01,茜と拓海①
私たちの朝は、天気や体調に左右されることはない。
4:45
私はアラームで起きる、同時に拓海も起きる。
それぞれにやるべきことをこなしてゆく。この間に「おはよう」以外の会話は無い。起きたてのフレッシュな脳を汚されたくないからだ。
6:00
共にサプリとプロテインで朝食を済ませ、拓海がコールドシャワーを、私は持参するお弁当作りを始める。
一昨日、作った肉じゃがが駄目になっていた。
「ちゃんと冷蔵庫に入れといたのにな」
がっかりしながら、つい、口から出てしまった。
「昨日の夕飯に出してくれれば食べたのに」
「だよね。ごめん……すっかり忘れてて……」
「そうした食品廃棄は家計の負担になるし、環境汚染の原因にもなるから気を付けろ」
「はーい」
分かってる。おっしゃる通りだと思うけど、済んだことは仕方がない。
「今日はお弁当無くてもいい?」
「ああ。構わないよ」
私の彼、福岡 拓海さんは、世界一は言い過ぎだと思うけど、日本で一位二位を争うくらいのルーティンマニアだと思う。
『教えて!匠先生(登録者数30万人)』という、自己啓発系の動画を配信している。
私は10年来、彼のファンであり続けている。
「夜は何が食べたい?」
「うーん。なんかトマトっぽいのがいいかな。名前知らないんだ……ほら、この前作ってくれたやつ」
「ああ、ラタトゥイユね」
付き合い始めて10年になるけど、外食はほとんどしない。
身体に良くないし、出費はかさむし、時間がもったいない。
「もしかして、一緒に作ってみたいとかある?」
半分冗談、半分本気で聞いてみた。
「なんで?僕が?任せるよ。得意な人がやった方が、効率がいいだろ?」
「言ってみただけ」
笑って見せる。
どうせこう返してくるのが分かっていたから、そんなにショックじゃない。
「今日で出社最後になるから、早めに行くよ」
「あ、そっか。すっかり忘れてた。帰りは?誘われてるの?」
「いや、別に」
そう言うと、拓海は部屋から出て行った。
私たちは同じ会社に勤めている。私が大学3年の時にインターンシップ制度でお世話になった会社で拓海と知り合った。最初は気付かなかったけど、彼が大好きな動画の配信者と知って嬉しかった。
拓海は向上心が高くて、今でも動画配信を続けている。顔出しをしていないので、会社には内緒の副業だ。だけど、その縁で、最近、転職が決まった。
「一緒に出社できるの、今日がラストなのに……そういうとこあるよね」
ドライな彼に、妙に納得する。
それにしても、送別会が用意されていないなんて、どんだけ飲み会嫌いなんだか。
ちょっと、笑える。
中小の中寄りのIT企業で、私は営業部、拓海は企画部だ。
知り合った時、企画部のサブリーダーだった彼は、今は、チーフになっている。
「期待されてないはず無いんだけどな」
拓海の退社が少し寂しい。けど、一人で仕事が出来ないなんて歳じゃないしね、もう三十歳……そう、三十路……仕事以外にもいろいろ選択しなきゃならないお年頃だ。
□□□□
「秋田さん、おはようございます」
「おはよう」
会社にたくさんの後輩ができた。自分で言うのもなんだけど、そこそこ慕われている気はする。
「今日は外回りないんすか?」
今年入社したばかりの男の子。
「ないんすか、じゃなくて、ないんですか、って言おうね」
「はいっ!」
返事だけはいい。
「今日は社内業務に徹しましょう。今月の経費精算やっちゃおうか」
「うぃーす」
「……」
さすがに睨む。
「はいっ!」
「よし」
私はこの子の教育係を任された。最初は教えることがたくさんあって、しんどい。てか、めんどい。私の教育係をしてくれた拓海が、分かり易く丁寧に教えてくれたことを思い出す。感謝しかない。私も、同じように後輩に……って……
「あのさ、宛名の無い領収書は駄目だって言ったよね?」
「はぁ、でも、こんなの誰が書いたって同じっすよ」
汚い字で宛名を書き込む後輩君。
「ん、んーん」
イラっとしながら、経費精算のソフトにレシートの写真を載せていく。
「秋田さーん、ちょっとお願いがぁ」
ケバい先輩が走って来た。こんな小さいオフィスで走ると危険ですよ、って思っていたら、案の定、後輩君の鞄に躓いた。
「もうっ!危ないでしょ!」
「すんませっ」
コントにしか見えないやり取りに笑ってしまう。
「秋田さん、福岡君に言ってやってー!せっかく、送別会やるって言ってるのに『あ、僕はいーです』だって、なにあれー!信じられるー?!」
「はあぁ?送別会に参加しない人なんているんすかぁ?」
「あんたには言ってないの!あんたは誘ってないし!」
「俺も行きたいっす。呼んで欲しいっす!」
「もぉ、ハチャメチャだよ。秋田さぁーん!」
だいぶ困っている様子が、崩れたお化粧から見て取れる。
「本人があまり好きじゃないと思うので、あれですけど、参加するように言っておきます」
「かんしゃー、かんしゃー」
先輩はよろよろと自分の部署へ帰って行った。
「秋田さん、その人と仲いいんすか?」
「付き合ってるの」
「え?!秋田さん、彼氏いたんすね、しかも職場恋愛……」
何があなたにそう思わせてるのか分からないけど、そんなに意外かしら?
インターンでお世話になった後、就活で面接に来たら、即、内定をもらった。
希望していた企画部ではなく、営業部に配属が決まった時は落ち込んだけど、既に付き合い始めていた拓海が上手くフォローしてくれた。
「福岡さんとは、もう10年くらい付き合ってるしね。みんな知ってるよ」
「へぇ~、結婚とかしないんすか?」
そこなのよね。
私はそろそろって思ってるんだけど、プロポーズってこっちからするもんじゃないよね?
待ってるんだけど一向に……
「あ、余計なこと言っちゃいました」
後頭部に手を当てて、ペコペコしてる後輩君に、私はなんと返事をすべきか悩んでしまう。