魔女の手下が触れたもの
ノーリは診療所を出て、湖沼地帯の傍の森に入っていた。
アクアが早朝からアルヴァを探しに森に入っていった後に、続いたことになる。
だが、ノーリが探しにきたのは、魔女の姿をした、吸血鬼だ。
昨日の激戦は、アクアと一緒にあとから駆けつけていたノーリも見ていた。
湖沼の黒雲から魔女の姿が現れた時には、一瞬、驚かされた。
――その後の行動は、ただの発生したての吸血鬼でしかなかったが。
吸血鬼特有の魔物の気配を辿っていくと、こんな森の中だというのに、家をみつけた。
ここアーペの人間は、湖沼地帯から出てくる強力な魔物から身を守る為にも、街の中にしか住まない筈だ。
一応家全体に守護の魔法はかけられている。
しかしそれにしても、誰がこんな場所に好んで住んでいるのだろう?
そっと窓から家の中を覗き込んでみる。
綺麗に片付いている部屋の中で、昨日の吸血鬼が、深い椅子に座って眠っているのをみつけた。
まるで、普通の人間が自宅で寛いでいるかのようにしか見えない。
他に人の気配はない。
家の中が小奇麗なままだから、吸血鬼に家を制圧された訳でもなさそうだ。
――まさか、発生したてとはいえ、最強と称される魔物の吸血鬼を、捕らえたのか。
それとも、吸血鬼自身が、守護魔法を突破して留守の民家に日差しを避けて侵入したのか――。
家主の気配がない状況で悩んでいても仕方ない。
トントンと扉を叩いてから簡単な施錠を外して、家の扉を開けた。
守護魔法は、魔物にしか効かない。
微かに甘い、独特だが良い香りが部屋の中に満ちている。
深い椅子にすっぽりと座って眠っている吸血鬼にそっと近づいた。
彼女の姿の白い頬に、触れる。
さらりと流れる茶色の髪を整えて、小さく息をついた。
……この吸血鬼を形作った魔女探しの観察眼は、なかなか優れている。
およそ300年――
それほど長い時間があっても、こんなに穏やかに彼女の顔を見ていられる時があっただろうか。
これは本当の魔女ではない。
ただの写し姿だ。
それでも、無防備に眠るその姿に、おもわず、触れた。
本物の彼女には、こんな風に触れることは、許されない。
今までに一度も――きっと、これからも。
アルヴァは、この顔を知っていた。
自分の知らないところで彼女が行動していた時に、会った事があるのだという。
あれだけ自分の容姿を隠していた彼女が、どうしてここ数年、顔を見た人間を殺さずにおくのだろうか。
ばらばらだった魔女探し達を纏めるのに一役買っているフェルトリア連邦の総議長の事も放置だ。
今までなら、雑草のように摘み取っていた芽を、育てようとしているとしか思えない。
それに、この吸血鬼だ。
無力化された状態で協会に差し出されでもしたら、彼女の顔は広く知られるようになってしまう。
逆にそれで集まってきた魔女探し達を、まとめて処分するつもりか。
それとも、あの『二つ蛇の門』で魔女探し達を追い返した後、こんなふうに眠ってしまったのか。
「さて……どうしましょうね」
少なくとも、この吸血鬼を協会に渡す訳にはいかない。
「本人に、どうしたいか聞くのが一番かな?」
吸血鬼の額に、トンと指先を当てる。
『起きろ』
魔力を込めた声に、暗い赤色の瞳が、ゆっくりと開く。
本物の魔女の瞳は、緑色だ。
魔物との決定的な外見の違いは、そこにある。
「……わたし、は……どうなったの? ……返して……私の血を……」
うわ言のように、ぼそぼそと呟く声は、枯れている。
強烈な恨みを持って死んだ人間の怨念の集合体である、吸血鬼。
発生して間もないということは、ごく最近死んだ者の恨みが、強く反映されている筈だ。
「まだ昼間ですから、動けないでしょう。貴女には最初の吸血も足りていないようですね」
「違う、あの血じゃない。あいつの……私の命を奪った、あいつの血を……」
「奪い返しに、行きますか? お手伝いしますよ」
吸血鬼の目が、大きくひらく。
「あいつを、許さない……!」
ぱっと立とうとした吸血鬼は、しかし、椅子に掴まってへたり込んでしまった。
その目が再び、とろんと眠そうになる。
まだ昼間だから、というばかりでは無さそうだ。
それならさっきの覚醒の魔法の力で、動ける筈。
ここに座って眠らせていた何者かが、この吸血鬼の力を抑えているのだろう。
「――この、甘い香りかな? ちょっと失礼します」
香りが原因なら家から出れば良い。
ふわりと吸血鬼を抱き上げて、扉から家の外に連れ出す。
聖者の守護魔法は、開いている門や扉には効果がない。
眠そうな目が、それでようやく開いてきた。
「……お前は……?」
「私はあの方の奴隷です。吸血鬼の貴女には、味方になりますね」
「……そう……。奴隷……」
吸血鬼はトンと自分から地面に立った。
もう眠気は、無くなったようだ。
――気怠げな表情。
言葉少なに落とす、声。
風で飛んでしまいそうな、儚げな、存在感。
300年前、はじめて出遭った頃の彼女の姿を、思い出す。
もう、ずっと、昔の事なのに――。
荷物の中から髪留めを出して、吸血鬼のサラリとした茶髪を結う。
髪型が違うだけでも、大分印象が変わった。
大人しく髪を結ばれた吸血鬼の赤い目が、ちらりとこちらをみる。
「あなたも、奴隷……。奴隷からは、血は貰わない」
「おや、好みがあるんですね。目が覚めたとはいえ、まだ昼間で、血も足りないでしょう。全力で動けない時は、少量でも素早く採取して離脱する、というのを繰り返すと良いですよ」
「夜を待てばいい」
「夜は街の警護が厚くなります。”あいつ”は、生きているなら診療所にいる筈です。昼間のうちに『守護の聖者』を襲撃して、退魔師の混乱に乗じて診療所を襲撃する、というのがお勧めですね」
適当な思い付きの作戦だが、実際、『守護の聖者』の街の守護魔法を解くことができれば、混乱に陥るのは退魔師だけではないだろう。
すぐ街が危機に晒されるわけではないが、魔物の脅威が、街を蝕んでいく筈だ。
「……そう。じゃあ、そうする」
ばさ、と大きな蝙蝠の羽を背中に出現させた吸血鬼は、街の方へするりと低く飛んで行った。
出現して間もない筈だが、流石、最強の魔物と称される吸血鬼。
自身の能力についても、状況把握についても、認識能力が高い。
ノーリは荷物を畳んで、訪問した家の扉を閉めた。
家の中に満ちる甘い香りについては、追々確認することにする。
「さてと、また置いて行かれちゃいましたね。教会に戻りますか」
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