5 仕手株
「え、どうして?」
少年は首をひねる。優斗はまだ少年が買った株が上がり続けていることを確認してから、少年に掲示板を開くように言った。
「えと、掲示板。これは、……ハーブハウ商会?」
それが、少年が今回買った株の会社名だ。さっきは会社名すら呼んでいなかったが、今度はその余裕が出てきたようだ。
掲示板を見たところ、どうやらハーブを扱う会社らしい。
「わ、これさっき下がった株を買ったときと同じだ」
「ああ」
優斗は頷く。
掲示板をのぞくと、ハーブハウ商会の株は今、お花畑になっている。お花畑、それは株の掲示板でよく使われる言葉だ。謎の爆上がりをするときによく使われる。爆上げしている状態で、更に上がると掲示板でほとんどの人が投稿しているのだ。
「なんで上がってるの? みんななんて言ってる? ハーブハウ商会のハーブを摂ると魔力が上がる? え? そんなことある? 何かを食べて魔力が上がるなんて聞いたことないけど、それがすごいから上がってるってこと?」
「魔力、か」
優斗は呟く。
魔力なんて言葉が普通に出てくること自体、優斗には驚くべきことだ。だが、目の前の少年は普通に使っているし、掲示板の中でも当たり前のように魔力という言葉が使われている。
魔力が上がるなんて革命だとか、これはすごいとか言われている。そして、少年はそんなことは聞いたことがないと言っている。実は掲示板の中でも少年と同じことを言っている人はいる。
だから、優斗自身、この世界に魔力というものはあるのだと認識はしたが、この掲示板に書かれていることはデマなのではないかと思っている。
だが、現に株価は上がり続けている。
「今日は大事なイベントでもある日なのか?」
「ん? ええと、さっきのオッサンが今日は決算の時期とか言ってたような……」
「なるほど。それでか」
少年は本当に株について何も理解していないようだった。が、優斗は頷いた。
それで、取引所の中が賑わっているのも納得できる。決算の時期は株価が動きやすい。期待や落胆、思惑。様々なものが交錯する。
その中には素人を翻弄する株もある。もちろん、素人でなく慣れている投資家ですらも翻弄してくる株もある。
この世界でもデマを流して株価を上げたり下げたりするやり方もあるようだ。さっき掲示板を見て優斗は即座に理解した。前にいた世界と全く同じだったからだ。
それで、この世界にも必ずいると確信した。
それは、機関投資家の存在だ。掲示板では略して機関と呼ばれていることが多い。まるでヒーローものの悪の機関のように聞こえる。そのイメージは正しい。機関は株価を操ることで、個人投資家からは基本的に嫌われている。
優斗もあっちの世界で何度もしてやられたことがある。だから機関は嫌いだ。そして、その動きに連動して動くのもあまり好きではない。機関に乗せられているのは嫌だからだ。
が、今はその機関のやり口に優斗は乗っている。そして、これは賭けでもある。
もちろん、目の前の少年を助けたい一心からだ。まだ優斗よりも若くて、本気で困っている様子だったこの少年に、現実世界での優斗のような絶望を味わわせたくない。
「わ、わ! 下がってきた。どうしよう!? あれ? また上がった」
チャートを見ながら少年は一喜一憂している。
「株は多少の上げ下げをしながら上がっていくもんなんだよ。こういうときは、な」
「へえ」
優斗の言葉に少年は納得したように頷く。どうやら、この少年はものすごく素直な性格のようだ。純朴と言ってもいい。更に言えば、ものすごく騙されやすそうだ。
「わ! ねえ! もうすぐ損が取り返せそうだよ! すごい! 嘘みたい!」
株価はぐんぐん上がっていて、少年は嬉しそうだった。
「掲示板もいいか?」
「うん」
チャートと板、そして掲示板を見ながら優斗はタイミングをうかがっていた。
「これって、このまま上がるのかな?」
少年が目を思いっきり目を輝かせながら板を見ている。
「あ、ちょっと下がった。また上がった!」
優斗が言ったとおり、ハーブハウ社の株は上げ下げを繰り返しながらものすごい勢いで株価を上げていく。
(なぜなら、この株は……)
この急騰の理由に、優斗は当たりをつけていた。
優斗と少年は株の値動きを注視し続ける。
「あれ? なんか、今ガクンと下がったけど、また上がるかな?」
突然、株価が急落して少年は首を傾げる。だが、さっきの株価の戻りを目の当たりにしたからか、あまり慌てているようには見えない。むしろ、この株はこれからもずっと上がっていくものだと、無条件に安心しきっているように見える。
だが、
「あ、あれ? 止まらない? 下がってく!?」
少年が叫んだ。
どんどん下げていく株価を見て前の株でやられたことを思い出したのか、少年が急に慌て出す。
優斗はまだ板を注視していた。
(天井をつけたか? ここでもう一度上がれば……)
天井というのは一番の高値のことだ。チャートで見ると一番トップの尖ったような部分に見える。
「ねえ! もう一回上がった! これはまた上がるね!?」
株価がもう一度跳ねたのを見て少年の顔がパッと輝く。
確かに、株価は再び上がっていく。もう一度下がる。
「あ、下がった。でも大丈夫だよね? さっきみたいにぐんぐん上がるよね」
少年は完全に油断している。
「今だ」
優斗は言った。
「今、売るんだ」
「え、でも」
「いいから!」
「でも、きっとまた……」
「間に合わなくなるぞ! 全部売れ! 売り抜けろ!」
「う、うん!」
さっき売ったときのように、優斗の圧に押されて少年は株を全部売った。
「でも、また上がりそうだったよ? 今売ったらもったいなくない?」
まだ納得できていないように、少年は不満そうに優斗を見上げてくる。
「いや、見てろ」
「あ……」
さっきまでの勢いが嘘のように、株価は急激に下がっていく。もう上がる様子もない。
「どう、して?」
「わかりやすいダブルトップだ」
「ダブル、トップ?」
「ああ、チャートを見てくれ。ここ、頂点が2つあるだろ?」
「うん」
優斗はチャートの折れ線グラフの2つの頂点を指さす。
「これは下落のサインなんだ。だから、即座に売るべきだと予想した」
「へえ」
少年は感心したようにチャートを見ている。
株価はまだまだ下がっていく。
「そんなんで株の動きってわかるんだ……」
少年は、ほうと息を吐く。
「けど、それだけじゃない。これは、明らかな仕手株なんだ」
「仕手、株?」
「そう。掲示板が明らかに買い煽りがいた。この株は上がるとみんなが信じていた。けど、さっき自分でも言ってただろ? ハーブで魔力が増すわけがないのにって」
「うん」
「だから、俺はあの情報はデマだと思ったんだよ。つまり、誰かこの株の値段をつり上げたいやつがいたってことだ。俺の予想では、個人じゃなくて組織だ。でないとこんな大きな額を動かせないからな。そいつらは株を安いところで大量に買って、個人の投資家たちに上がる株だと思わせて買い煽る。そこで値段をつり上げるだけつり上げて、一番高いところで自分たちは売り抜けるんだ。大量の資金が抜けた株価はその後下落する。後は、その会社の適正株価に戻るだけだ。それが仕手株ってものなんだよ」
「そんなことが、あるんだ……」
わかりやすく言ったつもりだが、騙すようなやり方に納得がいっていないのか、それとも理解が追いついていないのか、少年は頭を抱えている。
「それが株の世界なんだよ」
少年に言いながら、優斗は自分自身に言っているようで複雑な気分になった。
今回はうまくいったからいいが、このやり方は売り時を間違うと大変なことになる。とにかく上手くいって、優斗はほっと一息ついた。




