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07.異邦の騎士は倒れない①

 私はジャックさんの仕事部屋――何でも課の前に立っておりました。

 時刻は正午を回ったばかり。昼食前のことです。


 叩音をして室内に入れてもらい、一緒にお食事に行きませんか、とでも誘うだけなのですが、今ばかりは躊躇してしまいます。なぜなら、ジャックさんは何やら思い悩んでいた様子でしたので。つい先程、所長室に呼び出されたことが関係しているのかもしれません。


 確かに私はジャックさんが好きではありますが、ひとりになりたいという彼の意志を曲げてまで彼と一緒にいたいとまでは思いません。

 さてどうしたものか――とちょっとの間考えましたが、結局私は叩音をします。ジャックさんが迷っているのなら力になりたいと思ったからです。少なくとも、お話を聞くくらいはできる筈です。

 返事はすぐに返ってきました。入室すれば、ジャックさんは思案顔で机に向かっておりました。その口には、普段は吸わない煙草が銜えられております。


「シャルロッテ女史。どうしたのかね」

「一緒にお昼ご飯を食べに出掛けませんか?」

「昼――そうか。もうそんな時間か。分かった。ご相伴に与るとしよう」


 ジャックさんは左腕に巻いた時計を見て、頷いてくれました。

 私達は連れ立って近くの食堂に向かいます。いつもならアリスさんもいて、二人きりにはなれないのですが、今日は体調不良でお休みらしいです。今日まで無理をさせてしまったのかもしれません。


「ジャックさん。何を悩んでいるのですか?」

「君には、私が悩んでいるように見えるのかい」

「ええ。所長に何て言われたんですか」


 ずっとあなただけを見ておりましたから――とは言わない。

 ジャックさんは言葉を選ぶかのように口を閉ざしてから。


「飛竜討伐の部隊に加わるように命令されたのだよ」


 と言った。


「それだけ、ですか」

「他には、仲間を――アリス君を連れて行くようにとも言われてしまった」

「アリスさんを?」

「彼女は、先の戦いで飛竜の吐息を防ぐことができたのだ。だからなのだろうが――私は納得していない。彼女のお蔭で命を救われた。飛竜を撃退することもできたのだが――それだけだ。冒険者でもなければ戦闘に慣れている訳でもない。そも〈稀人〉だ。私達の都合で戦いに駆り出すなど、それは違うだろう」


 ジャックさんは苦々しく零します。その目はここではない遠くを見詰めていて。きっと、私でもなければアリスさんでもなくて、ベアトリーチェさんを見ているのでしょう。


「部隊が出発するのはいつですか」

「明日だ。それまでに諸々の準備を済ませろと言われてしまった」

「明日? 随分と急ですね。この話、アリスさんには」

「言うつもりはない」

「え?」

「彼女が冒険者に憧れを抱いていることは知っている。だが必要ない。足手纏いだよ」


 ジャックさんにしては珍しい、吐き捨てるかのような物言いでした。


 ――それは、あなたが、アリスさんが傷付くことに堪えられないからなのではありませんか。

 ――あなたの独り善がりの利己なのではありませんか。

 ――後々になって話を聞いたら、アリスさんは酷く悲しむのではありませんか。


 そう思ったが言わぬことにしました。この問題は非常に繊細なのです。それにジャックさんの中で結論が出ている以上、部外者の私が何を言っても覆りはしないだろうという予感がありました。何も言わぬ代わりに。


「アリスさんがいなくて大丈夫なのですか?」


 とだけ聞きました。憂慮であり、消極的な反論です。今の私にできる私にできる精一杯の抵抗。しかしジャックさんは頷きました。そして。


「アリス君がいなくとも何とかなる。勝算はあるのだ」


 と言いました。強がりでも何でもなく、本気でそう思っているようでした。


「君にはまだ説明していなかったな。私とダンテの関係を」

「ダンテさんとジャックさんは同一人物ですよね。違いますか」

「その通りなのだが、状況が特殊でな。私の分身のようなものなのだよ」

「分身、ですか」

「そう。だからこの通り――同時に存在することもできる訳だ」


 ジャックさんが言った途端、彼の背後に黒騎士様が現れます。私を一睨みすると、用は済んだと言わんばかりに一瞬で消え去ってしまいました。


「私は今でこそジャックなどと名乗っているが、元は君も知っている通りダンテだ。〈異邦の騎士団〉のダンテだよ。だから私は奴であり、奴は私であるのだ。どちらとも本物なのだ」

「それがジャックさんの能力なのですね。勝算なのですね」

「それだけじゃない。本命は他にあるのだが――まあ無闇に話すことではないな」


 ジャックさんはそう言うと、歩く機会を逸していた私を追い越して食堂に入ってしまう。


「時にシャルロッテ女史。先刻の話なのだが」


 食堂の椅子に座り、私に献立を差し出しながらジャックさんは言いました。

 私はそれを受け取り、『山菜と鹿肉のソテー』を頼もうと決めてから献立を返します。


「もしも私に何かあった場合、アリス君のことを任せても良いだろうか」


 メニューを眺めながら、何でもないことのようにジャックさんは言いました。その儘、手を挙げて女給を呼びつけます。女給はすぐにやって来ました。私達の注文を受けるや否や、厨房にいる料理人に大声で品名を告げます。


「……何を言っているんですか?」

「不服だったかな。それならば私の家をそのまま君にやっても構わない。まあ、アリス君が許可した場合だがな」

「違います! そういうことじゃありません!」

「ならどういうことだい。できれば声量を抑えてほしいのだが」

「すみません――ってどうして私が謝らなくちゃいけないんですか。私が言いたいのは縁起でもないことを言わないでくださいってことですよ」

「しかし、そうは言ってもだ」


 ジャックさんは困ったように言います。普段から無表情の彼にしては珍しい態度でした。


「勝算こそあっても、実際は何が起きてもおかしくないのだ。そして残念ながら――否、幸運とでも言おうか――私の死後に起きるあれこれを任せられるのは君しかいないのだ」

「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど、やっぱり駄目ですよ」

「駄目か。理由を聞いても?」


 ジャックさんは尋ねます。本当に何も分かっていない様子です。


「誠実じゃないからです。やっぱり最初はアリスさんに相談するべきです。大切なんですよね、アリスさんのこと」

「それは、まあ、そうだな」

「きっと、アリスさんも同じくらいジャックさんのことを大切に思っている筈ですよ。そんな人に、死ぬかもしれない戦いに行くことを告げずにいるのは――仮令、最初から連れて行くつもりがないとして――不誠実です。可哀想だと思います。私だったら深く傷付きます」

「成る程、そういう考え方もあるのか」


 ジャックさんは二度、深く頷きました。


「分かった。この件については、一度持ち帰り、ひとまずアリス君に相談することにするよ」

「絶対その方が良いと思います。あとは――約束してください」

「約束?」

「無事に帰ってくることですよ。仮令目的を果たせずとも、ジャックさんが帰ってくれるだけでいいんです。だから、私は、申し訳ありませんがジャックさんのお願いを聞いてあげることができません」


 私が断言すれば、ジャックさんは口を閉ざしてしまいました。

 どうしよう。あまりの自分勝手な物言いに呆れられてしまったのかなと思った時。


「分かった。誓うよ」


 ジャックさんは言いました。私の瞳を見詰めてはっきりと。


「〈異邦の騎士団〉の生き残りとして君に誓うよ。何があっても私は君の許に帰ってくる」


 私は、ジャックさんの黒い眼に射貫かれて、何も言えなくなってしまいました。


 同時に、これは嘘だな――と直感しました。理由は分かりません。きっと彼は、安全な生より名誉ある死を選ぶのだろうと思いました。

 けれど、敢えて言及はしませんでした。何を言っても無粋であると思ったので。

 彼が無事に帰ると言ったのだから、これを信じて待つことが、私にできることだと思ったからでもあります。


 …………。

 ……………………。


 冒険者ギルドに戻れば、ジャックさんは明日の出征に備えて早退してしまいました。

 私が思うのはアリスさんのことです。彼女はジャックさんにとてもよく懐いております。自分の能力が役に立つのであれば、彼についていこうとするでしょう。果たして、ジャックさんがアリスさんを説き伏せることができるのでしょうか。


 ――無理だろうなあ、きっと。


 アリスさんはああ見えて頑固なのです。短くない付き合いで分かりましたが、気に入らぬことがあったなら納得するまで食ってかかるのです。またジャックさんも、自覚はないのでしょうが、アリスさんにはとことん甘い。


 ――羨ましいような、そうでないような。


 未だに、ジャックさんはアリスさんとベアトリーチェさんを重ねて見ているのです。それは端から見ているだけでも、そうと分かってしまうほどにあからさまに。

 その度に、アリスさんが悲しそうな顔をすることにジャックさんは気付いているのでしょうか。否、きっと気付いてはいないのでしょう。仮令気付いたところで、原因が自分にあるなどと思いもしないでしょう。なぜならジャックさんは、自分のことに疎いのですから。己が抱く感情は勿論、己に向けられる感情に対しても。


 多分、きっと。


 ジャックさんの時間は、黒騎士であった頃から。仲間を喪った頃から少しも動いていないのでしょう。時計の針が止まってしまったのでしょう。彼の時間を動かすことができるのは、きっと復讐を果たして――それだけでは足りない。彼が許されたと判断してからでしょう。そしてそれは私の役目ではありません。アリスさんにしかできぬことでしょう。


 ――好きな人に振り向いてもらえないのは辛いなあ。


 そう思い、溜息を吐いた時です。


「どうしたのよ。そんな暗い顔をして。彼とのデート、上手くいかなかったの?」


 振り向けば、忙しそうに書類整理をしているノエル先輩と目が合いました。


「デートなんかじゃありませんよ。ただ一緒に昼食を摂っただけですよ」


 この時間、ギルドには利用者がいなくなります。また窓口には『休憩中』という札が立てられ、話し掛けに来る方はいません。混雑するのは朝と夕と相場が決まっているのです。


「じゃあどうして溜息なんて吐いているのよ。あの朴念仁に何かされた?」

「そういう訳じゃありませんけど」


 私が言葉を濁せば。


「それならどういう訳よ」


 とノエル先輩は追求します。本気で私を心配しているようでした。

 私は、胸の内に抱えた思いを吐き出すことにしました。

 ジャックさんには、アリスさんを同行させるつもりはおろか、事を説明するつもりすらもなかったことを。私が誠実ではないと説けば、ひとまずは納得してくれたことを。それだけでなく、無事に帰ってくると約束してくれたことを。だが、私には都合の良い嘘にしか聞こえなかったことを。アリスさんと違い、私にできることは何ひとつとしてないことを――。


 先輩は、私の話を最後まで聞いてくれました。


「あるじゃない。あんたにしかできないこと」

「え?」

「え? じゃなくて。無事に帰ってくるって相手も約束してくれたのでしょう。深読みなんかしたって意味なんかないし、疲れるだけよ。あんたにできることは、彼を信じて送り出して、帰ってきたら笑顔で迎え入れることでしょう。違う?」

「――いえ、違くはないです」

「受付の基本は笑顔よ。冒険者だったあんたなら分かるでしょう。私達が冒険者の皆様を笑顔で送り出してあげなくてどうするのよ。命の危機がある仕事――飛竜の討伐なら尚更のことでしょう」


 そこまで言うと、先輩は開いていた台帳をばたんと閉じて。


「ほら、笑いなさいな。不安そうな顔は御法度よ」


 と言った。

 話は分かります。励ましてくれているのだということも。

 けれど、肝心の心がついていきません。


「急に笑えと言われましても」

「笑顔で見送ることができなかったら後悔するわよ」


 ノエル先輩は私を睨め付けます。反論の余地はありませんでした。


「そう――ですね。受付嬢は笑顔が命ですものね」

「そういうこと。ほら、分かったら笑いなさいな」

「――はいっ!」


 遅まきながら、私にできることは見送ることなのだと理解しました。ジャックさんが無事に帰ってくると言ってくれた以上、私は信じてそれを待つのみです。それだけで十分なのです。


 …………。

 ……………………。


 翌朝。やはりというべきか、ジャックさんはアリスさんを連れてきました。ジャックさんは普段と同じ作業着という格好ですが、アリスさんは革鎧に身を包んでおります。


「シャルロッテ女史。昨日は助かったよ」


 受付越しにジャックさんが言いました。


「あれからアリス君に事の経緯を伝えたのだが、私が黙っているつもりだったことを話せば、それはもう怒られてしまったよ」

「そうでしょう。それで、結局アリスさんも一緒なんですね」

「ああ。私は止めたのだがな。断じて無理強いをした訳ではないのだが、本人が同行すると言ったのだ。ならば止めることはできないよ」


 ジャックさんは苦笑いを浮かべました。心なしか嬉しそうに見えるのは、きっと私の勘違いではないのでしょう。


「シャルロッテさん」


 ジャックさんの隣に立つアリスさんが私を呼びます。


「ジャックさんを説得してくださってありがとうございます。おかげで、私も行くことを許してくれました」

「いえいえ。それよりも表情が固いですよ。大丈夫ですか?」

「多分、大丈夫だと思います」

「多分というのが気になりますが――ジャックさんを信じていれば悪いことにはならないはずですよ。お二人ともどうかお気を付けてください。私、待っています。待ち惚けにさせないでくださいね」


 私が笑顔で言えば、アリスさんも笑ってくれました。本当に良い子です。ジャックさんも、唇の片端を釣り上げて微かに笑ってくれました。戦地に赴く冒険者の表情で――私は胸の多くがぎゅっと疼くような感覚になってしまいました。

 それでも笑顔を保っていられたのは。征かないでくださいと言わずに済んだのは。単にノエル先輩の助言があってこそでした。受付嬢の意地とでも言いましょうか。


 二人を完全に見送れば、ノエル先輩がやってきます。


「よくできました」


 そう言いながら、私の机の上に羊皮紙の束を置きます。本日ギルドに持ち込まれた依頼書であり、査定の後、入口横の掲示板に張り付けるものです。


「先輩。私はちゃんと笑えていましたか?」

「良い笑顔よ。きっとあの二人も無事に帰ってくるでしょう。あなたの笑顔を見るためにね」

「……そういうものなのでしょうか」

「ええ、そういうものよ」


 先輩はそう言って笑って見せます。女の私でも見とれるくらいの綺麗な笑顔で。

 どうして先輩が、冒険者の皆様に人気があるのか、今更ながらに分かりました。


 …………。

 ……………………。


 その日の夜、私はユリアを誘って、辺境にひとつしかない酒場へ寄りました。

 女二人で治安のあまりよろしくない酒場に行くなど褒められた行為ではありませんが、そこは互いに顔の広い人間です。冒険者ギルドの受付嬢と〈盾の騎士団〉の聖女に無礼を働く者はいないでしょう。

 またユリアとも、酒を酌み交わす程仲良くなった覚えはないのですが――寧ろ恋敵であり、敵視し合ってもおかしくないのですが――今日ばかりは、ジャックさんの無事を祈ることを瞑目に、仲良くはともかく、礼儀正しくお酒を楽しめるような気がしました。


「――では、先輩とアリス殿の無事を祈って、乾杯」


 ユリアは言うなり、木製の杯に注がれた葡萄酒を一気に呷ります。

 私も負けじと傍らの杯を空にして、提供された干し肉に手を伸ばす。


「しかし予想していなかったぞ。シャルロッテが私を誘うなんて」


 空いた杯に葡萄酒を注ぎながらユリアは言いました。彼女と飲むのは初めてであるが、存外いける口のようです。聖女としてお高く纏まっているくせに。


「別に良いじゃない」

「悪いとは言ってないぞ。私は疎まれていると思っていたからな。少し驚いているのさ」

「たまには語りたくなったのよ」

「語る? 何をだ」

「ジャックさんのこと」


 私が言えば、ユリアは何とも言えぬ顔をします。


「何よそんな顔をして。女子会よ。ううん、ファンの会合か交流会みたいなものよ」

「成る程。黒騎士親衛隊のようなものか」

「そうよ。良いこと言うじゃない」

「本来ならアリス殿もここに加わるべきなのだろうが、致し方ないな」

「そうねえ。ジャックさんも、元々アリスさんを連れて行くつもりはなかったみたいだったけれど――つい説得してしまったわ。そしたら今朝二人揃って来たものだから驚いたわ」

「むむむ。私も見送りくらいはしたかったぞ」

「そうよ。あなたも来るものと思っていたのに。どうしたのよ」

「先の襲撃における被害はやはり大きくてな。怪我人の治療やら構成員の能力開発やらで朝から忙しかったのだ。それに、飛竜の討伐隊が組まれるとは聞いていたが、まさか先輩とアリス殿が加わるなんて思ってもなかったのだ」

「そう? ジャックさんの目的と実力を思えば、十分考えられると思うけど」

「先輩の場合、復讐はひとりですべきと考えるだろうからな。――というか、シャルロッテも知っていたんだな。先輩が黒騎士ダンテであったということを」

「本人から教えて貰ったのよ」

「それなら、先輩の本当の目的は?」

「本当の目的? 飛竜を倒して敵討ちをすることじゃないの?」

「いや、それは手段であって目的ではないのだ。目的は別にある」

「何よ、目的って」

「ううむ。先輩が言わぬ以上、私が勝手に喋るのはどうかと思うぞ」

「いいじゃない教えなさいよ。同じ親衛隊の仲間でしょう?」


 私が詰め寄れば、ユリアは分かり易くたじろいだ。


「これは私の勝手な推測だが――先輩の能力は、死者を操る能力――死霊遣いなのだ」

「死霊遣い」

「ただし、屍体そのものを直接操る訳ではない。魂とか精神とか――生前使っていた能力を借り受ける程度のものだな」

「魂や精神ねえ」

「そうだ。だから先輩は、喪った仲間達と共に、再び飛竜を討たんとしている――否、飛竜を討つことで、仲間達をもう一度蘇らせたいと思っている筈だ」

「待ってよ。よく分からないわ」

「うん? 何がだ」

「飛竜を討たないと呼べないの?」

「私も深くは知らないが死霊術は複雑なようでな。先輩がそうあれかしと願っただけでは呼び出せないようなのだ」

「でも、それならダンテさんの件はどうなるの。随分簡単に呼んでいたみたいだったわ」

「それも知らない。だが自分の半身として動かせるようではあったな。飛竜と戦った時に死にかけて、剥離した魂の一部だと先輩は言っていたな」

「……魂の一部」


 私は何となくその文節が気になりました。ジャックさんが言った、どちらも本物の存在であることは遅れて理解します。常に目が虚ろで、心ここにあらずというのも、魂の一部が欠けていたからなのではないかと思いました。


「私はアリス殿が羨ましいよ」


 ユリアは呟くように言いました。


「羨ましいって何が? ジャックさんと一緒に暮らしていること?」

「それもあるが――ああも先輩に大切にされていることだよ」

「そうは言うけど、アリスさん本人は酷く悩んでいるみたいよ」

「悩む? ――ああ、そうか。自分の想い人が、自分を通して故人を見ていると分かれば、それは確かにショックだろうな。だが、な」

「だが、何よ」

「見解の違いだよ。私だったらそれでも良いと思う。いつかは自分に振り向いてくれるからな。先輩の思いも一生ではないからな」

「あんたは相変わらず前向きねえ。私だったら嫌よ。やっぱり自分を見ていてほしいと思うもの。愛されたいと思うわ」

「まあ普通はそう思うだろうな。そうだ、先輩のことだから、どうせ誰とも交際しないんだ。この会合にアリス殿も誘うのはどうだろうか」

「それはいいわね。黒騎士親衛隊の三人目にして筆頭ね」

「もしくは被害者の会だ。まあ、恋敵とは雖も、暫くは仲良くやっていこうじゃないか」


 ユリアは私に手を差し出します。私もその手を握り返しました。

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