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【完全版】世界を支配する悪い魔女は こっそり気紛れの人生を過ごすことにした ~可愛い勇者に倒して貰うまで~   作者: 白山 いづみ
幾億の星を見上げて 流れ星を待つ

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魔物最強の吸血鬼2



 ザ、とアクアが扉の真ん中に立って魔導杖を構えた。

「取込み中に悪いわね。『水よ 我が意に従え』!」


 ドロリと淀んだ空気を、水の刃が切り裂いて、棒立ちで笑っていた吸血鬼に襲いかかる。


 吸血鬼は避ける様子もなく、小さな無数の傷をつくりながら、こちらをみる。


「そこにも、いた」

 嬉しそうな声が響く。


 ガリガリと長剣を引きずり、ゆっくり歩を進めてくる。

 と、急に加速して、あっという間にアクアの目の前に立った。


「っ……!」

 速すぎる――。



 大きくアクアの首筋に噛みつき、首を振って彼女の身体を放り出した。


 あまりに予想外の動きに、アルヴァの繰り出した長剣が吸血鬼の首をかすめて、宙を裂く。



 ――駄目だ。


 魔女と、同じ顔。

 その首筋を自分の剣がかすめる瞬間を、自分の全感情が、拒絶する。


 どうしてだかわからない。

 ただ、嫌だ。

 それではいけないと、わかっているのに。





「……っソーマ!! こいつを捕まえてくれ……!!」


 何故あんな自身満々な人間が、こんな大切な時に居ない?


 理不尽な苛立ちだ。

 それは、わかっている。




 瞬間――


 白い閃光が、目の前で爆発した。


 轟音が地面を叩き、衝撃で全身が痺れる。

 光に焼かれた視界の中に、黒い人影がふわりと舞い降りた――ように見えた。



 


「俺の名を、呼んだな。アルヴァ。嬉しいぜ」


 軽くて甘ったるい、低い声。

 どこから出現したのか、どうやって出現したのか、それは確かに、ソーマだった。



「ここにいたのか。これはまた、派手にやらかしたな」


 光にくらんだ視界に、目を擦る。

 ソーマの反対側に同じように目を擦っている吸血鬼の姿があった。


「ほら、大丈夫だよ。おいで。――《スレイヴ》、《ソレイユ》」

 武器も魔法もない。

 ソーマは両手をひろげて、愛犬を待つかのように、片膝をついた。



「ば……」

 馬鹿か、と言いかけて、吸血鬼の表情がみるみる変わっていくのに、言葉を飲み込む。


 吸血鬼の瞳から攻撃性が引いて、ぽかんとしたような顔にかわる。

 優しく待ち構えたソーマの腕の中に、おずおずと自分から収まってしまった。


 ぽかんとするのは、こちらだ。

 何か特殊な魔法を使った訳でもない。

 一体どうして、そうなる。


 まるで飼いならされた犬のように、大人しくソーマが撫でるのに任せ、吸血鬼は目を細めている。


 昨日もこうして眠らされたのだろう。

 傷ひとつ付けずに捕らえていたのは、戦っていないからだった。



 首筋から血を滲ませたアクアが、同じように呆然とした顔で、ふらりと歩み寄る。


「……そう。やっぱり、それで……。――ソーマさん、遅い!」

 アクアは何かを呟いてから、いきなり口を尖らせた。

 新しい怪我は大きくなさそうだ。



「えぇ~それちょっと厳しくねぇ? 俺、役に立ってるだろ?」

「どうしてそんなに簡単に捕まえられるのよ? 貴方も、別の意味で魔物みたい」

「あ、やっぱり? 俺って魔物すら魅了しちゃうんだよね。人外の魅力ってやつ」


 そんな会話が、吸血鬼の頭上でかわされる光景に、冷や汗が出てきそうだ。


 ソーマの軽口に、アクアは諦めたようなため息をつく。

「……アルヴァ、大丈夫? いつまでぼーっとしてるのよ。まさか貴方までソーマに魅了されてないでしょうね」


「まさか――少し、驚いただけだ」

 アクアにそんな言葉をかけられるとは思わなかった。

 いそいで立ち上がって、砂埃を払う。


「あー。それにしても、ここで助けてくれるのがリース様だったらなぁ~。私もぽーっとしちゃうわ~」

「だから、魅了されてなんて、いない」


 それにしてもこれだけ馬鹿な会話をしていても、気持ちよく目を細めた吸血鬼に、これといった反応はない。

 ソーマの腕の中で、会話が耳に入っていないのか、意識はもう眠っているのだろうか。


「でもびっくりしたぜ。家で寝てた筈なのにな。ディアナちゃんが知らせてくれたコウモリ型も、結局こいつがちょっとかじった痕で、準備体操みたいなもんだったし。こっちが狙いって事は、俺はうまく無駄足を踏まされた訳だ」


「やっぱり魔女の顔をしてるから、ちょっと能力も特殊って事かしら」

「いや、そんなことはない。いつもの普通のやつだ。……日があるのに、勝手にひとりで起きるって事も、本来はできなかった筈なんだよなぁ」


 そうすると、原因は他にある。

「――誰かに、起こされたのか。そして街の守護と戦力を狙ったとすると……」




 まさか、リースだろうか。

 その一言は、のみこんだ。


 『守護の聖者』の強力な魔物除けが無ければ、魔物である彼は人目につかずに街の中へ出入りができるようになるだろう。

 けれど、そのためだけに、ここまでの惨劇を起こす必要はない筈だ。

 彼が一人で聖者を狙えばいい。




 ソーマが、吸血鬼の結い上げられた髪留めを外す。

 茶色の長い髪がさらりと肩におちて、彼女は不思議そうに目をあげた。


「《スレイヴ》、《ソレイユ》。この髪留めは、誰に貰ったのかな?」


 吸血鬼は小さく首を傾げてから、ゆっくり口をひらいた。

「……だれ……名前は、しらない。白い、真っ白い髪の、男の人……。」


 少なくともリースではない。

 ほっと安堵してから、別の不安がこみあげてくる。

 では一体誰なのか。


 白い髪といえば、古書の亡霊であるフェイゼルしかいないが、彼は消極的だ。

 わざわざ吸血鬼を起こして髪留めを与えたりすることは無いだろう。


 街の住人に白い髪をもつ人間がいる様子もなかった。

 見事な焦げ茶色が多い中で白髪がいれば、目立つ。


「その人は、今どこにいるんだい?」

「……今は知らない。森の中に、いた」


 やはりこの惨劇を作り出した人間が、存在している――。

 ただの強力な頭の良い吸血鬼の仕業で済む話ではない。


 これは相当、深刻な問題だ。




 吸血鬼を抱いて立ち上がったソーマは、診療所の中の惨劇に少し眉をひそめてから、教会の裏側へ足を向けた。

 教会の裏には緑の庭しかない筈だが、とにかく、彼の後を追う。


「アルヴァ、今のうちに、この子に訊きたいことを訊いてくれ。また眠っていて貰うには、被害を出しすぎた」



 それは――、そうかもしれない。

 これだけの死傷者を出した魔物を、ソーマが退治もせずに平然と抱いているのを見れば、地元の人間も黙っていないだろう。

 下手に騒ぎをつくるよりも、人目につかないうちに本当に退治して貰った方が良い。


 

「……魔女の力の源について、知っている事を教えて欲しい」


 そのために、強い魔物と戦ってまわってきたのに――

 この吸血鬼がとどめを刺されるのを、自分は黙って見ていられるのだろうか。



 ゆっくりと、暗くて赤い瞳と目が合う。

 今度は身体が動かなくなるということはない。


 ソーマに揺られながら、少しの沈黙のあと、小さく口をひらいた。



「――好きだから」


 いきなり、思考停止に落とされそうになった。


「師匠が教えてくれた、この世界が……」

 ほとんど意味の分からない呟きが、こぼれ落ちる。



 教会の中庭に辿り着いた。

 吸血鬼の身体が、緑の中の光に溶けるように、薄くなってきていた。


「師匠? それは誰なんだ?」

 今にも消えてしまいそうな様子に、慌てる。


 まさかとどめを刺すような動作もなく、消えていってしまうとは予想外だ。

 そもそもソーマの捕獲手段から、予想外ではあったのだが。



 答えがないままに、どんどん消えていく。

 いつもの、魔物を倒した時に砂になって崩れ落ちるのとは違う。


 陽光に紛れるように、きらきらと、薄く、淡い光になって、ほどけていく。



「……ソレイユ、ごめんね……」

 いつのまにか、アクアが吸血鬼の手を握っていた。


 その声に少しだけ吸血鬼の口元が緩んで、さらりと一気に霧散する。





 しばらく、声がでなかった。


 吸血鬼を退治しただけの筈だ。

 聖者を攻撃し、退魔師達を負傷させ、魔女探し達を殺戮した、最悪の魔物。

 

 ――その最期が、何故、これほどの哀愁に満ちるのだろう。

 何故、一番散々な目に遭ったはずのアクアが、強い瞳で自分の涙を拭っているのか。


「……さて、しめっぽいのはここまでだ。無事なのと生き残ってるのを確認しなきゃだな。聖者様は?」


「真っ先に襲われて、今、ノーリが診てる筈だけど……動いてなければ、炊事場に」

「うへぇ、あのおっさんもやられたのか。参ったね」


 今は考えるより現状を何とか立て直すほうが優先だ。

 街の防衛力が削がれているこの状況で、昨夜のように魔物が大挙して押し寄せれば、防ぎ切れないだろう。


 教会の正面のほうから、驚きの悲鳴がきこえてきた。

 昨日の事があって遠慮していただろうが、ここは一般住民も自由に出入りする教会の土地だ。

 そこらじゅうに負傷した退魔師が倒れている光景は、衝撃に違いない。



 突然の戦闘に息を潜めていた聖使達が、安全を確認しながら恐る恐る出て来て、負傷者の救護にとりかかった。


 凄惨に過ぎる診療所は、封鎖された。


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