東地区アーペとアクア
森をつらぬいていく街道の途中で、魔物の気配を追い、少し道を外れた。
東地区に近づくほど、少しずつ、遭遇する魔物が手強い種類になる。
野生の猛獣と魔物は、全く別の存在だ。
魔物には全身の神経が拒絶反応を示すような、禍々しい雰囲気がある。
しかし、リースは、ほとんど人間と同じ気配を持っていた。
生命力を吸われた時にも、禍々しさは無かった。
こうして改めて魔物と相対すると、それを実感する。
「アクア、木の上の魔物は任せる」
頭上から襲ってくる魔物をぱっと避け、奥の茂みの中にザっと踏み込んで、低い位置に斬り込む。
身を伏せていた赤黒の獣を頭から両断した。
禍々しい姿は、一瞬のち、砂になっていく。
アクアの的確な水魔法で、背後でも似たような砂が散っていた。
「……ここの魔物も、喋れはしないか……」
ぐるりと周りの気配をあらためて、小さく息をつく。
仮に今、リースが魔物として襲ってきたら、対応できないかも知れない。
彼の気配を追う事は、できない。
魔物の気配も無いが、いつも人間としての気配も、希薄だった。
「もう! こんな寄り道してないで、早くアーペに行こうよ! その辺に出てくる魔物なんて大した相手じゃないでしょ。いちいち潰してたらキリがないじゃないの」
「わかっている……だが、アーペに近付くほど魔物が強力になっているのも、見過ごせない。メルド湖沼地帯が近いのを実感するな」
アクアの苛立ちがいつもより肌に刺さる。
さらりと長い彼女の金髪の奥から小さく睨みつけてくる青い目の色が、濃い。
顔をあげると、遠くなってしまった街道の馬車で待っている笑顔の男と目が合う。
ノーリは、のんびりと和やかに手を振ってきた。
「……行くか。喋るような魔物がいるのは、やはりメルド湖沼地帯だろうな」
出発地であるフェルトリア連邦の中央都市フェリアから、東地区の街アーペまでは街道を馬車で旅することが出来る。
寄り道をしないで乗り継げば、7日程度の距離だ。
北西の祖国からフェリアまで整備されていない道を何十日もかけて旅した事を考えれば、かなり近い。
その短い旅程にも、新しい手段はできるだけ試してみたかった。
”人語を喋る魔物に、訊いてまわる”
かつて300年間みつけられなかった魔女を、探し出した実績のある手段。
人語を喋る魔物というのは、吸血鬼を代表格として難敵で、下手に手を出せば逆に殺される危険が高い。
だからこの手段は、情報共有を基礎にしている魔女探し協会には、教えられない。
いま、協会はちょっとした情報混乱状態だ。
実際に自分が検証していない情報を、無暗に広める訳にはいかない。
それに自分達の目的は、彼らのように魔女を探す事ではない。
仮に彼女のもとに辿り着き、対峙したとして、300年という大きな経験と実力をもつ魔女に勝負を挑んだところで勝ち目はない。
だからその魔女の力、そのものについて――
300年も生き続け、魔物も天候も操作する、その力の源を、探している。
ノーリが淹れてくれたお茶で、渇いた喉を潤した。
「あとはアーペに直行でいいですか? アルヴァ。急げば半日もかかりませんよ」
新しく仲間になったノーリには急ぐ理由はない。
アクアの機嫌をみてのんびり聞いてきた。
「ああ。急いで行こう」
「もー、ほんとよ。早くリース様に追いつかなくちゃ」
アクアが繰り返し呟くこの言葉に、実は、結構安心させられている。
リースは、いきなり別れてしまった。
10年も兄のように一緒に行動していた彼は、実は魔物だったと判った事で逃げるように姿をくらませた。
魔物特有の暗く赤い瞳。
生命力を吸い取って逃げた行動は、吸血鬼にも似ているが、吸血鬼とは違う。
本性を見せつけられたのに、まだどこか信じられないでいる。
「アクアさんは、本当にリースが好きなんですねぇ」
「それもあるけど、だって私、リース様が魔物だろうと何だろうと気にしないって、言ってない。もしリース様がそんな事を気にして私の前から去ってしまったんだとしたらっ……!」
「いや、気にしているのは確実だろうが、アクアからというより、我々魔女探しという存在から……」
「そんな事はどうでも良いのよっ。ああ、リース様……私がお側についていながら、ひとりで悩んでいたなんて……」
きゅ、と胸の前で手を握りしめて車窓のお空を見つめるアクアは、そのままにしておこう。
もとより潔くリースを慕っていたから、長時間離れているうちに落ち込むかと思ったが、この調子なら余計な心配のようだ。
「……アルヴァ、少し、疲れているんじゃありませんか?」
首を傾げたノーリが、少し覗き込むようにしてきた。
「まさか。アーペに着いてからが大事なのに、今から疲れてなどいられない」
「どこか調子が悪くなったら、いつでも言って下さいね。皆さんがあんまり強いんで、回復役としては少し物足りなかったりするんです」
そういってお茶のおかわりを淹れてくれるノーリには、どこかささくれた神経が癒される。
街道の舗装が次第にきれいになって、車の揺れが小さくなる。
アーペは、もうすぐだ。
以前に来たのは何年前だっただろうか。
ぐるりと街を二重に囲う柵。
一般的な作りだが、そこに付加された魔除けの守護魔法は、アーペ教会の『守護の聖者』によるのもで、彼が街を護り始めてから40年程、ほぼ魔物の侵入を許していないと聞いている。
「……リース様、大丈夫なのかしら」
訓練された街の退魔師が守る門を通過して、ぽつりとアクアが呟いた。
「前にも来た事がある。『守護の聖者』の付与効力は柵だけで、人に守られた出入口は、魔物とわからなければ出入り可能だ。リースなら問題ないだろう」
魔女探しとして、単純にメルド湖沼地帯を目指したあの頃を思い出す。
旅の中であらゆる魔物との戦い方を、彼に教わった。
「そうよね。リース様は、強いもの」
「……それより、彼が君を拾ったのは、このアーペだ。覚えていないか」
「あれ、そうだっけ? そういえば、そう……?」
「アクアさん、拾得物だったんですか?」
そんなことを言って首を傾げたノーリに、彼女は笑顔で頷いてみせた。
「なんか私、気付いたらまわりが魔物だらけで、何してたかも分んなくて。そしたらリース様が助けてくれたの。あれって、アーペでの事だったのね」
「正しくはメルド湖沼地帯の入り口のあたりだったが……結局君を拾ったことで、リースはそれ以上湖沼に入ろうとしなかった。今思えば、正しい判断だったな」
いま協会では、メルド湖沼地帯には『上空から入れば魔女のいる土地に行ける』という情報が広まり、魔女探し達が一斉にそこへ向かった。
その成果はまだ聞かないが、昔、リースと一緒に行ったあの時、重傷のアクアと出会わなければ、自分たちも無為に湖沼地帯をさまよう羽目になっていただろう。
アクアもそうして重傷を負いながら、何とか抜け出してきた魔女探しのひとりに違いなかった。
”メルド湖沼地帯”は、記憶を失うほどに厳しい、魔物だらけの土地だということだ。
門を通過してしまうと、急に街としての空気が漂ってきた。
守護の柵が、魔物と人間の活動圏を、見事に隔てている。
丘を越え、緑色の屋根が斜面に連なる低層の街並に入った。
このアーペが、多くの魔女探し達の旅の始まりともいえる場所だ。
魔女の始まりの地であるメルド湖沼地帯に隣接し、どれだけ必死に探索しても見つからないからと、彼らが世界中を旅する契機になった。
まさか、長い時間の後に、結局魔女はここにいる、という事になるとは、歴代の魔女探し達は思いもしなかっただろう。
魔物と対峙しながら生活する為に発展した機工技術が、この街の経済水準を、中央都市と遜色無いものにしている。
見た事のない作りかけの機械があちこちに無造作に置いてあるのをみると、興味をそそられる。
そういう観光地としても、知名度が高い。
「それにしても、魔女探し達の姿がありませんね。もう皆湖沼へ出発してしまったんでしょうか」
「皆、物凄い勢いで首都を出ていったものね」
中央都市からの街道の轍跡は本当に酷かった。
特に整備が行き届いていなかった場所などは、車輪が溝にはまりかけるほどだった。
「あのー、教会前は急斜面なので、いつもアーペのお客さんは広場に下ろしてんですけど、そこでいいですかー?」
馭者の提案に、そういえば前に来た時もそんな場所に着いたなと思い出す。
「ああ、構わない。その近くに魔女探し達が集まっていそうな場所を知っているか」
「それなら『待合い酒場』が昼からやってますよ。大抵の人はまずそこで一息ついてますね。広場の端にありますから、すぐにわかりますよ」
馬車が平坦な場所に出ると、もうそこが、緑のあしらわれた広場だ。
中央の植栽に『技術の街アーペ』と彫られた見事な石柱が建っているのをみると、ここが観光地としても潤っているのが、よくわかる。
「やっと着いたぁ! ほらアルヴァ、ノーリも、早く行こうよ!」
ころがるように馬車から降りたアクアがいつの間にか全員の荷物を抱えていた。
魔法使いの細腕で、よく持ったものだ。
急かされるままに馭者に代金を払って馬車を降りた。
彼女は一人でさっさと目立つ看板の『待合い酒場』へまっしぐらだ。
一緒に追いかけようとしたノーリが、隣でイタタと言いながら腰をさする。
「いやぁ、馬車に乗りっぱなしだと、何だか背中にきますね。僕も少し途中で外に出れば良かったかな」
見た目の年齢に似合わないような事を言う。
「そうだな、帰りはそうすると良い」
ポンとノーリの背中を叩いて、先に酒場に入ってしまったアクアを追い駆ける。
荷物には大事なものが入っているから、アクアが持っているとはいえ出来るだけ手元に持っていたい。
『待合い酒場』の中は意外と広い。
一瞬そんな気がしたのは、他に客があまりいないからだろうか。
年季の入った落ち着いた雰囲気の店内を見回して、そういえば前に来た時もリースとここに寄った気がすると、すこしだけ思い出す。
あの時は目的地に行く事ばかり考えていたし、帰りにはぐったりしたアクアを抱えていたから、あまりこういう風にまわりを見渡す余裕が無かった。
「やあやあ、遅かったなぁ。もう皆行っちまったぞ。ようこそ、即戦力よ!」
朗らかなよく通る声に迎えられて、びっくりした。
茶色の酒を飲みながら近付いてきた初老の男の顔に、なんとなく見覚えがある。
技工士のくたびれた作業着姿だが――
それにしても、酒臭い。
「おじさん、黒い長髪が印象的な魔女探しの男性がここに寄りませんでした?」
「黒い髪の男・…… いや、わかんねぇよ。一斉に大勢の魔女探しが押しかけて来たからなぁ。それより嬢ちゃん、荷物重いだろ。そのへんに置いて座りな。飲むか?」
やっぱりそう簡単には見つからないかぁと言って、アクアが無造作に置いた荷物から目を離さないように、気をつける。
他にいる客は、どうやら地元の人間だけのようだ。
「本当に一人残らずメルド湖沼地帯に向かったんですか? ガラガラですね」
「おうよ。上空から入るとかで、大層意気込んで行ったぞ。こっちも急いで対応したぜ。何しろ飛行技術なんて初めてだったからよ。まぁそれは何とかなった訳だが、下手にあっちの領域を刺激して、厄介事にならねぇかだけが気掛かりでな。それで、若い奴らをあっち側の警戒に当たらせてんだ。偵察だけだとか言ってたが、果たして何人帰って来れるかね。じゃなきゃ赤字だぜ。まぁ何か飲めよ」
気持ちよく酔いがまわっているんだろう。
聞きたい事を勝手に喋ってくれた礼に、麦酒を注文する。
「あれ、アルヴァは麦酒なんですね。北のリュディア王国といえばワインを飲む人が多い印象なんですけど」
ノーリにそう言われてから、そういえば国では赤い酒を傾けている人間が多かったような気もする。
いつも酒場に入る時はリースと一緒だった。
彼の注文するものと同じものを何となく選んでいたから、酒場に入ったらとりあえず麦酒を注文するようになっていた。
運ばれてきた白い泡の杯が3杯で、少し戸惑う。
アクアが酒を飲んだところを、まだ見た事がない。
「まぁ座れや。長旅だったんだろう? まずはお疲れさん。一息ついてから動くといい」
彼に勧められるままに麦酒を口にしたアクアの顔が、なんともいえない不思議そうな表情になった。
「ははは、喉でぐっと飲むんだよ! 口の中で味わったって苦いだけだ。おい兄ちゃん、美味しい飲み方をちゃんと教えてあげろよ。酒嫌いになるなんて、絶対に勿体無いからなぁ」
それより、アクアに酒を飲ませて良いんだろうか。それも心配だ。
隣で麦酒を一気に飲み干したノーリが、一息ついて、美味しいですよと笑顔でいう。
「……ところで、魔女探し達がメルド湖沼地帯に入ってどのくらい経ちましたか?」
自分は少し麦酒で唇を潤す程度で止めておく。
技術者が飛行技術を完成させて上機嫌でここにいるのなら、出発から大きく日時が経っている訳ではなさそうだ。
「日の出から出発していったが、何しろ徒歩じゃなくて飛行機械を使ったからなぁ。どのくらいの速さでどれだけの距離を飛べたんだか、俺も奴らの帰りが待ち遠しいよ。飲んだら様子見に行ってみるか? 遠くまで飛べてれば、今日は誰も帰って来ないだろうがね」
偵察の結果が帰還者によって協会に情報共有されるのであれば、わざわざ後をついて行くことはない。
しかし、彼が繰り返し喋る飛行機械の技術がどういうものなのか、気になってきた。
もしかすると、普段の移動手段にも使えないか――。
地面の舗装環境を気にしないで移動出来れば、どんなに楽だろうか。
「行く行く~! 早く行こうよ~。ここでのんびりしてても~リース様は見つかんないわ~!」
アクアの声の抑揚が少しおかしい。
2杯目に入る前に早々に出た方が良い。
「おいおい、着いたばっかりだろ。少し休憩して――」
ふと彼の目に冷静な色がさしたのを、見逃さなかった。
トンと杯を置いて、まっすぐ立ったこの男に続き、席を立つ。
「兄ちゃん腕は立つ方だな。今すぐついて来て欲しいんだが、構わないかね」
小さく頷いて、荷物を取る。
「え? 何? 行くの? 私も~!」
「アクアさん、代金を払ってから出ましょうね」
ノーリが酔っ払いに常識を思い出させているうちに、小銭を机に置いてサッと出て行った男の後を追う。
ついさっきまで朝から飲んでいた人間とは思えない足取りに導かれて、夕暮れの近付く丘の街並みを駆け出した。
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