3:トイレの情事
「ハリス、もうすぐお開きだろ?俺トイレ行ったらコンビニ行ってくるから、終わりに間に合わなかったらそのまま解散でいいよな?」
「おー、んじゃお前いなくて解散になったら一応メッセ送るわ」
「よろー」
機材はすでに車へ積み込み済。今夜はイベントの後でそのままこの場に来る事が決定していたので、車はファンミ会場になったライブハウスの駐車場に置かせてもらい、明日取りに行く事になっていた。
(最後までここにいると絡まれるか…?)
どうにも落ち着かない気分が拭えず、気持ちを変えたくなりトイレだけじゃなくてコンビニにも出る事にした。
ファンと名乗る男と交わした握手。あの、握りこまれた手の熱さと視線の強さが脳裏から消えない。そんなに気にする事じゃないとは思うのに、なんとなく少し避けたい気分がどうにも抜けなかった。
男性用トイレの扉を開け、二つある個室には入らず小便器の前に立つ。
ジーンズのジッパーを下しモノを出した時、トイレの扉がまた開く…その次の瞬間、腕を引かれ個室に入れられていた。
「…は?」
「……」
目の前には個室の木の黒い壁と、髪ゴムが解けて揺れる自分の髪。
油断していた所に顔もろとも身体を壁に押し付けられたその衝撃で、自分に何が起きているのか余計に分からなくなった。
「え?ちょ…」
俺は昔から身体が縦にも横にも大きい方で筋肉質、そのおかげで理不尽な目に遭う機会は少なかった。
特にこんな、痛みを伴うような事は無いに等しい。
だから、油断をしていた。
「……藍さん」
「!!」
首の後ろに掛かった声に、自分の後ろにいるのがさっきのファンだと分かる。
「テメッ!なんのつもり」
「藍さん、すき…すきなんです」
「は?ちょ、ちょっとま」
力づくで後ろの男と距離を取ろうとした時、すでに外に出していた股間を握りこまれている事に気付いた。その握りこんだモノを、男はやわやわと揉み始める。
ここにきてようやく男がなにをしたいのかがうっすら分かった俺は、慌ててその手を引き離そうと指を掛けるが、余計そこを握りこむ力が強まるだけだった。
「お前、本当なんのつもり…った、頼むっ 手、放せっ!」
「いやです!放したら殴りますよね!?」
良くわかってんじゃねぇか!と叫びたいのをぐっと我慢する。
「殴らない!殴らないから、は、なせぇっ!」
「自分の手も人の手もそう変わらないですよ、ね?」
「んなわけあるか!」
身勝手な言い分に思わずツッコミを入れる。
しかしこうして説得を試みている間にも、着実にこの場所にきた当初の目的がリミットだとばかりに迫ってきていた。
迫りくる尿意からなんとか意識を逸らそうとするが、逸らせる先は目の前の変態男しかいないのがなんとも苛立ちを増幅させた。
「頼むから、まじで、手ぇ放せ…」
ゆるりと促すように動く変態男の手。
直接刺激を与えられる事でより迫るリミットに、焦るあまり声が上擦る。
抗えない尿意に思わず下腹部に力が入る事で前屈みになり、意図せず後ろで身体を密着させている変態に尻を押し付ける形になり......尻に当たった硬い感触に、驚きで肩が跳ねた。
「おま、お前、それ」
「あぁ...藍さんの可愛さと、この手の中の感触に思わず興奮してしまいまして…」
そう言いながら硬い熱を擦りつけてくる。どうしても逃げたいが、今にも漏らしそうな俺のモノを握り込まれ前にも後ろにも逃げ場はない。
「ほんとに、本っ当に殴らないから放せ。頼むから」
「殴らなくても逃げるから嫌です。藍さん、ほら、出していいんですよ」
「はっ!?」
聞き捨てならない言葉が耳に届き、どういう意味だと混乱しているうちに、より一層手の力が強く促すように動き始める。
その迷いのない手の動きに、これは、駄目なやつだと悟った。
悟り、そして握りこぶしに力を籠め…
「ぐ、は……っ、げほっ、ぇほっ」
「……」
背後の男の腹に一発、容赦なく力いっぱいの肘打ちを食らわせる。
俺は握り潰される事もなく無事に解放された我が股間の確保を最優先に、迅速に仕舞いこむ。
刺激さえ免れれば、尿意も少しは遠のいてくれた。
(よし、これでもう少しは保つ…)
これ以上ここに居座る気はなく、狭い個室内で苦し気に座り込む犯人を跨ぎ鍵を開ける。
キィッと音を立てて開け放たれた扉から一歩踏み出し振り返れば、涙目でこちらを見上げる男と目が合った。
「ぁ、い さん」
苦しさからか、ぽろりと男の目から涙が落ちる。
普段から身体を鍛えるような事はしていないのか、ひょろい身体を折り曲げたまままだ立ち上がる事は出来ない様子だが…視線だけは離すまいと必死にこちらを凝視していた。
「あいさん、げほっ 強引、にして ごめんなさい… でも、ほんとに、好きです。好きなんです…」
「好きならなにしてもいいって訳ないんだけどな?」
冷たく切って捨てれば、泣きそうに男の顔が歪む。
そうしてポツリポツリと、初めて会話出来て心から舞い上がってしまった事、こんな機会もう二度とないと焦った事を話し始めた。
「調子に、乗りました…もう絶対に無理強いはしません。ごめんなさい」
耐えていた涙がはらはらと零れ落ち、鼻水を啜る音が響き始め……俺は思わずでかいため息を吐いた。
次更新は明日です。