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06.黒騎士ダンテは蘇る②

 ジャックは苦境に立たされていた。相対するのは巨体な飛竜である。

 鋭利な爪と牙を持ち、時には尾を振るい、文字通り人間を蹴散らす神話の〈怪物〉である。


 ジャックの得物――屍体から借りた長槍――も半ばから折れてしまった。

 右膝は鉤爪を避け損ねた際に罅が入ってしまったらしく動作がぎこちない。己ばかりを執拗に狙う攻撃を回避し続けたことで、持久力も尽きかけていた。満身創痍であった。


 ――嗚呼、糞が。何か術はないか。


 ジャックは近傍を見廻す。応援に駆け付けた騎士団の面々は、最早数名しか残っていない。

 負傷した者から撤退したのだ。床に這いつくばっている者は、吐息に灼かれて焼死したか、圧し潰されて圧死したのかのいずれかである。


 無論、ジャック達人間も、好き勝手に暴れさせた訳ではない。武器を持つ者は攻撃を掻い潜り剣や弓を頭部に突き立てた。奇跡や魔術を使える者は、皮膜の翼を貫こうとした。しかし、それでも竜の鱗は頑強で、血の一滴すら流すことはできずにいた。


 ジャックは思案する。このままだと死ぬ。殺される。そして飛竜は地上に出て、人間を一人残さず捕食せしめてしまうだろう、と。そんなことなどあって良い筈がない。己が愛した女と、仲間達の復讐を果たせぬ儘散るなど、断じて許容できる訳がない。


 ジャックは槍だった棒切れを放り捨て、懐から『タリスマン』を取り出す。

 白い手巾(ハンカチ)飾紐(リボン)で括っただけの、何の変哲もない――奇跡の触媒である。


 ――ベアトリーチェ。今一度、俺に力を貸してくれ。


 ジャックは念ずる。途端、タリスマンは赤い雷霆(らいてい)の力を帯びる。


「ダンテ、動けるか。奴に雷をぶち込む。隙を作ってくれ」


 ジャックが声を掛けるが、返事はなかった。

 見れば、黒い甲冑の騎士は、他の焼死体と折り重なるように斃れていた。


「…………」


 ジャックは諦めて竜に向き直る。竜もジャックを――否、雷を纏った右手を見詰めていた。

 敵と見做したらしく、その眼は獰猛な光を湛えている。

 飛竜が前足を振るえば、ジャックは地面を転がるようにして避ける。食い千切ろうと大口を開ければ、生き残った兵士が(クロスボウ)を放ち、牙の一本を叩き折る。飛竜が飛び下がり、腔内に焔を溜め込めば――。


「神よ、御力を貸し給え。愛する者を護る力をッ!」


 誰が言ったのかは分からない。だが懐かしい声だ――とジャックは感じた。

 ジャックの前に薄い光の壁が広がり、迫り来る熱波を遮断する。


 ――好機。


 ジャックは走り出す。そして飛竜に向かって跳躍した。

 右手に掲げた雷を、飛竜の眉間に突き立てる。飛竜は怯んだが、絶命までには至らない。


 飛竜は憎々しげにジャックを睨むが――これ以上の侵攻は諦めたらしい。

 身を翻し、翼を広げ、光の届かぬ暗がりに飛んでいった。


 ――待て、行くな。俺は復讐をしなければならない。

 ――ベアトリーチェ。君を蘇らせなくてはならない。


 生き残った者達が上げる勝ち鬨を無視して、ジャックは逃げた飛竜を追わんと前進する。

 だが、それを止めたのは先刻まで死んでいたダンテであった。吐息に呑まれ、全身が焦げていたが動く分には問題ないらしい。


「止めるなダンテ。俺は征かねばならぬのだ」


 ジャックは言うが、ダンテは首を横に振った。そしてジャックの後方を指し示す。

 ジャックが仕方なしに振り返れば、ベアトリーチェ――否、アリスが屍を踏み越えながらやって来る。そこでジャックは、最前、防御壁を作ったものがアリスであることに思い至る。


 ――あの竜は俺に任せておけ。


 大剣を背負ったダンテは奥の暗がりに溶けるように消えていった。

 それを見送ったジャックは、アリスに向き直る。


「ジャックさん」


 長い長い沈黙を経て、最初に口を開いたのはアリスであった。

 道を失って困り果てた迷子のような表情をしていた。


「私、ジャックさんの役に立つことができましたか」


 アリスは聞いた。

 ジャックは、依然目の前の娘が死んだ女に見えるが、理性を働かせることで自我を保つ。


「ああ。君がいなければ、私は今頃死んでいただろう。助けてくれてありがとう」

「そうですか。それなら良かったです」


 アリスはジャックに近寄ると、胸板に頬を擦り合わせるように抱きついた。控え目で、遠慮がちな抱擁であった。人間らしい情緒の遣り取りであった。

 ジャックは察したつもりになる。アリスが、自分は決してベアトリーチェではないと伝えたいのだと。アリスという一個人であると伝えたいのだと。おそらくその推理は誤りではないということを。

 だからこそジャックは、抱き返すこともせず、やんわりと振り払うこともできず、されるが儘でいた。恩返しの一環として髪を梳ることくらいは許されるだろうかとも思うが、血と泥に塗れた手甲では(けが)れているために断念した。


 どれだけそうしていたか。二人を引き離したのは。


「羨ましい。いつまでそうしているつもりですか!」


 というシャルロッテの怒声であった。その鋭い呼び声で、アリスはジャックから身を離す。


「そうだぞ先輩。贔屓は良くない。早急に離れ給え」


 シャルロッテに追従するように、ユリアはアリスとジャックの間に割って入る。


「仲睦まじいのは結構だが、周囲を見た方が良い。怪我人の回収や死者の確認、原因調査など、すべきことは山のように残っているだろう」

「それもそうだな、失敬した。しかし原因か。あのような飛竜が浅い階層に出るなんて一体誰が予想できようか」

「その飛竜を撃退した先輩の力も想定外であったよ。先輩、どうだ。〈盾の騎士団〉に入らないか」

「誘ってもらって済まないが、この問題が決着する迄、私はギルド職員でいることにするよ」

「そうか。残念だな」

「私の弔い合戦は続くらしい」


 ジャックは三人を無視して〈神の塔〉の出口へ向かう。


「ジャックさん? どちらへ行くんですか」


 シャルロッテが尋ねる。


「少し疲れてしまったからな。車で休ませてもらう」

「それなら回復の奇跡で」

「それには及ばない。私よりも他の者達を優先してやってくれ」


 ジャックはそう言うと、今度こそ五階層を離れる。右膝は完全に割れてしまったらしく激しい痛みを発している。腰袋から取り出した鎮痛剤を服用して、右脚を引き摺りながら歩き出す。

 生き残った者達から声を掛けられるが、丁寧に返事をする余裕はなく、片手を挙げて謝意を簡単に述べるだけに留める。


 …………。

 ……………………。


 自動車に戻ったジャックは、座席を倒して目を閉じる。

 薬効ですぐに眠気が訪れる。だが眠る前に考えるべき事があった。


 ――なぜ、低階層にあのような飛竜が出没した?


 心当たりがあるとすれば黒騎士ダンテの存在である。奴があの竜を刺激した結果、人間に牙を剥いたのか。或るいは、竜の餌となる獣達を一匹残らず駆逐した結果、食料を求めて下層に下りてきたのか。いずれにせよ、敢えて責任の所在を求めるのなら、やはり黒騎士ダンテにあるのだろう。


 それならば己も無関係ではいられない。

 なぜなら、奴も己も、元は同一の人間であるからである。


 そこまでを考えて、ジャックは死んでいった者達に少々の罪悪感を抱く。が、あくまでも少々である。連中は騎士団という職務に就いており、いつ死ぬとも分からぬことは承知の上であった筈。ゆえに深く悼むことはしない。

 また己がどうにかすれば連中は死なずに済んだ――などと考えるほど自惚れもしなければ慈悲深くもない。そういった増長は却って死者の尊厳を愚弄することを知っている。


 ゆえにジャックは煙草を銜え、長い瞬きとそう大差ない黙祷を捧げるだけに留める。

 煙草の悪臭が車内に残ることを嫌い平生は吸おうとは思わなかったが、怪我の痛みと、胸に灯った、じりじりと焼け付くような復讐の念を沈める術は喫煙しか思い付かなかった。


 長い時間を掛けて一本を灰にすれば、意識が朦朧とし始める。

 ジャックは煙草の火を消し、目を閉じた。睡魔はすぐに訪れた。


 …………。

 ……………………。


 夢を見ていた。懐かしい世界であった。己がまだダンテと名乗っていた頃――〈異邦の騎士団〉に所属して、仲間達も存命だった時分である。

 己は運転席に座り〈神の塔〉へ車を走らせていた。助手席にはベアトリーチェが、後部座席には魔術師のチェスターと、神殿騎士のヘンリーがいる。長征に必要な物資は、屋根の荷台に括り付けている。


「――ねえダンテ、僕の話聞いてるの?」


 ベアトリーチェが声を上げた。久しく聞いていない日本語であった。


「ああ、済まない。何だって?」


 ダンテが聞けば、後部座席の二人が呵呵と笑い出す。


「何って僕達のことだよ。この遠征が終わったら一緒に暮らそうよ」


 もう君の部屋だって用意してあるんだよ――とベアトリーチェは言った。


「随分急な話だな」

「急でも何でもないでしょう。付き合って何年になると思っているの」

「……二年くらいか?」

「ハズレ。二年と六ヶ月です。というかそんなことはどうでもいいんだよ。僕達だって一流の冒険者だよ。それなのにその一員がぼろぼろの長屋住まいなんて格好がつかないよ」


 そう言われて、ジャックは己が昔、安普請の長屋に住んでいたことを思い出す。


「別に格好を付けなくとも良いじゃないか。現状不便はしていないのだから」

「それはそうかもしれないけどさあ」

「分かったよ。そこまで言うのなら、今回の旅が終わってから前向きに検討しようじゃないか。せめて今だけは冒険に集中してくれよ」


 ダンテが諫めるように言えば、ベアトリーチェは不承不承とばかりに頷いた。


「今回の目標は何て言ったって飛竜だからな。何があったか分かったものじゃない」


 ダンテに同調したのはチェスターであった。年齢はダンテと同世代。陰気な顔をした魔術師である。


「然り。全員、生きて帰らなければな」


 神殿騎士のヘンリーも頷く。


 ――生きて帰る、か。


 ジャックは思う。この時は、全員が無事に帰ってくることができるものだと信じて疑いもしなかった。今迄も大丈夫だったから、きっと今回もそうだろうと――高を括っていたのだ。


 頭目かつ前衛であるベアトリーチェが防御壁を張って相手の攻撃を凌ぐ。そこに生まれた隙を後衛のチェスターが得意の魔術で貫く。ダンテとヘンリーは仲間の護衛ないし遊撃を務める。

 完成された布陣であると思っていた、だからこそ今日に至るまで、ひとりの落伍者も出さずにやって来ることができたのだと。


 だが現実は違った。

 そう甘いものではなかった。


 計画通りにベアトリーチェは結界を張るが、飛竜の吐息を完全に防ぐことはできなかった。

 チェスターの魔術による援護で漸く火勢を逸らすことはできるが、空を舞う飛竜に攻撃は届かない。

 飛竜の急襲に、ダンテは吹き飛ばされる。幸い、左手の騎士盾で防ぐことで直撃を免れるものの、左腕は折れて使い物になりそうになかった。


 だが飛竜は追撃を諦めない。爪を、牙を、吐息を以て、ダンテばかりを執拗に狙う。ダンテは右手の大剣のみで攻撃を耐えきる。堪えて堪えて、時間を稼ぐ。

 仲間達が攻撃に転じる。

 だがベアトリーチェの奇跡も、チェスターの魔術も、ヘンリーの弩も、分厚い鱗に阻まれて皮膜ひとつ傷付けることができない。


 最初に殺されたのはチェスターであった。精神力が尽きたと同時に、吐息の直撃を受けて、一瞬にして真っ黒焦げの焼死体となった。

 次はヘンリーであった。弩の装填に手間取った一瞬の隙に、踏みつけられて圧死した。


 最後はベアトリーチェであった。

 一度だけダンテに振り返り。


「ごめんね、僕は先に逝くよ。君はどうか生き残って」


 とだけ言うと、自ら飛竜に近寄り、食われてしまう。

 その瞬間、ベアトリーチェの全身が純白の光と共にばらばらに爆ぜた。

 聖職者のみに許された、命と引き換えに高威力の爆発を放つ自己犠牲の奇跡だが――。


 飛竜は死ななかった。牙の幾本かが折れ、腔内からは赤黒い血が流れているものの、炯々と光る目はダンテを捉えていた。


 …………。

 ……………………。


「ジャックさん。起きてください。大丈夫ですか」


 ジャックの意識を現実に引き戻したのは、少女の呼び声であった。

 声のする方を向けば、死んだ筈の女――によく似た娘――が己を心配そうに見詰めている。


 はて、この娘は誰だったか――とまで考えて、ジャックは自身が厭夢に魘されていたことを自覚する。


「ああ、すまない。起こしてくれてありがとう」


 嗄れた声で答えれば、娘――アリスは眉根を寄せる。


「顔色が悪いですよ。具合が悪いんですか」

「いや、そういう訳ではないのだ。夢見が悪かっただけだよ」

「夢ですか」

「ああ、本当に酷い悪夢だったよ。だが所詮は夢だ。何ともないよ」


 ジャックは言外にこれ以上踏み込むなと含ませたつもりであったが、アリスには伝わらなかったようで――或るいは敢えて無視したのか――アリスは首を傾げる。

 最初は黙殺しようとした。だが、ベアトリーチェに似た顔の女に迫られていることに堪え切れなかった。頭では赤の他人と分かっていながらも、肝心の本能が受け容れてしまった。


「ずっと前に、私は仲間と共に冒険者をやっていたんだ」


 ゆえに話してしまった。口が勝手に動いた。


「〈異邦の騎士団〉という〈稀人〉だけを集めた一行でな。私は前衛として皆を護る立場にあった。それを誇らしいと思っていたよ。以前君に見せた錆だらけの甲冑を着て、ひとかどの冒険者でいたつもりになっていたよ」


 アリスは沈黙を以て続きを促す。

 ジャックは、一体いつアリスが車内に入ってきたのかという疑問を抱くが、今更であった。


「でも俺達の――失敬、私達の冒険も長くは続かなかった。五十階層だ。誰も行ったこともない領域にまで到達した時、飛竜に襲われた。それで――皆死んだよ。何せ奴は空を飛ぶんだ。文字通り手も足も出なかったよ。私と同じ前衛で頭目だったベアトリーチェも、後衛の捻くれた魔術師も、若い私達にとっては父親のようだった豪胆な神殿騎士も。私以外、次々と死んでいった。その瞬間が未だに忘れられず、未練がましく夢に出るという始末だよ」


 アリスは暫くの間、何も言わなかった。

 唇を横一文字に引き結んだのち。


「ごめんなさい」


 と詫びた。だが、当然ジャックには謝罪の意図が分からない。


「どうして君が謝るのだ。むしろ謝るのは私の方だ。窮地を救ってくれた君に、こんなつまらぬ話を聞かせてしまったからな」

「無理に尋ねてしまったからですよ。言いたくなかったことですよね」

「それは、まあ、そうかもしれない。だが過去のことだ。いずれは過去にしなくてはならない。良い契機だと思うことにするよ。それにあの竜に一矢報いることもできたからな」


 ジャックは明るく答える。だが、アリスの表情は沈んだ儘であった。


「どうした。どうして君がそんな顔をするのだ?」

「ジャックさんに、とても嫌なことを聞かなければならないからです」


 アリスは答えた。


「嫌なこと、とは?」

「ベアトリーチェさんと、ダンテさんについてです」

「…………」


 ジャックは閉口せざるを得ない。

 どうしてとは聞かない。アリスとベアトリーチェを見間違えたことは覚えていた。何なら、今だって、少しでも気を抜けばアリスがベアトリーチェに見えてしまう。思い出が侵食されてしまう気がして、積極的な会話を避けたいというのが本音であった。


「彼女が、どうしたんだ」


 だがジャックは尋ねる。

 ここで何も言わぬことは非誠実であると感じたため。


「ジャックさんとはどういう関係なんですか?」

「ベアトリーチェは私の婚約者だった女性だ。ダンテについては――説明が難しいな。私の後悔と妄執が生み出した亡霊のようなものだと思ってくれれば良いさ」

「亡霊――」

「そうだ。ゆえに奴は死なない。だからこそ〈神の塔〉を自由に動き回ることができる。君が初めてこの世界に迷い込んだ時に、周囲の怪物を根こそぎ狩ったのも奴の仕業だよ」

「……それは、私がベアトリーチェさんに似ていたからなのでしょうか」

「きっとそうだろうな。私の亡霊とは雖も、人格は異なるから詳細は分からないが」

「でも、私とベアトリーチェさんが似ていることは事実なんですよね」


 アリスは聞いた。

 日本人らしい、黒く円い瞳をしていた。

 幼さを残しながらも整った顔立ちも、色素の薄い膚も、丸みを帯びた腮も確かに似ていた。


 ジャックは、ここは嘘でも、似ていない別人だよ――などと答えるのが、少なくとも次善だと分かりつつも肯定した。本心に嘘は吐けなかった。何より、正気と視力を失っていたとは雖も、アリスとベアトリーチェを取り違えた前科がある。


「私はアリスです。ベアトリーチェさんじゃありません」


 アリスは乞うように言った。事実乞うているのだろう。アリスという個人として扱ってほしいと願っているのだろうとジャックは思う。


「分かってる。分かっているよ」


 ゆえにジャックは頷く。頷くことしかできない。鈍感なジャックには、アリスが言の端に秘めた慕情など察しようもなかった。


「本当に分かっていますか」

「ああ。あの時は間違えて済まなかった」

「ジャックさんが、色々と私に良くしてくれるのは、私がベアトリーチェさんに似ているからでしょうか」

「それは違う。どの口が言っているんだという話になってしまうが、私も〈稀人〉で、困っているところを同じ〈稀人〉に救われたんだ。純粋な善意だよ。信用してくれとは言い難いが」

「……ごめんなさい。やっぱり信用できません」

「まあ、そうだろうな。それなら、どうすれば信用してくれるだろうか」

「名前を呼んでください。そして、褒めてください」

「……アリス君。君のお蔭で私は生き残ることができた。ありがとう」


 ジャックが言えば、ジャックさんが無事で何よりです――とアリスは笑った。ジャックには、何故アリスが笑っているのかが到底分からなかった。


 …………。

 ……………………。


 結局、飛竜襲撃の騒ぎが収束するまで三日を要した。

 騎士団、冒険者側の死者行方不明者は二十名を超えてしまった。負傷者に至っては五十名という災害染みた被害規模であったが、それでも人間の団結力が、神が放った尖兵を退けることができたゆえに人間は失望しなかった。寧ろ、怪物なぞに負けてなるものかと言わんばかりに、〈神の塔〉へ挑む者が増えたという噂をジャックは耳にした。


 懲りぬものだ、とジャックは思う。塔に挑む者達は無論、その人間を害そうと怪物を送り込む神に対しても。卵が先か鶏が先かは分からないが――その殺し合いの中で、自分のような死に損ないが生まれるのだ。復讐鬼があてどもなく彷徨うことになるのだ。そうと分かりながらも戦いを止めぬ世界に――人の命が軽い価値観にジャックは違和感を捨てきれずにいる。


 だからこそジャックは、自らが斬り捨てた人格――ダンテを連れ、行方不明となった冒険者を捜索しに来たのだが――。


「…………」


 先導するダンテが脚を止めた。松明を前方に掲げる。

 冒険者だったであろう肉塊が、行き止まりの壁に背を預けるように死んでいる。

 顔面は獣に食われているし、めぼしい装備品は剥ぎ取られている。調帯に垂れた識別札ばかりが光を反射して存在を主張している。


 ジャックは識別札を取り外すと、遺髪を短剣で切り取り、懐紙に包む。

 最後に、自らの掌に『火球』を作り出し、人間だったものに投げつけて荼毘に付す。特別、手を合わせたり、黙祷を捧げたりはしない。髪と皮膚が焦げる悪臭を嗅ぎながら、燃え尽きるのを見送るばかりである。


「先輩じゃないか。こんなところで何をしているのだ」


 背後から声を掛けられた。

 振り返ればユリアが立っていた。連れはいない。ひとりであった。


 ――俺達を追って来た癖に。白々しい女だな。


 ダンテは、ジャックにしか消えぬ声で呟くと、姿を消した。

 松明が地面を転がる。灯が消えかかるが、ジャックがすぐに拾い上げる。


「行方不明者の捜索にな。聖女殿はどうしてここに?」

「先輩が塔に入っていくのが見えたから私も入ったまでだ。それはそうと、今消えた御仁がかの黒騎士なのか」

「そうだ。聖女殿は何か用事でもあったのか」

「ああ。伝えたいことがあってな。騎士団を経由して聞かされたことだが黒騎士殿についてだ。少々拙いことになってしまった」

「拙いこと?」


 ジャックが聞けば、ユリアは周囲を見廻した後。


「先日の事件だが、飛竜が浅い階層に来たのは、黒騎士殿のせいではないかという声が上がっているのだ」


 声を潜めながら言った。


「だから彼の黒騎士を捕らえて罰せよ過激派は主張している。この意見に賛同する者は思いの外多い。私だけでは止められない」

「……理由を聞いても?」

「黒騎士殿が龍を突いたから、竜が怒り、浅い階層に来たのではないかと言われている」

「なるほど。中々に的を射た意見だな。事情は相分かった。本人にも伝えておこう。尤も、聞き入れてくれるかは保証しかねるがね」

「……黒騎士殿は先輩が生み出した霊体なのだろう? 制御することはできないのか」

「生憎ながら話はそう簡単じゃない。私が産み出した人格であることに違いないのだが、奴は諦めなかった方で、私は諦めてしまった側だからな。水と油のような関係なのだ」

「そうか。難儀なものだな。私からも、今一度無茶な行動を控えるように周知徹底するつもりだが、期待はしないでくれ。それと、私達〈盾の騎士団〉が黒騎士殿と対峙した場合、殺さないでくれると助かる」

「そこに関しては問題ないだろう。私達の目的はあくまで竜退治――仲間の敵討ちだからな」

「それを聞いて安心したよ」


 ユリアは言った。その頃には、遺体は完全に灰になっていた。


「他に伝えたいことは? ないなら私は引き揚げるつもりだが」

「アリス殿について気になることがあってな」

「ん? 彼女がどうした。何か迷惑をかけてしまっただろうか」

「いや、そういう話じゃない。ただ、何と言うか――その、近頃何かあったのか?」


 ユリアの言葉は抽象的で、ジャックには言いたいことが汲み取れない。


「何か、とは」

「最近、どうにも張り切っているように見えるのだ。無理をしているようにも見えて、正直痛々しく思えてならないのだ。先輩が何か吹き込んだのではないか」

「吹き込んだとは心外だな。しかし心当たりはないな」

「本当か。先輩は人(たら)しだからな。信用に欠けるな」

「本当だとも」


 ジャックは素直に答える。己が復讐に囚われたつまらぬ人間であるという自覚はあれども、他人に好かれるような要素など持ち合わせてはいないという妙な確信を持っていた。それで良いと思っていた。誰から好かれずとも、過去に誰かを愛した記憶さえあれば生きていけると本気で思っていた。


「聖女殿。話がそれまでなら出口まで送ろう。他に用はないのだろう」

「もう一件良いだろうか」

「どうした?」

「先輩は、まだベアトリーチェ殿のことが好きなのか?」

「…………」


 まるで意図していなかった問いに、ジャックは足を止める。

 ユリアを見れば、ユリアもジャックを見詰めていた。


「……ああ、好きだよ。愛している。魂を取り戻して、もう一度会いたいと思う程度には」

「――そうか。そうだよな」

「なぜ、今そのような話を」

「いやなに。私も、先輩が好きだ。私だけじゃない。シャルロッテもアリス殿も、皆先輩のことが好きだろう。だから、その、何と言うかな。寂しそうな顔はしないでほしいと思ったのだ。先輩は立派な人間だ」

「聖女殿。私はそんなに寂しそうに見えるのか」

「ああ。どこかに、ふらりと消えてしまいそうだ。見ていて怖くなってしまう」

「そうかい。だが復讐を果たすまでは私は消えないよ」

「それを聞いて安心したよ」


 ユリアは歩き出す。

 その後ろ姿を見ながらジャックは考える。


 自分は誰かに愛されるべき人間なのだろうかと。答えは出なかった。

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