四 The Dark Room
即日、不思議な同居生活が始まった。愛人疑惑や隠し子疑惑が囁かれないように気をつける。雇用関係的に、彼女には私を「オーナー」と呼んでもらうことにした。私は、人前では「吉木さん」と呼ぶが、彼女の希望により、二人の時は「小窓」と呼び捨てた。私に対する話し方もフランクになっていった。
四月の新学期を迎え、入学式の記念写真が何件かあったが、さほど忙しくはない。小窓は、隣の美容院で長い髪をばっさり切ってきた。日に日に表情が明るくなり、よく通る元気な声で、接客する。看板娘の登場は閑古鳥写真館の雰囲気を一掃してくれた。以前から、カメラマンになりたかったらしく、「写真を教えてほしい」と頼まれて、空き時間には写真の基本を教えてやった。
並行して、小窓が「やりたい」と言った写真館改革を始めた。外観もスタジオも、レトロ感を残しながら清潔でおしゃれなイメージにリノベーションした。町内の建材屋から端材とは言い難い材料を、ただでもらってきたと言う。おそらく、あの「目力」を使ったのだろう。大工仕事も器用にこなした。大学の演劇部では、舞台には立たずに、大道具を担当していたと言う。
企画力も素晴らしい。入学式のシーズンが終わると、「乳児無料撮影キャンペーン」を始めた。私が最も不得意な被写体、「赤ちゃん」がターゲット、。子育てに疲れ気味のママを綺麗にメイクして、赤ちゃんを白鳩のパペットであやす。私はライティングして、ピントを合わせてシャッターを押すだけ。何か月健診とかの機会に口コミで広がった。無料で技術を提供することには抵抗があったが、店のPRとして使わせてもらうという条件がある。幸せそうな母子の写真を、彼女の作ったSNSページにアップすると、お客さんが拡散してくれた。
入学式の写真を撮った家族や乳児キャンペーンに来た母親に、「端午の節句記念写真割引券」を配っていたため、次々と予約が入った。「結婚記念日に写真で仲直り」とか「壮年若見せ撮り」とか「元気なうちに笑顔の遺影」とか、ちょっと不謹慎な名前のキャンペーンもヒットして、売り上げは累積的に増えていった。
活気を取り戻した写真館の忙しい日々。変な感じになるのではないかと不安だった同居生活も、人間としての相性がいいのか、気を遣わずに過ごすことができた。
ある夜のこと、私が風呂で湯船に浸かっていると、電球が切れて真っ暗になった。脱衣所の灯りは点いていて、すりガラスに小窓のヌードが映った。風呂場の電灯のスイッチをパチッと押したが、点灯しないことには気付かず、扉を開けて入ってきた。
「きゃあ、エッチ!」
奇声を上げて、脱衣場に戻った。
「そっちが入って来たんだろうが」
「なんで、真っ暗なお風呂に潜んでるのよ」
風呂は一つしかない。どちらかが入る時、片方はスタジオで仕事をしているという暗黙のルールができていた。
「潜んでるわけじゃない。電球が切れたんだよ」
「見た?」
「真っ暗ではっきりとは見てないよ」
「ぼんやりとは見たんだね」
「ぼんやりとな」
「恥ずかしい。モデルになって写真を撮ってもらった時は、そう思わなかったのに」
「当たり前だ。裸の意味が全然違うんだ」
「どんな風に?」
「いいから、服を着て、一旦外に出てくれ。私が出られない」
「いいよ、出てきて。オーナーのヌード見てあげる」
「ばか」
写真館に来てからわずか二か月であるが、アシスタントを務めながら写真技術の習得にも熱心である。随所にセンスも感じる。
「そろそろ、撮ってみるか」
「よろしくお願いします」
満面の笑みで頭を下げた。ちょっと古風な言葉だが、「内弟子」だ。子どものいない私から、小鳩写真館継承の神器、あのニコンF2を受け継いでくれそうな人間が現れた。
その機械式カメラは、写真の基本を学ぶのに最適である。しぼり、シャッタースピード、ピントなどの知識は、フルオートカメラの設定を調整するときにも、デジタル補正をするときにも必要である。何よりも「光を捉える」というカメラマンの重要な感覚に直結する。
そう思って、ニコンF2を取り出したところ、前のフィルムが入ったままである。
小窓のヌード写真。
忘れていた訳ではない。現像するかどうか、本人が意思表示するはずだった。フィルムは生き物、カメラごと保管には気を付けていたが、そろそろ劣化が始まる。
「これ、どうする?」
「ああ、もう捨てられたのかと思った。もちろん、写真にするよ。なんであの時、迷わせるようなことを言ったの? 私の裸を見ておいて。脱ぐ前に言えよと思った」
「君が怖い目で脅すからだよ」
「酷ーい。覚悟を伝えたんだよ」
「それはすまなかった。じゃあ、現像するから、横で見てなさい」
「どこかに投稿したりしないでね。オーナーと私だけの秘密よ」
笑って言う。祐子さんのヌード写真を許可なく応募して受賞したという、後ろめたい古傷に触られる。その過去を知っているとしたら痛烈な皮肉だが、この娘に、そんな裏表があるとは微塵も感じられない。
「するわけないだろ」
古い写真館には暗室がある。私も久しぶりなので慎重に作業する。手袋を着けて、フィルムをパトローネから少し引き出し、リーダー部分をハサミでカット。リールに巻き付けて、現像タンクに入れる。現像液、停止液、定着液の温度を計測する。今度は時間を計りながら、それらの薬液を順にくぐらせて、水洗、乾燥。昔の写真屋は、カメラの技術に加え、この恐ろしく手間のかかる作業を日常的にこなしていた。小窓も尊敬の目で見ている。
乾燥を待つ間、一旦、暗室から出る。
小窓はそこまでの工程をメモに起こしていた。そして、分からないことを熱心に質問した。私も真面目に答えた。粒子が作るフィルム写真の優しさは普遍であり、デジタルがアナログすべてを代替するものではないことを伝えた。
そして、紙焼き作業のために、再び暗室に入る。引き伸ばし機にフィルムをセット。印画紙に像が浮かび上がる。
「私のヌード…」
「きれいだ」
「ほんと?」
「私の作品の中で、二番目の傑作だ」
「何よ。一番って言えばいいじゃない。決死の覚悟でモデルになったんだからね」
「ごめんごめん」
「正直なんだよね、オーナー。一番は、あの写真なんでしょ」
雑誌の受賞作品のことを言っている。
「いや…」
「あのモデルさんとは、どういう関係だったの?」
「モデルとカメラマンの関係だ」
「それだけ? あの人のこと、好きだった?」
「…」
「好きだったのね。どうして別れちゃったの?」
「…私が不器用だからだ」
あまりに直球な質問に、あのモデルが好きだったことを白状してしまった。
暗室を出ると、小窓はあの雑誌を取り出して、写真の横に焼きあがった同じポーズの自分の写真を並べて見ている。
「この人と、私、似てる?」
「そうだな。筋肉の付き方がそっくりだ」
「この人、ダンスやってたみたい…」
「もしかして、君はこの人のことを知ってるのか」
「お母さん…」
「え?」
「すぐ、信じる。嘘に決まってるじゃん」
「悪い冗談だ」
「ごめんなさい」
小窓の写真をフォトフレームに入れて、プレゼントした。
「焼き増しとかしないでね」
「フィルムどうする?」
「オーナーが保管しておいて」
小窓はもう一度、自分の写真を見て、胸に抱きしめて、部屋に置きに帰った。
あの人もフィルムは持っていてくれと言った。今でも、スケッチブックに挟んだまま、段ボール箱に入っているはずである。
あの雑誌がテーブルに置いてある。実は、私はもう持っていない。過去の栄光にすがらないようにと決心して捨てた。
付箋の着いたページを開く。初めて気付いたのだが、縦位置の写真が右ページいっぱいに裁ち落としで掲載されているため、そのページにはノンブルがなく、左ページに「34 35」と二ページ分が振ってあった。
「祐子さんは今、どこで何をしているのだろうか」
祐子さんの、文字通りの「献身」を思い出す。モデルとカメラマンの関係にこだわり、祐子さんの愛をストイックに押し返した。なんと、酷い男だろうか。普通に、ただ普通に受け止めてあげればよかったのだ。それがたとえ、短い劣情の交錯、刹那の快楽に終わるものであったとしても。
翌日は弓野中学校の体育祭だった。
男子の一団が、私の若いアシスタントに群がって、「お姉さん、めっちゃかわいくてスタイルいいですね。僕の恋人になってくれませんか」などと言って絡んでくる。小窓は怯むことなく、「ありがと。私と付き合いたかったら、もっともっとクールな男になりなさい」と言い放って、ウインクをした。言った中学生は目が点になってフリーズした。私は、「こらこら、思春期の男子を刺激するな。出禁にされるぞ」と言った。その中学生グループ七人は、ダンス部のユニットだったらしい。後日、「小窓さんファンクラブ」を結成したことを報告に訪れた。
小窓の技術は目覚ましく伸長している。証明写真は任せてみた。魔法の言葉、「猫の目四分の三、アヒルのくち三分の二」の伝え方は、私より上手い。
カメラマンが二人になった小鳩写真館は、多くの予約を受けられるようになり、小窓にも給料が払えるほどになった。
そんなある日、お客が切れて、小窓は私にお茶を淹れてくれようとしていた。
その時、私より少し若いかという男が、店のドアを開けて入ってきた。
「すみません。如月弥生さんという女性をご存知ないですか」
不審に思いながら答える。
「知りませんけど、どうかされましたか」
「この人なんですけど」
スマホの画面で、マイクを持ってステージに立っている若い女の子の写真を見せる。
少しあどけないが、小窓に間違いない。振り返ると、淹れかけのお茶を残して姿を消している。彼女にとって好ましくない男なのだと思った。
「このアイドルさんを、どうして私が知っていると?」
男は別の写真を見せる。
「こっちの写真は、この町の中学校のホームページで見つけたんですけど、提供、小鳩写真館と書いてあります。ほら、ここに写っている女性。如月弥生じゃないでしょうか」
中学校の体育祭の写真。ピースサインをする男子生徒の後ろに小窓が小さく写り込んでいた。
「確かに私が撮りました。小さくて分かりませんが、保護者か先生じゃないんですか」
「なるほど…」
男が諦めて帰って行くと、小窓はバックペーパーの後ろから出てきた。
「あの男、私のストーカー」
「小窓のストーカー? 如月弥生を探してるみたいだったよ」
「私の芸名」
「芸名って、君は芸能人だったのか」
「地下アイドルだから、テレビに出たりすることはなかったけど」
「いったい君は…」
「所属していた事務所から、変な男が君を探しているとメッセージが来てたの。写真付きで。最近、グループのライブを出待ちしてた男が、私のことを聞き回ってたって」
「何か、酷いことをされそうな感じなのか。警察に相談するか?」
「あの男は初めて見たから分からないけど、警察は何もしてくれない」
…ほかにもいるのか。
「君のことは私が守る」
「ええ! なんてうれしいことを言ってくれるの」
「…」
「あ、照れてる」
「また、からかう」
「ありがと。オーナー」
如月弥生とは何者なのか。その夜、スタジオの事務デスクのパソコンで検索してみた。「Dreamy Melody」というグループのSNSアカウントにヒットした。京都が拠点らしい。華奢な子が多い地下アイドルの中で、「ドリメロ」は長身やスポーティーな女子を集めており、ファンの年齢層は少し高めらしい。リーダーの弥生ちゃんは二列目で、小柄なセンターを肩に立たせる大技を持っていた。顔写真を見ると、やはり小窓だ。あのしなやかな動きや筋肉は、そこで身に付けたものだったのだろう。そして、三年前に「卒業」していた。引退理由は学業専念、大学に入った時期にでもなるのだろうか。
小窓がスタジオを覗き、「お風呂出たよ」と声を掛けてくれる。
「如月弥生をネットで探してた。ドリメロの弥生ちゃんだったんだな」
「正体バレた」
「アイドルと同居してるなんて、ファンに知られたら大騒ぎになるな」
「そうだね。弥生ちゃんのヌードを撮ったなんて知られたら、殺されるよ」
「君のファンは過激なのか」
「焼き増しして生写真を売ったらいくらになるかな。お金に困ってもそんなことしないでね」
「ばかなことを言うんじゃない」
と言ったが、祐子さんのヌード写真で受賞したのは、それに近いのではないかと思う。
「他人には絶対に見せない」
「自分だけで見る気だね。なんかエッチ」
「おい!」




