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十六 The Last Letter

 トランクを開くと、小窓の言ったように衣類が見えた。さすがに下着はなかった。

 そして、その下に硬いものが二つ。小窓が取り出す。

 一つはノートパソコン、そしてもう一つは五十センチほどの立体の裸婦像。洋服にくるまれていた。

「それは祐子さんの卒業制作」

「え? 祐子さんの?」

「うん。私のスケッチを元に祐子さんが塑像にした」

 これは祥子さんのトランクである。

「なぜ、お母さんが持っているの?」

 関根がスマホの中から言う。

「堂園祐子さんの作品を祥子さんが持っていたということですか。その二人は友達だと言ってましたからねえ。プレゼントしたとか」

「そういえば、彫刻科では一番親しい同級生と卒業作品を交換する風習があった」

 祐子さんは私を忘れるために、思い出の品を手離したのかもしれない。しかしなぜ、あの雑誌まで祥子さんが持っていたのだろう。雑誌の発行は卒業から五年経っている。しかも、秘密のダイヤル番号もその雑誌の中にあった。祥子さんにはそんなに思い入れはないはずだが。


 小窓は「パソコンは、なぜここに入れたのかしら」と言いながら、電源を入れようとしたが、充電が飛んでいて作動しない。

 トランクの中にあった電源コードに繋ぐと、しばらくして画面が立ちあがった。

 デスクトップに「弥生へ」というタイトルの文書ファイルがあった。

「病院にはプリンターがないから、私への手紙は印刷できなかったのね」

「ベッドの上で書いたんだろうな」

 これをクリックすると、文章が出て来た。

 小窓が読み上げる。


 ―弥生ちゃん。トランク開けちゃったんだね。たぶん、私は死んでるんだろうな。

 あなたのお父さんのこと、生きてる間はどうしても伝えられなかった。ごめんね。

 私、あなたを身籠みごもる頃、二股になってしまってて、実はどちらがお父さんなのか分からないの。

 ステディーだった関根雄介という人と、大学の後輩の駒戸芳樹という人。

 めちゃくちゃふしだらだよね。

 ストレートに書くから覚悟してね。


 関根君は、同い年で国立情工大の優等生だったのよ。ほかの大学の学生と一緒に参加するセミナーで知り合って、すぐにデートするようになったのよ。まっすぐに私を愛してくれたんだけど、まっすぐ過ぎて止まらなくなることがあるの。私、何度も許しちゃった。妊娠には気を付けてたんだけどね。すてきな人だったよ。結婚するつもりだったんだけど、有名企業に就職して一緒に海外に行かないかとプロポーズされた時には、どちらの子か分からない子を身籠みごもっていたの。


 駒戸君は、横浜芸大の二つ後輩。私が三年生のとき、彼は私の筋肉がきれいだからスケッチをさせてほしいと言うの。変な奴と思ったけど、まだ子どもみたいで、いくら肌を見せても、絶対に襲われない感じがしたわ。私、だんだん、彼のことも好きになってしまって、ヌードになったのよ。それでも、襲われなかった。たぶん、ズボンの中で射精してたと思う。私って、なんて惨いことをしてるのかと思った。ある日、ヌード写真を撮らせてほしいと言われたの。撮らせてあげた。そして、その後、初めて彼とお酒を飲んだ。酔っぱらって彼の胸に飛び込んだ。彼のバリアを壊してやろうと思った。私が襲ったと言った方がいいのかもしれない。

 一緒に入れた彫刻は、私の卒業制作。駒戸君のスケッチを見ながら作った私自身の身体。


 駒戸君には偽名を名乗ってた。二人を同時に愛することへの罪の意識から、二人になろうとしたのかな。

 その偽名は、堂園祐子。実在の同級生の名前。

 一年生の時に彼女が私に近寄って来て、「私とあなたは双子」とか言うの。背格好は似てたけど、顔は違うのよ。冗談だと思ってたけど、彼女が持っている広沢という家の戸籍謄本を見せてもらった。私は高坂の家への養子に出て、その後、実の母は祐子を連れて離婚して、堂園という苗字になったんだって。二卵性だったのね。同級生に、「あなたたち似てるね」と言われたことはある。偽名に双子の名前を使ったのは、もう一人の自分を作りやすかったからだろうと思う。

 私のアパートは近くに同級生がたくさんいたので、駒戸君にうときは祐子の部屋を貸してもらった。たぶん、関根君とうためだと思ってたと思う。

 一番、気の合う同級生で、関根君の話はしたことがある。彼女自身は男性に興味がないみたいだった。芸術の話をする時、彼女は最も輝いていた。そんなところは、駒戸君と似ていると思った。


 結局、駒戸君には何も言わずに卒業して消えたんだけど、何年か後に、彼の作品が写真雑誌のコンテストで一席を取ったことを知った。

 その雑誌は出しておくね。付箋を貼ったページの作品は、あの時、駒戸君に撮ってもらった私のヌード。なんか嬉しかったわ。駒戸君に会いたくなって、出版社に連絡しようかと思ったりもした。

 でもね、そこに写った私の背中には「罪」という字が浮かんで見えたわ。

 関根君の時と同じ、前途洋々の人生を私が邪魔しちゃいけないと思ったの。


 祐子とは、十年前に大学の同期会で再会して、やっぱり似てるねと言った。それからメールの交換をするようになった。余命宣告を受けたと言ったら、お見舞いに来てくれたよ。たぶん、私が死んだら気付くと思う。


 関根雄介、駒戸芳樹、堂園祐子に対する罪は、死んでも消えないと思った。弥生にも言うべきではないと思った。

 本当に若気の至りでは済まない無茶苦茶な大学時代だったよ。おばあちゃんにも申し訳ない。

 私は結婚せずに、弥生を育てた。アイドルとして清く正しく美しく活躍する弥生は、私の人生をやり直してくれているみたいだった。


 ここに残したのは、私の独り言。死に向かう者の懺悔。

 でも、後悔はしてないよ。自分勝手ではあるけど、私は私の人生を精一杯生きた。

 関根君、駒戸君、祐子…ありがとう。

 弥生、ありがとう。

 さようなら。ー


「何これ…お母さん、何よこれ」

 小窓は激しく動揺している。

「一生懸命、二股じゃないこと、偽名じゃないこと、騙してないことを証明してあげようと思って頑張ってたのに。何よこれ、全部じゃん」

「小窓」

「小窓さん」

 私と関根が同時に声をかけたが、二人も衝撃を受けている。

 二股と偽名は、一度は予想して覚悟したことだった。しかし、どちらの子か分からないというのは、私が一番納得いかない。私は、子どもができるようなことはやっていない…と思っていた。しかし、そう言えば、確かに写真を撮った時、乾杯をして、初めて一緒に酒を飲んだ。そして、その後のことは覚えていない。夜遅く祐子さんに起こされて歩いて帰宅した。記憶のない時間で、そんなことがあったのか…。彼女がここで嘘をつく必要はないので、それが事実なのだろう。

 関根が先に話し始めた。

「妊娠させたのは私ですから、お母さんを責めないでください」

「問題はそこじゃない。お母さんは許したんでしょ。そんなことしといて、結局、オーナーともやったんじゃん。まだ青い、年下のオーナーを酔わせてやったんじゃない? まるで、サキュバスだよ。いや、犯罪だよ」

「『やった』とか言うな。悪魔が少年を犯したみたいな書き方をしてるけど、私は私で、彼女の愛を知りながら、焦らして追い詰めたんだ」

「なんで、二人ともお母さんを庇うの? 関根君という恋人がいながら、駒戸君も好きになっちゃったって。なっちゃったらダメでしょ。百歩譲って、二人を同時に愛してしまったとしても、同時にやっちゃあダメだよ。どちらの子か分からないって、どういうこと? 一日二日のうちに両方とやったってこと? いったい、どういう神経?」

 小窓は泣きじゃくりながら、まくしたてた。

「お母さん、酷い。オーナー、関根父さん。ごめんなさい。二人とも、この酷い女に騙されて、結婚できなかったんだよね。ごめんなさい。ごめんなさい」

 祐子さんが心に引っ掛かって、私が結婚しなかったというのは当たっている。おそらく、関根もそうなのであろう。しかし、二人とも祐子さんのことを「酷い女」だとは思っていない。

 関根が小窓に言う。

「私は、祥子さんに騙されて、結婚しなかったわけではないですよ。その後、ちゃんと別の恋をしました。こう見えて、結構モテたんです。二股がバレて修羅場になったこともあります。海外勤務時代のことです。青い目の金髪でハリウッド女優のような社長秘書と、無茶苦茶グラマーでセクシーなキャリアウーマン。向こうの女性は激しいんです」

「関根父さん、意外にエッチ…」

 小窓は泣き止んで、関根を見た。私が競うように言う。

「じゃあ、言おう。私にもモテ期があった。出版社時代は、美人ルポライターとお泊り取材をした。鄙びた温泉旅館の風情は異世界のようだった。プロカメラマンになってからは、有名なモデルさんに言い寄られた。彼女のマンションに出入りするところを撮られたら、スキャンダルになっていたかもしれない」

「オーナー、本当? その話はもうしないで」

 小窓は少し拗ねるような顔をしたが、母親への怒りは逸れたようだ。

「いろんな経験をしながら、大人になるんだよ」

「お母さんとのことは、そんなエッチな経験のうちの一つに過ぎないってこと?」

「それは違うよ。私にとって祐子さんは青春のすべてだった」

「私も一途に祥子さんを愛していた。その後の人たちとはまったく違う。お腹に赤ちゃんがいると言ってくれれば、小窓さんと三人で、あるいは弟や妹も生まれて、幸せな家庭を築けたかもしれない。もし、私の子じゃないかもしれないと告白されても、祥子さんの子なら私の子だと言って受け入れたと思います。一番悪いのはどう考えても私です。一人で悩んで決断した祥子さんを思うと、痛恨の極み。どうやってでも探し出して、あなたの父親になることを申し出なければならなかった」

 小窓の頬を涙が流れた。

「感覚的には関根さんの子だと分かってたんでしょう。本命は関根さんだった。そこに私が割り込んで、祥子さんは魔が差した」

「手紙の文脈から考えると、おそらく、卒業する頃には私より、駒戸さんを愛していたんでしょう。駒戸さんがもうひと押しすれば、祥子さんは駒戸さんと幸せになっていたんだと思います」

「三人とも不器用ですね」

「そうですね…」

 小窓は下を向いて、「三人とも変だよ」と呟き、顔を上げて言う。

「私さえ出来なければ、どちらかと幸せになれたんだよね。私ってやっぱり生まれない方が良かったんだよね」

「そんなことを思っちゃいけない。小窓が辛いのは分かる。だから、お母さんは父親のことを言わなかった。君が生まれなかったらという架空の幸福より、君が生まれた現実の幸福を選んだんだよ。まだ、若いのに君はこれまで、たくさんの人を笑顔にしたじゃないか。被災者を励ます小窓は本当に女神様だったよ。この世に生まれなければよかったというような人間であるわけがない。お母さんの愛情が、君をそういう人間に育てたんだ」

「そうですね。私ら二人のどちらかとの幸福より、娘のあなたとの幸福を選んだんです。あなたはお母さんの愛情を受けて、素晴らしい人間に育った」

 小窓が「二人とも、私のお母さんを許してくれるの?」と聞く。

「もちろん。謝らなければならないのは私だ。お母さんは酷い女なんかじゃない」

「祥子さんは大学時代も綺麗で優しい人だったんですよ。たぶん、小窓さんを守って育ててくれたお母さんのイメージと寸分違わないと思います。お母さんとの思い出に傷を付けないでください」

「私には、あの写真の祥子さんの背中に、『美』という文字が見えた。彼女はそれを『罪』という文字だと書いている。今、関根さんと私は真実を受け入れて、お母さんとともにすべてを告白した。君がお母さんを、そして、関根さんと私を許してくれるならば、お母さんの背負った『罪』の字は消えるよ」

「お願いします。あなたは三人の宝物です」

 しばらく沈黙があった。

「お二人が、お母さんを許してくださると言うなら、私もお母さんを許す…」

 関根は「よかった」と呟いた。

 小窓は、デスクに立てた彫刻を見つめながら言う。

「オーナーはお母さんと結ばれてたんだね。…娘の私とはもう無理だよね。母と子だよ」

「あれは『祐子さん』だ。君のお母さんじゃない」

「え?」

「君は、私とは無理か」

 小窓は、強い目力に切なさを加えて、私を見た。

「ううん。オーナーと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい」

 お互いに背徳感を背負う覚悟はできている。見つめ合った。

「よし、じゃあ言うよ。小窓、私と結婚してくれ!」

「いいの?」

「何回も言おうか。私と結婚してくれ! 私と幸せになろう! おばあさんにひ孫を見せてあげよう」

 小窓は、涙で目の周りがグチョグチョになっている。

「ありがとう。私頑張る!」

 関根は小さく拍手をしながら、「おめでとうございます」と言った。

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