまたま、相性が良かっただけです」
シスルは曖昧に微笑む。その横で、リュシエラが椅子にもたれながら鼻を鳴らした。
「さっきから質問攻めね。面接でもする気?」
「い、いえ! その、純粋に興味が……!」
慌てるコナー。
真っ直ぐで、飾り気がない。
シスルはその様子を見つめ、ほんのわずかに目を細めた。
「……コナー様は、魔術がお好きなんですね」
「は、はい! 幼い頃から土属性の基礎ばかり叩き込まれてきましたが……あのように滑らかな防壁は初めて見ました!」
熱を帯びた語り口。
シスルは小さく瞬きをする。
「滑らか、ですか」
「ええ。無駄な干渉がほとんどなかった。
風が“そこに在る”ようでした」
真剣そのものの評価。
その横で、リュシエラが呆れたように肩をすくめる。
「ほら始まった。コナーの分析癖」
「い、いえ、これは重要で――」
言いかけて、はっとする。
「……あっ、僕はコンラッドです!」
一瞬の静寂。
リュシエラが吹き出した。
「いまさら?」
耳まで赤くして俯くコンラッドに、教室の空気がふっと緩む。シスルはその様子を見つめ、ほんのわずかに口元を和らげた。
どうやらリュシエラとコンラッドは、幼少期から面識があるらしい。
「昔からなのよ。
ずっと先生の後ろをちょろちょろしてて」
「ちょろちょろは余計です」
即座に返すあたり、慣れたやり取りだ。
コンラッドは幼い頃からガーライルに師事しているという。学園でも半ば弟子のような立場で、用事を言いつけられては校舎を走り回っているらしい。
「使いっ走りとも言うわね」
「違います。補佐です」
きっぱりと言い切る姿に、リュシエラが吹き出す。
シスルは二人のやり取りを眺めながら、小さく息を吐いた。
「お二人は仲がよろしいのですね」
穏やかな声音。
その言葉に、二人の動きがぴたりと止まった。
「はぁ!? どこがよ!」
リュシエラが即座に声を上げる。
「ただの腐れ縁です」
コンラッドも負けじときっぱり言い切る。
一瞬の沈黙。
そしてほぼ同時に、互いを睨みつける。
「……ほら、息ぴったり」
シスルが小さく呟くと、今度は二人揃ってこちらを向いた。
「違うわよ!」
「違います!」
声が重なる。
教室のあちこちで笑いが起こった。
シスルはわずかに目を細める。
――騒がしくて、温かい。
それは、これまで自分の周囲にはなかった種類の空気だった。




