八 The Twin Sisters
小窓と私は、祥子さんの部屋に行った。
初めて祐子さんの部屋に入った時のことを思い出す。
引っ越し用の段ボール箱が三つ、古いトランクの上に積んである。
「段ボールは住んでいた京都の家から送った。トランクは病院から持って帰った」
「トランクには何が入ってるの?」
「開かないのよ」
四桁のダイヤル式ロックが掛かっている。
「衣類が見当たらなかったから、この中かなと思う。…お母さんの下着とか見たい?」
「ばか」
小窓は段ボールを開けて写真を探した。
高校の卒業アルバムで見つけた祥子さんは、確かに祐子さんに似ている。大学時代の写真はない。「弥生」の成長を綴ったアルバムがあった。最初のページのお宮参りの写真は、大学を卒業してから一年も経っていないはずだ。小中高の入学式と卒業式、ちゃんと写真館で撮影している。
アルバムは、アイドル如月弥生の写真で終っていたが、最後に、あの写真が挟んであった。
「これ、関根が持っていた写真だ。共通の友達に送ってもらったと言っていた」
「これがそうなの? 私の大学の入学式の後の写真。自撮りだよ」
自撮り。この写真を関根に送ったという友達が撮ったわけではないのか。私はこの写真を見た時、祐子さんだと思ったが、だんだん、彼女の顔が思い出せなくなってきた。祐子さんは顔を描いたり撮ったりさせてくれなかった。脳内にしかない顔が写真の祥子さんに上書きされていく。
「最後の写真かも」
小窓はページを戻しながら聞く。
「どう? 似てる?」
「うん。似ているというか、同じ人に思える」
「同一人物だとしたら、オーナーの愛したモデルは、偽名を使った私のお母さん?」
「考えたことはある…」
「オーナーが私のお父さん?」
「それは違う」
「じゃあ、私のお父さんとオーナーに二股を掛けていたことになる」
関根の顔が浮かんだ。
「そうは思いたくないな」
「そうだね。じゃあ、そっくりの双子という可能性は?」
「分からない」
「もし、双子がいるなら、オーナーがそのモデルさんとエッチしていたとしても、私はオーナーの娘ではないということよね?」
「だから、私は祐子さんと結ばれていない…」
その記憶さえも、いつかの夢の光景に上書きされて、「結ばれた記憶」ができつつある。しかし、小窓の関心の中心はそこではないようだ。
「お父さんでないことが分かったら、ダーリンになってもらえる?」
返事に困った。
彼女が私を愛していて、私もそのことを知っている。それはいつの間にか二人の共通認識となっていた。私の心の中でも小窓の存在は日に日に拡大している。しかし、それを抑え込もうとする力も弱くない。小窓が私の娘ではないにしても、祐子さんと祥子さんが同一人物なら、その娘である小窓を愛してはいけないと感じてしまうのだ。
何も答えない私に、小窓は言う。
「…私はただの店員?」
「それは違う。信頼できる有能なバディだと思ってるよ」
「やっぱり仕事だけの関係?」
「愛すべき同居人でもある」
「同居人…」
「あんまり責めないでくれ。君と私の関係には今、名前が付けられない。だが、間違いなく失いたくないパートナーだ」
「うん。ありがとう。それでいい」
このもどかしい関係に答えを出すためには、祐子さんと祥子さんの謎を解かなければならない。
気が付くと、おばあさんが、お茶とお菓子を持って立っていた。
「あなたたち、名前の付けられない関係なのね?」
「あ、いや」
いったいどこから聞いていたのだろう。
「生きている間に、ひ孫を見せてもらえそうですか?」
「え? え?」
「おばあちゃん、何を言ってるの?」
「愛があれば年の差なんてと言うでしょ。私とおじいさんも、十五離れてましたのよ」
おばあさんは舌を出して、お茶を置いて帰って行った。
「おばあさん、八十代にしてはお茶目に際どいこと言うね」
「そう? そういえば、女だけの家族だったし、お母さんも私に恋愛や性のこと、割りとストレートに話したよ。もっとも、自分の体験は何も言わなかったけど」
晩ご飯はガーリックソースたっぷりのステーキを焼いてくれた。夜は、小窓と私の寝床を同室にしてしまった。広島では同居はしているが、同じ部屋に寝たことはない。
二人は布団の上に正座した。
「しないよ」
「させないよ」
翌朝、おばあさんはニヤニヤと笑いながら、生卵や山芋を使った朝ご飯を作ってくれた。
私はおばあさんに聞いた。
「祥子さんの大学はどこだったんですか」
「横浜の美術系の…えっと、名前は忘れた」
「横浜! 横浜芸大ですか?」
もしそうなら、私や祐子さんと同じ大学である。
「うーん。思い出せない。もう、物忘れがひどくてねえ」
「そうですか」
「ごめんなさい」
「あ、じゃあ、この家族の本籍地はどちらですか」
「調べられますか? 祥子に双子の姉妹がいるかどうか」
「はい。小窓、いや弥生さんの気持ち次第ですが」
「おばあちゃん。オーナーの大学時代の恋人が、うちのお母さんにそっくりなんだって」
「そういうことやったのね。私ら夫婦の本籍はこの舞鶴よ。祥子も弥生が生まれたときにここで本籍を取った。変えてなければ弥生も祥子の戸籍にあるはずですわ。もし、双子の姉妹がいたのなら、教えてください。祥子にそっくりな子がいるなら会いたい。あの時、『二人は無理』と言ってしまったこと、ずっと心に掛かってるんです」
帰り支度をして、おばあさんにお礼を言うと、ポケットに栄養ドリンクを入れてくれた。
市役所に行くために、タクシーを呼んでもらったが、先に祥子さんの眠る、高坂家のお墓に行った。ちょうどお盆でもある。
花と線香を手向け、手を合わせる。煙の中に祐子さんの顔が浮かんだ。
「祐子さん…」
「オーナー、ここはお母さんのお墓だよ」
「あ、あ、そうか」
待ってもらっていたタクシーに乗り、舞鶴市役所に着いた。
住民課の窓口の人に事情を説明すると、「まず、ご自身の戸籍の全部事項証明書、いわゆる戸籍謄本ですが、それを取ってみてください」と言われ、その請求をした。
戸籍謄本を見ると、筆頭者が高坂祥子で、祥子自身は死亡届が提出されている。その下の段に弥生の名前がある。弥生の父欄は空白であった。
「分かってることだけど、こんな風に登録されているのを見てみると切ない」
係の人が解説をしてくれる。
「あなたが、お母さまは養子だったとご存知とのことなので、お伝えしますが、この祥子さんの欄の『民法817条の2によりうんぬん』というのが、特別養子縁組で、現在の父母の戸籍に入ったということを意味します」
「分かる人が見れば分かるということですね」
「はい。まあ、今どきインターネットで調べれば、誰にでも分かってしまいます。次に祥子さんの親御さんの戸籍を請求してください」
小窓は言われるままに、請求書を書いた。
今度のは、さっきと違って縦書きで、手書きの文字もある。
「これは、祥子さんの育ての親、高坂誠二さんの『原戸籍』というものです。バッテンが付いているのは亡くなったか、ほかの戸籍に移ったという意味です。誠二さんは死亡で、祥子さんは子ができたためにこの戸籍から抜けて、八重子さんだけ残っています」
「誠二は祖父で、八重子は祖母。祥子は母です」
「祥子さんが『長女』として記載されていますが、この戸籍では、実親が誰かということは分からなくしてあります」
「行き止まりですか」
「いえ、次に祥子さんの実親の戸籍に遡るのですが、特別養子縁組ですと、一旦、祥子さん一人の戸籍を挟みます。その一人戸籍は、苗字は養親に変えるのですが、なぜか本籍地は実親のところのままなんですよね。ここ舞鶴市ではなく、宇治市となっています」
「宇治市って京都の? 今のお話、理解できてないんですけど、それは見せてもらえるのでしょうか」
「ここからでも請求は可能なんですが、少し時間がかかります。お待ちいただけますか」
宇治市役所に電話で問い合わせてもらったところ、すぐに出るらしいのでお願いして、請求書を書いた。十五分ほどで、高坂祥子一人だけ書かれた謄本が出てきた。
「この戸籍はすでに、誰もいないので、除籍謄本といいます。ここに書いてある、もう一つ前の戸籍が実親の戸籍となります。広沢悦男さんという方の籍ですね」
「広沢?」
「お母さんは堂園家からの養子じゃないんだ。堂園祐子という名前の双子なんていないってこと?」
私は係の人に聞いた。
「その戸籍にこの子の母親の双子の姉妹がいるかどうかを知りたいんですけど、その戸籍も取り寄せできますか」
「はい。先ほどと同じくらいお待ちいただくようですが」
小窓は私の袖を引っ張った。
「ちょっと待って」
「え?」
「苗字が違うのよ。堂園祐子さんなんていない。お母さんの双子なんていないんじゃないの?」
「そうとも限らないよ。その後、苗字が変わる可能性もある」
「その戸籍を見るのが怖い。ちょっと考えさせて」
「そうか。分かった」
広沢家の戸籍を見れば、双子の姉妹「祐子」の存在の有無が分かるのだが、そこにその名がなければ、それは祥子さんが名乗った偽名。つまり、祥子さんは、小窓の父親と私に二股をかけていた疑惑が濃くなる。それでも私は知りたいが、小窓に無理強いはできない。
係の人は、郵便でも広島の役所でも請求できることを教えてくれた。お礼を言って、市役所を出る。
舞鶴の駅から京都に向かう。「京都の街に出てみるか」と聞いたが、「行かない」と拒んだ。京都は地下アイドル「Dreamy Melody」の本拠地だった。ここに小窓の黒歴史が潜んでいるような気がした。
京都駅で新幹線のチケットを買っている時、小窓は何を見たのか、怯えたように顔を伏せて、私の陰に隠れた。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
新幹線では顔にタオルを掛けて眠った振りをしていた。広島に着いて、在来線に乗っても、小窓は周りを気にしていた。
写真館に戻るとようやく、小窓は普通に戻った。
スタジオの窓を開けて、空気を入れ替えながら言う。
「ごめんね。戸籍の追跡を断って」
「いや、それは私がどうこう言うことではない」
私は二人分のコーヒーを淹れる。
「双子の姉妹がいなければ、やっぱり、あの写真のモデルは私のお母さんってことになる。そしたら、オーナーが私のお父さんかもしれなくなる」
小窓はそれを恐れていたのか。
「それはないから安心しろ」
それはないとしても、小窓が祐子さんの娘だとしたら、私は実の母と子を愛してしまうことへの背徳感を背負うことになる。
「じゃあやっぱり、あの人がお父さんなのかしら」
「そうかもしれないよ。心当たりがあるんだろう」
「お母さん、二人に愛されたのかな。オーナーが愛したモデル…ちょっと妬ける。それがお母さんだったら、私、どうすればいい? 娘にしてくれる? お母さんの代わりにしてくれる? それとも消えてなくなるべき?」
「言ってること、無茶苦茶だぞ。どれも違う。娘にも、祐子さんの代わりにもしない。ましてや、絶対に消えてなくなったりさせない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「どうもしなくていい。そのままでいてくれ」
自分も何を言っているのか分からない。
私の中でも小窓への思いは確実に膨らんでいる。しかし、踏み込もうとすると、祐子さんの幻影が現れる。その祐子さんがまた、小窓の母親かもしれないという相関図は、外れない知恵の輪のようだ。




