十七 The Mysterious Epilogue
事件から一か月ほど経った十月の半ば。私と小窓と関根は、ストーカー男の裁判の証人として、京都地方裁判所に出廷した。ストーカー男の弁護士は、傷害罪は偶発的なもので過失致傷を主張、誘拐と監禁については、ある程度の合意があったうえ、指一本触れていないとして、無罪を主張しているらしい。
私は、被告人が小窓の居場所を事前に調査したであろうこと、偽のナンバーを準備していたこと、刃物を所持していたこと、アパートの空き部屋にたびたび侵入し監禁場所を確保していたことなどを証言した。関根は、被告人は自分が飛び掛かっても刃物を離さず、腰の位置で固定するなど負傷させることを回避しなかったことを証言した。
小窓は、逃げようと思えば逃げられたことや、自分に対しては刃物を見せて脅迫するようなことはなかったことなど被告人に有利な証言をした。さらに、ライブで自分のスカートをしつこく下から狙うカメラ小僧を、厳しく注意して追い返したことがあることを例に挙げ、今はこの人が爆破予告などするはずがないと感じていることを申し添えた。
被告人は、小窓がこの期に及んで、自分を弁護する発言をしてくれたことに感謝し、怖い思いをさせて申し訳なかったと反省の弁を述べた。
この男にとって、「弥生ちゃん」とのドライブは、一生に一度の幸福な時間だったのであろう。その切ない思いを考えると、彼には厳罰を望まない。罪を償ったうえはまっとうな人生を歩んでほしいと思う。
後日、地検から連絡をもらった。傷害には未必の故意があったこと、誘拐監禁には周到な準備があったことが理由となり、罪状のまま有罪となった。しかし、被害者本人による弁護、被告人の謝罪と反省が認められ、刑の執行を猶予する判決が下されたらしい。爆破予告事件については、捜査が続いているが、別のストーカーが重要参考人となっていることも聞いた。
関根は、顔認証システムを個人的に使用したことを、会社に自ら報告して辞表を提出した。そのシステムを開発したのが彼自身であり、実質的な損害が発生していないことから、背任罪の被害届提出は免れた。それまでの会社への抜群の貢献もあり、今後、同業他社との提携をしない覚書と交換で、退職金も全額支払われたらしい。防犯カメラのハッキングについては、不正アクセス防止法にも電波法にも抵触しない方法を用いたと言っているが、それは会社に報告していないと、私は踏んでいる。
年が変わった頃、母親とともに東京を離れ、広島の弓野町内に転居してきた。退職金を資本に、画像認識システムを開発する会社を起こすと言う。小窓は大学を中退したと言っていたが、実際は休学の状態らしい。復学した時の学費を提供させてほしいと提案したが、小窓は「その時は自分の稼いだお金で」と言って断った。すると、「その代わりということではないのですが」と言いながら、今度は写真館への資金提供を提案した。写真技術の指導を求めたいと言うのだ。私は小窓のために使うつもりで、承諾した。
また、退社直後には舞鶴のおばあさんに面会を求め、祥子さんの妊娠に気付かなかったことについて、謝罪をした。おばあさんは、関根の人柄に触れ、「祥子のばか、こんなにいい人がありながら」と、泣きながら彼の手を取って許した。
出会って一年になる三月、小窓と私は区役所に婚姻届を提出した。日常では「吉木小窓」を名乗り続けるが、本名は「駒戸弥生」となった。その父欄には、認知の手続きを済ませた「関根雄介」の名前が入っている。
その日の午後、市内のチャペルで小さな結婚式を挙行した。
京都のおばあさんはとても喜んでくれて、私に「ひ孫」と囁く。実祖母二人には後日報告することにした。芸能事務所の「CE王様」は握手を求め、「弥生ちゃんのストーカーに殺されないように気を付けてください」と笑いながら言った。中学生グループが小窓を囲み、「小窓さん綺麗過ぎる」、「小窓ロス!」、「オーナー、ずるい」、「小窓さんが結婚しても、僕たちの想いは変わりません」と話している。
目の見えない、私の母親は私の襟元に手をやって、「写真屋なんだから、ちゃんと気を配りなさい」と言って、ネクタイと襟を正してくれた。
バージンロードは、関根が小窓をエスコートした。
「関根父さんは、結婚しないんですか?」
「今日は考えない。誰に何と言われようと、小窓さんは祥子さんと私の子ども。今日は、祥子さんが私の奥さんだと思っていいでしょ」
「うん。お母さんって、綺麗だった?」
「あんな美人は世界のどこにもいない」
「金髪美人よりも?」
「もちろん。…いや、あれは嘘です」
「え? ふふ、嘘だったことにしてあげる」
「本当に嘘です」
「お父さんのナンバーワンがお母さんなら、それでいいよ。でも、チャンスがあれば結婚してくださいね。お父さんにも幸せになってほしい」
「ありがとう。チャンスがあればね」
「双子の祐子さんってどんな人なのかな」
「二卵性とは言ってたけど、よく似ているらしいから、きっと美人ですよ」
「祐子さんが独身だったら良かったのに」
「また、突飛なことを。余りもの同士をくっつけようとするんじゃありませんよ。そもそも、祐子さんは、余ってないし」
「でも、会ってみたくない?」
「似ているなら会ってみたいですけどね。いや、そんなことを言ってると、私の奥さんに叱られますね」
関根から小窓を引き継がれ、神父さんの前で指輪を交換して、口づけをした。
小窓は満面の笑みを浮かべて、言う。
「やっと、ダーリンと呼べる…」
「人前では言うなよ」
「あ、照れてる」
式が終わり、参加者全員で記念写真を撮る。一枚撮ったあとに、新婦の小窓が叫んだ。
「あ、忘れてました。皆さん、小鳩写真館の魔法の言葉をお願いします。猫の目四分の三、アヒルのくち三分の二ー!」
年の差二十一歳の結婚を祝福して、チャペルの鐘が鳴った。
登場人物紹介
■駒戸芳樹【こまど・よしき】
この物語の話者で、小鳩写真館の三代目オーナー。大学時代は「筋肉オタク」と呼ばれるほど、筋肉を描くのが好きだった。大学祭の現代舞踏サークルのステージで、筋肉の美しい女性を見つけ、「筋肉を書かせてほしい」とアタックした。やがて、二人だけの秘密の関係に発展し、最後にはヌード写真を撮らせてもらう。彼女の名前は堂園祐子という。卒業後、祐子とは連絡が取れなくなった。数年後、その写真を雑誌のコンテストに応募して、一席を受賞。作品のタイトルが「悲しき女神のヴィーナスライン」。写真作家となったが挫折、郷里の広島に戻り、写真館を継いだ。
■吉木小窓【よしき・こまど】
本名は高坂弥生。高坂祥子の娘で、父親は不明。高校時代は京都を拠点とする地下アイドルグループ「Dreamy Melody」のリーダーとして如月弥生を名乗っていた。爆破予告で卒業ライブが中止になり、ストーカーから逃げるため兵庫県北部の芸術大学に進学。二年生の時、またストーカーに見つかり、母が亡くなったこともあって休学。母の最期の枕元にあった雑誌の写真のモデルを母親だと信じ、その撮影者が父親だと推理して、駒戸芳樹を尋ねる。その時、吉木小窓の偽名を使った。
■関根雄介【せきね・ゆうすけ】
外資系IT企業の日本法人のエグゼクティブエンジニア。入社直後、海外勤務を命じられて、大学時代の恋人であった高坂祥子に同行を提案したが、高坂祥子は消えてしまった。二十数年後、共通の友人を名乗る堂園祐子から「祥子は死んだ。祥子には父親の分からない娘がいる」と、母子の写真を添えたメッセージが届く。規則違反を犯して、会社で開発した顔認証システムを使って、如月弥生を発見し、さらには小鳩写真館の小窓に辿り着く。
■堂園祐子【どうぞの・ゆうこ】
駒戸芳樹の大学時代の二つ先輩で、駒戸のヌードモデルになった。駒戸に愛を求める様子は伺えるが、彼はストイックに彼女の身体を押し返した。彼女が卒業すると、連絡がとれなくなってしまった。駒戸は、自分が成功したら彼女を迎えに行くつもりだったが、作家としては失敗したため、諦めた。物語の中では徐々に実在が疑われ、高坂祥子と同一人物であると思われるようになる。
■高坂祥子【こうさか・しょうこ】
高坂弥生の母親で、関根雄介の大学時代の恋人。弥生が大学生の時にすい臓がんで他界。ついに、弥生の父親の名は明かさなかった。駒戸と小窓が戸籍を辿ると、高坂祥子は広沢という家からの養子であったことが分かり、そこには双子の姉、祐子がいた。
父親が生きていた頃、母親と暮らしていた一番大きい部屋を片付けて、そこに小窓と二人が入った。ちょうど母親が施設を退所する時期と重なり、一階の物置と裏口をつないで、鍼灸院にリフォームした。仕事以外の時は、小窓が使っていた部屋を使うことになった。もともと母親の部屋であり、勝手が分かっている。二階だが、移動訓練のためにも階段はあった方がいいらしい。
新婚生活と言っても、日中はそれまでと変わらない。ただ、同じ部屋に寝ることになった夜は変わった。朝起きると、母親が「外に聞こえるよ」と笑いながら言う。嫁と姑は仲が良い。小窓はちょっと恥ずかしそうにはしたが、「耳栓をプレゼントします」と冗談で答えた。控えるつもりはないようだ。「お隣さんにも買わなきゃね」。大笑いになった。さすがにお隣さんには聞こえないと思うが、ちょっと気を付けよう。
三月、四月の卒業、入学シーズンが終わった頃、小窓の写真が新人コンテストでグランプリを受賞したという知らせが届いた。「吉木小窓」で応募していたようだ。思えば、私は親子に偽名を使われたのか。しかし、私にとって、小窓は小窓で、祐子さんは祐子さんだ。
小窓は、私と写真館を営みながら、フォトグラファーとしても活動することにした。受賞とプロデビューを記念して、市内のギャラリーで個展を開くことになり、私と一緒に、ギャラリーに打ち合せに行く。その車中は幸福と希望で充満していた。
「そのシャツ、気に入ってるのか」
誘拐事件のとき。大家さんに着せてもらったサイケなTシャツを着ている。
「最近、好みが変わったみたい。派手な色柄の服が着たくなるの」
「小窓は何を着ても似合うよ」
「ありがとう」
「一つ聞いてもいいか」
「なあに」
「うちの母さんが入所してた施設を訪問した時に、母さんが小窓に何か耳打ちしたじゃないか」
「芳樹はスケベーだから気を付けなさいって言われたこと?」
「違う。そのあと、もう一つ何か言っただろう」
「ああ、『あげまん』って言われたのよ。エッチな意味かと思ったら、ラッキーガールみたいな意味だった」
「そんなの、背中をマッサージして分かることじゃないだろう」
「見えないからこそ分かると言われたんだから、分かるんじゃない?」
「うーん。確かに小窓は、私にとってラッキーガールではあるが」
「私も聞いてもいい?」
「なんだい」
「祥子母さんのあの手紙に、駒戸君はズボンの中で射精してたって書いてたじゃん。あれ、本当のことなの?」
「あの手紙には、ほかにいろいろあったから、突っ込めなかったけど、あれはないよなあ」
「嘘なの?」
「いや、本当だよ。祐子さんに気付かれていたことも、それを小窓の朗読で暴露されたことも、滅茶苦茶恥ずかしかったよ。関根さんも聞いてたし」
「え、本当なの? かわいそう過ぎる」
「最初の一回だけだよ。次からはちゃんと抜いてから会ってた」
「やっぱ、かわいそう」
「かわいそうじゃないよ。絵描きとモデルなんだから、一線を越えることの方がタブーだ。それに、祐子さんの愛を押し返していたのは、私の方なんだから」
「あ、思い出した。『祐子さん』の夢にうなされた夜に、パンツ洗ってたじゃん。もしかしてあれも?」
「もう忘れてくれ…」
「まじ、サキュバスだ」
「実は、そのサキュバスは小窓の姿だったんだ」
「え? 私のカラダで、エッチな夢を見たの?」
「もう忘れてくれ」
「今夜、祐子さんの夢を上書きしてあげるね」
ギャラリーの近くの立体駐車場に車をとめた。
広島では有名な画廊で、私も何度か観覧に訪れた。社長は空間表現の作家らしいが、目の利く画商でもあり、新人の発掘と売り込みには定評があると聞いたことがある。
四十代と思われる女性社長は、水色のスーツを美しく着こなしている。笑顔で挨拶をしながら、名刺を交わす。
社長は二人の名刺を見て微笑んだ。
「駒戸芳樹さんと吉木小窓さん? いつか二人展をやってくださいな。話題になりますよ」
「本当ですか。二人で撮った災害の写真展をやりたいと思っていたんです。でも、このギャラリーのテイストには合いませんね」
「ああ、去年の豪雨災害。弓野は大変だったんですよね。うち、販売目的ではない、戦争や平和をテーマにした作品展もやるんですよ。広島の画廊の使命です。ぜひ、災害写真展やりましょう。ギャラリーは無償で提供します」
「ありがとうございます」
「オーナーはアートとジャーナリズムの二刀流なんですよ」
「そうなんですか。アート作品も見せてください」
「そちらはもう引退しました」
「せっかく言ってくださったのに。部屋に飾ってあるやつとかあるじゃない。一番の傑作って言ってたじゃん」
小窓のヌード写真のことを言っているようだ。
「ばか。あれはダメだ」
社長は口に手をやってクスっと笑う。頭が前傾すると長い髪が顔に掛かる。隙間から見えた目に何かを感じて、もらった名刺に目を戻す。
―遠山祐子―
「遠山祐子さん?」
「あら、前の名刺をお渡ししてしまいました」
名刺入れから名刺を取り出して、名前を確認して二人に差し出した。
「失礼しました。実はつい最近、離婚しまして、今は堂園祐子となっています」
小窓と私は顔を見合わせる。
…堂園祐子…いた。




