三 The Same Name
プロとして歩み始めたが挫折。父の急逝を機に広島に帰って、小鳩写真館を継いだ。
それから十二年。若い女が写真館にその雑誌を持ってきて、「この受賞作品のように、自分のヌードを撮ってほしい」と言っている。
目が合った。逡巡する私を睨みつけている。
…あの目だ。
拒むことを許さない、脅迫を秘めた視線。眠っていたアートセンスが起き上がってくる。
「撮りましょう」
「無茶を言ってごめんなさい」
「普通は秘密保持の契約書を交わすのですが、準備がありません」
「結構です。駒戸さんを信じます」
「そうですか…」
覚悟は完全に負けている。
店の扉に鍵を掛けて、カーテンを閉めた。スタジオに白いスクリーンを下ろして、ニコンF2に白黒フィルムを装填。あの時を思い出しながら、照明を配置。
更衣室からバスタオルを巻いて出てきた。
「ガウンとか、置いてなくてごめんなさい」
私が立ち位置を指定すると、そこに立ってタオルを私に渡した。
現れた裸体は懐かしい人のそれ、そのものだった。
お互いに「お願いします」と言った。空気が張り詰めた。
私はこの若い女が何等かの表現者であると感じていた。
「自分で動きを作れますか」
「はい。やってみます」
カメラを構えると、彼女は動きだした。あの時のあの人と同じようだ。現代舞踏のように全身で「表現」をしている。肩、腹、太腿、ふくらはぎ…動く筋肉の陰影が再現された。あの人の「今よ」という声が聞こえる。応じてシャッターを切る。
最後に、背中を向けて受賞作品のポーズを取った。見事なヴィーナスライン、くっきりと「美」という漢字が浮かぶ。
筋肉オタクの自分だからこそ分かるのだが、肩甲骨と僧帽筋のバランス、広背筋に浮き出る肋骨、厚みがありながら引き締まった大臀筋…祐子さんと同じだ。
撮り終わると、息を切らせて、裸のまま私に抱きついてきた。仕方なく、軽く抱きとめる。
「お父さん…」
「え?」
…また、何を言い出すんだ。
「ごめんなさい。冗談です…」
彼女が更衣室に入っている間に、機材を片付ける。
勢いに押されて、若い娘のヌード写真を撮ってしまったが、思いとどまるように説得すべきだったか。
真を写すと書いて写真と言う。よくも悪くも証拠として残り、記憶を補強する。ヌード写真を撮った動機が自暴自棄のようなものだったら、この写真には悪い思い出が付きまとう。
服を着て、更衣室から出てきた。
スタジオの隅にあるセットの椅子に座らせ、冷蔵庫からペットボトルの水を出して「こんなものしかありませんが」と言って渡した。彼女は礼を言って受け取り、一気に半分飲んだ。
「素晴らしいパフォーマンスでしたよ」
「ありがとうございます」
と言いながら、目を伏せて恥ずかしそうにした。冷静になって、裸を写真に撮られたという羞恥心が膨らんでいるのではないか。
「もしかして、後悔しておられます?」
「あ、いえ。後悔というか…」
「しばらく考えてもいいですよ」
「そんなこと言われると迷うじゃないですか」
「このフィルムはこのままカメラの中に置いておきます。心が決まったら連絡をください」
「一旦考えます。…それでも今日の分はお支払いしなければ、ですね」
「いやいや。あなたの覚悟に値段を付けたくない」
「でも…」
目を反らして、その話は打ち切る。
もう一つの椅子を後ろ向きに、背もたれを跨いで座り、聞いてみる。
「面接試験、本当はなかったんですよね」
「はい。ごめんなさい。嘘です」
急に遠方に呼び出して、即日不採用とか、ちょっと違和感があった。「お父さんが誰だか分からない」とか「お母さんが去年亡くなって大学を辞めた」とかも、作り話ではなかろうか。しかし、それは私が詮索すべきことではない。
「いやまあ、いいんですけどね。なぜ、その雑誌の写真のように、自分を撮ってほしいと思ったのですか」
テーブルには、そのページを開いたままの雑誌が置いてある
「この写真に出会った時、衝撃を受けたんです。そして、この写真を撮った人に会いたい。私を同じように撮ってもらいたいと思ったんです」
「それはとっても嬉しいことなんですけどね。思ったということと、実行したということの間に、少し飛躍があるような気がするんです」
「そうですか? この写真に衝撃を受けたのは本当です。実は、撮影者に会いたいという衝動を掻きたてた一番の原因は名前です」
「ああ、『こまど』。確かに苗字にしても、名前にしても珍しい」
「この雑誌には撮影者を、ローマ字でYoshiki Komadoと書いてあります」
そう言って、今度は鞄から履歴書を出して、自分の名前を見せた。
「私、吉木小窓なんです」
「本当に?」
写真の裏に名前を書いた時は吉本と見えたが、吉木。
「吉木小窓。私と姓名逆の同姓同名…」
「ヌードを撮ってもらうなら、絶対この人! と思ったんです。実際に会ってみると、思ったとおりの人だったし…」
ヌードを撮ろうとした動機は判然としないが、カメラマンとして私を選んだ理由は腑に落ちた。
「私も小窓さんを他人とは思えなくなってきた」
「嬉しい」
「しかし、その雑誌に出ていた名前から、よくこの写真館を探り当てたね」
人懐っこい若い娘、客という感覚が薄れていき、いつの間にか敬語をやめていた。
「『カメラマン Yoshiki Komado』でネット検索したら、昔の旅行雑誌の写真に『駒戸芳樹』という漢字の名前を見つけました。この人に間違いないと思ったんです。そして、今度は漢字で検索しました」
「インターネットに名前が出るようなことは何もしてないよ」
「それがですね。小学校のホームページに『小鳩写真館の駒戸さん』という名前が出てきたんです。その学校の名前からこの町の小鳩写真館を見つけたんですよ」
「知らなかった。特に隠しているわけでもないんだけど」
「初めて来た時、その賞状みたいなのを見て、『駒戸芳樹』という名前を確認しました」
受付カウンターの横の壁に、額に入った一級写真技能士の合格証明書が掛けてある。
外を見ると薄暗くなっていた。
「電車の時間はいいの? どこか、広島じゃないところから来たんじゃないの」
さっきの履歴書を両手で持って差し出し、頭を下げて言う。
「私をこの写真館に雇ってください」
「なんだよ、藪から棒に。うちにはそんな余裕ないよ」
「儲かるようになるまでは、無給でいい」
「儲かる保証もないし、いや、儲からないと思うし」
「そんなことないと思う。このレトロな写真館、とってもかわいい。私、やりたい。住み込みで働かせてもらえるなら、ほんと無給でいいです」
「待て待て待て待て、住み込みってどういうこと?」
「無給なんだから、住むところとご飯だけは、どうにかしてほしい」
勝負に出たのか畳みかけてくる。一気に追い込まれた。
「母が施設に入ったので、部屋はあるが…」
「一人暮らしなんですか? 私、家事しますよ」
「若い娘を連れ込んだのかと思われる」
「親子だと言えばいいじゃないですか」
「急に子どもが現れたら変だろ。近所の人や常連さんは、私が結婚してないことを知ってる。隠し子でもいたのかと噂されるよ。しかも、こんな大きな子。私の同級生の子どもはまだせいぜい中学生だ」
「ずっと独身だったんですか…」
「ああ」
「そうなんですか…」
そしてまた、視線で強い意志を伝えてくる。魔法のような目力を持っている。
「分かった」
「やったあ」
履歴書を見ると、すでにこの写真館の住所が書いてあった。年齢は二十一歳。学歴欄は、京都の歴史のありそうな名前の府立高校を卒業し、今風の名前の大学の芸術学科を中退している。
「もう一つ聞いてもいいかい」
「はい」
「なぜ、私を『お父さん』と呼んだの?」
「この人がお父さんだったらいいなと思ったんです」
「びっくりしたよ」
「隠し子に、何か心当たりでも?」
「ないよ」
私の微妙な狼狽を感じ取ったのか、いたずらな半笑みを浮かべて言う。
「ちょっと怪しいなあ」
「おちょくっとるのか」
「ふふ、お父さん」
「いい加減にしなさい」
なぜか、この子に言われると悪い気がしない。




