フェリアの平穏
ハーディスの天才発言はさておき、総議長達は本業に戻った。
アルヴァは今朝別行動になったノーリにも声を掛けて、教会に戻ることにした。
ユリウスに今朝別れた人物の居場所を聞いてみると、ノーリのいる場所が、即答で返ってきた。
――本当に便利な能力だ。
下町の雰囲気が漂う、フェリア西側の商店街の外れ。
地震で崩れた場所を、人々が声を掛け合いながら修繕している。
どうやら魔物の出現も、緑の護衛団や教会からの退魔師達によって素早く対処できたようだ。
怪我人が集められた診療所。
ほとんど軽傷のようだが、その人数の多さに町医者が慌ただしく働いている。
ノーリも働いているのかと思ったが、駆け回る人員のなかに、その姿は見当たらない。
「あの、すみません。ノーリという男性の治癒師はいますか?」
駆け回っている人々の中からひとりを捉まえて声を掛けると、彼はすぐに思い出したように手を叩いた。
「ああ、あの人かな。ここに出た魔物を退治してくれたんだが、怪我してるんだよ。自分で治せるって言ってたけど、まだ起きてこないんだ。アンタ、知り合いなら様子を見てやってくれないか」
「え? 怪我……?」
ノーリは治癒師だから、いつもは魔物と戦うことは無かった。
……しかし今回は慣れない事をして負傷したのだろうか?
ここで休んでいる筈だという診療所の一室まで案内してくれた男は、また忙しく診療作業に走っていった。
トントンと扉を叩いても返事はない。
そっと扉を開くと、寝台で布団にくるまった人間が、小さくうなされているのをみつけた。
机上に置かれた荷物は、ノーリのものだ。
「ノーリ、大丈夫か?」
そっと寝台の傍に寄り、布団を軽く叩く。
もぞ、と動いた感じ、目は覚めているようだ。
「アルヴァ? どうしてここが……」
「ちょっと色々あって。それより怪我をしたと聞いたんだが、大丈夫なのか」
軽く布団を引く。
薄暗さで、ノーリの薄い金髪が一瞬白く映った。
「……すみません、魔力切れで動けなくなってしまって。ちょっとそこの荷物から、水を取って頂いてもいいですか?」
真っ青な顔色で小さく笑んだノーリの様子に、目が覚めたら息が止まっているかもしれない、とリースが言っていたのを思い出す。
しっかり食事をして休息も取っていた筈だが、それでも生命力が衰えるのは、何が原因なのだろう?
「ソーマにまた診て貰って、暫く休んだほうがいい。魔女探し協会の活動は、一旦事務的なものになりそうだし、気にしなくて大丈夫だから」
荷物から出した水で口を潤したノーリは、申し訳なさそうに頷いた。
「そうさせてもらいます。でも、何かあったら教えてくださいね」
「ああ。状況は伝えに来よう」
「ソーマからでもいいですよ。忙しくなるでしょう」
「……そんな様子では、心配だからな。様子見も兼ねるから、しっかり治してくれ」
そういいながら、官公庁でに朝飯代わりに貰った香辛料のパンを荷物から出して机上に置いておく。
あとでソーマに、体に良さそうな食事も持っていくように言おう。
「……アルヴァは優しいですね」
「? 普通だろう。しっかり食べて、もう倒れるなよ。ソーマを呼んでくるから」
「はい。ありがとうございます」
弱々しいが爽やかに頷いたノーリに少しホッととして、診療所の部屋をあとにする。
早く教会に戻って、ソーマを呼んでこよう。
フェリアの街の人々は、地震の片付けをしながら、元気に店を開けはじめている。
ノーリのいた診療所は街の西側の外環通りに近い。
気付けば、通り沿いの『洞窟古書店』に足をむけていた。
――あの人が、セトとして過ごした店。
ずっと探していた。最初にこの街を訪れた時に、ここへ来ていれば――。
看板の出ていない店先は、しんと静かだ。
試しに店の扉を開けてみようとしたが、施錠されている。
総議長の管理が行き届いているのだろう。
「お客さん、その店は長期休暇って聞いてるよ」
開店準備中の近くの店員に掛けられた声に、頷く。
「……そうか。ありがとう」
ここで、リースの正体が判明し、ノーリに出会った。
そう思うと不思議な縁を感じる……が、ぼうっと佇んでいる訳にもいかない。
ノーリの体調の為にも、早く教会へ戻らなければ 。
「あれ? あの店……店主の友人がちゃんと鍵かけていったわよね」
「ああ。さっきの人も入れなかったし。どうした?」
「今、女の人が入っていったような…………」
「鍵持ってる関係者かなんかだろ」
「そ、そうよね……」
賑やかになり始めたフェリアの街中を通り抜けて中央教会に戻ると、聖堂では聖使達が朝の礼拝をしていた。
静かにその傍を通過して、協会が間借りしている宿舎の講堂へ急ぐ。
質素だが、清潔感がある木造宿舎の廊下。
そこに、ふわりと料理の香りが漂ってきた。
「……この香りは……」
「おっ! おかえり~アルヴァ! いいとこに帰って来たな。ちょっと遅めの朝飯ができてるぜ!」
両手一杯に、器用に料理の皿を持ったソーマが厨房のほうから駆けてきた。
「……まさか、ソーマが作ったのか?」
「よくわかったな。俺特製調味料だ! 旨いし体に良いし、アルヴァも一緒に食おうぜ。旅の途中は保存食ばっかりで飽きただろ」
そう笑って廊下を走るソーマに、あわててついていく。
大皿を8枚も落とさず持って走るなんて、見ているこっちがハラハラする。
今朝集まったシヅキの部屋ではなく、講堂の一角に机を並べて、協会の顔ぶれが集まっているところへ合流する形になった。
机の隅でスープだけ飲んでいたリースが、席を作ってくれる。
「総議長は無事送り届けたな。こちらも街中に出た魔物の対処をして戻ったところだ」
「はい。総議長のもとへ魔女の手下に関する情報があったので丁度良かったです。クレイさんは……」
「シヅキさんの隣だ」
ソーマの料理を勢いよく食べる女性陣のむこうで、微妙な顔をしたクレイがお茶を飲んでいた。
シヅキもアクアもそんなに空腹だったのだろうか?
薄い髪色の聖使の女性も、ひとり一緒に混ざっている。
「アルヴァ、リッドの帰りに問題はなかったか?」
こちらの目線に気付いたクレイの手招きに席を移動して、聖使の女性も隣になった。
「出現した魔物は、明確に総議長を狙っていました。政敵が仕掛けた疑いもあるようですが、判断材料が無い状況です」
「……うーん……戦場でもない場所で意図的に魔物を発生させ、標的を指定するとなると、魔女かその手下ぐらいしか思い付かないんだが……」
「その、魔女の手下の情報がありました。一週間前位から、力を失いつつあるようです。ハーディスという子が途中で合流したのですが、子供の姿に戻ったとかで――」
「ハーディスが……!?」
どうやらクレイも知り合いだったようだ。
「あの~、ちょっといいですか? 総議長様の政敵は、古参の保守派の人達です。それも先代がかなり敵を減らしたので、それほど脅威じゃなかったはず……。だから多分、政敵が仕掛けたのとは違うと思いますよ」
隣に座っていた薄い髪色の聖使が、遠慮がちに会話に入ってきた。
ふわっとした喋り方が印象的な女性だ。
「ふむ……一週間前というと、ここの聖女様が失踪した時期とも重なるな……。あいつが力を失うってのは想像できないんだが……何かが起きているのは確かだな」
考え込むクレイとアルヴァの前に、ソーマがトンと料理の皿を置く。
「腹が減っては戦は出来ぬだ。旨いもの食って落ち着けよっ」
ふわっと甘く香ばしい香りが立つ、とろりとした野菜炒めのような料理。
見たことのないものだが、女性陣の食べる勢いを見るに、相当美味しいのだろう。
確かに空腹ではある。
クレイと一緒に手元の小皿に取り分け、一口食べてわかった。
旨味が脳に響き、視界が明るくなる。
これは、食べるのが止められなくなる味だ。
――と、食べ進めようとする衝動を抑えてソーマを呼び止める。
「ソーマ。ノーリが街の西側の診療所で、魔力切れで動けなくなってる。食事を持っていって診てあげてくれ」
「あー。だから何かあったら呼べって言ったのに……わかったよ。すぐ用意する」
ソーマがやっぱり、といった顔をしたということは、ノーリの体調は完全に戻っていた訳ではなかったのだろう。
ソーマがまた厨房に走っていくのをみおくって、やっと落ち着いて朝食に向き合った。
隣で料理の味に驚いていたクレイも、一息ついたようだ。
「……報告にあった治癒師か。朝一人足りないなと思ったが、診療所に向かっていたんだな」
「はい。最初の地震で別れて、街の人の為に行動してくれていました。診療所に出た魔物の対処もして……人柄としても優れています」
「アルヴァがそこまで誉めるとはな。回復したら紹介してくれ」
「勿論です」
新しく参加した協会の顔触れに魔女の手下が混じっているかもしれない、という警戒は、協会の魔女探しにとっては常にある。
そんな中でのノーリへの信頼は、彼自身の行動が築いたものだ。
どうやらソーマは、信頼というよりも、胃袋を掴んだようだが。
ひととおり朝食が終わった広間に、旅装の商人が訪ねてきた。
「こんにちは。協会で商売を始めるそうですね」
商人の帽子を取った黒髪の青年は、どこかハーディスに似ている。
「アキディス。リッドが君を貸してくれると言ったのはつい今朝だぞ。暇なのか?」
「酷いな、優秀と言って下さいよ。お久しぶりですクレイさん」
クレイが席を立って彼を出迎えたのをみて、それに習うように皆も椅子から立ってクレイの方に注目する。
アルヴァも同じく席を立って、この商人を出迎える形になった。
「ああ、初見の奴もいるから、改めて紹介しよう。彼はアキディス=タイド。フェルトリア連邦とシェリース王国を中心に廻る、取引を仲介する商人だ。今回協会に来た飛行機械の商流の話の、実務的な立ち上げを手伝って貰う」
クレイの紹介に丁寧な一礼をした男は、人当たりの良さそうな好青年だ。
ハーディスと同じ名字ということは、顔も似ているし、やはり兄弟なのだろう。
「商売は厳しいですよ。――俺が皆さんを鍛えますので、覚悟して下さいね?」
言うことは、不穏だった。
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