ソーマの甘粥
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人の歴史は何度でも繰り返す。
ある時期に大きく進んだかと思えば、振り子のように逆行し、またもとの安定した均衡に立ち返り、何度も何度もそれを繰り返して、少しずつ進歩してきた。
それは、誰かが意図的にやっている訳ではなく、人の歴史の自然の成り行きだ。
そんな中でも、一人の魔女が支配し続ける社会構造は、今までの進化と逆行と安定の、どこに定義したら良いだろう。
彼女は『生きて』いる。
それがどういうことか。
社会構造としての存在であるだけなら――何らかの組織や集団が魔女の役割であるならば、その中身は代謝し、変化を繰り返し、歴史の自然に馴染むものでしかないだろう。
しかし、彼女は、『生きて』いる。
それは、個の存在がいまだに成長・進化し続けているということだ。
樹齢300年の大木と、30年の木を見比べてみるがいい。
その成長の差が埋まるということはない。
蓄えた生命の重さを、新しい木が凌ぐ事はない。
いつか倒れる日が来た、その時、そのあまりの大きさに、寄りかかっていたものが被る影響は計り知れないだろう。
それが進化となるのか、逆行となるのか。
彼女がまわりに種を撒いてゆくのを、ただ見つめる。
結果をつくるのは、その時に生きている命だけなのだから。
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耳に入ってくる静かな朗読をぼんやりと聴いて、何の本だろうと不思議に思う。
……読んでるのは、誰だろう。
ノーリでも、聖者でもない。
暖かく低い、優しく、甘ったるいような、男の声。
「おはようアルヴァ。起きられるかな?」
ギシ、と音を立てて寝台が揺れた。
朝の薄明かりが、見知らぬ黒髪の男の端正な顔立ちを、柔らかに照らす。
どういう状況なのか、よくわからない。
確か、魔女を追いかけていた筈だ。
「……ど……」
ひらいた唇が酷く重くて、思うように唇が動かない。
「あー、やっぱり貧血だな。無理して起き上がるなよ。今、甘粥持ってきてやるよ」
彼は、感覚の鈍い口元を医者のように触れると、サッと視界から消えた。
貧血?
それよりも、魔女はどうしたんだろう。
ぐっと腕に力を込めて、ゆっくり身体を起こす。
身体が、重い。
起き上がっただけで目眩がする。
そっと息をついて、目をあげた。
いつのまに、どのくらいの時間が経過してしまったのか。
薄い明かりが差し込んでくる窓の外からは、小鳥の声が聞こえてくる。
小さな部屋にはいくつかの干し草がぶら下げてあって、低い机の上に自分が持っていた荷物と装備が無造作に置かれていた。
――荷物――
少し慌てて、手を伸ばす。
思うように動かない身体が寝台から転がり落ちる。
最小限の荷物の上に、雨に濡れないように包んであった小さな古書が、ぽんとそのまま置いてあった。
とりあえずは紛失はしていないことにホッとする。
「おいおい、無理に起きるなって。かなり吸われたみたいだな」
少し早足で戻ってきた男に抱えられて、もとの寝台に座らされる。
あたたかい湯気の白い飲み物を、半ば強制的に、支えられながらそっと器を口に運ぶ。
ドロリと甘く喉を撫でる香り高い粥に、目をひらいた。
こんな粥は飲んだ事がない。
「ちょっと甘いが、しっかり飲めよ。俺の特製品だ。貧血には最高に効くからな」
甘さは気にならない。
香りの良さにぼうっとしながら、黙って全部飲み干した。
もっと飲みたいくらいだ。
水分を取れた事で、少し唇が滑らかになった。
小さく呼吸を整えて、改めて顔をあげる。
「ありがとうございます。あの、魔女はどうなりましたか?」
「ん? 魔女……? 魔女は知らんが、吸血鬼なら捕まえておいたぜ。見るか?」
さらっととんでもない言葉が出てきたのに驚きながら、少しだけ、頷いてみる。
吸血鬼?
というか、最強の魔物である吸血鬼を、捕まえておいた、とこの男はあっさり言ったが、何かの間違いじゃないのか?
男に支えられながら出入口の幕をくぐると、涼しい居間に出た。
自分の眠っていた部屋が暖かかったようだ。
すぐに、大きな背もたれに沈んで眠る茶色の髪の女に、目を奪われる。
「この吸血鬼は、昨日出現したばっかりだな、俺が駆け付けなかったら、吸い尽くされて死んでたぜ。アルヴァは運が良いな」
これが、吸血鬼だという。
捕まえたという割には、ただ深い椅子に眠らせているだけで、手足を拘束している訳ではない。
何かの魔法をかけてあるのだろうか。
――見れば見るほど、幼い頃に会った魔女の顔、そっくりだ。
ただ、その格好は、北の国で着ていたような厚着ではなく、南方の短衣に近い。
赤い生地にすすけたような汚れが目立つ短い服の下から、すらりと白い四肢がながれる。
呆然としていると、隣の椅子に座らされる。
男は2杯目の甘粥を目の前に置いてくれた。
「森の中ででかい声で名乗ってる奴がいて、驚いたぜ。おかげで間に合った訳だが……。この吸血鬼は、魔女の顔をしているのか? アルヴァは、魔女と知り合いなのか」
なるほど、それで、名乗っていないのに名前を知っているのか。
「……昔、会った事があるんです。俺は小さかったから、彼女は今の俺が分らないだろうと思ったんですが……。何故この吸血鬼が、魔女の顔に……」
「吸血鬼の発生時に、見る者の恐怖心が、その姿形を固定させる。一番恐れているものの姿で、吸血鬼は人を襲う。こいつに初めて遭った奴が、姿を固定させたんだろう。アルヴァに恐怖が無いなら、他の誰かだろうなぁ」
足元に倒れていた魔女探しが、魔女と叫んで悲鳴を上げていたのを思い出した。
では、彼らは、魔女のもとに一度は辿り着いたことになる。
ほぼ壊滅状態で戻ってきたが。
激戦だった湖沼の境界地帯は、どうなっただろう。
考える事がぐるぐると頭の中で錯綜して、何をどうするべきなのか、混乱する。
「しかし、これが魔女の顔だってのが本当なら、皆が思ってるよりも随分普通の女の子だよなぁ。ほら、皆色々勝手に創作するじゃねぇか。やたら怖いのとか、やたら妖艶なのとか。そもそも、想像よりも、少し若いよな」
――言われてみれば、そうかも知れない。
魔女探しの協会の色々な場面で彼女の容姿を説明してきたが、いつのまにか自分が年齢を重ねると同時に、年上の印象が強かった彼女の思い出のせいで、大人の女性、といった伝え方をしていたような気がする。
それにしてもこれだけ吸血鬼に詳しい人間には、初めて会った。
改めて男を見上げてみると、20代半ばだろうか、端正でどこか自信に満ちた目元に、人を惹き付けるものがある。
肩のあたりで跳ね返る黒髪の後ろに長い三つ編みを垂らしているのが、印象的だ。
「恩人に、名前を伺っていませんでした」
じっと彼をみると、その瞳まで綺麗な黒であることに気付く。
南方地方の黒髪の人達の瞳は深い茶色が多い。
どこからきたのだろう?
「俺はソーマ=デュエッタ。ちょっと色々あって流れてきたんだけど、今はこの街で、吸血鬼専門の退魔師をやらせて貰ってんだ。なんか性に合ってたんでな。アルヴァはどっから来たんだ? 魔女に会ったとか、面白い魔女探しだよな」
そんなに朗らかに声をあげては、吸血鬼が目を覚ますのではと少しハラハラしたが、専門家なのだから、多分大丈夫なのだろう。
眠っている吸血鬼の様子を気にしながら、そう無理矢理納得する。
「リュディア王国中央教会に所属しています。……色々な所を巡りましたが、吸血鬼の専門家とは、初めてお会いしました」
「へぇ、リュディアから来る魔女探しは結構いるけど、なんかお堅そうな所属だな。楽しいか?」
一瞬、ぽかんとする。
考えたこともない。
「あはは、楽しめよ、折角やってんならさ。俺も専門家やってて結構楽しんでるぜ。吸血鬼にだって個性があるし、物語がある。今回のこいつも、魔女の姿で、何を思ってんだかな」
――そうだ。
ここまで来た目的を、見失いかけていた。
魔女の力の源について、魔物に訊ねる。
そして魔女への対抗策を立てるのが、今の自分の役割だ。
「ソーマ、この吸血鬼と、話をさせて貰う事は出来ますか?」
「お、少し調子が戻ってきたな。いいよ。だけど夜になってからだな。吸血鬼は、日のあるうちは寝てるからな」
そうだった。
夜が吸血鬼の活動時間だという事は、専門家ではなくても、誰でも知っている。
「それより誰か心配してるんじゃねぇか? 昨日魔物が柵を破った騒ぎがあったからな」
彼が窓を開けると、涼しい朝の空気と一緒に、小さな悲鳴がとびこんできた。
「び、びっくりしたぁ! 何よアルヴァ、無事ならさっさと戻って来なさいよ」
驚いたのはこっちだ。
何故窓の外に、アクアがこっそり隠れているんだ。
「お嬢さん、照れなくていいから、扉からどうぞ。森の中にあるからって、別に、あやしい家じゃないよ」
「ええ、ありがと。すっごく怪しかったけど。昨日の魔物っぽいのは椅子で寝てるし、思いっきり警戒しちゃったわ」
くしゃりと長い金髪を整えて息を吐いたアクアは、家主が開いた扉から素直に入ってきた。
「もう、リース様を探すのに忙しいのに、やること増やさないでよ。アルヴァらしくないじゃない」
「確かに、浅慮だったな。済まない……ノーリはどうしてる?」
「診療所よ。魔女探し達の治療を手伝ってるわ。戻って来た魔女探し達の中にリース様はいないし、知り合いもいないし、話を聞こうとしても皆錯乱状態で会話にならないし。結局、空から入ってどういう経緯であんなに魔物を連れ帰ってきたんだか。ちゃんと報告ができるのかしら」
アクアが、頼もしい。
彼女は冷静に椅子に眠る吸血鬼に目をおとして、ふーん、と言いながら腕を組んだ。
「これが、アルヴァが言ってた魔女の顔なのね。何回も聞いたけど、確かにどこにでもいそうな感じね」
どこから聞いていたのか、聞き耳も良いようだ。
「とにかく。一度教会に行くわよ。あのおじさん……聖者様も、心配してたんだから」
「ああ」
いつもの感じで椅子を立って、ふっと目の前が暗くなる。
ふわっと身体が軽くなったと思ったら、ソーマの腕に倒れ込んでいた。
「いきなり動けば、そりゃ倒れるって。お嬢さん、こいつは吸血鬼に吸われて結構な貧血なんだ。教会までの坂道はキツいんじゃねーかな。乗馬も危ないし、本当は一日は安静にしておきたいとこなんだが……」
ソーマのあたたかい声が、直に耳に響く。
幼い頃に、頭を撫でてくれた魔女の優しい声が、どうしてか胸に蘇る。
全然似ていないのに、どこか、同じような感じがする――
「いや……戻ります。協会に報告もあるし……」
ぐい、とソーマの胸元から頭を外して、椅子につかまる。
ぼうっとした頭が醒める。
無理するなよと言われながら荷物を取りに小さな部屋に戻って、ふと包みが解かれている本に、改めて、はっとする。
歴史家フェイゼル=アーカイルの亡霊が宿り、今なお執筆中の、鍵が開かない古書。
亡霊本人に濡らすなと怒られたから大切に包んでいたものが、ポンと置いてある。
それ自体は起きた時に気付いたが、そういえば起きがけに、ソーマの声が、何かを朗読していなかったか。
ぐるりと部屋の中を見回しても、この本以外に、部屋の中に書籍はない。
あるのは寝台と、干し草。それに水差しぐらいだ。
急に、緊張してきた。
本の鍵はかかっている。
いそいで荷物をまとめて外されていた装備を身につけて、ふらつきながら居間に戻った。
「あ、その本。少し難解な表現が多いけど、面白かったぜ。完結してないのが残念だな」
手にした本を見るなり、あっさりそう言ってみせたソーマに、自分もアクアも、凍り付いた。
「……え? 鍵かかってなかったの?」
アクアが、ぽかんとしてソーマと本とを見比べる。
「鍵? そういやかかってたかな。開けたら開いたけど」
「作者の亡霊が出ませんでしたか?」
「ああ。丁寧に読むのを、大人しく聴いてた。内容の推敲でもしてたのかね。完結できればいなくなるだろ。……完結、させてやりたいもんだな」
そういって、さらりと本を撫でる。
彼のあっさりとした口調にかかると、当然の事のようにきこえてしまう。
しかし、あれだけ頑に絶対開かせないと言っていたフェイゼルの亡霊が、初めて本を手にしたソーマに、何故あっさりと読ませたのだろうか。
試しにもう一度鍵を開けようとしてみたが、びくともしない。
「ソーマ、この本の中身を全部読んだんですか?」
「ああ。俺このへんの出身じゃねーから、よく分からん所もあったけど、魔女の歴史の物語だよな。なんか、読んじゃ駄目な本だった?」
「いや――」
おもわず声が大きくなりかけたのを、ひと呼吸おく。
「逆です。この本にはより多くの魔女の情報が書かれている筈なんです。今回、メルド湖沼地帯に上空から入るという方法を得たのも、この本の亡霊からでした。何かもっと――魔女の力の源についてとか、参考になるような記載はありませんでしたか?」
一気に喋って、息が切れた。
まぁ落ち着けよと差し出された甘粥の香りは、どこか、彼の余裕そのものだ。
流石にアクアも黙って、彼が考え込むのを見守る。
「力の源かぁ……そんな記述は無かったかな。俺は、愛だと思うけど」
「愛?」
「……愛って、普通にあの愛?」
「愛は、愛だろ」
ぽかんとして馬鹿みたいに繰り返した自分たちに、ソーマは真面目な顔で頷く。
ふざけている訳ではないらしい。
「戦争の時代に魔女の元になった魔法使いが、相方を戦争で亡くして怒って魔女になって、洪水で戦争を無くしました。それが最初の部分だ。魔女の力の事だけ考えるとしたら、最初にあったのは、相方への強い愛情だろ?」
「いやいやいや、そんなのは戦争あった時代にはよくある事だったんじゃない。どうしてその魔法使いが魔女になるだけの力を手に入れたかを知りたかったんだけど。それは書いてなかったって訳なの?」
「えぇ~俺に怒るなよ~そんなの書いてなかったよ~」
アクアに詰め寄られて、ソーマが唇を尖らせる。
矛盾しているが、少し、安心した。
はるばる旅をしながら危険を冒して魔物に訊こうとしていた中身が、実は手元の本に書いてあったとしたら、この旅は何だったのかということになる。
「……ソーマ。教会に、一緒に来て貰えませんか?」
まだまだ本の内容を聞きたいし、軽い調子に反して博識な彼がいれば、怯え切っているという魔女探し達からも、何か情報を聞き出せるかも知れない。
「何だよ、俺と別れるのが寂しいのか? 仕方ないなぁ~アルヴァは」
くしゃ、と頭を撫でられて、そうじゃなく、と慌ててその手を掴む。
こういう彼の言動が、いちいち魔女の思い出と被って、変に緊張させられる。
「あはは、わかってるって。お嬢さんの手助けだけじゃ、坂道はきついだろ。抱っこしてやるさ」
「さっきからお嬢って……アクア=エルタスです。ソーマさん」
「やっと名前が聞けた。よろしくな、アクア」
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