05,茜と拓海⑤
「おはよう、福ちゃん」
「あの……」
「ごめん、襲っちゃった。てへっ」
笑ってごまかせることではありませんけどぉ?!
恥じることもなく、全裸でシャワーに向かう緑さん。
ここはホテルのようだ。来たことが無かったから確信は持てないけど、おそらくラブホってやつだ。
「え、もう上がったの?」
緑さんのシャワーは驚くほど早い。ちゃんと洗ったの?なんて、お母さんみたいなことを言いたくなってしまう。
「福ちゃんってば、エッチも真面目で献身的なんだね」
褒められたのだろうか?馬鹿にされてるのか?
「ごめんなさい、緑さん、僕はか」
「彼女がいるんだよね。大丈夫、バレないようにするから。さ、仕事行こ」
どんな顔して?
と思っていたが、緑さんは何事も無かったかのように普通で、あれは本当にあった事なのだろうかと、僕は現実逃避を始めた。
茜からの連絡に気付いたのは、翌々日の事だったと思う。
『さすがに心配、大丈夫?いつ帰る?』
こうしていつまでも逃げ続けるわけには行かない。お給料を貰っているわけではないし、仕事の責任なんかもまだ発生していない。今の僕に大切な事は、茜に向き合うことだと気が付いた。
「緑さん、今日は僕、帰りますんで」
「えー、居ないと困るぅ」
「すみません。また、明日来ますんで」
「行かないでー。福ちゃーん」
どういう事だろう。
緑さんに言われると、なぜか行きたくなくなる。
こんな理解の無い女、好みじゃないはずなのに。
□□□□
『今夜は帰る』
そう返事を送ったけど、駅で足が止まった。
茜に合わせる顔がない。なんとなく、シュークリームの列に並んでみた。
何かを並んで買うなんて、今までしたこと無かったが、時間を潰したかった。
二人なのに5個入りの箱を買ってしまった。
とぼとぼ歩いたのに、家に着いてしまった。
「ただいま」
100mを全力で走ったって、こんなに心臓はドキドキしないはずだ。
「おかえりっ!」
茜が満面の笑みで出迎えてくれた。
くっそ。地獄だ。
「もしかして、シュークリーム買ってきてくれたの?」
「ああ、駅前で」
「わーい!嬉しい、ありがと」
礼を言わないでくれるか?笑顔を向けないでくれるか?
茜のそれに値する男じゃないんだよ、僕は。
「帰って来る時間が分かってたら、焼き始めてたのに」
「餃子?」
「そだよ」
手間がかかる料理だ。包んで待っててくれたんだな。
駅前で無駄に時間を潰した自分が、改めて情けない。
「あのさ、話さなきゃならないことがあるんだけど」
「なぁに?」
僕の言葉を遮らない茜は話しやすい。
フライパンを火にかけて、僕の隣に来てくれる。
「新しい職場にさ……」
「うん」
「……」
「?」
言葉が、出てこない。
じっと待つ茜の視線が痛い。
「緑さんっていう女の子がいるんだけど……」
「うん」
「……」
「?」
保身じゃない。僕が傷つきたくないわけじゃない。
「破天荒って言うか……」
「うん」
茜を傷付けたくない。
「忙しくて……」
「うん」
ごめん。
「明日からしばらく帰れそうにない」
「そっか。じゃ、せめて今日はゆっくり出来るといいね」
茜は旨そうな羽付き餃子を焼いて出してくれた。
本当に、心の底から申し訳ないんだけど、味が分からなかった。
ごめん。
翌朝、茜の出社を見届けて、スーツケースに当面の衣類と日用品を詰めた。
朝ご飯の代わりに、昨日のシュークリームを食べた。
規則正しい健康的な生活も、継続が命のルーティンもはちゃめちゃだ。
体は休まったかもしれないが、心と頭はへとへとのまま、家を離れた。
□□□□
まだ来て間もないこの空間にほっとするのはなぜだろう。
緑さんは見当たらないが、やるべき事が、そこかしこに転がっている事が分かるようになっていた。
「ありがとう」
印刷機に出力されたままになっている紙の束を分類して配った。
「助かるよ」
誰かが使ったままになっていた照明器具のコードをまとめて片付けた。
「サンキュ」
何度もやってくる、配達業者からの荷受けをし、宛名の人に持って行く。
やっている事は雑用犬そのものなのだが、ここでは誰もがお礼を言ってくれる。
12年、働いていたあの会社で、お礼など言われたことがあっただろうかと考えるが、思い出せない。いつだって頼まれるばかりで、その成果物を返してきたが……それが僕の仕事だったし当然のことと思っていたが……こうして感謝を述べられるのは嬉しいもんだな。
「なに、にやけてんの。きもい」
「緑さん、お疲れさまです」
心なしかスッキリした様子の緑さん。
もしかして、誰か襲った?と、一瞬思い、それはあまりに失礼だと思い直す。
同時に、僕以外の人ともあんなことが日常的にあるのかと考えると、嫉妬で胸が焼けそうになった。
「なに、じっと見てんの。きもい」
「すいません。でも、きもい、は無いと思います」
きもい男を襲ったりする、緑さんの方がきもい。って言ってやりたい。
突然、照明が消えた。
部屋が真っ暗になり、音もしなくなった。
「え?どしたの。こわい」
「目が慣れるまで……」
ゆらゆらと揺れるオレンジの光がこっちに向かってくる。
「「「パッピバースデートゥーユー♪」」」
みんなが歌いながら集まってきた。
「「「ディア、みーどーりーぃ♪」」」
緑さんは拍手しながら、その場でジャンプを繰り返している。
「ふぅ~」
差し出されたケーキのロウソクを吹き消した。
「「「19歳の、お誕生日おめでとう!!!」」」
「ありがとー!」
じゅじゅじゅじゅーきゅー?!?!?
なんてこった……