魔物最強の吸血鬼1
アルヴァは馬に揺られて、午後の柔らかい日差しのなかにある教会の門を通過した。
教会では、棺も墓地へ運ばれて、日常の風景を取り戻しつつあるようだ。
地方都市の大規模葬儀としては、進捗が速い。
これまで何度も魔女探し達を弔ってきたこの街としての、やりかたなのだろう。
教会の敷地に入ってすぐ、聖者が木材を切り出しているところに遭遇した。
「おお、ディアナ。昨日から色々ありがとな」
朝の聖者様的な雰囲気はどこへ行ったのか、また作業着姿の技工士にしか見えなくなっている。
「聖者様、こんな日ぐらい、聖者様の格好でいて下さいよ。何人も亡くなってるんですから」
「厳しいなぁ。弔いはちゃんとしただろ。俺は生きてる奴の為に働きてぇんだよ。湖沼側の柵の修繕が第一だぜ。アルヴァもお疲れさん。アンゼリカには会えたかな?」
「はい。館から資料を持ってきて頂けるそうです――」
馬から降りる瞬間、ふっと目の前が暗くなる。
どうにか落馬はしなかったが、地面との距離感を失って、ザッと尻をついていた。
ディアナの慌てた声が、どこか、遠い。
ぷっ……あはは……! アルヴァが転ぶとこ、はじめて見た!」
アクアの笑いだけが、ハッキリと耳に届く。
それに反論する余裕もない。
――怠い。
気持ち悪い――。
ぐい、と作業着姿の大きな手に抱え上げられて、その手の温かさに、小さく息をつく。
「かなり無理してたんだな。何か食って休んでおけ。寝ててもいいぞ。日が落ちたら、また魔物が出てくるかも知れないしな」
少し揺られたあと、ふわりと柔らかい場所に横たえられる。
聖者とディアナが何かを喋って、楽しそうな顔をしたアクアに、水っぽい普通の粥をねじこまれた。
ソーマの甘粥が、飲みたい。
――気付くと、静かになっていた。
どのくらい経ったのか、少し眠ってしまったようだ。
アルヴァは聖者の執務室でひとりで横になっている状況に、ため息をついた。
旅先でこんな情けない状態になるなんて――。
頭が、働かない。
身体も、重い。
目を閉じると、何故かリースの顔が浮かんでくる。
リースは子供の頃から、亡き姉の代わりのように、傍にいた。
今まで考えた事も無かったが、彼はどうして、一緒にいてくれたのだろう?
魔物である正体を隠し通そうとするなら、特定の人間に長期間関わるということは、避ける筈だ。
浅く広く、目的の為に移動を続ける。
それが秘密を守るには一番良いし、誰も傷付けない。
……自分は、リースにとって、何だったのだろう。
ふと、目元を温かいものが塞ぐ。
「こんな所でお昼寝しているなんて、思いもしませんでしたよ」
小さく回復魔法を唱えられ、急速に全身が楽になる。
目元を塞いできた手が外れると、いつもの笑顔を浮かべたノーリが、そっと隣に座っていた。
「……ノーリ。どこに行っていたんだ。少し、探していた」
「貴方こそ。昨夜はアクアが心配して、大変だったんですからね」
そっと、ノーリの指先が目元を拭ってくる。
どうしてか、涙が滲んでいたらしい。
「昨日は大丈夫でしたか? 無事で良かった。まさかあそこで深追いするとは、驚きました」
アルヴァは少し軽くなった身体を起こして、目を擦る。
「あの敵は、魔女の顔をしていたんだ。少し頭に血が昇っていた。手間をかけて、済まなかった」
「魔女の顔……。幼い頃に会ったと聞きましたが、よく覚えていますね。僕なんてすぐ人の顔を忘れてしまいますよ。特に、顔と名前を一致させるのって、大変です」
困ったように腕を組んだノーリに、少しだけ和まされる。
どうやら彼に助けられているのは、アクアばかりではなかったようだ。
「生き残った魔女探し達は、一様に魔女の存在にうなされていました。忘れてしまえば少しは楽になるのかも知れませんが、そういう訳にもいきませんよね。どうにか落ち着いて、情報が共有できるといいですね」
「ああ。時間が必要だな」
頷いたところで、突然、外が騒然としたのに気付く。
湖沼の方で、夕方を待たずに再び魔物が出て来たのだろうか?
「外が……何があったんだ?」
「さあ……? さっきまでは静かでした。動いて大丈夫ですか?」
ノーリの回復魔法のおかげで、身体はかなり楽だ。
いつのまにか外されていた装備を身につけながら、窓の外を覗く。
騒ぎのもとは、この角度からはわからない。
だが、悲鳴がきこえた気がした。
何かあったのは、湖沼の方ではない。
「様子を見てくる。回復魔法、助かった」
何か、嫌な予感がする。
「また倒れないで下さいね」
ノーリの声を背中で聞いて、急ぎ足で執務室を出る。
がらんとした聖堂を抜けて外に出ようとして、水魔法の飛沫が飛んできたのを咄嗟に避ける。
その一瞬、目の前を、黒衣を被った人間が、駈け抜けた。
「何してんの、捕まえて!」
アクアの怒鳴り声に、さっと剣を抜く。
深く被った黒衣で顔を隠した人間。
いま目の前を通りすぎたそれは、聖堂の中央を駆け抜けて、くるりと天使像のうえに飛び乗った。
――体重を感じさせないその動きは、まるで、リースのようだ。
だが、彼よりずっと小柄だ。
それに黒衣の下で長剣を握っている。
刀身から溢れる何かが、天使像に、ポタポタと滴り落ちていく。
「何が起こってる?!」
背後で息を切らしたアクアが、渾身の魔法を詠唱する。
『水よ 我が意に従い 絡み取り・打ち縛れ!』
ゴッと両側をすり抜け、強力な魔力の水が像の上の人間を襲う。
高速で回転しながらその身体を締め上げていく――が、捕らえたのは一瞬で、引きちぎるようにして破られた水魔法の飛沫が、入り口にまで吹き飛ぶ。
一瞬だが動きを止めたその瞬間にダッとアルヴァが距離を詰め、黒衣をとらえた。
刀身を横に薙ぎ払うもうまく躱され、ばさ、と黒衣だけを掴まされる。
さら、と流れる茶色の髪。
結い上げた髪で、一瞬、わからなかった。
だが、その顔立ちと、赤黒い目は――
「なっ……どうして、昼間に……?!」
じり、と間合いを取りながら、魔女と同じ顔に、戸惑う。
「――違う。おまえじゃ、ない」
昨夜とは違う、意思の力が、その魔物の瞳にゆらめいたように見えた。
不覚にも再び視線の力に拘束された隙に、ばっと目の前から逃げられる。
「くっ……待……アクア!!」
ぎり、と振り返る。
聖堂の入口にいたアクアは、渾身の魔法を弾かれた衝撃を受けた筈だ。
彼女は、長椅子に掴まってどうにか立っていた。
一瞬アクアを無視して通り抜けようとした吸血鬼が、急に、ピタリとその動きを止めた。
そして、ゆっくりと、振り返る。
「……アクア……」
する、と振りかぶった長剣が、いきなりドッと彼女を襲った。
魔導杖でどうにか致命傷を避けるが、防ぎ切れるような斬撃ではない。
ガンと叩き落とされた魔導杖が床をすべり、血飛沫がそれを追う。
崩れ落ちかけたアクアの肩を掴み、吸血鬼の長い牙が、彼女の首に消える。
あれは、魔女ではない。
まったく別の、吸血鬼だ。
「くっ……そ……『光よ 我が意に従い 刃となれ』!」
身体の自由がきかないなら魔法がある。
周囲に発生した無数の光の針が、高速で吸血鬼に突き刺さっていく。
熱いものに触れたように驚いて離脱したところに――斬り込みたいが、まだ身体が思うように動かずに、よろめいた。
その隙に、サッと外に逃げられてしまった。
吸血鬼が視界から消えて、急に動けるようになった。
急いで床に倒れたアクアに駆けつける。
「アクア、こんな所で死ぬな。リースに会うんだろう!」
ざっと確認しただけでも、相当の深手だ。
右肩から、あっというまに服が真っ赤に染まっていく。
そのうえ首筋から血を吸われたとなれば、相当な失血量だ。
「……へへっ……やっぱ、私、人間、かぁ」
激痛に顔をしかめる余裕はあるようだ。
一瞬安心したが、今すぐ止血が必要だ。
「アクアは、人間ですよ。頑張り屋さんですからね」
背後で、のんびりした声がした。
いつのまに来たのか、ノーリの詠唱する丁寧な回復魔法が、アクアの傷をゆっくり塞いでいく。
「ノーリ。済まない、助かる」
「いえいえ、これが僕の役割ですし。ちなみに魔物に回復魔法をかけたらどうなるか、知ってます?」
「? いや……効かないんじゃないか?」
「実は少しですが、弱体化させる事ができるんですよ。吸血鬼程の大物には無意味でしょうが、通常の魔物には結構有効なんです。逃げる時間を稼ぐのに、ですけどね」
そういって少し場を和ませてくれるノーリの気遣いに感謝しつつ、じっと回復魔法が落ち着くのを待つ。
逃げた吸血鬼が外で惨事を起こしている。
多くの悲鳴と、怒号と、対抗する詠唱がきこえる。
だが今は、アクアにかけている回復魔法が終わるまで、じっとしているしかない。
「……くそ。何故昼間からあんなに普通に動いているんだ。ソーマの家で眠っていた筈なのに」
「魔女の顔だもん。専門家でも想定外の能力があったのかも。……顔だけじゃなく、能力も複製したとか」
「そんな吸血鬼がいたら、とても手に負えない。まだ魔法や蛇を使っては来ないから、大丈夫だとは思うが――。ソーマには、家で見張っていて貰うべきだったな」
回復魔法の柔らかい光が、収束して消えていく。
アクアも、やっと安堵した息を吐いた。
だが、顔色が良いとはいえない。
「……最初は、魔女探しの一人が来たのかと思ったわ。顔も見えなかったし、地元の人も知らないみたいだったし。でも突然、聖者様を襲ったの。聖衣も着てなかったのに、確実に、聖者様だけを狙った。街の守護を揺るがすつもりなら、最高の手段よね」
まさか――。
「退魔師達は?」
「びっくりしすぎて、一瞬、動けなかったみたい。すぐに私が対応したんだけど、やっぱり吸血鬼相手に私一人じゃ、ちょっと無理。退魔師の手にも、余るみたいだし」
外の騒ぎが少し遠くなった。
逃げたか、場所を移したか。
「聖者様は大丈夫なんですか? 治療に駆けつけた方がいいでしょうか」
ぐい、と椅子につかまって立とうとしたアクアを支えて、ノーリが大事なことを聞いた。
「わ、わかんない。でも、お願い」
頷いて外に駆けていったノーリの背中を見送ってしまってから、一緒に行くべきだったと気付く。
しかし、頭ではわかっていても、身体がどこか重くて、動こうとしない。
「……あ~あ。リース様がいてくれたらなぁ~」
床に転がった魔導杖を拾って、口先だけは、いつものアクアが戻ってきた。
「――アクア。何か……その、大丈夫か?」
自分が何を言っているのかわからないが、それしか言葉が選べない。
「え? 駄目に決まってんじゃない。おもいっきり負けるし、リース様は見つかんないし、怪我人だらけだし、もう散々よ。アルヴァこそ大丈夫なの? ノーリに回復して貰ったみたいだけど、なんかいつもと違うんじゃない。さっきも、ノーリと一緒に行くと思ったんだけど」
唇を尖らせてそんな事をいうアクアに、手を差し伸べられた。
何かが、いつもと違う。
なのに何が違うのかが、わからない。
外に出ると、惨状だった。
傷付いた退魔師がそこかしこで呻き声をあげ、血痕があちこちに散っている。
この街の退魔師が複数人いても、これだ。
最強の魔物という吸血鬼の評価は本物だろう。
昨夜、発生したてとはいえ、ソーマはこれほどの魔物をどうやって捕らえたのだろう?
今からソーマを馬で迎えに行ったとしても、吸血鬼の被害が拡大するのは目にみえている。
「――吸血鬼の標的は、本当に街の守護なのか……俺を見て、『違う』と言ったのに、アクアに対しては明確な意思をもって攻撃したように見えた。アクアは守護とは関係無い。退魔師も蹴散らすように攻撃しているだけで、吸血はされていない……」
追うにしても、また返り討ちに遭う可能性が高い。
気合いだけで勝てると思うほど馬鹿ではない。
声に出して頭の中を整理してみても、どう対抗すればいいのか分らなかった。
「……あっ……診療所は? 魔女探し達はどうなってるかしら」
急に、アクアが走り出した。
教会のすぐ隣にあるその建物の広間には、動けない魔女探し達が大勢横になっている。
応戦どころか、抵抗もできない筈だ。
診療所の大きく開け放たれた扉の奥から、異様な気配が溢れていた。
そっと気配をころして中の様子を覗き込む。
強烈な、生温い鉄の臭いが、鼻を刺す。
引きつったような悲鳴が小さくきこえて、やがて途絶えた。
吸血鬼の長い溜め息のあとに、その息が笑いに変わる。
それが静まり返った広間に、反響していく。
――外が惨状なら、診療所の広間は、惨劇、だ。
こみ上げる吐き気を飲み込んで、剣を握り直す。
だが、どうしたらいい。
「……吸血鬼は、心臓を破るか、首を落とすか。アルヴァ、私がもう一度囮になるから、仕留めて」
「無理だ。危険すぎる」
「でも、あいつをもうここから出す訳にはいかないでしょ。まだ生きてる人もいるかも知れない。建物に封鎖の魔法をかけるなんて、私の魔力じゃ出来ないし。やるしか、ないじゃない」
これが、本当にあの、アクアだろうか。
いつもリースについてまわって、戦闘は離れた所から支援魔法を飛ばし、前線に踏み込む事はあまり無かった。
ついでに人助けよりもリースと一緒にいることを優先する時すらあった。
リースにべったりの時の彼女との格差が、大きすぎる。
「……死ぬなよ。一緒に、リースを見つけるんだ」
「別にアルヴァと一緒じゃなくても、絶対に見つけるんだから」
頼りないが、頼もしい返事に、頷く。
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