湖沼地帯からの魔物
街全体に、どこからか低い警報音が響き渡っていた。
住人はいそいで家屋に入り、扉を閉ざす。
流石、湖沼地帯と隣接している街というべきか、異様な光景だ。
「一体、何が起きているんですか?」
「街の柵が壊れた場合の警報だ。やべぇな」
そこに、聖使姿の少女が馬で坂道を駆け登ってきた。
「聖者様! 魔物が多すぎて結界外部が突破されました!」
「やっぱりか。馬、借りていいか」
「勿論です、急いで下さいっ」
少女が転がるように降りるのと入れ替わりにサッと騎乗した作業着の男が、手綱を片手に手を差し伸べてくる。
「……聖衣を着ていて下さい。聖者様。誰だかわかりませんでした」
荷物を背にまわして、掴んだ手にぐいと引き上げられる。
「あれ、動きにくいんだよなぁ」
『守護の聖者』バルド=レイフォン。
彼は悪戯っぽく唇を尖らせて手綱を操る。
なるほど、見覚えがあったわけだ。
ゆるやかに駆け出した馬上からは、街の外れで黒雲が立ちこめているのが見えた。
魔物特有の、嫌悪感。
全身の神経が緊張する。
若い奴を警戒に当たらせていたということは、街の退魔師の備えは充分だった筈だ。
長年街を護ってきた備えを破るほどの魔物の襲来ということだろうか。
聖者の駆る馬が街外れの低木林を抜け、メルド湖沼地帯の淵にあたる危険地帯に入った。
湖沼地帯に満ちた暗雲が、境界地帯である砂地を浸食し、魔物が続々と溢れ出る。
――その足元に、複数の魔女探し達が、這うように逃げ出してきている。
街の退魔師も、倒しても倒しても出現する魔物の数に、防戦一方だ。
砂地で破られた柵の内側にある二重目の柵を、どうにか、守っている。
『地の守護よ、轟け、聞かせよ!』
よく通る『守護の聖者』の声が、苦しい前線に朗々と響く。
二重の柵が、びり、と強烈な光を放つ。
それに押し返されるように、百出した魔物も黒雲の中に僅かに退いた。
「聖者様……! 助かりました。でも、どうしたら――」
「お前らは無事か? 転がってる魔女探し達を回収しろ。魔物を倒す事は考えるな!」
疲労困憊していた退魔師達に、サッと血気が蘇った。
見事な連携で、救命活動に切り替える。
酒場で寛いでいた人間とは思えない、力強い存在感だ。
「兄ちゃんも手伝ってくれ。救助に邪魔な魔物を防ぐだけでいい。頼んだぜ」
聖者は馬から降りて、いくつかの守護魔法を唱えながら柵に駆け出していった。
放り出された手綱をあわてて拾い、戸惑う馬を宥める。
これだけの魔物を前にして逃げ出さないとは、流石、魔物の巣窟の近くで育った馬だ。
「よし、お前、あそこに突っ込んでいっても平気か」
ぽんと触れた馬首が、落ち着いた温かみを返してきた。
手入れされた毛並みを撫でる。
腰の長剣を抜いて、ひとつ、深呼吸した。
「――行くぞ!」
ぐんと駆け出した馬の速度を、自分のものにする。
『光よ 宿れ 我が刃となれ』
魔力を纏った斬撃が魔物の身体を軽々と切り裂く。
手応えが軽い分、剣を振るう速度が格段に速い。
魔女探し達に襲いかかっている魔物を、片端から斬り捨てていく。
馬も自分の役割を理解しているのか、倒れている人間をうまく避けてくれる。
だが、数が多すぎる。
魔物も、魔女探しもだ。
アクアが追いついたのか、時々水魔法の支援がとんできた。
それでもキリが無い。
退魔師達によって、手負いの魔女探し達の半分は回収できただろうか。
不意に、黒雲がするすると湖沼側へ引きはじめた。
「……なんだ?」
一見、攻撃の手を引いたようにもみえる。
これで収まってくれれば良いが――。
様子をみていると、足元で倒れていた魔女探しのひとりが、小さく悲鳴を洩らした。
「う、あぁ……魔女……魔女がぁぁ…………」
その、恐怖に染まった視線の先をみる。
黒雲が濃く集まった湖沼のふちに、ゆらり、と人影がみえた。
――まさか。
魔物の、赤黒い色を纏った女が、黒雲からうまれるように、スウ、と形を現す。
同時に再びその両側から、ドッと魔物がとびだしてきた。
勢いに押され、馬から咄嗟に飛び降りた。
倒れた馬を無視した魔物が、まだ残っている魔女探し達に次々と群がっていく。
「くそっ……! やめろ、やめてくれ!」
女の視線がこちらを捉えた。
赤黒い、瞳。
凝ったような、重い魔力。
――身体が動かない。
『水よ 我が意に従い 突き抜けろ!』
強力な水魔法の刃が女に叩き込まれて、白煙があがる。
視線からは解放されたが、女の姿も見失った。
「アルヴァ、上よ!」
アクアの声に上を見るよりも速く、肩を掴まれ後ろに引き倒される。
目の前に、魔女の顔があった。
けれどその瞳は、魔物の色に、暗く沈んでいる。
『水よ 我が意に従え!』
ザッと水魔法の斬撃が横殴りに女を襲う。
小さく驚いた声をあげて怯んだ隙に、その拘束から脱出する。
間髪を入れずアクアが魔導杖で殴り掛かったのには助けられた。
それはくるりと魔導杖を避け、そのまま振り向きもせずに、湖沼のまわりを縁取る森の中に駆け込んでいった。
「――待て!」
ぼうっとしている暇はない。
ここで見失ったら、次に捕まえられるのは、また、いつになるのか。
背中にアクアの声をきいた気がした。
が、まっすぐ女の消えた森に入る。
対抗策も、なにもない。
ただ、もういちど捕まえる――。
夕闇の迫る森の暗がりに視界を阻まれるが、こんなことは何度も経験している。
『光よ 我が目に宿れ』
こういう時、自分の魔法属性が光であることに感謝する。
火の魔法と違い、自らが目立つことはない。
ひと呼吸おいて、自分にだけ明るくなった森の中で、動くものの姿に目を凝らす。
なんのことはない。
逃げて行った方向に、そのまま木々をかいくぐって走っていく女の背中をみつけた。
「待て……待って下さい! 俺です! アルヴァ=シルセックです!」
同じように木々をかいくぐって追い掛けているのに、追いつかない。
追いかける自分を気に留めるふうでもない背中に、声をあげた。
ちらりと振り返ったかと思うと、突然、掻き消えた。
――いや、その先で、大きな水音が響いた。
急いでその場に駆けつける。
湖沼地帯に向かって流れる小さな水の流れが、いきなり足元を横切っている。
これに足を取られたのか。
まさかこの浅瀬に流される訳でもないだろう――。
下流に目を向けた瞬間。
ひた、と背中に冷たいものが触れた。
「アル……ヴァ……」
小さな声に、身体が硬直する。
さっき視線に捕われた時と同じだ。
だが、固まっている場合ではない。
「俺は……話……を……」
重い唇をうごかし、振り向こうと力を込めると、さらりと茶色の髪が頬に触れた。
ぶつ、と聞き慣れない音が頭に響く。
焼けるような激痛が首筋を貫いて、硬直のかわりに、全身が痺れる。
首がどうなっているのか分らない。
全身から急速に血の気が引いていく。
遠くなる意識の中で、かすかにそれを認識するが、もう、どうしようもない。
「――大人しく吸われてやるなんて、お人好しだな、アルヴァ」
低くて優しい声が、聞こえたような気がした。
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