思い出と記憶2
今でも、はっきりと覚えている。
優しげな貌。
丁寧な話し方。
けれどそれは説明しようと言葉にすると、どこにでもいる、ありきたりな容姿表現にしかならない。
実際に会えれば、一目でわかるのに。
あのとき、自分はまだ12歳の子供で、ついていくのが精一杯で。
――何も、出来なかった。
優しい青年が、ふんわりと顔を撫でてくれた、あの時間。
忘れようにも、忘れられない。
協会代表のシヅキが、話を次ぐ。
「どこにでもいる、一般的な人間になりすましている。これはクレイさんが共有している、魔女の手下にも同じ事がいえるわね。ごく普通の――手下の場合は、魔女探しの一人として。こういう内容だけを、ただ広く共有しても、私達が疑心暗鬼になるだけです。今は仲間を信頼して、対抗手段を探りましょう」
実際、口で説明したような外見の人間は沢山いる。
特に茶髪はこのフェルトリア連邦の人口のほとんどを占め、文化の街であるここフェリアには、外よりも室内で活動する職業が多い。
疑ってかかれば、数えきれないほどの人数を疑うことになる。
ばらばらに盛り上がりながら解散していく魔女探し達の背中をみながら、小さく、息をつく。
皆をみおくったシヅキが、そっと傍に立った。
「私は偽魔女と戦った事があるの。赤い髪の女の子で、あとから調べてみたら、シェリース王国の辺境にある小さな教会の孤児だったと分かったわ。私の当時の仲間も、何百人もの魔女探しが偽物に殺された。それを仕立てた手下は許せないし、そもそもの原因の魔女も、許せない。……絶対に、対抗策を立てて、この長い魔女の歴史を終わらせましょう」
彼女の強い瞳が、小さく笑んだ。
何百人もの死者がでた偽魔女との戦いで生き残ってきたというのは、よく考えれば物凄い状況だ。
単に創立者不在の協会を取り仕切っているだけの、並の魔女探しではない。
「……シヅキさんは、魔女を恨んでいるんですね」
「あたりまえよ。直接じゃなくても、大事なものをなくした原因だもの――」
協会の人に呼ばれて、彼女は忙しく走っていった。
その背中が、どこか、遠い。
魔女探し協会をここで代表しているシヅキ=ユーラス。
彼女は人の扱いが巧い。
混乱を作らないように、共有した情報に必ず注釈をつけて、誰かが勝手に変な風に解釈しないようにしているし、協力という形で、魔女探し達をうまく使っている。
おそらく大多数の魔女探しが、説明した容姿に自分の想像を加えて、魔女を追い求める。
ほとんど、悪感情を抱いて――。
そういう空気が静かに流れている。
リュディア王国から長い距離を南下してきたから、日中は暖かく感じた空気が、急に冷えてきた。
ひらけた共同宿舎の窓の外で、小雨が落ちてきている。
――どこに行っても、同じか。
どこでも、魔女は恨まれる。
魔物の出現も、世の理不尽も、魔女が支配する世の中だからといわれる。
しかし、本当に、そうだろうか。
魔女の出現以前にも、魔物は存在していた。
認めたくないことを、すべて魔女に押し付けて、どこか諦めてはいないだろうか。
「――アルヴァ、今日はもう休め。この中央都市でするべき事は協会に任せて大丈夫だろう。これから出来るだけ早めに、東地区に向かおうと考えている。フェイ=リンクスが実在したかどうかは、誰かに任せる訳にはいかない」
リースがぽんと背中を叩いてきた。
気のせいか、その手がいつもより温かい。
「了解しました」
「浴場は宿舎の奥だ。以前の聖女が水魔法系統だったらしく立派なものだ。土産話にでも一度使ってみると良い」
「……どうかしたんですか? 機嫌も顔色も良いようですし。まさかアクアと何か進展でもあったんですか」
いつもより言葉数の多いリースの言動が、どこか不自然な気がするのは気のせいだろうか。
それとも、この華やかな都市の雰囲気に少し染められているだけか。
「いや、クレイの誘いに乗って来て良かったと思っているだけだ。知らない情報も得ることができたしな」
「確かに手下の詳しい行動は、参考になりますね。少し視野をひろげて調査する必要もありそうです」
フェイ=リンクスは、占い師に扮していた魔女が口にした「身内」の名前だ。
メルド湖沼地帯で死んだと言っていたが、もしかすると、その手下のことかも知れない。
魔女の手下として情報共有された『ゼロファ=アーカイル』。
そして昨日手に入れた古書に書かれた名は『フェイゼル=アーカイル』。
これは、貴重な情報の手掛かりだ。
アルヴァはリースの薦めに従って、浴場に足を向けてみた。
木造の廊下は、雨のせいか木の良い匂いが立ち昇ってきていた。
品のある旅館のような風情が滲む。
今の時間帯は、皆夕食を取っているんだろう。
誰もいない浴場に、サーッと流れる水音が綺麗に響いていた。
中心にあるのはお湯の噴水だ。
白い湯気をあげながら惜しげもなく滔々と流れている。
確かに、こんな贅沢な浴場を持つ教会は、他に知らない。
リーオレイス帝国の一団を監視しながら来たから、土埃と草木の臭いが全身に染み込んでいる。
外した外套からは土埃が落ちて、くたびれた服は洗うと別物になった。
長い金髪はしっかり髪留めに収納していたから、それほど酷くはなっていない。
それでもザッとお湯で流すと、すっきりする。
浴場の燭台に水面がきらきら揺れる。
ここの聖使達は、幸せだろう。
このフェリアには平和な空気が流れている。
去年この国で奴隷制度が廃止されたのは、王国にとっても大きな出来事だった。
自国でも解放を求める声が高まってきていて、フェルトリア連邦に脱走しようとする奴隷も後を絶たない。
一般平民にとって、貴族の政治は悪政であることがほとんどだ。
それが、この300年間の傾向でもある。
それをこの国の盟主は、変えようとしている。
多くの人々が魔女の世の中だからと諦めてきたことに、大きく手を加えている。
そういう余計な事をすれば、魔女に消される――
まことしやかに囁かれてきたその噂は、どこにいったのか。
小国である隣のシェリース王国でも、新しい政策が続々と出されて、景気が上向いてきているらしい。
その点、リュディア王国は政策の改善からは立ち遅れている。
首都より賑やかな商業都市がもらたす豊かさが、ある程度行き渡っているからか、おもいきった政策の改善がなくとも、何とかなってしまっている部分がある。
このフェルトリア連邦の温い湯の中にいると、魔女をどうにかしようという気概が緩んでくるのではないかという気もしてくる。
それが、リースを急がせる理由ではないだろうけれど。
――お湯に入っていると、つい考え事に耽ってしまう。
あれこれ考えても行動しなければ仕方ない。
ざっと上がって着替えに腕を通したところで、預かったさっきの古書を持ってきてしまった事に気付いた。
湿気ってしまっていないか、裏表を検める。
傷みそうな所が無いのを確認して、ひとまず温かくなった本をそのまま小物入れに仕舞おうとした。
『――殺す気か』
溜息のような微かな声に、一瞬、凍り付く。
誰かが気配を消して浴場にいたのかと周りを見回してみたが、そんな事をする意味もないし、やはり、誰もいない。
『まだ、書き上がっていない。絶対濡らすんじゃないよ』
もう一度同じ声が零れる。
手元の古書がぼんやり青白い光を纏っているのに、息をとめた。
「――本が喋る魔法なんて、きいたことがない」
作者がかけておいた魔法が、何かのきっかけで働いたんだろうか。
驚きを鎮めて、そっと乾いた所に光る古書を置いた。
濡らすなと言われたから、それで不可解な現象が終わるかと思ったが、青白い光がそのまま膨らんで、人の形をとる。
白い髪。
薄水色の東方風の衣装。
気怠い貌をした、若い男。
「……フェイゼル=アーカイルとは、貴方の事か」
湯から上がったばかりなのに、全身が物凄く寒くなる。
魔法というより魔物と向き合っているようだ。
『生きていた時は、その名前だった。魔女は私を勝手にフェイと呼んだ。失礼なことだ』
ぞく、と背筋を変な感覚が駆け抜ける。
こんなところで魔女に繋がった。
だが悪寒がとまらないのは、喋っている相手が、どうやら生きていないからだ。
「では、フェイ=リンクスとは、貴方の事か」
『魔女が勝手にそう呼んだ。私は、故レトン王国の王族、フェイゼル=アーカイル。書庫を司る歴史家。魔女の歴史を記録するもの。……この本は未完成だ。開けさせない』
故レトン王国。
300年前に滅亡した古王国。
その末期には隣国と度々戦争を繰り返していた。
戦場に出現した魔女によって、戦場も王城も大水害に遭い、国そのものが水没してしまった。
その跡地が、メルド湖沼地帯になっており、今でもなお多数の魔物に満たされている。
アーカイル王家というのは、どうやら白い髪をしていたらしい。
どの地方でも一般的には金・茶・黒の髪色が殆どだが、濃淡によって赤や銀があっても、若くして真っ白の綺麗な髪というのは、きかない。
フェイゼルの青白い姿を突き抜けて、そっと古書を手に取る。
「……魔女について書いてあるって事だな。どういう内容だ」
すりぬけた空間が、ひんやり冷たい。
悪寒がするのは変わらないが、ただそれだけで、実害はない。
『魔女がうまれた背景、やってきたこと、関わったこと、今に至るまで。彼女の歴史は彼女が死ぬまで終わらない。僕の役割も、終わらない』
背筋がぞくぞくする。
悪寒と嬉しさが混ざり合って、変な感じだ。
「なら、本は開けなくても良い。貴方がその形で、魔女について書いた事を俺達に教えてくれないか」
『……人と話すのは、嫌いだ』
ぼそっと呟くと、するりと青白の姿が本の中に消えていった。
――嫌いだろうが何だろうが、内容を明らかにして貰わなければ。
急いで着替えを終わらせて、共同宿舎に戻る。
夕食を終えた聖使達とすれ違って、現実の感覚が戻ってくる。
資料の中に埋もれているリースとシヅキをつかまえて、早口に事の顛末を説明すると、シヅキの目の色が変わった。
「それは、炙ってでもお伺いしなくてはね。それとも聖女様の魔物を消す能力でそれを消して、開く事も出来るのかしら」
いきなりやり方が物騒になりそうなシヅキの言葉を置いておき、リースの静かな貌をそっと見る。
「……まさか、本物だとはな。銘酒一本は、格安だった訳だ」
「もとの持ち主は気付かなかったのね」
「鍵が開かなくて仕舞って忘れていたそうですから。よくある事です。とにかく、聖女様に声をかけてみましょう。その青白いものを消すかどうかはともかく、お願いしていた国の文献は不要になるかも知れません」
ぱっと本を手にして歩き出したリースに、慌ててついていく。
アルヴァ自身も珍しく熱くなっているが、リースの行動も、いつもより速い。
「丁度、総議長様にお会いするための日程を調整するお手紙を書いていました」
執務室で、そういって筆記用品を端に寄せた聖女が、小さく笑んだ。
「お手数をおかけして、すみません。どうにかこの本から話を引き出す事は出来ないでしょうか」
「えっと……。その青白い方というのは、王族の方なんですよね。じゃあ、丁重に接して差し上げましょうか。早く内容を知りたいとは思いますけど、怒らせて鍵も言葉も閉ざされてしまったら、元も子も無いですから」
困ったように首を傾けた聖女の言葉に、はっとする。
内容にばかり気を取られ、相手が生きた人間ではない事もあって、そういう配慮をすっかり忘れていた。
「では一度、聖女様にお預けしても良いでしょうか。私達が持っていると、頭に血がのぼってしまって」
そういったシヅキは、確かに、持っていたら炙って試しかねない。
「わ……わかりました。明日、お返ししますね」
「悪寒がするかも知れませんが、害は無いかと思います。お願いします」
少し怯えたふうの聖女に、補足する。
余計に泣きそうな顔にさせてしまった。
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