最後のリース
宿舎の外れにある講堂は、すっかり協会――《ホライズン》の事業活動空間になっていた。
搬入してあった飛行機械にはあちこちに紙が貼られていて、いつくか机を連ねた広い机上には書類が散乱している。
そのなかでリースがひとり、壁を背にしてじっと目を瞑っていた。
「リース、さっきそこでアクアと合流しました。頭痛はどうですか?」
「……アルヴァか。ああ、問題ない」
ふ、と目をあげた様子をみると、眠っていた訳でもなさそうだ。
とにかく、報告すべきことが多い。
アルヴァは手近な椅子を寄せて腰掛け、官公庁で遭遇した事を全て話した。
魔女を追いかけて話をしたことと、彼女の名前。
『光明の聖女』様を連れ出した『魔女の師匠』ヒカゲ=ディシールのこと――。
静かに報告をうけていたリースも、さすがに最後の報告には少しおどろいたように顔をあげた。
「『魔女の師匠』か。まさに我々が探していた『魔女の力の源』だな。聖女様のところに来ていたとは……。それは今どこにいるんだ?」
「残念ながら、姿を眩ませたようです」
「……そう簡単に捕まる筈もないか……しかし聖女が7日間消えていたのは、魔女が消えていたという7日間と合っているな。同じ力を得たということか」
「全く同じでは無いでしょう。使いこなしている年数も違います」
そうか、といって考え込むふうにしたリースの左目が、すこし揺れたようにみえた。
リースの魔物色の右目は伸ばした黒髪に隠れているが、濃い茶色の左目は、どうみても人間と同じだ。
「『魔女の師匠』は……何故最初から、リースを人間にしなかったんでしょうか。それに左目だけが人間と同じなんて、何故、そんな中途半端な事を……。リース、何か思い当たるような事はありますか?」
覗き込んだリースの顔に、僅かに戸惑いが浮かぶ。
「いや……。しかし人間を殺さずに生命力だけを食べるというのは、あの人に教えられた事だ。何か、意味があるのかも知れない」
ふたりで考え込んでしまったが、じっとしていても仕方無い。
アルヴァが官公庁に出掛けている間に《ホライズン》の業務としてリース達が作成した資料に目を通し、情報を共有しながら修正点と課題点を拾い上げる。
結局リースが休憩できていないが、それを心配すると本人が構わないというから、甘えさせて貰った。
「あー! 仕事してる! 駄目でしょアルヴァ。リース様をちゃんと休ませてあげてよ~!」
わりとすぐに厨房から戻ってきたアクアに、開口一番怒られた。
紙資料が散乱した机の隅にトンと置いた籠からは、焼き立てのパンの香りがひろがる。
「ああ……すまない。早かったなアクア」
「ちょうどここの聖使達が用意してたパンとかをそのまま分けて貰ったの。みんないつでも夜食が食べられるわよ」
アクアの言動のほうが、皆を休ませる気が無さそうだ。
「リース様、いつもスープだけですけど、パンも食べてみますか? 人間と同じ食事を続けたら人間に近付くなんてことないかな~?」
そういうアクアの言葉が、何故か耳に残る。
さっき、似たような話題がなかったか。
「……食べ物はほとんど味がしない。水分だけは必要性を感じるんだ」
リースはそういって、アクアが差し出したパンを半分ちぎって口にした。
残りの半分を貰ったアクアは、嬉しそうにパンをかじる。
「リース様と半分こ♡ 私、しっかり食べて栄養つけますから、リース様は遠慮なく私の生命力を食べて下さいねっ」
「……なんだ、それは……」
アクアの唐突な言葉に、リースは小さく笑った。
アーペに行く前と比べると、この二人の仲は少しずつ近付いているようだ。
教会の正面の聖堂の方から、聖使達の歌声が聞こえてくる。
いつもの、夜の礼拝の時間か。
『光明の聖女』が無事に帰ってきたからだろうか、明るく張りのある歌声だ。
聖女ミラノの綺麗な独唱が響いてきた。
聖女様だから、という訳ではないだろう。
この深みのある声は、たぶん、日々の努力の結果だ。
そしてこの歌声は、一瞬で中央議会の闇を払った、あの特殊な力のようなものを含んでいる。
「…………う…………」
小さなうめき声に、アルヴァは自分がいつのまにかぼうっとしまっていたのに気付いた。
壁の隅で、苦しげに踞るリースをみて、はっとする。
――しまった。
《魔物を消す力》を進化させて帰還したミラノの歌声。
以前その力をリースに向けられた時は、魔物の身体が壊れかけたようになった。
「リース様? どう――」
「アクア、すぐにリースを教会の外へ連れ出すんだ。聖女様の歌声に、あの力が含まれている……!」
「えっ?! で、でも今までは……」
「聖女様の力が強くなっているんだ。出来るだけ聞こえないようにして移動させるぞ!」
アルヴァは外套をバッとリースに被せて肩を掴むと、よろめくリースを抱えて素早く講堂を出た。
外の方がよく聞こえてくるが、講堂の中でじっと耳をふさいでいる訳にもいかない。
今まで使った通路は聖堂に近い正門しか無いが、教会を守る壁のどこかに通用門があるはずだ。
「裏門は宿舎の裏よ。こっちに回って――急いで……!」
ジワジワとリースの身体から魔物の気配が滲んでくる。
直接あの白い力を受けた時は一瞬で崩壊が進んだから、まだ崩壊速度が穏やかなのが良かった。
廊下を曲がった瞬間、ドンと誰かにぶつかった。
「おっ、ごめんアルヴァ。どうしたんだ?」
ソーマだ。
まずい、こんな時に――
「ソーマ、すまない、急いでるんだ」
「リースが調子悪いなら、俺が診ようか」
「いや、これは……」
止める間もなくリースを覗き込んだソーマは、躊躇いなく彼の右目をそっと撫でた。
「《リース=レクト》魂の奥に連なる本当の名前を、想い出せ」
――瞬間。
「――――ぐっ……ああぁ…………っ!!」
頭を抱えたリースの周囲に、強烈な静電気が走った。
バチバチッと火花を纏い、ばっと中庭へ飛び出したリースの身体から、赤黒い魔物の瘴気が溢れ出してくる。
「っ!? ソーマ、何をしたんだ!?」
「あ~、ごめんな。こんな反作用が出るなんて……。ところで彼は、なんで魔物の身体を纏ってるんだ? 触れちゃいけないかなと思って聞かなかったんだけど」
気付いていたのか。
だが、今は長話をしている場合ではない。
アクアがすぐ中庭へ続いたが、小さな落雷のような光に弾かれてリースに触れられないようだ。
「《魔物を消す力》を持つ聖女様の歌声で、身体が壊れかかってるんだ。すぐ教会の外へ連れて行かなければ……!」
「凄い才能の聖女様だな。でも、歌は中断したみたいだぜ」
ソーマに言われるまで気づかなかったが、今、歌声は聞こえない。
この短時間で終わる曲ではなかった筈だ。
――リースの魔物の気配が、察知されたか。
実際瘴気が零れてくるのも止まったが、退魔師が駆けつけてくるのはまずい。
「とにかく、裏門から外へ――リース!」
中庭に降り白い花火を散らすリースの肩を掴もうとしたが、 バチッと大きな衝撃に跳ね返される。
「くっ……! ソーマ、なんとかしてくれ!」
「ふむ、俺のせいか。退魔師に見付からなきゃいいんだな?」
ソーマが何気なく手をかざすと、サアッと膨大な闇魔法が流れてリースを包み込む。
たったそれだけだが、あっというまにリースの姿だけが見えなくなってしまった。
――これは、魔女イオエルが使っていたものと、同じ方法だ。
「えっ?! すご……何、どうなってるの??!」
アクアが声をあげた丁度そのとき、聖堂のほうから駆けつけてきたのは退魔師ではなかった。
「アルヴァさん! ごめんなさい、もしかして――」
「聖女様?!」
「あ、あれ? リースさんは……? えっと、教会の皆には聖堂から出ないように指示してあります。また私のせいで、リースさんに影響があったんですよね?」
聖女ミラノは足をとめて、びっくりしたように周囲を見回した。
彼女のその判断と行動には、感謝しかない。
「……う……ああぁっ……!!」
リースを包んだ闇魔法の中から、落雷のような白い電光がドンと炸裂する。
闇魔法を破り、全身がひび割れるほどに帯電したリースが大きく仰け反って出現した。
次の瞬間、激しい電光が炸裂する。
「……ぐっ……!!」
間近で電撃をうけ、一瞬、意識が飛びそうになったのをなんとか踏みとどまり、アルヴァは顔をあげた。
リースの全身の、ひび割れ。
バチバチと燻る電光は、彼の黒髪を白く染める。
「アルヴァさん! リースさんは人間になる方法を探していたんですよね?! いまここで、やってみてもいいですか!?」
聖女ミラノの叫びに、はっとする。
――失敗すれば、《魔物を消す力》を前に、今度こそリースは消えてしまうだろう。
だが――確信に満ちた聖女ミラノの、眼差し。
アルヴァは電撃によろめくアクアと一緒に、小さく頷いた。
その傍で再びリースがバンと激しい電撃を放つ。
「っ……!!」
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