1 株価大暴落
その日、世界が阿鼻叫喚に包まれた。ごく一部の人の話ではあったが、それは形容でもなんでもなく、人々の魂の叫びだった。
笹島優斗も、悲鳴を上げている中の一人だった。
「ちょっと、優斗! うるさい! 近所迷惑でしょ!!」
ドアの向こうから母の声が聞こえてきたが、今の優斗にはそれも雑音にしか感じなかった。
「マジかよ……」
ひとしきり悲鳴を上げてから、優斗は呟いた。
どたどたと優斗の部屋に向かって足音が近付いてくる。
「一人で何騒いでるの!?」
「あー」
母の声にも、もはや返事をする気も起きない。
世界は終わったのだ。
「なんでもないから。ちょっと、放っておいて」
「は? もううるさくしないでよ?」
「……わかった」
言われなくても、もう声を出すような元気も残っていない。握りしめて凝視していたスマホをベッドの上に放り出す。画面を注視していても仕方ない。
優斗が見ていたところで、株価が上がるわけではないのだから。
そう、優斗は証券会社のアプリを見ていた。今、優斗の持っている株はナイアガラのように下がっている。
「クソクソクソクソ……」
呟かずにはいられない。そして、再び証券会社の画面を見てしまう。結果はわかっているのに、見ないでいるのなんか不可能だ。
やはり、メテオラ社の板はストップ安を表示している。つまり、絶望的な株価の下落が起きている。落ちる限界のところまで落ちている。この限界は明日になればもっと下まで広がる。ストップ安になっても反発して、翌日には株価が戻ることもある。が、今回は絶対にない。言い切れる根拠もある。
日本の市場では極端な株価の暴騰や暴落を抑えるために値幅制限が導入されている。株の値動きの上限価格と下限価格が株価によって決まっている。
そして、ストップ安になってしまうと取引が止まり、株を売り買いすることが実質出来なくなってしまう。買いたい人と売りたい人の需要と供給が釣り合わないためだ。暴落していくだけの株など誰も欲しくはない、と言えばわかりやすい。
つまり、ストップ安になってしまうと株価が暴落していくのを、指をくわえて眺めていることしかできない。自分のお金が減っていくのを見ていることしかできないのだ。
優斗はスマホでニュース画面を開いた。
(見たくもない)
心の中で呟くが、目は勝手にニュースを見てしまう。
スマホに表示されているのは、優斗が株価を見ていた株式会社メテオラに関するニュースだ。
メテオラは元々インディーズゲームを作っていた小さな会社だった。その頃から、優斗はメテオラに注目していた。単純に作っているゲームが好きだったこともある。
この会社はいつか大きくなる、優斗はそう思っていた。その予感は当たった。
大ヒットゲームを出して遂に株式会社になり、来年再びビッグタイトルを出すはずだった。そこに、社長の不正が発覚し、期待していたゲームの発売の中止が発表された。普通の会社なら問題なかったのかもしれないが、メテオラは社長自身が開発者だ。不正発覚がゲームの開発中止に即繋がってしまった。
優斗はメテオラが株式会社になったすぐの頃からちまちまと株を買い集めていた。最初は安く買えていたからだ。そこにビッグタイトル開発のニュースが入って、他で利益が出ていた株も全部売り払ってメテオラに賭けた。
それが正解だと思えるほど、メテオラの株は爆上がりした。
優斗は大学を中退して、しばらくアルバイト生活をしていた。が、元々引きこもり体質で家にいる方が落ち着く優斗は、バイト代を元手に株を始めた。
最初は数十万円だった貯金が一気に五百万円を超えた。これは株で食っていけるのではないかと優斗は思った。
これを元手に億り人というやつになるのも夢ではないと夢見た。今の優斗は20歳だが、若くして大金持ちになってしまうのではと、株で出た利益の税金や親の扶養を外れてしまうことすら心配していた。
が、それは本当に夢だった。
全てをメテオラに賭けた優斗の含み益、つまり株での利益は減るばかりだ。株で儲けた分は利確、利益を確定して現金にしなければ自分のものにはならない。
含み益は、ただの幻なのだ。
このままストップ安が連日続けば、優斗の持っている株はただの紙切れ(デジタルで取引しているのでイメージだが)になってしまう。
メテオラのあまりの株価の上がりっぷりに、数日前に優斗をニートだと疎んでいる親にも含み益を打ち開けた。親は驚いた顔をしていたが、少しは見直してくれたようだった。
が、
(言わなきゃよかった……)
優斗は頭を抱える。
儲けていたはずなのにそれがどん底まで落ちたなんて、どう言い訳すればいいのかわからない。
(少しでも利確しておけばよかった……)
後悔しても、もう遅い。
全てをメテオラに賭けてしまった優斗に、もう資金は残っていない。打ち明ければ、今度こそ家族にどんな顔をされるかわからない。
大学も中退して働いてもいない、しかも株でも負けてしまった優斗には今度こそこの家に居場所はない。
働けと言われても、引きこもり続けて株しかしていなかった優斗にはそんな気力も無い。
分散投資が大切と言われているのが身に染みた。
「終わった……」
優斗は再びスマホを投げ出して、ベッドに突っ伏したまま呟いた。
(絶望しかない……)
頭の中では理解していても、いまどうなっているのか気になってしまうのは止められない。優斗は投げ出したばかりのスマホに手を伸ばして、掲示板を開く。
メテオラの株についての掲示板は優斗が想像したとおり、荒れまくっていた。
『社長、信じてたのに。最低です』
『下がったのもショックなんだけど、ゲーム自体楽しみにしてた……。もう出ないの?』
『ここに賭けてた。おしまいだ』
『こんなところ信じてたやついるんだ? 開発で赤字だっただろ? もっと信頼できる会社に投資してなかったお前らが悪い』
『昨日まではお祭りムードだったのに、どうしてこんなことに……』
『売りたいのに売れないの辛い。下がってくの見てるしかない。明日も寄らないかな』
『こんなもん寄るわけねーだろ。持ってるヤツ馬鹿』
最悪な掲示板だ。絶望感で満ちている。しかも、メテオラの株を持っていない側の人間は楽しんでいる様子すらある。これが株の掲示板だ。上がっているときはお花畑のように楽しげなのに、下がってくると変な輩ばかりが現れる。
優斗もなにか書き込もうと、画面をタップしようとして……、止めた。こんなところに書き込んでも空しいだけだ。
(これじゃ絶対に明日も寄るわけないな)
書き込みにあった通りだと優斗も思う。
寄る、というのは値段が決まって取引が出来るようになるということだ。明日もストップ安だったら、寄らないということになってまだ株価が下がっていくのを見ているしか出来ない。
状況は絶望的だ。
スマホの画面から目を離して、ふらりと優斗はベッドから立ち上がった。外に出ようと思った。少しでも現実から目を逸らしたかった。
いつもならこまめに株価をチェックするためにコンビニに行くだけでも絶対に持っていくスマホを、今はあえてベッドに置いたまま優斗は部屋を出た。
「どこいくの? さっき叫んでたのなんだったの?」
今日は仕事が休みで家にいる母が声を掛けてくるが、答える気にもならない。
「ちょっと」
意味のない言葉を呟いて、優斗は玄関を出た。今は何も考えたくなかった。家を出ると太陽が無駄に眩しかった。株価が動いているのだから、今は少なくとも夜ではない。昼間に出掛けるのは久しぶりだった。
眩しくて前が見えにくい。
そんな風にぼんやりと歩いていたら、トラックがものすごいスピードで近付いてきていることになんか気付くはずがなかった。
気付けば、トラックに轢かれて死んでいた、なんてのはお約束だった。




