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七 The Different Name

 小窓が写真館に帰って来た。関根の名刺を見せながら、まず、顔認証アプリのことを話した。

「もう、ネットに顔や名前が出ないように気を付けような」

「うん、そうだね。怖い世の中だね」

 私は関根の印象について語る。

「そんなに悪い人じゃないような気がしたんだ。お母さんが死んだことや父親がいないことも知ってたぞ。最近、共通の友達に聞いたらしい」

「オーナー、まさか信じたんじゃないでしょうね。IT(アイティー)企業の社員なら、戸籍のデータでも盗めるんじゃない? 私のプライベートを調べまくったんだよ。『お前のことは何でも知っている』という強迫よ。ジワジワと近づいて、私に恐怖を与えようとしてるんだわ」

「だとしたら、(たち)の悪いストーカーだが、さすがに戸籍のシステムはハッキングできないだろう」

「そうなの? その親子の写真、子ども、確かに私だった?」

「どう見ても君だった」

「そう。じゃあ母親の方は?」

「…高坂祥子と言っていた」

「…」

「君のお母さんの名前か?」

「…うん」

「どうして君と苗字が違うのか。聞いてもいい?」

 小窓は少し躊躇って告白した。

「私の本名は高坂弥生。…吉木小窓は駒戸芳樹に近づくための偽名だったの」

「偽名…」

「ごめんなさい!」

「私の気を引くために、偽名を名乗ったのか」

 小窓は涙をこらえるような顔で言う。

「ごめんなさい。嘘つき女よ。嫌いになる? クビ?」

「姓名逆の同姓同名なんて出来過ぎだとは思っていたが…」

「ごめんなさい」

 偽名を使われたことはショックだが、もはや小窓を嫌いになどなれない。

「いや。そのまま、小鳩写真館の小窓ちゃんでいてくれないか」

「そうしたい。黒歴史を忘れたい。生まれ変わりたい。吉木小窓はそのための名前でもあるの」

 生まれ変わりたい。自分のヌード写真を撮ったのは、そのためのイニシエーション。よほどの理由があるのだろう。

「黒歴史、いつか話してくれ。急がなくていい」

「うん。ありがとう。オーナー…」


 しばらく考えて、私も決心した。

「じゃあ、私も告白しよう。嘘ではないのだが、黙っていることがある」

「黙っていること?」

 まだ、私に嘘をついていたことの謝罪の気持ちが続いているのか、いつもの元気がない。

 雑誌のあのページを開く。

「この人のことだ」

「オーナーの好きだった人?」

「堂園祐子さんという」

「高坂祥子ではない。お母さんじゃないのね?」

「違う。祐子さんだ」

「うなされていた時に、寝言で言っていた名前」

「あの時は祐子さんの夢を見ていた」

 私は、堂園祐子の思いを語った。筋肉スケッチからヌードデッサン、そして、最後にその写真を撮らせてくれたこと。そして、二人に男女の関係はないまま、連絡が取れなくなったこと。数年後にその写真で受賞したこと。

「愛し合っていると分かっているのに、モデルとカメラマンの関係にこだわって、男女の関係にならなかったということ?」

「こだわってというか、モデルとカメラマンがそういう関係になっちゃいけないと思ってた…」

「そうなの…」

「それが。こないだ、関根が見せた母子の写真。娘は君で、母親の方はその祐子さんに見えた」

「関根は高坂祥子だと言ったんでしょ? お母さんと祐子さんはそっくりということ?」

「私の記憶の祐子さんは二十代だ。それ以来、会ってないんだから、別人だと言われれば、そうですかと言うしかない」

「オーナー、祐子さんの写真を見せてよ」

「この顔の写っていないヌード写真しかない。秘密の関係だったからね」

「そう、ないんだ」

「うん…」

「逆に私は、この雑誌の写真をお母さんだと思ってた」

「本当にそう思ってたのか」

「思ってた。お母さんを裸にした男に憎しみもあった。そして、それが私たちを捨てた父親だと思っていた」

 心が疼く。

「それで最初に来た時、あんなに睨みつけてたんだ。証明写真の顔じゃなかった」

「この人は、そんなに酷い人じゃないと見抜いたよ」

「そうか。…なぜ、この写真をお母さんだと思ったの。顔が見えないのに」

「確かにこれじゃ誰だか分からないね。でも、そう思う理由はあったよ」

「どんな理由?」

「この雑誌、お母さんの最後の入院先にあったの」

「最期の枕元に?」

「このページの付箋はお母さんが貼ったんだと思う。お母さんが『この写真を撮った人を探して』と言っているような気がした」

 そこに付箋を貼る人といえば、この写真に特別な思い入れがある人。小窓が自分のお母さんだと思う理由としては説明がつく。

 高坂祥子と堂園祐子は同一人物…。そして、その娘が小窓。いつかの突飛な仮説に繋がる。

「お母さんの大学は?」

「私が大学に入るとき、自分も美大卒だと言っていたわ」

「美大? どこの?」

 私と祐子さんは、横浜の同じ美大にかよっていた。

「分からない。大学時代の話は聞いたことがない。父親の話になってしまうからだろうね。私も聞かなかったし」

「祥子さんにとって、君の父親の名前は絶対のタブーだったんだろうな」

「…」

「年は?」

「生きていれば四十四」

「私より二つ上」

 …それも祐子さんと同じだ。祥子さんと同期生だと言っていた、関根も私より年上ということか。

「私をダンススクールに通わせてくれて、芸能活動も応援してくれたよ。自分も若い時からダンスを続けていて、しなやかで綺麗な身体をしてた」

 祥子さんもダンスをしていたのか。祐子さんは舞踏サークルだった。

「君は、お母さんの写真を持ってないの?」

「悲しくなるので遺影とか持ち歩いたりしてない。写りたがらない人だったし」

「どこかに行けばあるのか」

「京都のおばあちゃんに遺品を送った。お母さんの卒業アルバムとか、私と写った記念写真とかはあったよ」

 私が「京都、行こうか」と聞くと、小窓は少し考えて、「そうねえ。お盆のお墓参りに行かなきゃねえ」と同意した。


 写真館のお盆休み、新幹線で京都に向かう。

 小窓との旅行に少し浮かれている自分に気付くが、小窓はそんな(ふう)でもない。

 新幹線は京都に着き、在来線で舞鶴に向かう。日本海が美しく見える町、高坂祥子の故郷らしい。駅からタクシーで十五分、高坂家こうさかけに着いた。

 小窓の祖母、八重子さんは八十代。連れ合いには先立たれ、大きな日本家屋に一人暮らし。大事な一人娘の祥子さんが亡くなり、血縁者は小窓こと、本名高坂弥生だけらしい。

 おばあさんは、二人を土間の玄関に迎え入れた。

「弥生ちゃん、いらっしゃい。ちょっと見ない間に大人になったねえ」

「お母さんの納骨の時に来たじゃない。あれから半年も経ってないよ」

「そうか」

「あ、こちら、私の写真の師匠の駒戸芳樹さん」

「こんにちは。広島で写真館を営んでおります駒戸と申します。よろしくお願いします」

「広島って? それはそれはこんな遠くまで、すみませんねえ。よろしくお願いします。…で、弥生ちゃんはいつの間に広島に行ってたの? 写真をやりたいみたいなことは聞いたような気がするけど」

「おばあちゃん、黙っててごめんね。納骨のあと大学を辞めて、駒戸さんに雇ってもらったの」

「あら、大学を辞めたの? 学費は出してあげると言ったでしょ」

「ありがとう。ごめんね。いろいろあって、誰も思いつかないところに行きたかったの。だから、誰かに聞かれても、広島のことは言わないでね」

「また、変な男に追われてるのと違う? 弥生ちゃんはかわいいから、悪い虫が群がるみたいで、心配よ」

「大丈夫、おばあちゃんは心配しないで。このオーナーが守ってくれるから」

「あらあら、そう。いったい、どんなご縁があったのかしら」

「おばあちゃん。そういうのとは違うからね」

「違うの? 駒戸さん、失礼ですけど年はおいくつですか?」

「四十二です」

「そうですか。若い男より頼り甲斐があっていいですよ。事情はよく分かりませんけど、弥生をよろしくお願いしますねえ」


 純和風の家の中で。そこだけ洋風の客間に通された。ソファーに座って待っていると、おばあさんは紅茶を淹れてくれた。

「恐れ入ります」

「どうぞ、お楽になさって」

「ありがとうございます」

 小窓が用件を切り出す。

「今日はお母さんの写真を探しに来たの」

「あなた、持ってないの。持っといておやりよ。と言っても、うちも仏壇なんかに置きたくないから、特別なのはないわ。子どもの頃のアルバムならあるけど」

「私が送った遺品は?」

「そのまま祥子の部屋に積んであるよ」

「あとで探してみる。じゃあ、先にお母さんのこと教えて。私の出生について、知ってることない?」

「あなたのお父さんのことね。結局、私にも言わなかったよ。あなたにも言わなかったの?」

「うん。聞かなかったし」

「そう。大学を卒業してすぐに、妊娠が分かったのよ。しかも、相手の男のことは言わないし、絶対に産むって言うし。おじいちゃんは怒って『勝手にしろ!』って、追い出したの。修羅場やったよお。祥子も意固地なところがあるからねえ。この町を出てあなたを産んだのよ。もちろん、私は産前産後としばらくはついていてあげたけどねえ」

「大変だったんだね。私って生まれない方が良かった感じの子?」

「ああ、違う違う。そんなことは絶対にないのよ。おじいちゃんは祥子が可愛くて堪らなかったんやから、すぐに後悔してたよ。弥生を連れて帰ったら、もうメロメロやったよ」

「そう。よかった」

「小学校に入る前までは、ここで一緒に暮らしてたでしょ」

「かすかに覚えてる。小中学校は神戸で、高校時代は京都で暮らしてた。お父さんのいない同級生はいっぱいいたので、そのコンプレックスはなかったよ。お母さんはそのために都会暮らしをしたのかなあ」

「そうやね。そんな話は聞いたことがあるよ…。実はね…」

 おばあさんは、言葉に間を開けた。

「納骨の時に言おうとして言いそびれたんやけど」

「何?」

「祥子と私たち夫婦は、血が繋がってないのよ」

「え? どういうこと? 養子?」

「うんまあ。子どもが出来(でき)ないまま、私も四十(しじゅう)近くなってねえ。特別養子縁組というもので、祥子はうちの夫婦の子になったのよ」

「何が特別なの」

「実の親とは完全に縁を切って、お互いのことは知らせずに、戸籍上、実の親子になることよ」

「お母さんは知ってたの?」

「余命宣告をされた時に言ったんやけど。…なんか、知ってたみたい」

「何て言ってた?」

「私のお母さんはお母さんしかいないから、と言ってくれたよ。ありがとうって」

 おばあさんは堪えきれずに泣きだした。小窓も泣きだした。

「私のおばあちゃんもおばあちゃんしかいないよ」

「そうかそうか。ありがとうねえ」

 しばらく、二人で泣いていた。私は見守るしかなかった。

「どうしても跡継ぎが要るような家でもなかったけど、子どもは欲しかった。男の子でも女の子でもいいと、役所の人に相談したら、『双子はどうか』と言われたの。私もそんなに強い方じゃなかったし、四十(しじゅう)で同時に二人はきついなあと言ったら、女の子を紹介してくれたの。それが祥子。まだ0歳やったけど、名前はついてた」

「双子?」

「お母さんには双子の姉妹がいたのかもしれないってこと?」

 私と小窓の脳裏に、同じ顔の高坂祥子と堂園祐子が浮かぶ。

「祥子がその双子の片方かどうかは知らないのよ。戸籍を辿れば分かるのかもしれないけど、そういうことをしないのが、特別養子縁組。もし、調べて、もう一人の子が不幸になってたらいたたまれないでしょ」

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