2 異世界転移
(絶対に死んだ)
トラックに轢かれたのだから死なないわけがない。そう思って目を開けた優斗は、まだ周りが眩しいことに気付いた。
(天国、か?)
一瞬考えたが、どうやらそんな雰囲気ではない。天国なら雲の上とか、天使が近くにいるとか、神様みたいな人がいるとか、とにかく空の上のようなイメージだ。
だが、周りを見回した優斗は、ここは天国ではないと認識した。
むしろ、
「異世界?」
開口一番出た言葉はそれだった。
優斗が立っているのは中世ヨーロッパ風の街角だ。かなり大きくて栄えている街に見える。街ゆく人もファンタジー風の格好をしている。それに比べると……、優斗は自分の着ているものを見る。やはり、さっきまで着ていた部屋着のままだった。ということは、と近くにある店のガラス窓を見る。そして、頷く。
見慣れた優斗自身の顔がそこには映っていた。
店の中はファンタジーっぽい世界観なのに、なんだか電気でもついているように明るい。聞き慣れない音がして振り向くと、馬車が通っていった。
「おお、ファンタジーっぽい」
思わず呟く優斗だったが、今の馬車が少しおかしかったことに気付いた。馬車だと思ったのは人が乗る部分がそういう形だったからだ。ただ、いるはずのものがいなかった。
馬車を引いているはずの馬がいなかったのだ。それでも馬車(?)は走っていた。
(どういう仕組みなんだ? 魔法?)
首を傾げる優斗の前を、今度は本物の馬が引く馬車が走っていった。
(さっきのは見間違いだったのか?)
そういうこともあるかもしれないと思ったが、どうやら街を少し歩いてみると、馬ありと馬無しの馬車が通っていることに気付いた。どうやら、馬無しは人が乗る部分が豪華なことが多いようだった。
この街には人が多い。色々な場所から人が集まる場所なのか、優斗が現実世界の部屋着を着ていても特に気にする人はいない。皆、それぞれの地域の服を着ているからか、そういう民族衣装だとでも思われているのかもしれなかった。黒髪の人も通行人の中にいる。それほど目立っているわけではなさそうだ。
(それはそれでありがたいけど……)
どうやら、本当にここは異世界らしかった。過去のヨーロッパにタイムスリップしたとしたら、馬のいない馬車が走っているなんておかしい。夢ならもう覚めていてもおかしくなさそうだが、その様子は一向にない。
ただ、異世界だとしたら誰かに選ばれし者として召喚された様子もなく、生まれ変わったようでもない。
(ただの異世界転移か。選ばれし者とかじゃないのはちょっとさみしいけど……)
ただの、といいうのもおかしいが、どうやらそのようだった。
すっかり観光気分で、優斗は知らない街を歩いていた。少し歩くだけのつもりだったから、家から何も持って出なかったことが悔やまれるが、現実世界にいたままでも同じだった。どうせ、株の大暴落で数日後にはほぼ一文無しになって家族に蔑まれることが決まっていたのだ。
それよりは異世界にでも来た方がマシというものだ。
が、今現在、現実世界でもなるはずだった一文無しになって路頭に迷っていることには間違いない。
とはいえ、まだこれが夢ではないとも確定していない。状況を把握するためにも、優斗は探索という名の観光を続けることにした。
そして、
「お」
目の前を通り過ぎた少女を目にして、優斗は思わず声を上げた。
軽装の鎧を身につけている少女だ。青みがかった艶やかな髪をポニーテールのように束ねている。少しつり目気味で気が強そうな顔立ちだがかなり可愛い。他のモブっぽい通行人とは全く違う。ユウトには、その少女だけが輝いて見えた。
これぞ異世界ファンタジーのヒロインといった少女だった。優斗よりは少し年下の10代だろうか? とにかく、可愛い。というか、ファンタジー美少女だ。
(さすが異世界……)
目で追わずにはいられない。
その少女の姿が見えなくなるまで優斗はじっと後ろ姿を見送ってしまった。声なんか掛けられるはずがない。産まれてから20年間、優斗は女の子と付き合ったことなんか無い。憧れの女の子がクラスにいたことはあったが、毎回話しかける勇気も出せずに終わった。
恋人はいつも二次元だ。
(話しかけたら、異世界的にはなにかイベントでも始まったんだろうか?)
そうは思うものの、もう彼女の姿はない。彼女だって、突然知らない男に話しかけられても気持ち悪いだけに違いない。
どうやら、異世界転移しても特殊な能力があるとか、身体が強くなったり心が強くなったり、そんなボーナス的なものはなにもなくて、引きこもりで陽キャでもなく誰彼構わず話しかけることなんか出来ない性格もそのままのようだった。
優斗はため息をつく。そして、いつの間にか立ち止まっていた足を動かして再び歩き出した。そろそろどこか落ち着くところにでも行きたくなってきた。珍しく歩き回ったせいで、疲れてきた。
ただ、優斗はこの世界のお金を持っていない。ちょっとそこら辺の店に入って休もうと思っても先立つものが無い。もちろん、帰る家もない。宿屋に泊まろうと思っても同じことだ。
困ってもただ歩くしかない。
そうしているうちに、なんだかとても活気がある建物を見つけた。中から怒号や歓声のようなものが聞こえる。なにか賭け事でもしている場所なのかと、優斗はその建物の中をのぞいてみた。
そして、
「え?」
目を疑った。
どう見ても、それは優斗がよく知っている世界だった。
「……これって」
見間違うはずもない。
まさか、と思う。
ここは異世界のはずだ。
だが、これは……。
「株の、取引所?」
どう見ても、そうとしか思えなかった。
現実世界のものとは少し違うが、電光掲示板のようなものに会社名だと思われる文字と株価にしか見えない数字が表示され、株価(推定)は刻一刻と変わっていく。仕組みはよくわからないが、あれもなにかの魔法なのかもしれない。窓口では直接株券を買っているらしき人々がいる。
優斗自身はスマホやパソコンでしか株を取引したことがない。証券会社や取引所なんかに直接出向いたことはない。だから、これはイメージでしかない。
が、
(なんか、東証みたいだな……)
思わずにはいられなかった。
東証というのは東京証券取引所のことだ。映像で見たことのある東証の方がスタイリッシュで現実世界的ではある。しかし、ここが株の取引所であることは間違いない。
直接取引している人がいるせいか、取引所の中は熱気で満ちている。
(異世界にまで来て、嫌なものを見た……)
株で大負けして異世界転移までしてしまった優斗には嫌な光景でしかない。むしろ、もう見なくても済んだものだと思っていた。
それでも、優斗は取引所の様子から目が離せなかった。
こんな光景を見せられて、投資家としての血が騒がないはずがない。どうしても取引所の中に吸い寄せられそうになる。
「ダメだダメだ」
優斗は未練を断ち切るように、取引所に背を向けようとした。こんなところにまで来て、また大負けするわけにはいかない。そもそも、この世界に何も持たずに異世界転移したばかりで、投資しようにも元手すら無い。
ぐっと我慢して別の場所に移動しようとしたとき、その声は聞こえてきた。
「ちくしょうちくしょう。なんで下がるんだよ……!」
小さく聞こえてきたその声は、あまりに切羽詰まっていて、あまりにも悔しげで、優斗自身が経験した心の叫びに聞こえてしまった。
優斗は振り向いてしまった。
取引所の中の入り口近く。そこにいたのは、今にも泣きそうな少年だった。現実世界で言うとまだ高校生くらいに見える。
少年は、スマホのようなものを握りしめて取引所の床に座り込んだ状態で、
「もう……、もう下がらないでくれよ……! おいらの全財産なんだよ!」
祈るように呟いていた。




