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06,茜と拓海⑥

 退職前の有休消化中の拓海が、次の職場に行き初めて約1ヵ月、ここには数えるほどしか帰ってこない。私は彼氏の家で一人暮らしをしている、変な女だな。


 今日も早起きして、いつもの朝食、モーニングルーティン、1時間前出社をする。

 もう10年間、ずっと同じ。


「行ってきます」


 誰も聞いてなくても、一応言う。


 朝に見ていた大好きな『教えて!匠先生(登録者数30万人)』の更新がなされなくなったことは悲しい。でも配信者である拓海があれだけ忙しいんだから、それを知ってる私が文句を言うのは間違ってるよね。


 拓海が転職すると言った時、「いよいよか」と思った。

 彼が、全身全霊をかけて仕事をしているのは知っていたけど、やり甲斐とか好きだからと言った理由でないことは分かっていた。


 たぶん、彼を動かしている原動力は「責任感」と「向上心」だ。


 だから、時々、私も不安に襲われる。

 私と一緒に居るのも「責任感」じゃないかと。


 尊敬できる人だし、優しくしてくれるけど、「私じゃなきゃ駄目だ」と必死に訴えてくる感じがしない。かつて、二十歳の私に「好きだ」と涙目で言ってくれた元カレのような、燃えるような恋を拓海とは感じたことがない。


 ガタンゴトンと揺れる電車。

 吊革に捕まりながら、昨日のことを思い返す。


 拓海から『今夜は帰る』とチャットの返信があった。


 久々に一緒の夕食になる。

 何となく餃子が食べたかった。

 買い物に行って、食材を刻む、合わせて混ぜる、無心で包んだ。

 たくさん出来てしまった餃子を、半分冷凍した。


 昨日の拓海との会話を思い返す。


「新しい職場にさ、緑さんっていう女の子がいるんだけど、破天荒って言うか、忙しくて明日からしばらく帰れそうにない」


 新しい職場は彼を、あっという間に変えた。

 シュークリームなんて買ってきたことなかったし、あそこは行列が長いことで有名で嫌っていたはずなのに。


 こんな時、自分が女だなって感じる。

 女じゃなければよかったなって思う。


 なにかが変だと感じた時、それは必ず悪い方に当たってしまう。

 問い詰めてもしょうがない。なにが出てくるか分からない箱を突っつくなんて馬鹿なこと出来る歳じゃない。





「秋田さん、今日も早いっすね」

「おはよう」


 後輩君は朝食にパンを食べる。

 デスクで食べるのはやめて欲しいけど、社則違反ではないから言えない。


「福岡さん元気っすか?」

「さあ、ね」


 イチゴジャム&マーガリンって……匂いが凄いんですけど。


「別れちゃったんすか?」

「会ってないだけ」

「旅行ですか?」

「うん」


 面倒臭く感じて、適当に答えてしまった。

 でも、気持ち的には、ほんと、そんな感じだ。


 拓海のいない職場はつまんない。

 部署が違うから、常に見ていたわけじゃないけど、なんか物足りない。





「秋田さん、ちょっと来て」


 課長に呼ばれた。

 小さい会議室に、予約もせずにさっと入る。


「実は大手の不動産業界の会社がうちのセキュリティーサービスに興味を持ってくれてね。秋田さんに担当してもらいたいんだ」

「え……」

「大変なのは分かる。今、抱えてる案件は、あの新人君に渡しちゃっていいから、秋田さんはこの件に注力してもらいたい。福岡君がいたらよかったんだけど、ね……」


 細かい案件を多くやるより、大きい件を担当してみたいとは思っていた。


「はい。頑張ってみます」

「期待してるよ」


 拓海に言ったら喜んでくれるだろうか。

 でも、チャットで送ることでも無いよね。

 今度、帰った時に直接、話すことにした。




 早速、電話でアポを取り、先方の会社に伺った。

 社長は気さくそうで、話しやすい印象の方だ。


「さすが、すごい活気がありますね」

「うちの営業は20代の男性がほとんどでね、皆、一生懸命働いてくれていますよ」


 50代だろうか、この規模の代表取締役社長にしては若い。


「これからもヒアリングには私が伺います。それを持ち帰り、社内でプロジェクトチームを編成し、御社をサポートさせていただきます」

「おお、チームでサポートしていただけるとは、心強いですね」


 社長室の一角にある会議用のテーブルでお話を伺った。

 ガラス張りになっていて、従業員の働く姿が見えるようになっている。


「オシャレなオフィスですね」


 パソコンに向かい、電話で話している男性がたくさんいる。

 皆、似たようなスーツを着ていて、同じように見えた。




 ドキンッ



 心臓が大きく打って、私は思わず隠れようとした。

 もちろん、隠れるところなど無いのだから、挙動不審に見えたに違いない。


 社長はオフィスのデザインについて、熱く語っていたが、内容は耳に入ってこなかった。

 自分の心臓の音がうるさくて、聞き取れなかったという方が正しいかも。



 匠だった。


 ちらっと見えた、横顔が、匠だった。


 二十歳の大学生時代、私のことを好きだと言ってくれた人。


 ドキンドキンが押さえきれないままに、失礼することとなった。


 またここに来れば会う機会もあるだろう。そう考えると気が重くなった。




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