3 異世界取引所
優斗は、少し躊躇したものの思い切って取引所の中に足を踏み入れた。そこは外から見るよりも更にざわめきに満ちていた。
入り口近くの少年はまだ青ざめた顔でスマホのようなものを見ていた。気付かれないようにそっとのぞき込むと、そこにはやはり株の板のようなものが表示されている。板とはリアルタイムで株の売りと買いの数量などの情報が表示されている画面だ。優斗には見慣れたものだ。
思い切って入ってみた優斗は改めて思った。本当にここは株の取引所にしか見えない。スマホのようなものをのぞき込んでいる人、壁に表示された株価を見ている人、窓口で株を売り買いしている人。儲かったのか満面の笑みを浮かべている人もいるし、あの少年のように青ざめている人もいる。
優斗は取引所の中を一通り眺めてから、もう一度あの少年を見た。
(声を掛けるべきだろうか?)
さっきの少女には声を掛けることが出来なかった。だが、それは特に理由がなかったからだ。この少年はどうしても放っておけない気がした。
「あの」
「え?」
優斗が恐る恐る声を掛けると、少年が不安そうな顔をしたまま顔を上げた。その目は今にも泣き出しそうに見える。
「大丈夫?」
優斗が言うと、少年はじわりと目に涙を滲ませた。堪えていたものがあふれ出たように見えた。
「全然、大丈夫じゃ、ない」
顔を見て確信する。少年は優斗よりも年下だ。こんな取引所にいるなんてただの童顔なのかと思った。が、違うようだ。
「おいらの全財産、溶けそう……。どうしよう……」
少年は雨に濡れた子犬のような目で優斗を見上げてくる。
「ちょっと見せて」
「え、ちょっ」
スマホのようなものを盗られると思ったのか、少年は慌てる。優斗は落ち着かせるように優しく言った。
「ごめん。貸してくれるかな?」
「あ、うん」
怪しい人ではないとわかってくれたのか、今度は素直にスマホ(仮)を渡してくれる。
やはりスマホ(仮)に映し出されているのは優斗がよく見ていたのと同じ株の板だ。タップするとチャートも見られるようになっている。
明らかにこれはスマホで、この世界には株があるし、株を取引するアプリもある。
(まあ、そういう異世界もあるか。異世界なんてなんでもありのファンタジーなんだし)
優斗は素直に納得した。元々引きこもっていたときに異世界転生のアニメなんかを流し見したりしていて順応性はある。というか、異世界に違和感など無い。
それよりも、優斗には目の前の少年とスマホ(仮)に映った画面の方が気になっていた。
「これ、君が持ってる株?」
「う、うん」
「どうしてこの株を買ったの?」
優斗は画面に表示されたチャートを見ながら少年に尋ねた。
「えっと……」
少年は言葉に詰まる。
「もしかして株、初めて触ったとか?」
「……うん」
少年が頷く。優斗もそれほど玄人という程ではない。歴戦の投資家からしたら、まだまだ若輩者だ。しかも、負けている。
「あ、あのさ、おいら、掲示板でこの株がすごくいいって見て、上がると思って……。親切なオッサンにもいいって聞いたんだけど」
「掲示板? 親切なオッサン? ちょっとその掲示板見せてくれる?」
「う、うん」
少年が手を伸ばしてきたので、優斗は少年にスマホ(仮)を返した。
「これ」
少年がスマホ(仮)を操作して、掲示板とやらを優斗に見せてくる。再びスマホ(仮)を受け取って優斗は画面を見た。
「うわ」
掲示板と言われて、もしかして、現実世界のネット上にある株の掲示板のようなものなのかと想像はしていた。その予想は当たっていた。酷いことに掲示板が荒れているのも現実世界と同じだ。掲示板は優斗がメテオラの暴落に遭ったときと同じように、阿鼻叫喚であふれていた。こんな株かうやつ馬鹿とか、助けてくれ、とか大体そんな感じだ。
「さっきまではこんな雰囲気じゃなかったんだけど……。もっと上がる上がるって、みんな言ってて」
「……買い煽りか」
「買い煽り?」
「ああ、言葉通り、買え! 買え! と煽ることを言うんだよ。もちろん、ただ買えというだけじゃなくて、ここは絶対に上がるから持っていないと損をするとか、持たざるリスクとか言い出すんだ」
「それって、確かにさっき掲示板に出てた」
「それだな」
どうやら、この世界にも買い煽りはいるらしい。そして、そんな輩がいる掲示板の株ということはあまりいい予感がしない。
「さっき親切そうなオッサンにも声を掛けられて、その人も買った方がいいって言ってたんだけど……」
「そのオッサンは今どこに?」
少年は取引所の中を見回すが、首を横に振った。
「そのオッサンも買い煽りの一人だったんだろうな……」
優斗はネットで取引しかしていなかったので、そんな人に出会ったことはない。が、この世界ならありそうだ。
「で、それを信じて全財産突っ込んだらこんなことになってて……」
少年はうなだれる。
「全財産……」
優斗には他人事とは思えない。
「どんな会社なんだ?」
「えっと……」
どうやら知らないらしい。ろくに調べもせずに、買い煽りに乗せられて買ってしまう。いかにも初心者がやりそうなことだ。
「って、今チャートどうなってる!?」
「あ」
こんなことを話している場合ではなかった。
少年は慌てたようにチャートの画面を開く。
「まだ、下がってく……」
「買値は?」
買値とは株を買ったときの株の値段のことだ。
「もう買値よりは、めちゃくちゃ下がってる……」
「余力は、ないんだよな?」
「もう、全部これに突っ込んじゃった……」
「マジか。今すぐ損切りしろ!」
「損切り?」
「それも知らないのか?」
優斗はため息をつく。もちろん、優斗だって最初は知らなかった。そのせいでかなりの損をしたこともある。それでも、そのときは全財産を賭けてはいなかった。
「損切りっていうのは、買った株が下がったときにその損失を確定させることなんだよ」
「え、それってお金が減っちゃうってこと? それは……」
「けど、現に今お金はどんどん減ってるわけだろ? 損切りは損が拡大しないためには必要なことなんだよ。ストップ安になったら取引すら出来なくなるしな」
言っていて、優斗自身も辛くなる。どうしても、メテオラの株のことを思い出さずにはいられない。この子犬みたいな少年を同じような目に遭わせるわけにはいかない。
「ストップ安?」
再び少年は首を傾げる。
そんなことも知らないのかと、再び言いそうになるがこの世界にはストップ安というものが存在していない可能性もある。現実世界でも日本にはあったが、ストップ安の制度がない国もある。
「なんでもない。とにかく、すぐ損切りしろ」
「で、でも……」
言っている間にも画面上の板で、株価はどんどん下がっていく。こんな画面、いくら自分の持ち株ではないとしても見ていられない。
「だって、損切り? なんかしたらお金がマイナスになるってことだよね」
少年はまだ躊躇しているようだ。
だが、
「余力があるなら損切りしなくてもいいこともある。そのうちまた買値まで戻ってくることもあるからな。けど、今は全財産を突っ込んでいて余力がないんだろ? だったら損切りは必要なんだよ。損切りすれば、確かに損が確定する。けど、まだ今ならマイナスになっても資金が残る。損切りしなければ資金がなくなる。いつか戻るにしても、資金拘束されて身動きが取れなくなる。なら、今は損切りをして資金を残すことが最善だ。そうしたら次に繋がるだろ?」
「あ」
そこまで言って、少年はようやく理解してくれたようだった。
(まあ、俺もやらかしたことがあって、自分に言ってるみたいで辛いんだけど)
心の中で優斗は呟く。だが、だからこそ出てきた言葉でもあった。




